2012年7月 1日 (日)

地井武男が天国へ “ちい散歩”70歳

51iz4ctohl__sl500_aa300_ 地井武男がねぇ、あの地井武男が死んだとは思えない。散歩番組をしている人がそんなに簡単に死ぬのか?人柄がいいのか、ショックを受けている。

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地井武男 ちい散歩最終回
http://youtu.be/2hRWeTzQzUQ
★ちい散歩のテーマ BIG BELL「ほのか」 追悼
http://youtu.be/0uNroDCZR_I

地井 武男(ちい たけお、1942年5月5日 - 2012年6月29日):日本の俳01 優・タレント。千葉県八日市場市(現:匝瑳市)出身。身長170cm。体重63kg。株式会社サイプロダクション所属。
千葉県匝瑳郡八日市場町(現:匝瑳市)に8人兄弟の末っ子として生まれる。千葉県立匝瑳高等学校卒業後、俳優座養成所へ第15期生として入所。
同期=原田芳雄、林隆三、太地喜和子、赤座美代子、前田吟、夏八木勲、高橋長英、竜崎勝、秋野太作、栗原小巻、小野武彦、村井国夫、三田和代など錚々たるメンバーがいる。

元女優・真木沙織(本名:地井佐和子)と1974年に結婚。1女あり。2001年6月乳癌で他界。3年後2002012年1月30日、年2月に元モデルの女性と再婚。再婚は、生前の真木が助言によるもの。

 地井は視野が狭くなったため緊急入院、精密検査を受。その後、目の具合はよくなったものの、検査で心臓疾患が判明し、医師から「無理をすれば心不全を引き起こす可能性がある」と診断された。1996年にも狭心症を患って入院していた。地井は大事を取って当面芸能活動を休止し治療・療養に専念し、体調を見て復帰時期を決めると発表した。

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2012年5月31日 (木)

100歳新藤兼人(映画監督)幸せな死 

01先日「新藤兼人の姿を見たが、車椅子に乗せられていても、半分寝ているか、とても人前に連れてこられる状態ではない」と聞いていたから、先は長くないと感じていた。老衰で意識が遠くなっているのは止むえないが、誕生パーティに出席した友人が、公衆の面前にさらすのは酷だ、とその姿に出席した友人が感想を述べていた。

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新藤 兼人(本名新藤 兼登、1912年(明治45年)4月22日 - 2012年(平成3c1cad390cbf8232ade55b3049b2a3a124年)5月29日):日本の映画監督、脚本家。日本の独立系映画の映画監督。近代映画協会会長。広島県名誉県民、広島市名誉市民、広島県三原市名誉市民。
 戦争や原爆をはじめ社会性の高いテーマを積極的に映画化した。自らの体験を基に戦争に翻弄される庶民の悲劇を描いた昨年の「一枚のハガキ」が遺作となった。2002年文化勲章受章。
 広島市郊外で生まれ育ち、22歳で京都の新興キネ51j7cf66skl__sl500_aa300_ マに入社し、美術の仕事の傍ら脚本を担当。溝口健二監督に師事し、松竹大船撮影所の脚本部に移るが1944年に召集され、戦後、本格的に脚本家として活動開始。「安城家の舞踏会」以降は吉村公三郎監督とのコンビでヒットを連発。近代映画協会を設立、吉村監督と「偽れる盛装」「自由学校」などをヒットさせ、51年には亡くなった妻をモデルにした「愛妻物語」で初監督を果たす。この時に主演した乙羽信子さんと後に結婚した

 五年ほど前、新藤兼人監督の講演を聞いた。そのときで95歳くらいだったが、しっかりした話をしていた。
 池袋の映画館新文芸座で吉村公三郎監督作品
「安城家の舞踏会」と「暖流」が
上映されたが、二本の幕間に、新藤兼人監督が記念講話をした。孫お嬢さん風(カゼ)さんに押されて車椅子で登壇だったが、しっかりした話をしていた。
 盟友吉村公三郎と二人でシナリオと監督の分業で何本も作品を作っている。その二人のやった話だとか、エピソードをいくつか聞いた。
 このときは、子供のときから可愛がられている公三郎の息子が、楽屋に挨拶に行ったら、95歳の監督は「キミ、元気そうだね」と言われて、「60代半ばのオレに言う言葉か?バケモノだ」と、その新藤兼人の元気さを驚いていた。それから、五年、「人、同じからず」だ。

1951年『愛妻物語』
1952年『原爆の子』(見た映画は赤)

原爆の子
http://youtu.be/_9Tky_76MpI

「原爆の子」ストーリー要約

 石川孝子(乙羽信子)は昭和二十年八月七日原爆が投下された時広島に住んでいて、家族の中で彼女一人だけが生き残った。
 その後瀬戸内海の小さな島で女教員をしていた孝子は、原爆当時勤めていた幼稚園の園児たちのその後の消息を知りたいと思い、夏休みを利用して久しぶりに広島を訪れた。街は美しく復興していたが、当時の子供たちは果たしてどんなふうに成長しているだろうか。幼稚園でともに働いた旧友の夏江から住所を聞いて次々と訪問していく孝子だった。
 三平も敏子も平太も中学生になっていた。三平は子だくさんな貧しい父母の元で、靴磨きをして家を助けていた。
 敏子は原爆症で寝ていた。孤児の彼女は教会に引き取られて看護されていたが、明るい顔をして生きていた。
 平太も親を失って兄や姉の手で養育されていたが、一家は明るくまじめに生き抜いていた。
 孝子は、亡き父母の下で働いていた岩吉爺やに出会ったが、息子夫婦を原爆で失い、老衰し、盲目になり、七歳になる孫の太郎と乏食小屋で暮らしているのだった。孝子は岩吉と孫の太郎、二人を島へ連れていこうとしたが、どうしても承知しないので太郎だけでも引き取りたいと思った。
 初めは承知しなかった岩吉も、孫の将来のためにようやく太郎を手離すことにした。孝子は広島を訪れたことによって色々と人生勉強をし、また幼い太郎を立派に育てようという希望を持って島へ帰っていくのだった。目の見えない岩吉は隣りに住む婆さんに手を引かれて、船着場からいつまでも孝子と太郎が去っていくのを見送るのだった。


Photo_2乙羽信子  (石川孝子)
細川ちか子 (母せつ)
清水将夫  (父利明)
斎藤美和  (森川夏江)
下元勉   (夏江の夫)
滝沢修   (岩吉爺さん)
北林谷栄 (おとよ婆さん



1953年『縮図』
1954年『どぶ』乙羽信子主演 成人指定映画

 『どぶ』ストーリー要約
 京浜工場地帯の一隅、河童沼のほとりのルンペン集落に、ある朝、うす汚ない若い女の行き倒れがあった。
 集落の住人徳さん(殿山泰司)がパンを与えたのを機会に、この女ツル(乙羽信子)は、河童沼集落に住むことになった。ツルは戦後満洲から引揚げてから、紡織工場の女工となったのだが、糸へん暴落のため失業し、それ以来というもの転々として倫落の道をたどってきたのだった。
 ツルが同居した徳さん(殿山泰司)とピンちゃん(宇野重吉)は、競輪、パチンコにふける怠け者達だが、阿呆のツルはそれとは知らず毎日、二人のために弁当を持たせて勤めに送り出す。
だが二人は、ツルを利用して一儲けたくらみ、近所の特飲街にツルを売りとばした。
  ツルは、そこの主人大場(菅井一郎)と衝突して飛び出し、河童沼へ帰ってきたが、大場が徳さん達にツルの前借金の返済を迫ったので、遂にツルはパンパンになって夜の街に立つ。その稼ぎをピンちゃん達に貢ぐのである。
 ある夜、ツルは沼の主人三井(深見泰三)のアプレ息子輝明が二十万円入っていると云う手提金庫を奮って逃げてくるのに会い、沼の住人達に注進した。彼らは金庫を求めて走り出したが、取ってみると中には裸体写真しか入っていないで、一同は風邪をひいてツルを恨んだ。ツルは寝こんだピンちゃんを真心を以て看護したが、ある時突然、ピンちゃん(宇野重吉)がツルに抱きついたが抵抗した。
 ある日、ツルは土地のパンパンに因縁をつけられリンチされたため、逆上してピストルを振り廻して暴れたので、巡査に打たれて死んでしまった。沼の住人はツルを担いで帰った。
 ツルが病気に鞭打って貯金した通帳、そしてピンちゃんの学校へ行くという偽芝居をすらも信じて学用品を贈ったツルを知り、一同は涙にくれた。
  疾風のように駆け抜けた彼 7
1955年『狼』
1956年『銀心中』(原作:田宮虎彦)
1957年『海の野郎ども』 - 石原裕次郎主演作。
1958年『悲しみは女だけに』(キネマ旬報ベストテン=略→キ)

1959年『第五福竜丸』  『花嫁さんは世界一』
1960年『裸の島』
1962年『人間』(原作:野上弥生子)
1963年『母』 - 毎日芸術賞、
1964年『鬼婆』
1965年『悪党』(原作:谷崎潤一郎) -
1966年『本能』 - キ7位
1967年『性の起原』
1968年『強虫女と弱虫男』
1968年『藪の中の黒猫』
1969年『かげろう』 キ4位、
1969年『触角』

1970年『裸の十九才』永山 則夫死刑囚
1972年『鉄輪』
1972年『讃歌』(原作:谷崎潤一郎)
1973年『心』
1974年『わが道』 - キ6位
1975年『ある監督の生涯 溝口健二の記録』キ1位
1977年 『竹山ひとり旅
- キ2位
http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2011/08/nozawa22-6.html
高橋竹山 (高橋竹山)
林隆三 (定蔵)
乙羽信子 (トヨ(母))
倍賞美津子 (フジ(第二の妻))
川谷拓三 (泥棒の仙太)

 乙羽信子と再婚
(1978年昭和53年)
1979年『絞殺』 - 乙羽信子「主演女優賞」

1981年『北斎漫画』 - キ8位
1984年『地平線』
1986年『落葉樹』
1986年『ブラックボード』
1988年『さくら隊散る』 - 7位

1992年『濹東綺譚』
 墨東綺譚 監督新藤兼人 良い作品
1995年『午後の遺言状』 - キ1位。乙羽との遺作
1999年『生きたい』 - キ6位
2003年『ふくろう』 - モスクワ映画祭功労賞
2008年『石内尋常高等小学校 花は散れども』
2011年『一枚のハガキ』 -審査員特別賞

 新藤兼人監督作品を見た映画は少ないが、少年時代に見た映画の印象は、大人になってからの何倍も強く、大きい。。
 中学一年のとき、学校から旭座へ見に行った「原爆の子」、乙羽信子の女教師が印象的であった。広島の原爆跡地で、小学生との交流が描かれていた。あのえくぼが特徴の乙羽信子、ズック靴で生徒たちの家を回る姿が、今でもまぶたの裏に残っている。当時の先生たちは、原爆の恐ろしさを私たち生徒に伝えたいと思っていたのだろう。あの時代は、教育者として平和への思いを伝えるのが教育だと思われていた。先生は、学識ものちろんだが、教育とは国の平和を守ることだ、と硬く国民がそう思っていた時代だった。映画をつくるといえば、いまどきの映画とは明らかに違って、一定の平和への信念が、テーマに含まれていた。

「原爆の子」を見て映画館から学校(二中)へ帰ると、生徒も先生も、一様に映画の感動が残っていた。「(岩吉爺さん)さんは死んじまった!」というセリフが、担任の西尾夫先生を探しに行った生徒に、職員室で交わされた記憶がある。

吉村公三郎映画 新文芸坐
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