「斉藤孝先生の恋愛講座」を聞く機会があった。テレビでは、渡辺えり、たけし、安住アナの個性の強い中にはいって、あまり発言は多くないが、一般人の中に入ると、能弁で留まるところがない。立て板に水の状態だ。
一般の人は「先生」の言葉を渇望して聞くから、先生の薀蓄がとうとうと流れるように続く。話も面白く、楽しく聞ける。
毎日のスケジュールが分単位で続いて、殆どスキがない。だから、本を読むのも早いし、文の書いてまとめるのも、スピードがある
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静岡市立田町小学校、静岡大学教育学部附属静岡中学校 、 岡県立静岡高等学校、 東京大学法学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。明治大学文学部助教授を経て現職。
教育スタイル論の提唱者として知られ『声に出して読みたい日本語』(2001年、草思社)が、150万部を超えるベストセラーとなり、同著で毎日出版文化賞特別賞受賞。その後、専門の教育学、日本語教育学などの書籍からビジネス書、コミュニケーションを基礎とした関連書籍を多数執筆。ウイッキペディア参照
能弁でやさしい雰囲気で、いまやテレビ出演も多く引っ張りダコである。困ったことというか、先生のところへは、「先生が好きだ」という手紙が何通か届くようだ。手紙をくれる女性の勝手な思い込みで送ってくれる手紙なのに、斉藤先生が積極的にアプローチしたように話しになっているとか。もちろん実害のある話ではないが。
有名になると、のぼせ上がって近づいてくる女性がいる。昔の話だが、芥川也寸志に女性(大学教授夫人)が今で言うとストーカーのように付きまとわっていて、その女性が服毒自殺未遂で事件になった。民主党の副代表の菅さんも、番記者の女性と親密になったとかでマスコミに嗅ぎ付けられて、奥さんに脇が甘いと叱られた。久米宏さんも、リポーターの一人と親しくなって・・・の問題があった。有名人の女性問題は世間の目は厳しい。特に女性の目は。
先生のしゃべって話すと、出版社が録音とリライトのスタッフを揃えておいて、先生の著書が出来上がる。文学者は、例えば佐古純一の本なんか、書物から恋愛を参考例にして引用して述べることが多かった。まじめなクリスチャンには場数を踏んでいるとは、誰も期待しないだろうし、スケコマシのクリスチャンは困るが。
若い斉藤先生、斉藤先生、恋愛に関しても、それなりに経験も実績もあるようにお見受けした。だからこそ、若い女性のファンも多いし、語る内容も多い。しかし、今本当にうまいことやっている人は、進行中の自分の恋愛は語ることはないだろう。
「草食男子」が増えたことに関連して、男子が女をモノにする意欲の減退を嘆きつつ、語った。
一方で、10パーセント以下の恋愛勝者が、多くの女性を独占する状態についても語っていた。三角のヒエラルキーで、頂点にいるのは男性恋愛勝者で、次が女性の持てる層、次がもてない女性で、最下層が男性の持てない草食系男性と分類した。
もてるというか、マメな男は多数の女性を掛け持ちしている。「一時に何人の女性と付き合っていたのですか?」とタレント石▲純一は司会者に聞かれたら、指を折り始めて「10人かな」と言う。
キャバクラとかに行かれれる方、銀座とかに行かれる方というのは、疑似恋愛をしてみたいのだと思う。お金を払っているわけですから、最初から疑似恋愛に決まってるが、疑似的を超えて、例えばメールを普段やり取りするとか、ちょっと彼女みたいな雰囲気になったり、そういう風なことを楽しむ。心が鮮やかに触れ合っていたい。
完全に肉体が合致してしまうと、心の微妙なやりとりがかえってとらえにくくなる。一言の言葉で、感情が変化するとか、相手のちょっとした表情の変化にメールを送る。「本当は好きなんじゃないかしら」とか、揺れ動く心を楽しめるが、毎回肉体的に合致してしまうと、微妙な駆け引きがなくなってしまう。。
「恋するとは、自分が愛し愛してくれる人にできるだけ近くに寄って、見たり触れたりあらゆる感覚を持って感じることに喜びを感じることである。」とスタンダールが言っている。
これは、近寄りたいんだけど完全に一体化してしまうと、この快感は満たされすぎて、繊細じゃなくなってしまうわけです。ちょっと離れてつかず離れずで、完全にくっつくことはできなくて、できるだけ近くに寄りたいという感じですね。
見方が違うが、「長崎ぶらぶら節」(なかにし礼)直木賞作品にこんな文章があった。
芸者の奥義は「色気があれば休む間もなく口説かれるし、色気がなければ、相手にされない。芸に秀でれば、あいつは不細工だから芸を磨くしか取り得がないのだと陰口をたたかれ、芸がまずければ、芸者の風上にもおけないやつと蔑まれる。客と寝れば噂がたつし、男嫌いを通せば評判が落ちる。男に惚れてはいけない惚れさせるのだ、褒めておだててバカ旦那に仕上げて、身上つぶさせるくらいでなきゃ腕が悪いと教育され、惚れない訓練ばかりしているうちに、人の情に不感症になり、恋も知らぬまま年を食う。」と書いてある。
男が商売女を口説き落とそうと努力しても、触れなば落ちんとする風情の裏には、男の身ぐるみはぎ落とす立派に哲学があるのだ。
九鬼周造が「いきの構造」で「粋」イキということを説明している。そこで2本の平行線がずっと伸びて、離れないけれども交わらない。この2本の平行的な緊張感が、一種の粋の条件。それをなくし、べったりしすぎると粋じゃなくなっちゃう。それで離れすぎると、と今度は相手に媚びを売るということもなくなる。媚びを売りながらも一体化しないそれが「粋」イキだ、という。
斉藤先生の恋愛論は、この「粋」イキと同じだというわけだ。私の見方としては、初恋なら、つかめないものをつかみたいという気持ちと同じだろう、と見ている。それが、佐藤春夫の詩にあった。
詩:少年の日 佐藤春夫
野ゆき山ゆき海辺ゆき
真ひるの丘べ花を敷き
つぶら瞳の君ゆゑに
うれひは青し空よりも
影おほき林をたどり
夢ふかきみ瞳を恋ひ
あたたかき真昼の丘べ
花を敷き、あはれ若き日
君が瞳はつぶらにて
君が心は知りがたし。
君をはなれて唯ひとり
月夜の海に石を投ぐ。
「粋」イキで、つかず離れずの関係を楽しめることが、恋愛を長持ちさせ、人を恋することだろう。やみくもにSEXを求めるようでは、大人の男ではないが、今の女はその情緒より、性の満足を重視しているかもしれない。男にはよくわからないから、交際し始めたら、女性に聞いてみるしかない。
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