2011年3月19日 (土)

孫たちの地震見舞い 手紙

玄関にお菓子やパン類が一杯詰まった段ボール箱があったので、買いだめ?と思ったら、愛知県の常滑の娘からの「地震見舞い」であった。千葉は揺れがひどいと言っても、津波が来て家が崩壊したわけではないし、死者が10数名といえども、東北のリヤス式海岸の地方とは違う。

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スーパーの食品棚は、買いだめでパン類、タマゴ、飲料水、米コーナーが空っぽだ。戦時中から戦後昭和20年代を知っているし、30年前のオイルショックを知っているから、私には、またか?と言う程度の驚きでしかない。過剰反応はしたくないという気持ちが強い。

おばあちゃん、おじいちゃんへ
おばあちゃんおじいちゃんががんばって、ひなそうたおうえんしているからね りんたろうもだよ。おまおくったやつぜんぶたべてつかってね。あぶないからローソクぜんぜんつかわないでね。かいちゅうでんとうはごむのところをにスイッチがあるのでそこをおしてね。ひな(ことし3月で5歳)

今日は そっち(千葉)の方では、すごい地しんがあったみたいですね。こっとのほうもしんど3~4くらいゆれました。きくところによると千年に一度おこるかおこらないかの大地しんだそうです。世界最大きゅうのしんど9だったそうです。
ところでこっちの方でもしずおかがしんげん地とする地しんがおきて6~7だそうです。
しょくりょうや電気などをおくります。
どうぞ油断しないで下さい。それとこちらでも地しんがおきるかもしれません。よろしくおねがいします。りんたろう(今年2月で11歳)我を張る5歳

 ひなは文章がようやく書けるようになった。人を気づかい、みまいの心を伝えようとしている。りんたろうは、震度とか、震源地など全体を気にしている点が男ぽい文章。半年前、書かせた文章より、伝えようとする内容がまとまってきた。

①手紙を送る相手を明確になっていると、書きやすい。
②伝える内容があると書きやすい。
③読書で表現方法、文章になれていると書きやすい。
④伝える意欲が文章を書く意欲になる。
 と、伝えてやりたい。文章を書くには、自分の背丈くらい本を読み、(原稿用紙で)自分の背丈ほど文章を書く。これを実行すると文章がうまくなると、昔の文豪が言っていたらしい。

新聞テレビが、東北大地震を伝えているから、日本中が津波で、あるいは原子力発電が故障して汚染の空気が充満しているような印象で、ヨーロッパの方では誤解されている様子だ。

イギリスの娘のところへは、毎日のように友人から「日本はどうだ?」という電話だったり、メールだったりで見舞いがあるという。私たちには「イギリスへ避難して来るように、真剣に考えて」と言っている。
 特にドイツのマスコミが、日本政府は(原発の)被害状況を矮小化して発表している、という。チェルノブイリの被害を想定して、その次のランクの災害とみているから、そりゃ大変というかんじだ。

 娘の夫は、一昨年東北(浄土ヶ浜、田老)を旅した光景がまだ記憶に残っているから、あの地域一帯の惨害が気になるようで「あの浜が消えてしまったのか」という。

「イギリスでもドイツでも、毎日のように日本のことを報道しているけど、比較的好意的で、“頑張れ日本!日本なら立ち直れる!”と言う論調です。Christianの周りの人も寄付をしてくれたり、病院の立て直しに協力してくれると言ってくれているので、意外に日本は国際社会から好かれている国なんだな、と思います。」

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2010年12月31日 (金)

2011年平成23年、一日早い年賀状

Ws0000045 本年も要路市区お願いします。野沢常雄

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今年はデジタル化に抗して、宛名を手書きにした。能率が悪いが、相手のことを考えながら出せるメリットがある。

やはり、相手の顔を思い浮かべて書く余裕があると、これが年賀状書く楽しみが生まれる。

木版の版画を彫って出すのが習慣だったが、プリントごっこが大流行で堕落して、年賀状を一晩で片付けられるようになると、急に人間も堕落というか、一丁上がりで終わるようになった。

これなら、1000通も100通も一緒になった。量こそが価値であり、勝ちの時代になった。

もっと、情を通わせる社会にしなければと、せめて宛名は書くことで、情を通うヨウにと思った次第だ。パソコンの時代は、手書き文字がきれいでない私には便利な利器であるが、人間味から遠くなるのは否定できない。

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2010年4月 9日 (金)

メール携帯電話の前 手紙時代

Maeza 天袋の荷物を整理していたら、数十年も前の手紙類をつめた箱がいくつか出てきた。青春の「シマッタ!」がたくさん詰まっている。こんな奔放で個性的な文字を書く人もいるんだ。その個性がメールではわからないが、手紙はそれがはっきりでてくる。見ていると、懐かしい青春が甦ってくる。

帰省する道すがら、中央線の●●駅で途中下車して駅の公衆電話から連絡取ったら、電話自体が隣家の電話で呼び出しだった。たまたま、その隣家が留守で、結局、会えずじまい。その場で、ハガキを書いて投函してあきらめた。

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このケースなんかも、今なら携帯で連絡すれば、行き違いになることもなく、会えた例だ。もっと、事前に連絡しておくなど計画的な行動しないと、歩いていける範囲でない友人と会うには段取りが必要だった。

もう過ぎ去って何人もの手紙を読んで見ると、この人ともう少し深く付き合ったらよかったのに、と思うことがある。あるいは、会っているときは気づかないが、手紙で読むと、その人の物足りなさがあるっていう場合がある。逆に、手紙美人、手紙おもしろ人というのがある。自分をガードして着飾るタイプだと、本心が見えないから交流が深まらない。

本人の意識が、A「それなりの美人」タイプ、B「(ゲゲゲの女房の)自信なげ」タイプ、C「容貌を意識しない、天真爛漫」タイプと分けられるかな、と思って分けてみた。

手紙をもらってうれしいのは、Cタイプだね。自分のことを書きながら、人を疑わないから、人を明るくする。Aタイプの上から目線で書かれる手紙はカチンとくる。Bタイプの自信なげな書き方はあるときから急に変って嫉妬ぶかくなったりしないか、気になる。

駅で出したハガキの返事としてもらったのが、この速達であったが、結局その人とは会うこともなく、青春の思い出になった。

私が電話した日、休日、家に彼女はいて、誰かに会いたい、友だちに連絡しても都合がわるく、そんな手持ち無沙汰だったと書いてあった。だから、速達の文章は、残念そのもののだった。この人、エッセイを書きため、文集をつくるのが趣味で、視点・着眼点がおもしろいので、会ってみたいと思っていた。今もご健在だろうか。

今の若者は、携帯で連絡がキチンと取れるから、どんな遠方でも、簡単に会話できるし、行き違いがない。ピンポイントで会えるから、うらやましい。

手紙でも、友だちレベルから前に進まない相手もいるし、もっと友情を深め恋愛になりたい相手もいる。その差は、個々の印象でしか理解できなが、この差は、一体なんだろう。

だいぶ時間かかったが、やっと気づいた。

「心のざらつき」を感じると、うまくいかない。利得とか、見栄がまざっていると、本心が見えない。すると、しっくりいかない。そう感じると、たとえ美人でも、あまり会いたいと思わなくなる。「美人は3日見れば飽きるが、ブスは三日で慣れる。」

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2009年8月 6日 (木)

親愛なる子供たちへ「手紙」樋口了一

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手紙~親愛なる子供たちへ~

原作詞:不詳/訳詞:角 智織/補足詞:樋口了一/作曲:樋口了一/ストリングス・アレンジ:本田優一郎

年老いた私が ある日 
今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても 
靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

あなたと話をする時 
同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本の暖かな結末は
いつも同じでも 私の心を平和にしてくれた

悲しい事ではないんだ 
消え去っていくように見える 私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に 
私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには
思い出して欲しい

あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 
様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った
懐かしい日のことを

悲しい事ではないんだ 
旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 
飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がることすら出来なくなったら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり 
自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらいことだけど
私を理解して支えてくれる心だけ持って欲しい

きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかり付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私のこどもたちへ 愛するこどもたちへ

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日本テレビ系『誰も知らない泣ける歌』に出演してから、「手紙」という歌がヒットしている。老人が衰えて死に至る過程を子供である成人が理解してやらないといけないんだよ、というモチーフだが、老人(衰えていく側)の書いたものではない、と案外わかる。

たとえが違うが、ある70代先輩が「息子たちが旅行をプレゼントしてくれたが、息子たちは、新婚旅行の経験から計画するから…」と苦笑いしていた。ありがたいが、ひとつ焦点が違うという。

この「手紙」も、未体験ゾーンについて書いているから、隔靴掻痒という感じがある。オシッコもらしの体験、介護されないと立ち上がれない経験はない人の詞だろうな、と思って読んだ。私も、介護された経験がないから、勝手なことは言えないが、身体は徐々に衰えていることは、自覚している。

さだまさしも、目が弱ってきている。彼、「今夜も生さだまさし」(奈良の春日大社から実況)で見ていたら、演奏用のメガネ、原稿読むときのメガネを架けかえていた。あれが老人初期だ。それは東国原宮崎県知事のあのメガネをずり下もそうだ。次に足にくる。その前に肩、手、腕などが回らないとか、五十肩現象が出ては消える。

Dsc08041 年老いている姿は、自然だよ。淡島千景だって、美貌が衰えた。7月29日(水)のゲストは、女優 淡島千景。文化放送:大澤悠里のゆうゆうワイド8:30から1:00で、五月みどりと並んで写真を写していた。普通のオバサンよりは・・・だけど、昭和30年代「義経をめぐる三人の女」で見た光るような美貌はいずこへ…だ。

淡島 千景(あわしま ちかげ、1924年(大正13年)2月24日 - ):日本の女優。 東京都出身。本名は中川慶子。宝塚歌劇団出身

歳取っての楽しみは、生命のバトンリレーで子孫が広がっていくのが楽しみだが、これも子供を持てなかった人には酷な話題になるから、これは余りいえない。仏教の教えの中には、一枚の葉が枯葉となって地になって堆肥になる。新芽は春に芽吹く。木全体で生命だという。死も自然の流れ。

この「手紙」の歌に文句を言っている人がいた。「子供への愛情をそのまま親へと転化しているのが勘違い。親への愛と子への愛は生物の本質からして違います。
「昔やってやったんだから俺にもやれよ」ははっきり言って我が子へのタカリです。生き物は次世代を生み出した時点でミッション終了、介護は子の仕事ではなく福祉の役割です。

元気な子が年老いた父母を介護するとき、その齢にならないとわからないが、子供みるように年老いた父母を見れるか。確かそうはいかないが、理解する手立てとしては、幼子のときにお世話になったあのころに重ねるしかない。過去はわかっても未来はわからない、から。

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デビューするために両親の老いを利用したと言えばいえるが、それはそれでいい発想であり、若者が老いを理解する手立てになって、みんな、この歌で涙しているから、ヒットしてもやきもちを焼かないで、拍手してやろう。それ以上の老いを理解する歌を作ればいいのだ。

そうだ、この「手紙」のメロディが懐かしい感じがない。文言はこれでいいが、ギターの伴奏がピンとこない。ドボルザークの懐かしい「家路」「新世界」のような流れがあると、西方浄土の安堵感がある、と思う。

「死は楽しみ」死は成長過程の順序、最後。未知への探検かもしれない。特に自然死は、西方浄土へいけるような楽しみだな、と私は思っている。これは、私の意見、ご検討ください。

年取ってくると、この世の知り合いより、あの世へ行った人の知り合いの方が多くなる。同級生が一人もいないなんて、寂しいす。70代は、「秋の日はつるべ落とし」特に体が弱っていくから、注意して、楽しみを見つけよう。

参照 手紙 拝啓15の君へ アンジェラ・アキ  井上陽水 「いつのまにか少女は」聴く エンヤの歌声を大晦日に聴く 新宿駅裏「紅とんぼ」ちあきなおみ 遠藤実 国民栄誉賞 北国の春  三原純子『南から南から』昭和17年 歌で一息 休憩だ 椎名林檎 天才か、はったりか 真夏の夜も さだまさし ハーレム  ドイツ平和村へ千手観音がきた  陽は、また昇る 歌詞 音楽つき 人間力大賞 大野靖之学校ライブ 歌は世につれ、世は歌につれ 佐藤しのぶ 品のある点が魅力  親愛なる子供たちへ「手紙」樋口了一

真夜中に倍賞千恵子を聴きながら ちあきなおみ 冬隣 喝采 紅とんぼ  さだまさし バースディBirthDay  歌で脳活 人生いつまでも青春時代 お互いに目を見つめる トワエモア 本田美奈子が歌うドボルザーク新世界  夏川りみ 彼女の歌をYouTube聴こう アジアの風 感じて 加藤登紀子 ヨイトマケの唄 米良美一が歌う もうすぐ春ですね、キャンデーズが歌う  心疲れた方へ 童謡唱歌を紹

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2009年3月 6日 (金)

初恋の人から手紙

初恋の人からの手紙を もらうやってみる

誰が考えたか、うまくできているので、試してみた。

心理テストふうな性格判断アンケートに答えると、すぐ昔の恋人から、返事がくる。これはおもしろい。アンケートは「やってみる」をクリックすると、返事がすぐ出てくる。これは面白い。

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●●さん、ひさしぶり。
「ポニーテールじゃなきゃ女じゃない」と毎日私に言っていた●●さんをなつかしく思います。今でもポニーテールに執着していますか?

「好きだけど別れなくてはいけないときもある」などときれいごとを並べてお別れすることになったあの日から、もう長い年月が経ったのですね。月日が流れるのは早いものです。

お手紙を書いたのは、何か伝えたいことがあるとか用事があるとかではないんです。ただなんとなく田舎へ帰った時、学校の前を通ったらなつかしくなって、思いつくままに書いてみようと思い立っただけなんです。ふふ…。

振り返ってみると、いつも主導権を握っているのはあなたのほうでしたね。何を言っても言いくるめられたし、いつも電話して泣かされていたから、寂しくていつも誰かキープをつくっていたような記憶があります。そういえば何を勘違いしたのか「おまえにはおれがいないとダメなんだよな」なんて言っていましたね。それを伝え聞いた友達は爆笑していたのを覚えています。

そういえば今思い出した。そうそう、最初のころのあなたは「元カノからまだ連絡がくる。めんどくさい」なんて嘘ばっかり言ってて(笑)。妄想もそこまでいくかとこっちが恥ずかしくなったものです。

告白するときのあなたは、必死で「一生大事にするから」とか酔っ払ったことを言っていましたね。とても嬉しかったのですが、お別れしたときには、やっぱり詐欺だったなぁと思ったものです。

私はあなたと付き合えてよかったと思っています。あなたなりに一生懸命頑張ってくれたのだろうし、自分もだいぶ寛容さが鍛えられました。どうもありがとう。

いろいろ書きましたが、私はあなたが大好きでした。これからもあなたらしさを大切に、あと自販機のおつり出口をいちいちチェックするのはもうやめて(笑)、いつか幸せになってください。またいつか会いましょう。では。

P.S. 将来マッチョになるって言ってましたよね?どうなりましたか?

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2008年11月 7日 (金)

なかにし礼 作詞家はラブレターから

Img_0504_2Img_0500_3左は平成5年で55歳、右は今年、平成20年は還暦ではなく、古稀、70歳だという。古稀の祝いをして、世話になった人を呼んで、盛大のパーティをしたようだ。出席者は、こしのじゅんこ、高嶋礼子、戸川昌子、菅原洋一、佐久間良子、いしだあゆみ(妻の姉)、長島茂雄など、数多の有名無名の人が集まっていた。徹子の部屋からの感想、記事。

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Img_0498 なかにし礼は、功なり、名を挙げ、押しも押されぬ作家になり、今は世界を船旅で夫婦で楽しんでいる人生であるが、彼の人生は、人との縁、一通のラブレターが「わらしべ長者」のように、才能もあるが、彼を育てくれた。その出会いを全部、消化して自分の栄養にしている点は才能であろう。その中の三人を人生を振り返るように黒柳徹子に語っていた。

最初のわらしべ シャンソン歌手石井祥子

その出発点を20歳、立教大学の学生でシャンソン喫茶のボーイをやっている時のエピソードを淡々と披瀝していた。アテネフランセでフランス語も齧っていた。その喫茶では、シャンソン歌手が実際に歌って聴かせるショーが行われていた。そのとき、石井祥子という歌手が歌っていた。美しく可愛いと思って、想いの丈を綴った手紙を渡した。その度胸というか、情熱があった。

本当はボーイが自店の歌手にチョッカイ出すのは禁じられているはずなのに、そういう行為に走るなかにし礼、この人はどういう神経しているのだろうか。自分の人生にプラスすると考えれば、よその家から枝に実る柿をちょっと失敬、そのぐらいの飛躍ができる人のようだ。チャンスはそうやって得ていくのかもしれない。待っていても、幸運は来ない。

Img_0489 ラブレターを受取ったシャンソン歌手、石井祥子は、センスがあるんだね。若い坊やみたいな、なかにし礼を呼んで、「こんな手紙、失礼だ」とは言わなかった。ボーイである「なかにし礼」はこの恋は実るとは期待はそうはできないだろうことは彼もわかていたのかも、傷ついてもいい、「ヘタな鉄砲も、数打ちゃ当る」くらいの精神だろうか。

「あなたの手紙、詩的で面白い。ついては、訳詩(訳詞)をやってみない?」とヒョウタンから駒だった。失恋の代償に仕事が舞い込んできた。そのシャンソン歌手石井祥子という人は不思議、ラブレターの文章を見て、訳詞ができると思うその感覚は特異だ。きっと若く見えても、かなり歳の差があったのかも。なかにし礼は20歳だった。

日本のシャンソン界は、活動が活発で、フランスから楽譜を取り入れ、ドンドン日本語に訳して歌い広めようとしていた時期だった。アルバイトをしながら、フランス語を習っていたから、辞書があれば、なんとか意味がわかる実力はあったので、引き受けた。

やってみたら、結構評判がよくて、その後、ドンドン仕事が来た。そのころ、ボーイの時給が23円で、一日10時間働いても、一ケ月フルに働いても7000円~8000円にしかならなかった。(黒柳徹子「NHKで一時間56円だったんです」)その当時は、「13800円」というフランク永井のうたが流行していた。大卒初任給が一万円くらいだった。

Img_0488_2 訳詞をやって、一曲で500円もらった。これは肉体労働から抜けられるチャンスだと思った。時給23円で残業しても、生活はそんなによくはならない。その当時住んでいたアパートは、隣りの部屋を二つに分けた3畳の間に住んでいた。こちらの戸を開けると隣りの部屋が閉まるような、構造であった。布団を出すと、ゴキブリがゾロゾロと出てくるので、薬局でDDTを買ってきて、布団を敷いたあとに布団周りにディディティをグルーっと撒いて、そうして寝た。

湿気で波打つような畳で、窓を開けるときは、開けますと言わないと、隣が顔出していると首をはさんでしまうから、要注意だった。夜家に帰ってきてから、30燭光の裸電球の下で、鉛筆なめなめ作詞をした。そして一晩で500円をもらう生活を続けた。このシャンソンの訳詞は注文が続いた。

満州にいたころは、母や姉は東京へ歌舞伎を見に、飛行機をチャーターして出かけるような豪勢な生活をしていた。それが一転、こんな生活は、彼にとっては最低生活であった。まだ満州から引き上げてきた彼には「まだ爆撃されたり、殺される恐怖と比べたら、平和はいい、それだけでもありがたかった、という。

二人目 シャンソン歌手深緑夏代

次のステップは、シャンソン訳詞続けるうちに歌を書くのは面白いな、と思うようになった。自分でも試してみよう、とCBCラジオ放送で募集していた歌謡曲を応募し、それに当選した。

Img_0491 古稀パーティにて それがレコーディングの場に作詞家として呼ばれ、立ち会った。それをレコーでイング吹き込みをしてくれた歌手は深緑夏代であった。彼女には「坊や」と呼ばれ、「坊や、いい詩をかくじゃない」と近寄ってきて「私が訳詞を頼むから、やりなさい」言われたのが、私を育ててくれた縁の人であった。彼女は宝塚の大スターだったが引退して、シャンソン歌手となった人。その時、私が22歳、彼女は37,8歳くらいだった。

その後、深緑さんの歌うレパートリーの訳詞をいくつも手がけ、よくお宅へ呼ばれて行った。そこで教えられたのは、高い音には、「イー、とかウーを入れると、歌いにくいんだよ。イーとやれば、喉にしわもよるし、声も出し難いから、高い音の所は「ア」「オ」を入れなさい」とか、最初、この歌は下向いて、段々上へいく歌だから、その言葉もそれにあわせなさい」と手とり、足とり教えてくれた。なかあにし礼には、ずいぶん勉強になった。それが、その後の歌謡曲を書く上にも、歌詞に役立っている。

僕のまじめだったのは、訳詞のお金は、1000円になり、1500円とギャランティが高くなって、それを全部貯めていたことだ。立教大学を中退状況になっていたを、4年遅れで改めて大学へ戻った。4年間分の学費を払って納入して卒業した。

家賃500円の五反田のボロアパートからようやく脱出して、九段へ映った。芸者の置屋の二階へ下宿する。夜になると、芸者衆が前も隠さず白粉を塗って化粧をする。「坊や、大きくなったら、私を呼んでね」とか「この辺で遊ぶようにならないと、ダメよ」と言われた。朝は三味線の稽古で目を覚ますような場所へ移った。

そして、立教大学へ入り直したころ、シャンソン界のとある女性と恋をして結婚するのです。24歳。そのころは、作詞で食えるようになっていた。

そして 石原裕次郎との出会い

20080219_267900

新婚旅行で下田国際東急ホテルへ行ったら、「石原裕次郎ご一行様」と書いてあるわけ。「裕ちゃんは映画などで見て知ってはいるが、何も緊張する必要はないのに、ホテル内は緊張でみなぎっていた。ホテルへ入ってから、ご飯を食べてから、僕と新妻がロビーに出て来ると、ザワザワしている。石原さんがカウンターに坐ってこちらを見てニコニコしている。そして、僕と目があったら、指で僕を招く区わけ。「僕ですか」と自分の胸を指さすと、ウンというので、彼女と二人で裕次郎の前へ行った。

「何ですか」そして「コンバンワ」と少々間が抜けた挨拶した。なかにし礼24歳、石原裕次郎はその4歳上の大スター。裕次郎は、独立記念の「太平洋ひとりぼっち」の映画を撮って、最後の部分を下田で撮っていたのだ。

「君たち、新婚か」という。「ハイ、新婚です」というと「今、退屈紛れにロビーにいる新婚カップルの中で一番いいのは誰だというコンテストをやっていた」という。そして「君たちが新婚という条件が叶っているから、一等賞だ」と、「一杯やろう!」とビールをご馳走してくれた。

「ところで、君は仕事は何をやっているんだ?」「僕は、シャンソンの訳詞をやっている」僕としては、シャンソンの訳詞なら多少文学的な意味でも歌謡曲より品位があるという気持ちがあった。「枯れ葉よ…?あんな歌か?あんなの、オマエ、くだらないよ。日本の歌を書け。日本人だろう?」と言われて、その言葉にググっときて言い返したかったが、反論しないで「はいはい」と聞いていた。

インテリの自負していたなかにし礼は歌謡曲をバカにしていたが、そこは、顔に出さないで、話を続けていた。石原裕次郎は「いいものができたら、もって来い」「オレがすぐ歌う」わけにもいかないが、協力してあげるから」と言われた。忘れようと思っていたが、頭の片隅に残っていた。「太平洋ひとりぼっち」は命がけで作っているから、必ず見てくれよ。そういわれて封切られてから見た。

堀江青年がハワイ沖でしけにあって、水を掻き出して船を助けたあち、一人きりで短波放送を聞くと村田英雄の「王将」が流れてくる。「吹けば飛ぶような将棋の駒に掛けた命を笑わば笑え…」と言う歌詞を裕次郎扮する堀江青年が吹けば飛ぶようなヨットに掛けた命を笑わば笑え…」と歌って、ホロっと涙を流すシーンを見て、歌っていいもんだな、と感動した。こんなに人の心を感動させ、心に残った歌が書けたらいいな、と思って、歌謡曲を書いてみよう。そんな気持ちになった。単純でしょ、となかにし礼は笑いながら、黒柳徹子にいう。

歌の力はすごいナと思って、自分でギターを弾きながら、一曲作ったのです。シャンソンを書いているから、自信があったのに、それは原曲があっての作詞訳詞だから、創作には役立ったなかった。自身があったと思っていたのに、コリャだめだ、と思うほどだった。

でも、今作れるのは、コレ、この程度しかない、とカセットテープに吹き込んで、石原プロへ持って行った。それが「涙と雨にぬれて」という曲です。石原プロへ行くと、温かく迎えてくれて、そのカセットをみんなの前でテープを回して、ヘタな歌が流れ、本人なかにし礼はいやになっていた。

「まあ、お預かりしましょう」と、通り一遍の言葉を聞いて、ホントに失敗したと脂汗を垂らす気分で帰宅した。それから、翌年、石原プロから電話があった。レコーディングに立ち会ってください、という連絡だった。38年に下田のホテルで石原裕次郎にあってから、一年半ごのことである。

作品は石原プロのヒロケイコというタレント+ロスインデオスが歌うのだった。曲は編曲者が手直ししていて、別の曲のような気分で聴いた。「いい歌じゃないか」と本人が思うほどによくなっていた。それが昭和40年で20万枚、翌年昭和41年に、田代美代子とマヒナスターズでも出されて40万枚。生まれて初めてのヒット曲になった。ヒット賞をもらった。

その後は、60代になって、「長崎ぶらぶら節」で直木賞ももらった。兄について書いた「兄弟」はテレビで放送された。作詞と小説で作家ということになる。

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なかにし礼 作詞家はラブレター 赤い月 なかにし礼 母の満州体験

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2007年2月 1日 (木)

読めるかな?真摯 慙愧 遵守

Kannji 世代間で漢字能力にかなりの差があることを痛感している。外国で暮らしていたなら、その分外国語に強くなっているからわかるが。

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原稿がFAXで来て、それをテキスト入力してほしいと依頼があった。そこで来てもらって、「分からない漢字があったら、ここで確認して」と原稿を渡す。原稿を目通す。

「信頼性の回復に真摯に・・・」、「ご迷惑をおかけし、慙愧に・・・」、「その他の法令を遵守した・・・」

30代後半の女性で、そうモノを知らない人ではないが、10枚の中でこの程度の読めないのは、ご愛嬌で済ませることができるかな。パソコンでは、文字の読みができなくても入力できるから、文字が読めないのはバレない。統計を取ったわけではないから、はっきりしたことはいえないが、20代女性では、もっと読めないようだ。

漢字が読めないのは、正確に印字したるものではなく、少し文字が崩してあるとまるで類推ができない。こういう場合に、漢字能力の差が出る。

以下の漢字が読めると、合格
湧出

壬申の乱

揖斐川 澎湃
要衝 播種
成功裡 紆余曲折
昼間人口  緒につく
障壁  転嫁
離人感

矜持  

分祀

携帯の普及する前は手紙が遠方の人への通信手段だから、手紙をよく書いた。あまり間違った文字を書くと、教養を疑われるから、辞書を引いたものだ。手紙で文字を正確に書くことを磨いた、かもしれない。

 本を読むことで覚えたし、中学から高校に上がる試験では、必ず漢字の読みと書き取りがあった。そのため、常用漢字(旧教育漢字)を書いて覚えた。漢字帳の課題に番号がついていて、某彼女の家の電話番号と同じだから、「赤飯」と友達同士で隠語で呼ぶと意味が通じる。そんな世界も作っていた。

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真摯しんし 慙愧ざんき 遵守じゅんしゅ

湧出  ゆうしゅつ

壬申の乱じんしんのらん

揖斐川 いびがわ 澎湃  ほうはい
要衝  ようしょう 播種   はしゅ
成功裡 せいこうり 紆余曲折うよきょくせつ
昼間人口ちゅうかんじんこう 緒  ちょにつく
障壁  しょうへき 転嫁 てんか
離人感 りじんかん

矜持 きょうじ

分祀   ぶんし

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2007年1月17日 (水)

不二家で藤原紀香似の彼女

Fujiya_peko 私が不二家でアルバイトしたのは、昭和36年頃。(早稲田)信愛学舎の先輩木下康さん(熊本市/商学部)が不二家に就職して、クリスマスに研修として行っていたので、アルバイト紹介してもらった。

大学2年の冬休みである。私は、彼女もいない、電車男陣内のようであった。

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新橋店を紹介受け、高田馬場まで、1時間半はかかって出かけた。始めて会った店長は50がらみ、夢路いとし喜味こいしの兄いとしと似た顔だった。休憩室で橋幸夫の「潮来の伊太郎」(潮来笠)をちょっと音程を外しながら、手書きメモを見て歌っていた。こんなにのんきにしていていいのか、と思ったが。

本社からの紹介だから、直ぐ採用で、明日から来てください。となって、その翌日から約2週間、不二家新橋店に続けて通った。春休みは、店長採用でまた2週間、今度は新橋駅構内の名店街に不二家でバイトをした。

20061116_1936951 一階店頭にはショーウインドウがあり、ショートケーキ、シュークリーム、エクレアなど。壁側は商品が多数並んでいた。普段は私たちアルバイトは商品補給、客の誘導が仕事だった。

ショートケーキのウインドウの中はレジ。レジの女性は背が高く、大柄、23歳。私より一つ年上、藤原紀香似の物腰も柔らかな女性だった。

商品を並べていると、件クダンの店長が出てきて、「品物を売るのは簡単、それまでの準備が勝負だ」と、商品を並べるまでを強調していた。歳の近い売り場主任がこっそり教えてくれた。「店長、本社会議で叱られて、ここの店に飛ばされてきた」年齢からすれば、もっといい役職につけるはずだ、とウワサされていた。

Guest2二階は、洋菓子喫茶があり、男性コックが二、三人とウエートレスが数人。クリスマスが近いので、クリスマスケーキが3階に山ほど積み上げられていた。クリスマスケーケーキは2週間以上まえから作って、用意してる。

普段のショートケーキなどは、毎日配達されてくる新鮮なものが多いが、クリスマスケーキはその日に作るというわけにはいかないから、クリスマス同日にどーんと売るためには、準備してストックが必要。

昭和35,6年頃のクリスマスは、クリスマスケーキがバカ売れした。控え室で昼飯を食べる以外は、ほとんど休憩らしい休憩はない。

不二家だけなのか、それとも他のお菓子屋はそうなのか、ねずみの被害が多く、お菓子の袋を破られて散らかっていた。夜閉店になるとショーケースのお菓子の上にトタン板のガードを全体に被せる作業を必ずやった。あと二週間に一回は、ネズミ駆除の粘着シートを店中に置いた。翌日来ると、大抵は一匹、二匹はかかっていた。衛生面で、この程度がその当時の水準かと思った。

主任から声がかかり、「一緒に行ってほしい」というから、付いていくと、放送局だった。某お茶漬けのモトの会社のロゴ入りクリスマスケーキを局の社員に配る仕事だった。コマーシャルを出す会社は、こういうサービスでコネを強くするんだ。がんばっている社会の裏を見た。

Nj レジの紀香姉さんは、陣内似私を指名して本社のケーキつくりの工場へ一緒に行った。「タクシーを捕まえて」と命令するんだけど、田舎モンの私には、年末のタクシーは全然捕まらない。時間ばかりたって、紀香姉さんに軽蔑の目で見られた。それでも不二家の銀座工場内に行った。注文ケーキを取りにいったのだった。

工場内は、クリスマスケーキ作りは一段落している様子だった。ケーキの匂いと、床はバターの油脂でツルツルしていた。社員はケーキの上に絵を描いていた。ケーキを作る工場に入ったのはそれが始めてで以後ない。

クリスマスイヴは、店頭でケーキを売り切って、夜遅くなって、社員店員とアルバイト高校生も、喫茶室でささやかに祝杯をあげた。「去年のクリスマスもこんなだった」と主任が言っていた。店長はささっと帰ってしまっていた。

「帰っても門限でカギがかかっている」と、信愛学舎の話をすると「うちに来て泊まっていけ」と、主任がいうから、池上線沿線の彼の家に泊めてもらった。

二週間たって、最後の日、「紀香さん、住所教えて」とお願いすると、「いいわよ」と教えてくれた。あの頃は携帯電話もないし、メールもできない。手紙で始まるのが、その頃の付き合い方だった。電車男陣内の私は、とリあえず、住所メモをゲットして、また会える日を約束して、バイトを終了した。

数回、手紙のやり取りがあった。「バイトさんのいたころは楽しかったが、今は火が消えたように静かになって、大型は腰をすえる場所を決めなければ、と思っています」自称を「大型」という紀香さん、自分の結婚を暗示していた。不二家の本社社員と結婚すると通知が来たのは、数ヶ月後だった。

このころの女性は、適齢期意識が非常に強かった。22歳~25歳、ここを外すと、声がかからなくなるという強迫観念があるのではないか、と思えるほどであった。私が思っていたのではなく、一般的に。

この後、しばらくして、国鉄三河島事故があって、この店で働いていたAさんという子が事故に巻き込まれて死んだ。中背の可愛い子だった。21歳だった。勤めの帰りであったとか。不二家では、この彼女のほかにも、もう一人くらい犠牲者がいたようだった。

不二家に就職した木下康さん、数年勤めたが、やはり同族会社だから、という理由だけではないが、辞めて故郷熊本に戻ってしまった。

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