2009年12月 2日 (水)

秋山仁 才能は努力についてくる

01 髭を生やし、長髪にバンダナを巻くスタイル。通称「レゲエ教授」。学者なのに、何考えているか、と旧価値観の人からは嫌がられている・・・と見える。駿台予備校で講師もしていた。生徒受けはいいのだろう。NHK高校講座「数学基礎」を担当している。11月30日朝日新聞参照

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秋山 仁(あきやま じん、1946年10月12日 - )は、東京都出身の数学者。東海大学教育開発研究所教授。専攻はグラフ理論、離散幾何学。上智大学大学院数学科を修了後、ミシガン大学数学客員研究員、日本医大助教授、東京理科大学教授、文部省教育課程審議会委員などを歴任。現在は、東海大学教育開発研究所所長、東海大学理学研究科教授、
Kテレビ・ラジオ講座講師など、幅広い数学教育に力を注いでいる。

00007 秋山仁の経歴は、あとから見るとすごいけれど、彼のしつこさという名の努力、つまり好きなことを諦めずに続けた結果、かな、という人生のように見える。才能がないわけではないが、それを引き出すまで、続いているから、その才能が開花した。そんな人生に見える。

高校時代、黒板に書かれた対数のlogを指差し「先生、その10グラムというのは何ですか?」と質問してしまい、あだ名が「10グラム男」になったというエピソードを明かしている。小学生の頃もあまり秀でた成績ではなかったというが、中学2年の時に夏休みの自由研究で正多面体が五種類しかないことを証明して先生を驚かせた。

秋山仁、以下のようなことを言っている
 
たしかに学生時代は良い成績と悪い成績の差が非常に激しかったですね。同じ教科の中でも、好きな単元の試験は良い点数だけど、興味の無い単元の時はひどいものでした。ビリもあったかもしれない(笑)。ただ点数はともかく、数学は一貫して好きでした。数学者の道を選んだのは、小、中、高と良い先生に出会えたのが大きく影響しています。特に高校の数学の先生には強く憧れて、「よし、オレも数学者になって未解決問題を解明してやろう」という気になりましたね。あとは、女の子にモテたいという不純な動機も少々(笑)。

00004 四角いタイヤの自転車を持ってきて、こぐようにいうが、前に進まない。それをどうしたら進むか、それはタイヤではなく、接地面を代えるという発想をする。発想を変えたら、四角いタイヤで進む。

00006_2  それが、こちらの写真、四角いタイヤの一辺と道路の円の部分と長さが一致していると、自転車の高さが変らず、スムースに進む。それは不思議なほどである。

中学生相手の数学をNHK教育で放送していたのを見ていたら、6枚のカードから一枚を引かせて、それを当てるゲームだった。それを観客に見せて、それを6枚の中に挿入して、(秋山は、6枚の下から2枚目へ)再び観客の前に出して、一番上は最後へ回し、次を捨てる。再び、一番上は最後へ回し、次を捨てる。と、繰り返すと、最後に引かせたカードが残る。

残るのは、1枚なら1枚目。2枚なら1枚目。3枚なら3枚目、4枚なら1枚目。5枚なら3枚目。6枚なら5枚目。7枚なら7枚目。これを書いて規則性を見出して、6枚なら下から二番目に挿入して、それを手品にして驚かせる。文字で書いて説明すると、あまり説得できないが、目の前でやって見せると小、中学生相手の手品になる。

彼の言葉で「私は才能がないのにあきらめが悪く、数学を続けてきた。でもあきらめないで努力を重ねていると才能はそっとついてくるんだね」というのが、非常に心打たれた。

人の才能はみんな人間には備わっているのだろう。それを開花させる努力か、師に恵まれたとか、何か挫折したのは、それが欠けていたに違いない。

07 トントンとうまく行った人は、数年で芽が出ないとあきらめさせる傾向がある。粘って粘って、好きこそものの上手なれ、というように好きなことに時間をかけさせるゆとりがないのが問題だね。司法試験は5年以内に3回受験する制度らしいが、これは人生に制限かけているようなものだ。すくなくとも十年で8回くらい受けさせてもいいだろう。粘る人間の価値をもっと評価するべきだ。

中高年相手の講演では、アメリカの詩人サミュエル・ウエルマンの「青春とは、人生のある期間ではなく、心模様をいうのである」という言葉、「青春」の冒頭を引用する。

Img169_2 若者相手の講演では、「くすぶっていないで挑戦しろよ!と声かける。子供の頃挫折したものがあるだろう。とりあえず、もう一度挑戦しろよ!」という。秋山仁自身、大学生のときアコーデオンで挫折したから、30年ぶりに再挑戦して、弾けるようになった。伴奏の左手操作が難しく投げ出していたが、ようやく弾けるようになった。ミニリサイタルでは、「河は呼んでいる」「百万本のバラ」を弾いて歌っている。

夢と希望があれば、人生はいつでも青春だ。定年の65歳からが本当の青春だ。と、秋山仁はいう。

エピソード紹介 2003年11月21日、福岡県築上郡椎田町の椎田中学校体育館落成式の記念講演に呼ばれるはずだったが、依頼側の手違いで当日には別人の、元プロ野球選手の秋山幸二が現れるという珍事件が発生。学校関係者により「よければ講演していただけませんか」と低身要請され壇上にあがるが、前年まで地元福岡県の福岡ダイエーホークスの中心選手だった秋山幸二の登場はこれ以上ない「嬉しいハプニング」だったとのこと。マスコミの取材には、「私が秋山幸二さんと間違えられるのは大変光栄な事です」とコメントした。後日京都大学で講演を行った秋山仁は、壇上に上がると「こんにちは、秋山幸二です」と言って聴衆を笑わせた。

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2009年7月13日 (月)

平櫛田中作品を楽しむ 小平美術館

5024_25018平櫛田中ひらぐしでんちゅう という名前を知らないわけではなかったが、作品を見たのは始めてだった。

平櫛田中:岡山県後月郡西江原村(現・井原市西江原町)の田中家に生まれる。1882年(明治15年)に広島県沼隈郡今津村(現・福山市今津町)の平櫛家の養子になったが、旧姓を通称に用いていた。1893年(明治26年)に、大阪の人形師・中谷省古に弟子入りし木彫の修行を行う。
1937年(昭和12年)、帝国芸術院会員となる。1944年(昭和19年)、東京藝術大学の教授に招聘され、第二次世界大戦後も教壇に立つ。明治末期から大正初期にかけて東京藝大の基礎となる東京美術学校を創立した岡倉天心に師事した

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5003_2 02_2 平櫛田中、100歳を越しても、なおかつかくしゃくとして、「作品をつくろうとして材木を買い込んだ」という報道を聞いたことがある。武原はんをモデルにして、作品をつくろうとして、買った木材が玄関先の庭に置かれている木材の大きさに圧倒された。たかさは2mくらいあり胴回りが4メートル以上ある。その夢を果たす前に亡くなった。

岡山県井原市に生まれ、人形師中谷省古の下で彫刻修行をした。のち、上京して高村光雲の門下生になる。その後、美術界の指導者、岡倉天心、禅僧西山禾木の影響を受けて、仏教説話や中国故事に題材を求めた精神性の強い作品を制作した。

03_2 その後、大正期には、モデルを使い、塑像の研究に励む。昭和初期以降、彩色の使用した表現の可能性を求めて「伝統」と「近代」の間に表現の可能性を求めた。20年間かけて完成した鏡獅子」を完成した。私の目からは、精緻で完成度が高くなりすぎ、身近な作品ではなくなった、そういう印象だ。

01_2  私の好みは、教説話や中国故事に題材を求めた、何か訴える精神性のある作品が気に入っている。貧しさの中に人間味がある作品はストレートに訴えてくる。明治から大正時代にかけた平櫛田中の上り坂を走り続けている青年期の作品がいい。このときのこそ、彼のもっているもが素直に出る。

022 デビュー作で「唱歌を歌う少年」があるが、あの大正か明治の小学生が懸命に歌う姿は平櫛田中の技量が目一杯出ている。芥川賞を取った作品に作者の全てが詰まっていると言われるように、彫刻家としての平櫛田中の原型が全て詰まっている。その作品は絵はがきにはなかった。

5013 案内してくれた友人Nさんは、ここへ来て作品を見たのち、旧平櫛邸客間のソファで一人休息して庭をみるのは最高の贅沢を味わえるという。確か、日曜日だといっても、マスコミの扇動で付和雷同の観客がくるわけでもないから、静に時間が過ごせる。

5000 01_3 多くの作品を小平市へ遺族から寄贈され、旧平櫛田中邸をも寄贈されて、市がそれらを管理している。この文化勲章受けた故人の篤志が生かされて、それが、作品を鑑賞しているさ中に余裕として漂っている。館内から感じるものは、平櫛田中の子孫に伝わっている意思かもれない。

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2009年4月 6日 (月)

大学に入って、何したらいいか

大学は楽しいものだろうか。と、四月入学して2週間もすると、疑問をなんとなく感じ始めるのではないだろうか。入試を目標に必死になって勉強してきて、目標を達成したら、「これから何したらいいのだ?」案外、ガクッとしてしまう可能性のある人が出るのではないか。連休で学校へ行かないでいると、ますます、友だちはいないし、声掛けてくれる人もいない孤独の環境に気づいて、落ち込むかのしれない。

あてがってくれる課題があれば、まじめに向っていけるが、自分で課題を考えることが苦手の日本の学生には、その辺をしっかりしないと、一年、二年過ぎて、大学でなにしたのだろう、と思うことがある。

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125534_c450 元早稲田大学総長である奥島孝康先生の熱いハートを伝える講演をたまたま聞くことがあった。早稲田大学には、一見索漠としたトコだが、地下を掘れば泉があり、脈々と水が流れているのだ、それを発見しなさい。と入学した生徒には語っているという。

帰国子女の学生がサン・テクジュペリの星の王子様の中で、こんな一節が好きだと言ったという。「なぜ砂漠は美しいのですか」という質問に対してそうしたら星の王子様が答えます。「砂漠は、深い井戸を隠しているからだよ。」と。

つまり、砂漠というのは、荒れ果てた水のない、そういう荒涼たる風景だけではなくて、ちゃんと砂漠は地下に大きな水脈を持っていたり、あるいはオアシスを持っていたり、そういうものがある。だから砂漠というものは、「月の砂漠」のような美しさを持っているんだ。しかしそれは、自分で探さなければいけない。

帰国子女の学生は、「私は、早稲田大学が砂漠だというふうにさんざん聞かされましたけれども、早稲田大学に入って、この早稲田大学の中で深い井戸を見つけたいと思う。」と言ってくれました。本当に涙が出るくらい嬉しい思いをいたしました。

こういう話を奥島孝康先生は、入学式の時の祝辞の中で、その話をしたという。早稲田は、偏差値の高い学生を集めて、卒業する時はダメな人間にして送りだすといわれている。それを奥島先生は意識されての発言である。

Episode早稲田大学は、大隈重信を父とし、小野梓を母として生まれた。(注意小野梓を母といっても女ではないが、30代で亡くなった大隈重信の右腕だった部下。)私学の雄などという一部世評くらいに安んぜず、世界の「学問の府」として21世紀の人類の課題へ挑戦するためには、 「自恃自信(自らを恃み、自らを信じ)、自反自責(自ら反省し、自ら責任をとり)、自活自(自ら活動し、自ら学ぶ)」(坪内逍遙)という建学の神々の精神が自ずと創り上げてきた早稲田大学のこれまでの歩みを学ぶ必要があろう。「創造は伝統の継承から始まる」、という。そうはいっても、何をどうしていいかわからない。

大隈重信は、早稲田の精神をイギリスの貴族から生まれた民主主義に範を取っている。貴族は大衆から離れて尊敬される立場だが、義務を負っているという。戦時であれば矢玉が飛ぶ第一線で戦わかなければならない。平和なときには、ボランティア活動の第一線に立たなければいけない。自分の利益よりも他人の利益を考えなければいけない。それこそが貴族だという、そういう精神である。

学生、OB、早稲田の人間は、頭が低く、そして早稲田の人間は世のため人のために汗を流す、涙を流す、そして場合によっては血を流しても頑張るという「ワセダニアン オブリージ」という精神持って社会に出る。それが早稲田大学の地下に流れている精神である、というわけだ。

永井柳太郎という学者がある事件を機に学校を止めざるを得ないとき、大隈はカレを呼んで聞く。「永井君、君はこれからどういうふうに生きるかね。」永井柳太郎の言葉が素晴らしいですね。「私は、貧しきもの、虐げられしもの、悲しきものの涙を救うために、この一生をささげたい。」と、こういうふうに言った。これを早稲田精神だ、と彼奥島先生は語るわけだ。貧しきもの、虐げられしもの、悲しきものの涙を救うのが野党、野人精神なのだ。

早稲田の森が芽吹くころ、花の香りは沈丁花。崩れかかった築山は、江戸の昔の高田富士。町を見下ろすてっぺんで、粋に感じた若者が、夕日に向ってほえていた。春と一緒に青春の波がどんどん押し寄せて、おのこ(男子)ばかりかおなみ(女子)まで、杜の宴に酔いしれる。逢うは別れの始めとか、さよならだけが人生さ。ああ、人生のロマンス。
昨日も聞いた今日も見た、早稲田の杜に青成瓢吉の出るという。ご存知、尾崎四郎原作「人生劇場」の一節より。ああ、歓楽は女の命にして虚栄は女の魂であります。わずか7日ばかりの享楽を得んがため哀れはかなくも美しき乙女の貞操は犠牲に供せられたのであります。
覆水盆に返らずのたとえあるが如く、親をいつわりし罪、いと深きかな。ああ、哀れなメリーさんよ、チンタッター、チンタッター。

人生劇場を語り、歌いながら、奥島先生の熱弁が1時間半続いた。先生は今年12月、次期高野連(高校野球連盟)の会長になる。

ただ、早稲田以外を排除するような無遠慮な大声や蛮声の歌は遠慮してもらいたいと思うのは私だけだろうか。

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2009年3月 1日 (日)

義務教育、小学校、公立の御旗

Photo 小学校の先生が、私立中学受験する生徒が試験一週間前に塾に行くために学校を休む、という嘆きを投書していた。コレ、どう思う?普通だったら、義務教育の小学校なんだから、休むのはとんでもない!になるはずだ、という先生の正義が勝つはずだ、という言外の言い分が聞こえそうだ。

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しかし、「中学受験が重要だ」という本音のほうが強いから、子供を小学校を休ませて、受験の勉強させに受験塾に行かせるのだろう。ね、小学校、公立、義務教育、これだけ絶対の「鬼に金棒」を持たせてもらっているのにも関わらず、小学校が塾に負けてしまっているのだから、小学校の義務教育が力がなくなっている証拠だ。

小学校6年のとき。「駅の募集した潮干狩」に親が1日学校を休んで連れていくというとき、悩んで、私は先生に相談した覚えがある。学校を休むことが罪悪だったので、親の言うこと聞いた方がいいか、悩ましい問題だった。

先生は、「行っておいで」だった。勉強はあとからでも追いつくから、復習すればいいから、家の人と楽しんできなさい。という回答だった。旅行の潮干狩に行ってみると、小学生が案外多く来ていたのに、世間は平気に悩まないのか?と思ったものだ。

公立学校の権威で、私立中学受験をひどく嫌って、受験者は内申書を書いてもらうのに抵抗がある。公立の先生優位の時代が続いたが、最近は私立中学受験が多くなって、先生の抵抗はそれまでか、という状態だ。

義務教育、公立の御旗は、それほど強くは言っていられない世の中になったようだ。それでも、父母への影響力は大きく、モンスターペアレントがいるといはいえ、まだまだ先生の指示に逆らうのは難しいのは現実だ。商店街では、客より威張る商店主は普通いないものだ。それが、学校という名の下で、先生強い態度に出る。

医者も同じで、患者より強い立場にいる。塾は、学校が終わったあとの時間で学校のしりぬぐいというか、補完の関係にあって、学校の後に遠慮する立場だ。医者、病院も、向こうが診察時間を決めて、この時間にこないと診察しない、といえば、患者はその時間に制限される。勝手に午後7時に行くわけにはいかないのが現実だ。それだけ強い立場に立っている。それは学校の先生も立場は強い。

その立場が強い官に所属している人たちは、自分が強い立場にいることを案外、それに鈍感というか、知らないというか、立場をわきまえていない。その上から目線で発言したり、嘆いたりしている。

よく「先生上がり」は、使い物にならないと言われた。頭を下げることを知らないと言われた。頭を下げる必要がないから、それが習い性となる、で学校バカになるといわれていた。

区役所、市役所、そういう官庁も、身分の安全な職場にいると、鈍感になるらしい。定年になっても嘱託で数年は雇用してもらうのが、当然だという。「安定した年金がある方は後進に道を譲って、新規雇用の道をひらけ」という投書もあった。とにかく、安定した地位にいると、世間の嵐に苦しむ人の立場も気持ちの汲み取れなくなる。

通信簿 近藤武典先生を思い出す  幼児の無理強い英語教育     

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2009年1月 2日 (金)

ICレコーダーで著書をつくる早道 先生業

普段授業で語る言葉は、発すると同時に消えてしまう。これは、実におしい。毎回、違ったことを一年間語ることで、相当量になる。

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授業開始の前に、ICレコーダーの録音スイッチを入れ、胸にさしておく。授業を録音に取って置き、それを文字化できれば、自分の財産になる。ぜひ実行してください。それが、あなたの生きている証になります。(毎年同じ授業する先生には、毎年の教案作りになる)

IC[レコーダーに取ったものを番号日付を書いておき、章立てして整理することで、必要に応じて、まとめる材料になる。そうして、自著の全集をつくるきっかけになる。学校の教師以外、教会の牧師、僧侶、首長など役職の方、人前で話しをする職業の方は、自分の話をブラッシュアップするためにも、保存する必要がある。

いわゆるエライ人のヘタな長話を聞かされる身にもなってください。気の利いた話しで、あの人の話を聞くと、知恵がつくとか、心が清清しくなる、なんて評判ができたら、いいですね。

それが何本か集まって、集大成して著書になる。そんな過程でホをつくると、間違いのないものができる。文字化の録音起こしは、お任せください。 録音起こし←クリック

録音テープ起こし、おくりん坊の説明 音声ファイル送付 データ便の説明  通訳者のための録音起こし WMAはMP3より圧縮率が高い 録音起こし新春座談会 テープ起こし 音声をPCに移す 特急録音起こし24時間  ダビング時間の節約  うちの仕事 録音起こし  「テープ起こし」から「録音起こし」へ 録音起こし 講義・講演サンプル  ファイル転送保存  音声ファイル化Audacityの利用  

録音はズームマイク付きICだ  宅ふぁいるか、ファイルオクール 録音起こし ライフワークバランス 録音起こし 依頼者への要望 録音起こし、作業者への諸注意。要望。  録音起こし 依頼する側へ注意  ICレコーダー、形は小さいが性能優秀  録音起こし スピード依頼方法 紹介 

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2008年11月28日 (金)

平成の突破力 早稲田スペシャル

0922 爆笑問題の学問について、教授を訪ねていく番組の特番で、早稲田の教授を6,7人集めて、大隈講堂で学生500人の前で討論をする。タイトルは「平成の突破力」というテーマだったが、いろいろ言い始めて、脱線脱線でまとまらないのを、田中が必死にまとめようとしたが、結局、ナンだったのか、わからないうちに終わった。

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09300928 それぞれ、時代背景について言いたいことを言っているのが、早稲田らしいといえば、早稲田らしい。一色にまとめられないことは、仕方ないが、多種多様な先生らでさえ、言っていることは各人各様で、研究が違えば、まとまらないのは当然。

09440945 最初、意見を言ったのが、学帽、学ラン、黒マント、高下駄の早稲田精神高揚会の学生が立って話すが、言っていることが、あまり突破力のありそうもない。唯一、この会が目立つのは、早稲田祭でのイベント、所沢から100キロ歩いて、早稲田大学まで来る「100キロハイク」が有名だが、それ以外は、雄弁会、応援部とどこが違う?と間違った認識しかない。

早稲田には、こういう「早稲田マニア」的な、精神高揚を道路の真ん中で他人の迷惑顧みない部類とそれを冷ややかに見る人種とに分かれる。

0920 「大隈塾」をやっている田原総一郎が途中から出席して、爆笑問題の太田光田原総一郎の二人が目立ってしまった。太田光の発言が暴走するから、田中が必死で手綱を抑えている様子がよくわかる。この田中の存在を「田中を切るな。オマエには田中ほど、貴重な存在 0955 はいない」と言ったのは、談志師匠だったとか。弁が立つ太田には、それを軌道修正しながら、進める御者が田中という存在は、重要みたいだ。

野暮、ヤボは早稲田の美学、それがやっているうちに、本当にヤボになった。それが早稲田のイメージだ。田原総一郎は、途中で来て、途中で帰ってしまうせか、他の教授が並んでいるのに、しゃべりまくった。

0942 「早稲田精神って、ナンだ?」と問われて、「在野精神、自主独立を重んじて、権威に依存しない心構え」と、最初に発言した早稲田精神高揚会の会長の青年が、答えていた。その通りだが、この独立して発言して権威に依存しない生き方は、普通平凡に生きていく上でソンな役回りであることを知らないことが多い。後から見て、あとからあそこをうまく立ち回るとよかったのに、と思うことがある。

0951 これも、表向きのバンカラ、自主独立を掲げて、本音は「敵は本能寺」式の生き方ができれば、賢いかもしれない。そこを生一本で通す若者が本当の魅力であり、40代、50代でモノになる。グンと伸びる。それは、女性の結婚相手を見出すポイントで説明した。成長株の男性を見分ける方法

0941テレビでいつも発言している田原総一郎は、太田光と二人で、ついつい暴走していた。しかし、「資本主義VS共産主義で50年代は切磋琢磨してきたのが、共産主義が没落してなくなったので、資本主義だけになり、資本主義の暴走で金融危機に陥った。」と田原総一郎は説明していた。

金融工学の構築を相当頭のいいやつの考案だが、それが人間に能力を越えてしまって、制御不可能になった点、これをどうしたらいいのか、経済学の先生に振って、「サンデープロジェクトじゃないですから」「朝ナマにしてしまう」と田中と太田が田原総一郎の発言を止めにかかった。

09480949 学生に指名したら、「人間科学部の海野はるかです」と言ったら、田中が反応して「オレたちのラジオのリスナー、ヘビーリスナーではないか」と答えると、ニッコリして分かってもらえ、仲間意識モロだしで発言。「金子たくろうもいます」と隣りの学生も手振っている有様。ラジオ番組では、まるで身内意識が生まれるみたいだ。第二の永六輔がこうやって生まれたのだから、田中や太田に認められたら、こういImg_0926 う学生は、日の目を見ることになるかも。このあと、きっと学生が太田のそばへ行って、写真撮ったりしたんではないか。

「平成の突破力」これについて、どうしたらいいか、まあ、各自で考えるしかない。太田光は、ビートたけしを目標にしてやってきたことは確かだ。

関連記事:太田光の妻は松永弾正久秀の子孫    nozawa22: 爆笑問題太田光の妻 酒癖の悪さ  太田光代 光夫妻なれ初め暴露  平成の突破力 早稲田スペシャル

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2008年11月24日 (月)

カンボジア学校建設に1億7000万円

0913 島田紳介司会の「行列のできる法律相談」の絵画オークションで、凄い、カンボジア学校建設プロジェクト1億7000万円が集まった。カンボジアの子どもたちが学校へ行きたいという願いに、善意の人々が絵を購入して応えた。人々の心の底にある善意は廃れていない。この人々の気持ちを汲むシステムが今、あまりに機能していない、そのことが、こうした募金が集まるのだろう。

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0914絵を描いてもらおう、という発想を言い出したのは、島田紳介。その話を島田紳介にもちかけ相談したのは、アグネスチャン、だから多くの人から集まった善意とお金に感動して、涙、涙で終わった。

08820895 学校の完成は、最初のきっかけになったスレイナのいる村の小学校へ歌手ヒトヨヨウ、が学校を見て回り、校歌はこれだというのを生徒達の前で歌う。あの歌、どうなんだろう。カンボジアの子どもに合わないんじゃないか。歌い難い。もっと単純な旋律で、カンボジアの子の願いを明解に書くべきだと思う。

08180821日本の側は、学校建設にこれだけ盛り上がってやっているが、こっちの側には熱意があっても、空回りという心配もある。無償で提供しても、他に意図があるのではないか、そんな気を回す人がいないでもない。もっと、カンボジアの大人の意見が取り入れられないと、一発ドーンと上げた花火で終わってしまう。

0880 0832 この学校が効果出るのは、10年後、20年後だろう。スレイナが10年後に、20年後にどうなっているか、日本語を覚えて、日本語の先生になりたい、と希望を述べていたが、それが実現するまで見守っていかないと、このプロジェクトの意味がない。このプロジェクトに協力した韓国女優チェ・ジュウのようなきれいな子にスレイナが変身したら、大きな話題だろう。

この学校を運営して、先生に給与払っていけるか、そういう継続をカンボジアの人で大丈夫になるまでは、手が抜けない。今、貧しいから、ポンと学校を作ってやっただけでは解決にならない。国自体の貧困もあるだろう。

08970902_2 5教室ある平屋の紳介小学校が出来上がった。北野たけしがゾマホンを通して「たけし小学校」をアフリカのペナンに何校か作っている。今後、売り上げた絵の代金で一校目が約1000万円使ったはずだ。建物だけなら、400万円で終わるが、付帯設備と先生の給与を考えると、1000万円は必要だという。

しかし、1億7,000万なら17校建設可能になっている。単純に全部をそうするのではなく、優秀な子を全寮制で大学まで出せるようになるといい。それが日本とつながりを強くすることになる。親日なカンボジアになってくれたら、ありがたい。

関連記事:カンボジアに学校を 島田紳介  カンボジアに学校を 第二回  カンボジア学校建設に1億7000万円

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2008年11月 7日 (金)

なかにし礼 作詞家はラブレターから

Img_0504_2Img_0500_3左は平成5年で55歳、右は今年、平成20年は還暦ではなく、古稀、70歳だという。古稀の祝いをして、世話になった人を呼んで、盛大のパーティをしたようだ。出席者は、こしのじゅんこ、高嶋礼子、戸川昌子、菅原洋一、佐久間良子、いしだあゆみ(妻の姉)、長島茂雄など、数多の有名無名の人が集まっていた。徹子の部屋からの感想、記事。

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Img_0498 なかにし礼は、功なり、名を挙げ、押しも押されぬ作家になり、今は世界を船旅で夫婦で楽しんでいる人生であるが、彼の人生は、人との縁、一通のラブレターが「わらしべ長者」のように、才能もあるが、彼を育てくれた。その出会いを全部、消化して自分の栄養にしている点は才能であろう。その中の三人を人生を振り返るように黒柳徹子に語っていた。

最初のわらしべ シャンソン歌手石井祥子

その出発点を20歳、立教大学の学生でシャンソン喫茶のボーイをやっている時のエピソードを淡々と披瀝していた。アテネフランセでフランス語も齧っていた。その喫茶では、シャンソン歌手が実際に歌って聴かせるショーが行われていた。そのとき、石井祥子という歌手が歌っていた。美しく可愛いと思って、想いの丈を綴った手紙を渡した。その度胸というか、情熱があった。

本当はボーイが自店の歌手にチョッカイ出すのは禁じられているはずなのに、そういう行為に走るなかにし礼、この人はどういう神経しているのだろうか。自分の人生にプラスすると考えれば、よその家から枝に実る柿をちょっと失敬、そのぐらいの飛躍ができる人のようだ。チャンスはそうやって得ていくのかもしれない。待っていても、幸運は来ない。

Img_0489 ラブレターを受取ったシャンソン歌手、石井祥子は、センスがあるんだね。若い坊やみたいな、なかにし礼を呼んで、「こんな手紙、失礼だ」とは言わなかった。ボーイである「なかにし礼」はこの恋は実るとは期待はそうはできないだろうことは彼もわかていたのかも、傷ついてもいい、「ヘタな鉄砲も、数打ちゃ当る」くらいの精神だろうか。

「あなたの手紙、詩的で面白い。ついては、訳詩(訳詞)をやってみない?」とヒョウタンから駒だった。失恋の代償に仕事が舞い込んできた。そのシャンソン歌手石井祥子という人は不思議、ラブレターの文章を見て、訳詞ができると思うその感覚は特異だ。きっと若く見えても、かなり歳の差があったのかも。なかにし礼は20歳だった。

日本のシャンソン界は、活動が活発で、フランスから楽譜を取り入れ、ドンドン日本語に訳して歌い広めようとしていた時期だった。アルバイトをしながら、フランス語を習っていたから、辞書があれば、なんとか意味がわかる実力はあったので、引き受けた。

やってみたら、結構評判がよくて、その後、ドンドン仕事が来た。そのころ、ボーイの時給が23円で、一日10時間働いても、一ケ月フルに働いても7000円~8000円にしかならなかった。(黒柳徹子「NHKで一時間56円だったんです」)その当時は、「13800円」というフランク永井のうたが流行していた。大卒初任給が一万円くらいだった。

Img_0488_2 訳詞をやって、一曲で500円もらった。これは肉体労働から抜けられるチャンスだと思った。時給23円で残業しても、生活はそんなによくはならない。その当時住んでいたアパートは、隣りの部屋を二つに分けた3畳の間に住んでいた。こちらの戸を開けると隣りの部屋が閉まるような、構造であった。布団を出すと、ゴキブリがゾロゾロと出てくるので、薬局でDDTを買ってきて、布団を敷いたあとに布団周りにディディティをグルーっと撒いて、そうして寝た。

湿気で波打つような畳で、窓を開けるときは、開けますと言わないと、隣が顔出していると首をはさんでしまうから、要注意だった。夜家に帰ってきてから、30燭光の裸電球の下で、鉛筆なめなめ作詞をした。そして一晩で500円をもらう生活を続けた。このシャンソンの訳詞は注文が続いた。

満州にいたころは、母や姉は東京へ歌舞伎を見に、飛行機をチャーターして出かけるような豪勢な生活をしていた。それが一転、こんな生活は、彼にとっては最低生活であった。まだ満州から引き上げてきた彼には「まだ爆撃されたり、殺される恐怖と比べたら、平和はいい、それだけでもありがたかった。という。

二人目 シャンソン歌手深緑夏代

次のステップは、シャンソン訳詞続けるうちに歌を書くのは面白いな、と思うようになった。自分でも試してみよう、とCBCラジオ放送で募集していた歌謡曲を応募し、それに当選した。

Img_0491 古稀パーティにて それがレコーディングの場に作詞家として呼ばれ、立ち会った。それをレコーでイング吹き込みをしてくれた歌手は深緑夏代であった。彼女には「坊や」と呼ばれ、「坊や、いい詩をかくじゃない」と近寄ってきて「私が訳詞を頼むから、やりなさい」言われたのが、私を育ててくれた縁の人であった。彼女は宝塚の大スターだったが引退して、シャンソン歌手となった人。その時、私が22歳、彼女は37,8歳くらいだった。

その後、深緑さんの歌うレパートリーの訳詞をいくつも手がけ、よくお宅へ呼ばれて行った。そこで教えられたのは、高い音には、「イー、とかウーを入れると、歌いにくいんだよ。イーとやれば、喉にしわもよるし、声も出し難いから、高い音の所は「ア」「オ」を入れなさい」とか、最初、この歌は下向いて、段々上へいく歌だから、その言葉もそれにあわせなさい」と手とり、足とり教えてくれた。なかあにし礼には、ずいぶん勉強になった。それが、その後の歌謡曲を書く上にも、歌詞に役立っている。

僕のまじめだったのは、訳詞のお金は、1000円になり、1500円とギャランティが高くなって、それを全部貯めていたことだ。立教大学を中退状況になっていたを、4年遅れで改めて大学へ戻った。4年間分の学費を払って納入して卒業した。

家賃500円の五反田のボロアパートからようやく脱出して、九段へ映った。芸者の置屋の二階へ下宿する。夜になると、芸者衆が前も隠さず白粉を塗って化粧をする。「坊や、大きくなったら、私を呼んでね」とか「この辺で遊ぶようにならないと、ダメよ」と言われた。朝は三味線の稽古で目を覚ますような場所へ移った。

そして、立教大学へ入り直したころ、シャンソン界のとある女性と恋をして結婚するのです。24歳。そのころは、作詞で食えるようになっていた。

そして 石原裕次郎との出会い

20080219_267900

新婚旅行で下田国際東急ホテルへ行ったら、「石原裕次郎ご一行様」と書いてあるわけ。「裕ちゃんは映画などで見て知ってはいるが、何も緊張する必要はないのに、ホテル内は緊張でみなぎっていた。ホテルへ入ってから、ご飯を食べてから、僕と新妻がロビーに出て来ると、ザワザワしている。石原さんがカウンターに坐ってこちらを見てニコニコしている。そして、僕と目があったら、指で僕を招く区わけ。「僕ですか」と自分の胸を指さすと、ウンというので、彼女と二人で裕次郎の前へ行った。

「何ですか」そして「コンバンワ」と少々間が抜けた挨拶した。なかにし礼24歳、石原裕次郎はその4歳上の大スター。裕次郎は、独立記念の「太平洋ひとりぼっち」の映画を撮って、最後の部分を下田で撮っていたのだ。

「君たち、新婚か」という。「ハイ、新婚です」というと「今、退屈紛れにロビーにいる新婚カップルの中で一番いいのは誰だというコンテストをやっていた」という。そして「君たちが新婚という条件が叶っているから、一等賞だ」と、「一杯やろう!」とビールをご馳走してくれた。

「ところで、君は仕事は何をやっているんだ?」「僕は、シャンソンの訳詞をやっている」僕としては、シャンソンの訳詞なら多少文学的な意味でも歌謡曲より品位があるという気持ちがあった。「枯れ葉よ…?あんな歌か?あんなの、オマエ、くだらないよ。日本の歌を書け。日本人だろう?」と言われて、その言葉にググっときて言い返したかったが、反論しないで「はいはい」と聞いていた。

インテリの自負していたなかにし礼は歌謡曲をバカにしていたが、そこは、顔に出さないで、話を続けていた。石原裕次郎は「いいものができたら、もって来い」「オレがすぐ歌う」わけにもいかないが、協力してあげるから」と言われた。忘れようと思っていたが、頭の片隅に残っていた。「太平洋ひとりぼっち」は命がけで作っているから、必ず見てくれよ。そういわれて封切られてから見た。

堀江青年がハワイ沖でしけにあって、水を掻き出して船を助けたあち、一人きりで短波放送を聞くと村田英雄の「王将」が流れてくる。「吹けば飛ぶような将棋の駒に掛けた命を笑わば笑え…」と言う歌詞を裕次郎扮する堀江青年が吹けば飛ぶようなヨットに掛けた命を笑わば笑え…」と歌って、ホロっと涙を流すシーンを見て、歌っていいもんだな、と感動した。こんなに人の心を感動させ、心に残った歌が書けたらいいな、と思って、歌謡曲を書いてみよう。そんな気持ちになった。単純でしょ、となかにし礼は笑いながら、黒柳徹子にいう。

歌の力はすごいナと思って、自分でギターを弾きながら、一曲作ったのです。シャンソンを書いているから、自信があったのに、それは原曲があっての作詞訳詞だから、創作には役立ったなかった。自身があったと思っていたのに、コリャだめだ、と思うほどだった。

でも、今作れるのは、コレ、この程度しかない、とカセットテープに吹き込んで、石原プロへ持って行った。それが「涙と雨にぬれて」という曲です。石原プロへ行くと、温かく迎えてくれて、そのカセットをみんなの前でテープを回して、ヘタな歌が流れ、本人なかにし礼はいやになっていた。

「まあ、お預かりしましょう」と、通り一遍の言葉を聞いて、ホントに失敗したと脂汗を垂らす気分で帰宅した。それから、翌年、石原プロから電話があった。レコーディングに立ち会ってください、という連絡だった。38年に下田のホテルで石原裕次郎にあってから、一年半ごのことである。

作品は石原プロのヒロケイコというタレント+ロスインデオスが歌うのだった。曲は編曲者が手直ししていて、別の曲のような気分で聴いた。「いい歌じゃないか」と本人が思うほどによくなっていた。それが昭和40年で20万枚、翌年昭和41年に、田代美代子とマヒナスターズでも出されて40万枚。生まれて初めてのヒット曲になった。ヒット賞をもらった。

その後は、60代になって、「長崎ぶらぶら節」で直木賞ももらった。兄について書いた「兄弟」はテレビで放送された。作詞と小説で作家ということになる。

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2008年9月 3日 (水)

大分教員汚職の処分

Photo 大分県の教員採用試験の不正の処分が決まった。21名の不正合格者は次々に自主退職か、それを受けないと採用取消である。親が手を回して、付け届けした不正合格者は、自分では知らない場合は多いのかもしれないが、40名合格者中21名がそうやって採用されてすでに5ヶ月教員やっている。改めて、先生やっているのを引き下ろすのは、かなり残酷なことだ。

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周囲に知られている顔になっているのを、突然、悪人にされてしまうのだから、社会的制裁である。順当にいけば合格した人には、合格したら得られたであろう給与がある、それを偽合格者に奪われているわけだ。本人に責任があるわけでないといえるが、そのバランスをとる必要がある。

教員免許を学校で取ってから、県単位の試験を受けて合格すると、各学校から合格者一覧を見て、校長から電話や手紙でアプローチがある。それで、校長と面接してから就職を決める。こんな段取りである。

採用は、道州制で合格者を発表して、不足教員を配る制度にしたら、どうなんだろう。医者もこれに準じて、個人経営は禁止して、公的な病院だけにする。そうすると、技術の一定レベルが保てるようになる。

必要な科目を合格者一覧以外で臨時教員で補う場合もあり、合格しながら、あぶれてしまう人も出る。定員より多かれば、あぶれる人も多くなる。校長と親しければ、合格イコール採用になる。この部分では、コネが大切だと言える。

小学校の教員は、ほぼ同じだが、中学、高校では科目別の教師は科目によって、教員になりやすさがかなり違う。特殊科目や、教員の辞める人が多い科目は、採用人員が多いが、一度なったら一生辞めない科目は先生になりにくい。

教員免状の社会科は、どこの文系学部でも、プラス教職教科を学べ教員免許が取れる。従って、教員免許を持つ人は多い。普段の学力が、即ち専門科目の学力となるのは、数学、英語、国語、理科。これらの科目は、ほぼそのまま、専門力として通用する。ところが、社会科に関しては、普段の学科知識が専門科目の試験内容とはまるで関係ない。

社会科は、基礎知識、一般教養はあっても、教員試験のための専門知識を勉強していないと、受かる学力にならない。県によっては違うかもしれないが。一年で採用する人数はごくわずか、一名とか二名というのに、数十人から100名以上が受験する。これで人事採用担当者がズルしたら、何年受けても採用されっこない。社会科は、先生になれば、あとは前の日に勉強しておけば、なんとでもなる。ノートを一年間作ってしまえば、何年もその資料で通用する。(他の科目も似たりよったり)

県の職員幹部は、採用試験の前に、前もって試験問題を横流ししてもらって、それを受験者に渡しておく。そういうズルの仕方もあると聞いたことがある。これは、コンピュータ上の操作ではないから、誰の目に留まらないから、わからない。試験うかる人数を多くする手もある。そして、採用は校長の判断で、あぶれる人はしょうがない、とする。

長く同じ職場にいると、ゴミが溜まるように、制度疲労がおこって、職権乱用、たるみが生まれる。職員、教員のエントリー制とか、中途採用とか、教師の派遣をして社会を知る人が入れ替わりできる制度を活用すると、生徒にも刺激を与えるし、社会を生徒が知る機会になる。

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2008年7月24日 (木)

通信簿 近藤武典先生を思い出す

通信簿は何のために配っているのか、先生方の考えを聞いたことがない。ただ一人近藤武典ブテン先生だけは、「通知表を渡すときが、一番悲しい」と、生徒がなんとも答えて話すわけでもないのに、独り言のように言ってから、おもむろに通知表を渡していた。小学校の4年のときの話である。

人間を評価して順位をつけるのは、いけないことだと思っているのを小学生にもわかった。平等と言いながら差別する教育の現状を批判していた。

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まあ、そのころ、ヒルに弁当を持って来られない生徒がいて、そういう子は弁当の時間は外に出て、運動場の鉄棒の近くで、ひもじさを我慢していたようだ。教室から見えた。その頃、弁当をときには盗まれたという事件があった。映画見に殆どが行ったのに、行かない子は疑われて、ブテン先生に一人ずつ聞かれた。

たまたま私、見たくない映画だったから行かなかったから、疑われる側だった。聴取をうけたが、弁当を持っていたからか、あまり嫌疑をうけなかったが、実際お弁当を盗んで食べた子がいたんだろうか、その結末は子供達に知らされることはなかった。そういう教育配慮はされていたので、誰が泥棒したか、生徒の中では話題にもならず、過ぎていった。

人魚が海に落としたモノを拾ってくれた話、教科書に載っていたが、「この人だけが恵まれるのは、よくない。みんなが幸せになるように・・・」と、共産主義社会を頭に置いて話している、そんな感じで聞いていた。とにかく先生は特定の人が恵まれるとか、差別については敏感だった。

とはいっても、そう優しい言葉を掛ける先生ではない。言葉は結構乱暴で、水道で手を洗った手を拭く前、、「前の授業でよい答えをした」からと言って、水滴を私の顔に振りかけて来るのは、マイッタ。画家の集まりが学校の講堂で暗幕を張って、裸婦のデッサンが行われていると、「見に行くんじゃない。そんなもの見たら目が腐る!」という言い方をした。

私の描く絵がいつも暗い色で、家庭の中の雰囲気が出ていたのかもしれないが、火災予防週間のポスターで炎の色とサイズを強調したら、明るい雰囲気がある、と近藤先生、ほめてくれた。多分、先生の配慮で入選させて、励ましてやろうと思ったのではないか。

授業中に、いろんな雑談を語ってくれて、学年末には教科書が終わりまでいかないのが、普通だった。ブテン先生だけではなく、どの先生もそれが田舎の学校の普通だった。学力は都会より落ちるのは当然、全国一律学力テストが時々行われていたから、多分そういう結果を先生は知っていたはず。

ま、生徒には、雑談の方がおもしろい。近藤先生、大声で話すし、生徒は大声で笑うから、ブテン先生の隣りの教室はうるさくて困っている、と聞いたような気がする。毎日生徒と接するのは楽しい、しかるに、通知表を渡すときは、こんなに悲しいことはない、というわけだ。生徒を成績順位をつけて渡す。そういう意味で、教育ということを考えれば、その通りだ。

生徒の能力を評価して優秀5、やや優秀4、普通3、やや劣る2、劣る1、5段階に分けて評価した。もちろん今もそうだが、優秀な生徒に学年末にクラス5人くらい賞状を貰えることに、なっていた。6年生の卒業時には、市町村の上の郡の郡長から卒業生の成績トップに郡長賞の賞状が渡されていた。

おませのワセ(早稲)の子、また教育熱心な家の子は、その賞状にありつける。当時も、疑惑の賞状もあったように思ったのは、某校長の親戚だという女の子、朗読すると声が震える子がいた、その子、必ず賞状を貰っていた。ヘンだなと思われていた。長じて、その子の旦那に聞くと、主要5科目はダメだが、その他の科目は出来る子だったとか。

九州の「大分」県をなんと読むか、ダイブ、オオブン・・・父母参観日に問われて、みんなが答えられないでいると、親達がコソコソと教えているのが聞こえてきた。そこで、手あげて答える競争心があまりなかった。

私、小学校4年まで、学力で競争など考えていなかった。教室の後の空きスペースの板の間でスモウを取っていた。負けたんだろうな、ひっくり返って、頭を打った。今までない衝撃を受けた。その衝撃から、しばらくして、頭がはっきり動き始めたような気がした。不思議なことに、その年から成績が上昇し始めた。某タレントは、小学2年生まで、精密機械のように成績抜群だったのだが、頭を打ってから、急に記憶力が悪くなって成績もダメになってきた。精密機械が故障したのかも、と語っていたが、テレビの箱をボンボンと叩くと映るときがある、アレと同じことが頭の中もそういうことがあるのかも。

通知表で評価すると、5段階で相対評価では、能力評価はできないのではないか、と思っている。英語能力、数学能力など、目標クリアしたら、次の段階へ進むことで卒業すれば、劣等感抱かないで勉強できるはずだ。あとから伸びていく能力タイプの生徒はそれで能力を身につけていける。

100点中5点でもライバルより勝てると嬉しい、この心理、人間いくつになっても抜けないのは確かだ。勉強が人に勝つための道具になっている現状を考えてもらいたいものだ。勉強はすればするだけ、たのしくなるものでないと、子供の勉強離れが激しくなる。卒業すると、ヤレヤレ解放されたと思って、勉強しなくなる。勉強は一生していくものだけど。00008

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