2009年12月10日 (木)

アメリカ海兵隊と空軍 沖縄で犬猿の仲

90549055相次いで、アメリカの外交関係者が日本にきて、日米両政府が合意の実行を急かしている。日本はアタフタとしている姿は、開国を迫るアメリカのハリス、それをうまくかわしている幕府重臣と似ている。

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海兵隊の普天間から辺野古へ移転問題、日本国民としてどういうスタンスで見ればいいのか、いわゆる内地の人間として、どういう意見が正しいのか、それが判然としないまま、意見がもてないでいた。

平成18年に日米両政府が合意「在日米軍再編、留海兵隊は、普天間飛行場からキャンプ・シュワブ(同県名護市辺野古)沿岸部への移設と沖縄駐留海兵隊約8000人(+家族9000人)がグアムに移転する」これが、問題の骨格である。

9052これらの問題を日本人は奥歯にモノが挟まったようないい方をするが、多摩大名誉教授のグレゴリー・クラーク(Gregory Clark, 1936年 - )は、すっぱり割り切って、解説した。テレビ朝日。彼の日本語は明瞭で聞き取りやすかった。

グレゴリー・クラーク(Gregory Clark, 1936年 - )は、イギリス生まれ、オーストラリア育ち、日本在住の外交官・学者である。現在、国際教養大学副学長。多摩大学名誉学長。日本人論の論客。専門は政治学。父親は産業分類で知られる著名な経済学者コーリン・クラーク。著書『ユニークな日本人』における、感性主義と知性主義を縦軸に置き、破滅と合理を横軸に置いて楕円を描く認識、個別主義-普遍主義を横軸に置き、発展の度合いを縦軸にとって放物線を描く認識が特徴。

はっきりとモノをいうから、江戸っ子ではないか、と思うほどだ。普天間基地海兵隊HPを読んでも、「米軍は日本の安全を守る」なんていう言葉は、どこを探してもない。ここ普天間基地はあくまでも、米海兵隊の訓練のために使っているだけだ、と言い切る。アメリカの全世界戦略のために使って、イラク派遣、アフガニスタン派遣、ベトナム戦争にここから参加している。あとは、アラスカ救済活動をやっている。

だから、普天間を出ても辺野古でもいいし、グアムでもいい。むしろ、場所的には、グアムの方がいいかもしれない。なぜ、辺野古にこだわるかといえば、海兵隊の基地で8000人の空港がないからです。空港がほしいのです。辺野古に移設されたら、空港を日本の費用で作ってもらえる。日本側で費用を負担してもらえる。海上基地だから、コストが高い。ソレを日本の負担で払ってくれる。グアムだと、アメリカの自腹で払わなければならない。

Pn2009120801000829 岡田外相から嘉手納基地と普天間を合併する提案があった。これは、いい提案であったが、すぐアメリカは反発した。技術上で難しいといったが、これは技術関係ではなく、軍閥の問題なのです。空軍と海兵隊はお互いに競争が激しいのです。つまり、仲が悪いのです。

嘉手納は空軍基地で、だから海兵隊が入ってくるのは歓迎しなかったのです。岡田さんのアイディアはよかったのです。沖縄県民にとっては、良いとはいえないかもしれないが。県外がいいでしょう。

アメリカ人はみんな、日本は外圧に弱いと、知っています。特に新しい政権ができたばかりで、鳩山さんは優しい人、しかし、日本人は「建前」と「本音」を使い分けている。「建前」ではアメリカとの関係はよくしたい。「本音」では日本はアジアに所属してパートナーになりたいと思っている。

アジアとの関係を重視する。沖縄に基地があれば、アジアとの関係は、ある程度、邪魔なものになるのです。特に、中国、韓国との関係によくない。だから、「本音」では、多分基地はいらない。

「日米関係は希薄になってもいいのですか」と司会局アナ寺崎貴司が質問した。「日米関係ではなく、日本と米軍の関係、軍隊が強いです。私は、アメリカオバマ三のナショナルセキュリティアドバイザー(アメリカの安全顧問)です。アメリカの政治は、完全に軍事化されているのです。日本とアメリカの国民の問題ではなく、日本とアメリカの軍隊との問題です。

「日本は、どう振舞うと、いいとお考えですか?」大下容子が質問した。ちょっと自主性のない日本人がよく聞くタイプの質問だ。「賢い方法は、ガンとして日本の意見を述べることです」

自分の進路をアメリカに決めてもらうような様子が見えて、日本は外圧に弱いというのが、モロ見えだ。

9057選挙の際は、沖縄県民に喜ばれるように基地の移転を県外へ行くような思わせぶりをしていたから、今となって、前の政権が約束しているのに縛られ、社民党の政権離脱を仄めかされて、腰が据わらなくなってしまった。

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、名護市辺野古沿岸部に移す現計画以外の代替地を探すよう求めた鳩山由紀夫首相の指示に防衛省が苦しんでいる。北沢俊美防衛相は、グアムへの全面移転の可能性を見極めようと現地視察する考えだが、米側に再考する兆しはない。県外、国外移設を訴える社民党向けのポーズという色合いが強そうだ。(政治部・三浦耕喜

オバマ大統領 広島訪問でサプライズ!  アメリカ海兵隊って、どんな軍隊?  アメリカ海兵隊と空軍 沖縄で犬猿の仲

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2009年12月 7日 (月)

12月8日 開戦記念日 海軍反省会

89958998 12月8日、リメンバーパールハーバー。真珠湾では、アメリカ人には、グランドゼロと同様に、アメリカ人屈辱の日として記憶に残っている。明日は真珠湾で「日本人憎し」を思い出す日になる。

海軍反省会400時間のテープをもとにNHKが開戦記念日を前に、海軍軍令部の特集した。

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9008昭和16年、対米戦争(太平洋戦争)を開始した開戦記念日に12月8日を前にしてNHKで、再び海軍反省会400時間の録音を取り上げた。これは今年8月13日だったかと思うが、そのとき始めて3日連続で特集した。

今回は録音を聞いて、半藤一利、澤地久枝、が出て彼らの見解を述べている。海軍内部では批判をそれなりにして、反省はそれなりに意味があるが、第三者の批判に耐えるものではない。

9044 今回、見直してみて、重要な発見は、昭和8年に軍令部が海軍の中で、法令をもって立場の強化をした点の指摘だ。これは作戦の中枢で、この法令を危惧した昭和天皇の心配も吹き飛ばしてしまう切り札は、皇族伏見宮博恭王をトップに持ってきて、他の批判を封じたことが、その後の予算獲得とか、戦争推進に寄与した。海軍幹部の意図がこの人事に込められている。

9043 伏見宮博恭王は、日露戦争にも参加した戦争経験者で、天皇より20数歳年上であった。こういう皇族が利用されていることも気づかず、自信もって意見を述べ、強気一辺倒で進んで行くのが、一番危険。強気な行け行け風な意見で押すと、単純で大向こうの拍手が多い。戦わないという意見は弱気で、大衆は喜ばない。慎重な意見の価値を伝えることの難しさがある。

もう一点では、戦争に進んだ理由として、第一委員会という戦争諮問会議みたいな委員会を作った点である。ここにエリート中のエリートを集めて、戦争経験はないかもしれないが、彼らが知恵袋、シンクタンクの役割を果たした。頭が良くて、作戦能力があると判断をこの委員会に任せた。永野総長でさえ、彼らの方針に任せてしまった、という見方をした。

ここで、欧米の圧迫が、この線まできたら戦争だ、という具体的なラインを決めていた。大所高所からの、展望ではなく、勝つための佐官クラスの技術的な方針を決めて、それが目標になった。それが石油の禁輸を上げて、それに追い詰められたら、戦争だとした点を批判することなく、第一委員会の判断に身を任せていた。大局的見地や諸外国との関係を考える政治的なトップ判断が欠如していた。

つまり、自衛行動として、マレーア半島へ軍事行動をすれば、イギリス、オランダ、アメリカが禁輸という手を打ってくる。アメリカが禁輸手段を取ったら、日本の生命線に触れる、それは第一委員会の決めた参戦のラインに達する。あえて海軍がしてしまう。そうすると、ワーっと日本国民が沸点に達する。それは、海軍としては、第一委員会が決めた戦争に打って出るデッドラインというお墨付きが簡単に手に入るわけだ。

そのとき、政治的なトップ判断が日本という国はできないし、それを手足の軍を止め、大衆を抑える、肝の据わったトップがいなかった。それに尽きる。

この流れを読めない人ばかりではないだろう。が、第一委員会という責任の所在の不明な組織に判断を任せて戦争へ突き進むわけだ。シンクタンクの役目をした第一委員会を解体して、大衆の国民的催眠から目を覚ますだけの力と行動力のある言論人か、政治家がいなかった。扇動家は大勢いるが、地味な役回りの良識人で止め男がいなかった。コレは、現代にも通じるだろう。

海軍の場合、
①軍令部強化、
②第一委員会のシンクタンク化。
③大衆の国民的な催眠
三つが、責任所在不明の潮流が戦争を進めた。

12月8日(昭和16年)真珠湾攻撃で大勝利、翌々年(昭和18年2月)シンガポール陥落と勝利に沸いた。日本国民がここで戦争を止めるという発想があれば、賢いだろうが、それが終結展望がないままドンドン進んだ。この戦争というものの止め方を国民に教育していないから、声の大きい武断的な人間がバカな戦争で国土破壊、国民大犠牲の敗戦になってしまった。これだけ悲惨な目にあえば、もう再び戦争はしないだろう、と思ったもんだ。ところが、どっこい、60年、70年経てば、そんなこと忘れてしまう。人間はそう賢くはならないもんだね。

これを半藤一利さんは「国民的催眠」状態で、沸き立っているから、ブレーキが利かないのだ、という。今の世でも、大衆を焚き付けてわーっと言わせて、そのエネルギーを利用しようとする輩が、東京オリンピックを招致しようとした。他の国の意見がそれを止めた形になって、事なきを得たが。

集団ヒステリー、あるいは国民的催眠、そういうものに気づかないのが、どこかの国民だから、ご同輩も、ご注意召されよ。

海軍には400時間の反省会記録が出たが、陸軍は反省する気力もなかったのか、あるいはみんな墓の中へ記憶を封じ込めたか。

以下関連ページ  日本軍」沖縄 集団自決、慰安婦問題  8月15日千鳥が淵戦没者墓苑に集合  太平洋戦争 開戦から学徒動員まで   嗚呼 満蒙開拓団 岩波ホール盛況なり  橋本艦長 回天出動せず 真夏のオリオン  陸軍中佐沼田正春 幼い息子に遺訓 ミサイルとMDに戦争の悲惨さはない 海軍軍令部はどんな反省をしたのか  12月8日 開戦記念日 68年目

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2009年10月28日 (水)

征韓論から太平洋戦争まで 加藤陽子

8112爆笑問題が大学の研究室を訪ねていく番組は、激論があったり、芸術作品に圧倒されたり、なかなか興味がある。今回の近現代史の加藤陽子先生、ソフトでこの先生が激動の歴史と対決しているのか、と意外であった。

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8064 日本の近現代史、征韓論から太平洋戦争までが先生の守備範囲のようで、いろいろ著作がある。

経 歴
1979年 桜蔭高等学校卒業
1983年 東京大学文学部卒業(第二類 国史学専修)
1989年 同大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程
著 作

『模索する1930年代―日米関係と陸軍中堅層(山川出版社)
『徴兵制と近代日本―1868-1945』
(吉川弘文館)
戦争の日本近現代史征韓論から太平洋戦争まで』(講談社現代新書)
『戦争の論理―
日露戦争から太平洋戦争まで(勁草書房)
『戦争を読む』(勁草書房, 2007年)
シリーズ日本近現代史(5)満州事変から日中戦争へ(岩波新書)
それでも、日本人は「戦争」を選んだ(朝日出版社,)

日本史教科書では縄文時代から始まるので、日本の近現代史というと、どうしても終わりになって、いつも時間がないので手抜きになりがちだ。高校では日本史担当「鬼瓦」先生、一学期に近現代史から始めた。登校の途中に先生と一緒になったとき「近現代史はどう、わかるかね」と自分の授業の反応を知ろうと私に声かけてきた。

なんと返事をしたかな、忘れたが、面白くてたまらんという感じではなかったが、まずまず理解しやすい授業だった。一年の一般社会の授業よりは上かな、って思っていた。やはり近現代史を意識したのは、「坂の上の雲」司馬遼太郎の本を読んでからだろう。受験勉強で歴史を学んでも、興味は持てないから、一年もたたないうちにすっかり忘れる。読物として、自発的に読まない限りは、頭に残らないだろう。

8060_2 森永キャラメルの宣伝だが、戦争を利用している。戦闘機乗りは、アメを舐めながら爆撃するなど、リアルだね。実際、きっと内地から送る慰問袋の中にキャラメルを入れることを念頭において、国民に買わせたのだろう。

8063_2 酒は、なにかにつけて飲む事が多い。「漢口を陥落させた」バンザイだと飲む。軍隊では納入業者がいかに多くの酒を納入できるか、口利きがあると、大いに儲かる。あの有名な作詞家の親父さんは北海道から満州へ一家で移住して酒造で財をなした。それも、母の元恋人が満州で軍の幹部にいて、酒造工場を満鉄沿線に造り、酒の納入に便宜を図ってもらい、数年にして今のカネにして何億と稼いで、母と姉は東京へ歌舞伎見物に満州の新京から東京へ飛行機で見に来ていた。数日逗留してまた飛行機で帰るような生活をしていた。敗戦では、一切合切、全てを失い、ようやく母と娘と息子は帰国した。父は死亡。

8069 義勇軍というのは、満州防衛のためには軍隊だけでは不足だから、少年を屯田兵みたいに、農業を満州の辺地に居つかせて、いざというときには兵隊にしようという意図で、義勇軍をつくろうとしていた。その意図は、隠して募集をしていた。この意図がわかってきたのは、戦後のことだ。

80708071 その「あなたも義勇軍になれます」というのは、当時の漫画家、戦後も活躍した人が描いている。判りやすい絵で、私も当時だったら、応募してしまいそうなガイドブックだ。試験は簡単だし、旅費もいらない。衣食住も困らないないなら、受けてみるか、となる。家は子たくさんで、食うものに困る生活していると、俺がいないほうが家のためだ、と決断してしまうかも。

8102 政府の官僚たち、国民を煽って、戦争のしやすい国民教育しているのだから、少年を騙すのは簡単だろう。そうだ、1932年ころか、日清戦争で南満州鉄道の敷設権を得て大連から新京へ鉄道を敷設したら、張学良がそれに平行した鉄道を敷設したら、それを大いに怒っているころ、東大へ軍人がきて講演すると、条約違反をやるソ連や中国を懲罰すべきだ、と東大生の88パーセントが賛成した。と、加藤陽子先生の話、具体的でわかりやすい。

戦争は世論を煽り立てれば、すぐ国民は乗ってしまう・遂に日中戦争を始めてしまったのち、原敬首相は日記に「したくない戦争を始めてしまった」と国民を煽りすぎたという意味の言葉を残している。加藤陽子先生、東大の教授だから、いろんな資料が手に入るから、当時の人の残した資料をメにしているようだ。

先生の研究室は、本で本で一杯だ。文系の歴史も近代史は資料で調べるしか研究方法がないから、大変だ。実験もできないし、見学もできない。ひたすら、資料と主観で研究するしかない。

8088 ソ連(ロシア)から日本を眺めると、みごとに日本列島が弓なりになって、樺太も朝鮮も日本領土であると、ロシアの南下を阻止する形になっている。東アジアは完全に塞がれてしまう。この日本の勢力図は、ロシアには気に食わないだろう。日本を一発殴って攻撃したくなるんではないか。

政略的には、明治以降の政治家たちの集大成は、朝鮮を植民地化して、樺太を取って、台湾を領土にし、ソ連ロシア包囲網ができた時点で、うまくいったと思ったに違いない。

これが崩れて、太平洋戦争の敗北へつながっていく過程は、国内で維新戦争を勝ち抜いてきた長州主体の陸軍が終着点のようだ。勝ちパターンを信じて、国内向けの精神で技術の発展をムシして精神論を振りかざして勝ち抜いた、肉弾、斬り込み、白兵戦を玉条の精神で乗りきろうとしたが、それは20世紀には通用しないかった。

満州国とアメリカ合衆国のそもそも成り立ちは、似ていることを多くの人は気づいていないが、アメリカだって、現地人が住んでいる場所に国を建設して、アメリカ国として独立したという経緯は、決して満州国と違いはない。人が住んでいる地域を五族の連合した満州国として独立した。そういう理想があった。その際、日本の関東軍が先行して設計図を書いている点は、気になるが、国というのは、そういう成り立ちが多かったことは確かだ。

それが19世紀以前ならば、イギリスもドイツもフランスも先進国がやっていた。鎖国をしていた日本は出遅れた。それで明治維新で目が覚めたら、世界中の先進国はやっているなら、日本もやろう!と勢いついてそれを踏襲したら、日本はやりすぎて、世界の一等国だ!と錯覚してしまい、自尊心ばかり肥大して、朝鮮を何とか利用してやれ、ロシアの肥大化を食い止めるには、中国も朝鮮も、利用できるものは何でも利用しようと、朝鮮が出遅れているのを見て、手を出した。

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2009年9月23日 (水)

軍用馬を徴用された体験談

7365 秋田県田沢湖村の近くに、西木村がある。有名な作家西木正明の出身地でもあるが、そので代々続く家へ訪れたとき、額に入った軍用馬の写真を見つけた。

仙北郡西明寺村及び檜木内村が合併して西木村

7369 今年、卒寿になる佐藤コメさん、「(その写真の馬は)ウチのチロです」という。その話は、聞いていても、涙が出そうになる話であった。

「卒」の略字(卆)が九十と分解できるため、90歳の祝いの言葉に使う。

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昭和16年、女学校のとき、きょう生まれるか、まだか、とコメさんは楽しみにして学校から帰ると、毎日馬小屋にかけつけた。そこには、生まれたばかりのチロがいた。どこの農家でも、馬は大切な動力源だから、大切に育てていた。

ウチで生まれた馬だから、馬小屋に敷きわらをして、餌の世話もした。まるで自分の弟のように子馬のときから可愛がって育てた。コメさんの家は、村で一番の大農家で、広い田を耕すには農耕馬は大切な動力である。それをちょうど、これから力を出し始める三歳を迎えたころに、徴発するのだから、農家には辛いことである。

それが、昭和19年暮、軍用馬として徴用されると、通知がきた。コメさんには、家族の一員を奪われる気がして、耐えられない気持ちであったが、軍の命令に逆らえるものではない。国家への奉公は、当然の時代に、少女の胸の痛みなど、数に入らない。

1939年(昭和14年)4月に軍馬資源保護法が公布され、毎年の検査で軍用保護馬に指定された馬の所有者は、一定の管理や「鍛錬」への参加などを行ない、大日本帝国陸軍による徴発にそなえる義務を負うようになった。
昭和16年10月、陸軍馬政課の命により、仙台師団は戦時に必要な軍用馬を徴発するため、師団長直轄委員会を開き、必要な徴発馬の数とその条件並びに買い上げ価格を決定した。

出征してく兵士を送る気持ちで、彼女の名づけた名前「チロ」を駒ヶ根の神社へ連れて行き、武運長久を願って帽子、肩掛けなどで飾ってやった。

チロが徴用される頃は、戦雲怪しくなってきていたが、まだ、姉は満州の公務員宿舎で子ども四人と幸せに暮らしていた。弟は東京の大学に通っていた。その二人が、あと数年で、弟は戦死、姉は引き上げ間際に病死ということになっていくとは、そのときはまだ知らなかった。

馬を送り出す前に、薄紙の和紙にチロの送り出したわが家の住所を書いてコヨリにして、耳の陰に見つからないように編み込んでおいた。馬は軍用馬となると、どこの馬か一切わからなくなるのが通常だった。

チロはコメさんの世話で、丸々太った健康優良児として、言ってみれば、甲種合格であった。荷駄を運ぶ馬ではなく、人が乗る騎乗用の馬にされた。出征の前の日まで、「軍へ行ったら、餌をたっぷりもらえないだろう」と、普通の倍以上は食べさせて、体調を整えてやった。

馬小屋の中は、ワラを敷き詰め、ふわふわの寝床にしてやり、至れり尽くせりの大事にされて、送り出された。徴用され貨車に積み込まれたのを見たら、涙がでた。ふわふわにワラの上から、板張り有蓋貨車にぎゅうぎゅう詰めの状態で仙台の司令部から下関まで連れて行かれた。

下関では、大陸に渡る前に、もう一度身体検査され、日本内地で最後の日は、水をたっぷりのませ、飼い葉をたっぷり食べ、朝鮮半島の釜山へ送り込まれた。そして、あとは軍事機密により作戦地名は一般国民には知らされない。したがって、チロの着いた場所は一切わからなかった。中国国内であることは想像がついた。

昭和19年、チロが徴発されてから、半年が過ぎ、一年に近いころ、写真入りの軍事郵便がきた。「チロ(とは書いてないが)は、御国のために、懸命に御奉公に励んでいます」という手紙の文章だった。写真を見て、あのチロに間違いない。そう思うと、懐かしくて、懐かしくてうれしかった。内緒で住所を書いておいたあのコヨリを、馬を世話する兵隊さんが見つけてくれたのだ。

その文面に、愛情を持ってお世話してくれる人の情けが伝わってきた。しかし、チロが出征する前の福々しい姿はなく、以前の一割どころか、二割は痩せていた。つらい仕事に従事していることが伺われた。

送ってくれた将校の名前も住所も、手紙そのものが戦後引越しなどしているうちに、なくなって、今ではこの写真だけが残っているだけである。チロに乗っている兵隊さんを探す手掛かりはない。

姉は、昭和21年、子供四人を連れて満州を脱出しようとしていたが、5人目の男の子を生んだばかりで、気はあせったが、体力が伴わず、病気を併発して満州で没した。

チロは、その後、どうなったのか、どこで戦死したのか、あるいは中国人の手に渡ったか、それも亡羊として判らない。戦争に負けるということは、こういうことなのかもしれない。

東京にいた弟が学徒動員で、軍隊に入ることになった。体格に恵まれていた弟は、激戦の島へ送り込まれたが、輸送船が攻撃されたのか、昭和20年、戦死の通知は来た。しかし、どこで死んだのか、わからないままであった。

コメさん、語り終わると、「ウチでは、私一人が生き残った。憎マレッ子、世にはばかる、ってか。ハハッハハハ・・・」と、卒寿のコメさんは笑っていたが、笑い飛ばすしか方法がないだろう。

「釣りバカ日誌15」ロケ隊が秋田へ来た  戦後引き揚げ 故郷への道   シベリア抑留の話

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2009年8月28日 (金)

NHK戦争証言 戦闘を知る10月12日マデ

0001700018ドキュメント太平洋戦争」、「兵士の戦争」は、HNKテレビで放送したものだが、これをインターネットでいつでも見られるのは、ありがたい。10月12日まで公開。全部見るには、もっと長期に公開しないと見られないだろうに、期間を区切るのは、どういう意図だろう。

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西部ニューギニア見捨てられた戦場千葉県・佐倉歩兵第221連隊 
北部ビルマ 密林に倒れた最強部隊 福岡県・陸軍第18師団
マリアナ沖海戦 破綻した必勝戦法 三重県・鈴鹿海軍航空隊

ビルマ 退却戦の悲闘 福井県・敦賀歩兵第119連隊
中国大陸打通 苦しみの行軍1500キロ 静岡県・歩兵第34連隊
フィリピン最後の攻防 極限の持久戦 岡山県・歩兵第10連隊

満蒙国境 知らされなかった終戦 4青森県・陸軍第107師団
フィリピン 絶望の市街戦 
マニラ海軍防衛隊    フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 陸軍第1師団
ガダルカナル 繰り返された白兵突撃 
北海道・旭川歩兵第28連隊
沖縄戦 住民を巻き込んだ悲劇の戦場 
山形県・歩兵第32連隊
ペリリュー島 終わりなき持久戦 
茨城県・水戸歩兵第2連隊 満蒙国境 知らされなかった終戦

00012  岩手県・歩兵第222連隊
インパール作戦 補給なきコヒマの苦闘 
新潟県・高田歩兵第58連隊 ビルマ濁流に散った敵中突破作戦 徳島県・歩兵第143連隊
従軍看護婦が見た戦争
中国雲南 玉砕・来なかった援軍 
福岡県・陸軍第56師団
フィリピン・シブヤン“戦艦武蔵の最期”
ニューギニア・ビアク島 幻の絶対国防圏

これら18本の戦争証言を聞き続け、日本軍の負け戦を見続けるのは、気持ちがなえる。戦争は勝たなきゃ、と思う人もいるだろう。負けたくはないが、その前に、何で戦ったのか、その意義もわからないうちに、国民の生活も精神も総動員されて巻き込まれてしまうと、何もいえなくなる。

それに逆らうと、今でも一斉にブログや2チャンネル攻撃があるように、非国民と言われる。各人の独立、individualismが確立していないから、他と違うことに恐れている。それが日本人の特性になっている。

これらを全部見て、今の政治情勢や、官僚支配、天下りを見ていると、昔の陸軍官僚、軍人に通じるものを感じる。キャリアの失言と愚将牟田口廉也  

ついでに一言、牟田口大将がこのインパール作戦を実行したことで、すぐ近くで戦っていた福岡県・陸軍第18師団(菊兵団)の支援が疎かになって、日本最強の部隊が壊滅する。北部ビルマ 密林に倒れた最強部隊

以下関連ページ  「日本軍」沖縄 集団自決、慰安婦問題  8月15日千鳥が淵戦没者墓苑に集合  太平洋戦争 開戦から学徒動員まで   嗚呼 満蒙開拓団 岩波ホール盛況なり  本艦長 回天出動せず 真夏のオリオン  陸軍中佐沼田正春 幼い息子に遺訓 ミサイルとMDに戦争の悲惨さはない 海軍軍令部はどんな反省をしたのか ミサイルとMDに戦争の悲惨さはない 陸軍中佐沼田正春 幼い息子に遺訓 

残留孤児二世がたどる はるかなる絆 日清戦争で日本人の意識が変わった ちばてつや満州体験語る ちい散歩  終戦 荒廃した国土 忘れるな   講和条約 日本は占領されていた  戦争の影響 疎開、食料など 満州からの引き揚げ 1 満蒙開拓青少年義勇軍を知ろう      

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2009年8月19日 (水)

うじきつよしへ反論は、戦争容認か

M950606090317 うじきつよしの、おやじさんへ戦争したことへの反発が、テレビで見ている人には、うじきが感情で言っているように見えたようだ。戦争を経験しない人にとって、「自衛のための戦い」は当然であり、正論のようだ。家族を守り、愛する人を守ることに何ら疑問がない。当然のコトだ。だがしかし、である。平和の維持の難しさはそこにある。

うじきつよしの父、氏木武は、(士官学校卒職業軍人)元陸軍大尉で、巣鴨プリズンなどで8年間投獄されていた。現在86歳

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5652 にも係わらず、自衛の戦いを放棄して、平和を唱える愚かさを大方の人はバカ、非現実だという。それをうじきつよしは、あえて唱えようとしている。それが、悩みながら、それでもなお「戦争してはいけない」という。この主張が、戦争が終わって、60数年経つと、通用しないのだね。

5855靖国神社で見たコスプレ行進 戦争で親を失い、家を焼かれ、飢餓の中アメリカ軍と戦い、全員玉砕の戦いを舐めて、ようやく戦争のない社会が出来たと喜んだ昭和20年からの数年のホッとした気分、青空がこんなにありがたいと思った人々には、「戦争なんかやるもんじゃない」、多少被害受けても戦争だけはしたくない。相手へも攻撃してはいけない。

そんな考え方が、人間として当たり前の感情になった。それが、敗戦国だからこそ、そういう平和愛好の気分を国民が望んだ。為政者は別だったかもしれないが。国単位で考えればそうだったろう。敗戦国とは違って、戦勝国は昔から勝つことが正義であり、その信念は変わらないから、始末が悪い。

アメリカの国内で銃乱射事件があると、日本の人々は「銃をなくせばいいのに」と銃規制を主張する。ところが、学校内でそういう事件が起こると、校内銃持込禁止を解いて、銃を所持していれば乱射する犯人を射殺することが出来たのに、という意見が大半だという。

そこで、「うじきつよし」に反感を覚えた人の意見を見た。反感はどんなところにあるのだろう。

Photo_2 「“僕の父はB級戦犯 うじきつよし”を拝見しました。
 番組内でうじきさんは父親の話を聞こうとせず、ただひたすらに自身の意見を押し付けていらっしゃった様に存じます。また、自分が理解できない意見を言われたら「あの人は自分の意見がない、考えようとしない」というような事を言い、またディレクターの質問に対しては怒鳴って黙らせるか、的外れの質問を返し論点をずらしていました。
 この番組は一体どういう趣旨のものだったのですか?私はうじきさんが自身の意見を全く持たず、感情論と論点ずらし、怒鳴るという強迫しか出来ない無能な人間であることを晒したようにしか見えないのです。
 また、相手に歩み寄ろうともしない、
同じテーブルにつかないという態度が少なからず戦争の原因になっていると私は思うのです。宗教戦争はその典型ですし、大日本帝国の誕生も元をただせば有色人種を劣等種であって同じ人間ではない、使役されるべきものであるという考えからアフリカ、南アメリカ、北アメリカ、東南アジアと次々に植民地を広げ、ついには隣国清まで理不尽な理由で占領した白人に対する自衛行動だったと思います。(途中から日本は暴走しましたが、それも同じ(自衛という)原因だと思います)。上述したうじきさんの態度は世界の戦争の原因の根幹となっているものであり、その態度で「戦争反対」と唱えるのは非常に矛盾していると思います。事実うじきさんは父親とディレクターに対し、個人の縮図で見ればただのわがままで済みますが、国家レベルに拡大すれば十分戦争と言える、少なくとも外交拒絶という態度であったと思います。番組を見た他の方々の見解はどうでしょうか?」

 この質問に対する回答
「録画して酒を飲みながら見ていたのですが、だんだん、うじきつよしの態度に不愉快になり、一人でブツブツ小言を言っていました。
おっしゃる通り、このようなうじきのような人間が戦争を引き起こし、誘発しているのだと思います。
 自分の「戦争反対の意見」がすべて正しい、他の人の意見は怒鳴って聞かない。防衛のための戦争も、考えるだけでもダメという。
間違った戦後教育をまともに受けて生きてきたあまちゃんの考え方、私も戦後生まれの同じ世代で、父も戦争に行き、当時の話はまったくしません。
負けたこと話してどうなる、今度やったら絶対勝つぞ。しっかりとした計画と食糧、弾薬がいっぱいあれば、日本兵とドイツ兵が一番強い」などと酔うと話します。そんな父でも尊敬しています。
 うじきのような自分の
親を全否定する考えはありません、これからはトーク番組でも彼の出演する物は見たくありません。」

戦争の惨禍を再び地上に起こさないため、日本の憲法は平和を唱えているのだけれど、もうそんなことは不用だろうか。「勝つ」ことが唯一の価値観になって、負けたら一文の価値もない。そういう勝ち組の論理がまかり通るのだろう。回答している方は、疑問をはさむ余地のない割り切り、「戦うこと、勝つこと」という結論を述べている。

Photo_3 こういう平和論は「勇気がない」「軟弱だ」「非国民」とにかく、見栄えの悪い主張である。この見栄えの悪い主張こそが、平和論の本質であると思う。卑怯だと言われても、非戦、不戦を掲げて平和を唱えるのは、結構エネルギーがいる。2ちゃんねるで、高遠さんの悪口を見ると、見事なくらい、愛国者というのでしょうか、弱者の側に立って主張するのは困難だ。勝ち組で「行け行け!」と叫んでいると、ラクだし、かっこいい。高遠菜穂子講演 成田九条の会主催:     イラクでアメリカの残虐 高遠菜穂子

Photo きっと再び東條が甦ったら、こんな風潮だから、国民は扇動されるだろう。自分の力で「疑問をもち」、戦争へ走り始めたら「ブレーキ掛ける」判断力を持ちたいものだ。かくいう私も、愛国者の一人で他国から攻撃されたら、大いに「戦うべし」と声をあげ、「勝つ」ことに大いに喜ぶ一人です。

この相手を倒す、殺す、この本能を抑える平和主義が大事だと、言いたいのですが、「左のほほを殴られたら、右も出す」この主張には、みなさん、賛成できますか。究極ほ平和を望む人は、ここまで徹底しないと、実現できないのです。

うじきつよし 本物の平和主義者になるために  海軍軍令部はどんな反省をしたのか  ミサイルとMDに戦争の悲惨さはない 陸軍中佐沼田正春 幼い息子に遺訓  太平洋戦争 開戦から学徒動員まで   嗚呼 満蒙開拓団 岩波ホール盛況なり  橋本艦長 回天出動せず 真夏のオリオン  ミサイルとMDに戦争の悲惨さはない  靖国神社8月15日(2009年)

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2009年8月17日 (月)

拝啓、社民党代表福島さんにお願いが

5744 拝啓、社民党福島瑞穂様
 私は、千鳥が淵国立霊園、中国、南太平洋の戦没者人数の書かれた戦闘地地図前で、「ここで父が戦死した」、指差す人と話をしていました。十二時過ぎに「福島瑞穂社民党党首が到着されました。」アナウンスがあり、福島さんは戦没者慰霊の前
で挨拶をされた。「父親が戦地へ行き、かろうじて生きて帰ってきたから、自分が生まれた」と。福島さんの父親のことを初めて聞いて知った。戦争反対、平和を愛する党の党首でさえ、家庭の事情は聞こえてこない。多くの個々人が前の戦争とどう係わったが、知る機会は少ないものです。

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5765 多くの人は、戦争と自分のかかわりをを語りたいのに、語る機会がない。唯一この戦闘地が描かれて地図を前にして、やっと語る機会を得たような気持ちになるようです。戦死者が山ほといるのに、慰霊の式典は盛大に行われても、それを個々に語る話を聞いてくれる人は誰もいない。そんな状況がある。国民個々にバラバラにされて、横のつながりがない。

5712 庶民レベルで8月15日くらいは、千鳥が淵にくれば、人が集まっている、という輪があって、戦争について語りあえる場、機会があっていいのではないか。3人以上集まると集会とみなされ、解散!と排除された時代ではないのですから。
5726戦争の傷が消えたと思われ、「もはや戦争が悪いことではない」「戦うべき時は戦うのだ」と いう流れになって、「九条」の存在があやうくなっている今、社民党は「九条」と「平和」にこだわるには、戦争の痛み、戦争の悲惨さを語りつぐ人々を集める働きをしなければ、ますます「日本の自尊を重んじる」と称して、戦争の気配がする坂道を転がり落ちていく。
 
 そこで、社民党代表の福島さんにお願いがあります。
57145735 ①あの「戦闘地の地図」は青銅板で立派にできているのですが、よほど近くへ寄らないと、地図も数字も見にくい。もっと見やすく作り直すべきです。自分の身内が戦死した場所を知りたいと、地図に近寄る姿を見て痛感します。芸術作品ではなく、黒板の役目を果たすように、五メートル離れても地図がよく見え、文字が読めるようにしてはいかがでしょうか。

57375719 ②戦争説明をボタンを押すと音声ガイダンスがありますが、戦争の説明は太平洋戦争と当時の政治的な背景をよく知るボランティアを置くべきです。戦争博物館で戦争の被害を説明するものもありますが、「戦闘地の地図」の前で戦闘の概要説明するボランティアがいると、長年の疑問が解決するという人も多いはずです。

57348月は、国民の平和へのこだわりが高まり、平和のありがたさを共有でき、特に8月15日は戦争を反省する日です。1年に一度、平和を愛する社民党の月があるとすれば、毎年8月のはずです。そのためには、千鳥が淵霊園の緑陰の芝上で、戦闘地ごとに戦闘の説明をボランrティアがして、戦前、戦時の生活やあのころは、という話ができるのではないでしょうか。

Photo戦争反対は当たり前、平和は与えられものではなく、日常で獲得していくものです。私たちは今、何をするべきか。九条、九条という前に、みんなの心を掴むには、国民の戦争体験を語る場所を千鳥が淵に公園にするべきです。ここが東京のスピーカーズコーナーになるように社民党が働きかけるのです。地道な一歩一歩が平和を獲得するステップになるのです。平和へのロードマップはこういうステップです。

 再度、社民党を代表して福島瑞穂さんにお願いしたいことは、
 霊園掲示板の戦闘地地図を見やすいサイズにしてください。5メートル離れても見える地図にすること。次に、太平洋戦争を満州事件から終戦までを、子供に説明できるボランティアを常時いるようにさせてほしい。それは社民党ががんばって設置するべきだ。それが社民党の草の根運動となるだろう。党勢拡大の一助になるはずです。

拝啓、社民党代表福島さんにお願いがあります  靖国神社8月15日(2009年)  うじきつよし 本物の平和主義者になるために  海軍軍令部はどんな反省をしたのか  ミサイルとMDに戦争の悲惨さはない 陸軍中佐沼田正春 幼い息子に遺訓  

8月15日靖国神社2008年 千鳥が淵Ⅳ   8月15日靖国神社2008年 Ⅲ  8月15日靖国神社2008年 Ⅱ   8月15日靖国神社2008年 Ⅰ  靖国神社(18)0815 2005年靖国神社 8月14日(1)  靖国神社 8月14日(2)  靖国神社 8月14日(3)  靖国神社 

太平洋戦争 開戦から学徒動員まで   嗚呼 満蒙開拓団 岩波ホール盛況なり  橋本艦長 回天出動せず 真夏のオリオン 

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2009年8月16日 (日)

勝浦で終戦を迎えた通信兵

5742 「私が広島の原子爆弾のニュースを受けた」
当番だった海軍の通信兵であったその人は、勝浦の通信所でこの大ニュースを受けたと語った。そのニュースが職務として受けた最大のニュースだったと思うから、記憶に残っているのだろう。今年85歳だという。

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房総半島へアメリカ軍が上陸してくるから、ここに多くの塹壕を掘って、アメリカ軍に対峙するのだと、陸軍は決めていた。多くの兵は大陸へ、南方諸島へ送りだしていたから、天皇を守るべき近衛兵までもが、房総の勝浦へ来ていた。

近くに通信兵の兵舎があり、六人の三交代制で24時間通信傍受を任務していた。通信の機密を守るために、他の兵隊は出入り禁止になっている場所だった。海軍学校は、横須賀の学校へ二年間勉強して、最初機械が好きだったから、そっちへ進みたかったが、通信へ回された。

兵隊同士だから、近衛兵とも親しく話しをすることがあった。近衛兵から聞いた話を教えてくれた。住民の住んでいる町の後背地の稜線に陣地を築いて、アメリカ兵が上陸したら、砲弾を住民の群れに向って撃つことはできないから、困っている。その話を聞いて、住民は「自分たちがいても、我々を撃ち殺しても、アメリカ軍に攻撃してくれ」と言っていたという。

内地に居られる通信兵は運がよかったかもしれないが、通信兵でも南方へ行く兵もいるが、昭和18年には、南方へ運ぶ船がなくなっていた。

通信システムは、陸軍は陸軍、海軍は海軍の方式があったので、別々の暗号で、その人は海軍の暗号だけで、スーツー、トン、と昔の杵柄を披露してみせてくれた。毎日、暗号の乱数表が変わるので、それにあわせて暗号を解読して書き付けて、上官へ提出する。暗号の打ち方で、どこから通信がきているかわかったと、懐かしそうだった。

戦争の記憶が段々と遠くなるが、青春の二十歳前後の記憶は鮮烈に残っているらしく、まだまだ、数年前の記憶のように思い出してくれた。30分も話してくれた程度で、これだけだ。

太平洋戦争 開戦から学徒動員まで   嗚呼 満蒙開拓団 岩波ホール盛況なり  橋本艦長 回天出動せず 真夏のオリオン  8月15日靖国神社2008年 千鳥が淵Ⅳ   兵士たちの戦争 ガダルカナル白兵突撃 兵士たちの戦争NHKルソン島死闘  ルソン島で人肉を食う敗走日本軍    初年兵を死地にやった上官   ある憲兵の記録 日本人のDNA   

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2009年8月15日 (土)

靖国神社8月15日(2009年)

58225872 靖国神社8月15日(2009年)は、騒がしかった。特に、靖国神社の外の方がうるさい。便乗右翼が、ここぞとばかりに宣伝活動だ。南京事件はでっち上げだという教科書つくる会が、毎年来ている。自分の主張が認められないと、けたたましく言い募る。

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58785879 中国の政治情勢が、この靖国神社の周りに反映して、今年はモンゴル情勢が日本人に理解を求めていた。あと、NHKの「ジャパンデビュー」という特集番組が、日本の誇りを傷つけたと、偏向報道だという。ある人は「夏目雅子は、西遊記のロケで中国の砂漠で原爆実験の影響で白血病になった」というのには、えらい俗説を流すな、と感心してしまった。あと、台湾で売春で、言い募るが、論拠がよくわからない。その中に原始キリスト教宣伝や、自民党の民主党誹謗文書を配ったり、政治宣伝の百花騒乱である。

58655849 靖国神社の境内では、旧軍人、旧陸軍の将校(冬服)の扮装した老人が先頭に100mを6,7名で行進すると、大勢の素人カメラマンが追いかけて、参道が人だかりになる。彼ら、老人の将校以外はみんな戦後生まれの人ばかり。コスプレを楽しんでいるだけ。これは、靖国ゴッコをして、それを追いかける大衆も大衆だ。

586858275828 私が感心したのは、今年90歳と半年、という一人の老人が坐っていた。入口から少し上がった左側にいた。初め、やはり気弱にカレンダーのウラに書いた自分の経歴を広げたり、丸めたり、していた。「猛第一九三〇部隊 パプアニューギニア独立野戦高射砲 第大二」とあった。名前は塚本サンだった?「で、高射砲のタマはあったのですか?」「ない、ない」何も戦う手段はなく、アメリカ軍に追われて、逃げるしかない。

5830 一人語りで、「650名の隊でニューギニアに上陸したのだが、30名生き残った一人」と。20人中1人より少ない生存率。塚本さん、よほど胃腸が丈夫で強運だ。孫、ひ孫もいると言っていたが、この人のDNAは人類最強の遺伝子だろう。

「勲章は」と胸の金鵄勳8等を見せて「これは朝、当番で見張り中、アメリカの飛行機を最初に見つけたからだ、と自慢そうだ。

5719_2千鳥が淵霊園の戦場地図より アメリカ軍が上陸してから、防戦一方で追い詰められて、ジャングルへ逃げ込んだ。終戦のビラを見て、日本軍の広報を聞いて、二ヶ月後に下山し、武装解除した。それから日本へ帰国した。その話に人の輪ができて、膨らんできた。

5871 来年も来られたら、この場所へ来て、みんなと触れ合ってほしいが、あと何回8月15日を迎えられるのだろう。一人で品川から、来るのは難しくなる。

拝啓、社民党代表福島さんにお願いがあります  靖国神社8月15日(2009年)  うじきつよし 本物の平和主義者になるために  海軍軍令部はどんな反省をしたのか  ミサイルとMDに戦争の悲惨さはない 陸軍中佐沼田正春 幼い息子に遺訓  

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2009年8月14日 (金)

うじきつよし 本物の平和主義者になるために

5644 僕の父はB級戦犯.うじきつよし 「戦争を語る父子の旅」 の最後で、ディレクターとケンカするような口調で、やり合っていた。同年輩のディレクターは「祖国を守るためには戦争も必要だ」と、うじきをケシかけて、憤慨させるのが目的のようにも見えた。「自衛のため」と戦争を始めたら、「平和、戦争反対!」なんて、吹っ飛んでしまう。単に「戦争反対!」と言葉で言うだけでは、力にならない。平和、相互理解のためのロードマップが必要だ。

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56605659_2 ディレクターD「うじきさんは戦争反対、どんな戦争でもいけない?」
うじき「当たり前ですよ」
D「自分の国が侵略さてようとしても?それも戦争ですよ」
うじき「聞くのは簡単でしょ、君は。 世界中の人がその疑問を簡単に答えられないことをそんなに簡単に聞いちゃいけないでしょ。戦争がいいの、悪いのかって」
D「戦争反対だからと言っても、全ての戦争を否定して、日本が侵略されてもいいということで」
うじき「それは議論のための議論でしょ」
D「議論のための議論かな」
5650 うじき「じゃあ、自分の家族が殺されているのを目の前にしてね、それを抵抗しないのか、ていう話をされるのと一緒だよ」
D「それも、戦争だということでしょうか?それは戦争じゃないんですか」
うじき「じゃ、村田(ディレクター)はしてもいいのか!逆に聞きたい。戦争はしてもイイことなの?村田は、オレにそれを聞いているのだよ」

5648 うじきつよし:彼の父氏木武は、第2次大戦当時インドシナ戦線で指揮を取った職業軍人、旧日本陸軍大尉。 戦後、サイゴン裁判で拷問や略奪を指揮した罪を問われ、ベトナムと日本で計8年間の収監生活を送った「B級戦犯」だった。 ...

5658 戦争による殺人に絶対反対という強い信念があるうじきは、父武は志願して陸軍士官学校に入った職業軍人。武さんは祖国を守るためとはいえ、命令に従うしかなかったのか。二人が戦争に向き合い、戦争について悩み続ける親子の姿を追う。 ドキュメンタリ宣言「僕の父はB級戦犯」 司会は長野智子

D「(戦争を)しても、いいコトだと思います」
うじき「ちょっと(村田ディレクターの)顔で撮っておいて」
D「ボクは戦争はしてもいいコトだと思っています自分の家族が殺されそうになったら、自分は戦います
当たり前のコトです」
(カメラマン)「正当防衛ということですか?」
D「ええ、そうですね。それにそれも戦争です。それが戦争じゃないと言えるのですか。」
うじき「それをなくしていかなくてはいけないコトですよ」
D「当然です。それは」

うじき「当然と言っていながら、戦争はしてもいいといっているじゃないか。父親が戦争に行っているということは、ものすごく自分の人格、人生に大きな影響を与えている。大きな影を落として、物凄く大きな影響を与えていつ。人生の中のどこかで、もしかして勘違いして、何か突き進んでしまう瞬間があるのではないか。恐怖心がある。
 やっぱり、怖くて聞いていなかったのかナ。自分もウチの親父は息子にだけは伝えたくないというコトでは
なく、後世の人に伝えておきたいという意識はなかったからね。自分のやってきたことはね。」

D「(うじきのお父さんは)誰にも話したくないけれど、息子だから話すんだと言っていましたよ。それはどう思いますか」
うじき「そんなコト言っていたの?」
D「お父さんが話さなかっただけではなく、僕らの世代も聞かなかったことも、まあ、うじきさんみたいにこ
うして真剣に聞かれる人もいるけれど、ほとんどの人は聞いていない。うじきさん、がんばってください。」
うじき「なんだ?それ.  …ウーン」

ディレクターは、うじきに戦争反対を貫き、平和を求める意思を貫けといいながら、うじきを追い込んでいる。「がんばってください」っといわれて、うじきは「なんだ?それ. 」と言ってしまう、この呼吸は、いいセリフだ。ドラマでもライターが書けないだろう。最後にウーンと窮するところは、ディレクターの腕だった。

「自衛」っていう名目で「戦争」は始まる。結果は侵略であっても、「侵略」と言って始まる「侵略」はない。「邦人保護」つまりは、「家族を守るため」に始まるのが、普通で、それを軍人や政治家が利用する。ゆえに、うじきは「正当防衛の戦争もなくしていかないと、いけない」という立場に立とうとしている。

なかなか、正当防衛の戦争を否定することが、私たちにできるか。さあ、どうだ?と聞かれて、「できる」といえたら、本物の平和主義者だ。「左の頬を叩かれたら、右の頬も出す」くらいの覚悟のある聖人には、なれないのが普通の人だから。

ゆえに、ディレクターのいうように「自衛の戦争はやるべし」という人間本性の生命感で戦うことになる。世界がまだ「戦国時代」だから、そういうありかたでしか人間は生活できない。

小学校4年生のときの担任近藤武典先生は「世界国家」で統一して、警察で取り締まると平和になる。こういう世界観を子ども達に吹き込んでいた。ユニークな先生だった。

世界国家ができるまでは、中国と日本がお互いにコミニュケーションをよくしていく必要がある。①同じ漢字の共有化 ②経済圏内の貨幣の統一化、これを中国と話し合うべしだ。台湾の馬英九総統も、中国本土と漢字の統一を行いたいと言っていると聞いた。なんとか、こういう文化の共有で人間同士が理解しあえると、お近づきができる。

トップがやる気になったら、次第に進んでいくだろう。1%の人間が相互理解に動き出せば、平和は近い。蒙昧な人たちが雷同することで、社会情勢が不安定になる。平和とか、戦争防止は、観念ではなく、人間同士の理解であり、文化の理解、次に経済の発展になる。そういう観点で戦争反対を唱えていかないと、平和は築けない。

うじきつよし、「がんばってください」というセリフ、これは、かれの自衛の戦争に反対する上に、具体的なロードマップがあれば可能になる。それを言いたい。それには、①同じ漢字の共有化 ②経済圏内の貨幣の統一化、を唱えてほしい。他にもあるかもしれないが、考えてほしい。

彼の平和に対する信念は、彼一人自身の信念に終わらせないで、平和のロードマップをもって進めてほしい。彼のこれからの信念の実現のためには、ぜひ文化の相互理解、経済圏内の貨幣の統一化、この二点を掲げれば、あとに続く人が、平和の行程表に従って進む。

カラ念仏のように「平和、平和」「戦争反対、戦争反対!」といっても、「自衛のための戦争だ!」と言い出したら、止められるものではない。そのときに、「平和のための行程表」に従って、平和を語ると相手を説得できる。

「九条の会」の人の弱さと極左的な点を、「平和のための行程表」を掲げることで、「偽平和、ニセ戦争反対」を味方にできる。

うじきとディレクターのやりとりYouTubeにあったので、見てみてください。

長野智子:アメリカ合衆国ニュージャージー州生まれ。私立田園調布雙葉中学校・高等学校、上智大学外国語学部英語学科卒業。上智大学在学中に、文化放送の「ミスDJリクエストパレード」のパーソナリティーをつとめる。また、「ミスDJリクエストパレード」出演時に、当時人気番組であった朝日放送の「プロポーズ大作戦」で「フィーリングカップル5vs5」に「ミスDJチーム」として出演した経歴もある。
1985年、フジテレビに入社。1990年、28歳の時に商社マンと結婚し退社。夫のアメリカ赴任に伴い渡米。1999年ニューヨーク大学大学院(メディアエコロジー専攻)修士課程を修了。帰国後、2000年4月から鳥越俊太郎と共に『ザ・スクープ』のキャスターを担当し、現在はテレビ朝日系の報道番組で活躍中。
 彼女の曾祖父は、日米修好通商条約批准書交換の派遣船(正使(米国軍艦)「ポーハタン号」、副使「咸臨丸」)で渡米し、明治維新後は新政府に勤めた長野桂次郎(立石斧次郎)である

拝啓、社民党代表福島さんにお願いがあります  靖国神社8月15日(2009年)  うじきつよし 本物の平和主義者になるために  海軍軍令部はどんな反省をしたのか  ミサイルとMDに戦争の悲惨さはない 陸軍中佐沼田正春 幼い息子に遺訓 うじきつよしへ反論は、戦争容認か    

8月15日靖国神社2008年 千鳥が淵Ⅳ   8月15日靖国神社2008年 Ⅲ  8月15日靖国神社2008年 Ⅱ   8月15日靖国神社2008年 Ⅰ  靖国神社(18)0815 2005年靖国神社 8月14日(1)  靖国神社 8月14日(2)  靖国神社 8月14日(3)  靖国神社 

太平洋戦争 開戦から学徒動員まで   嗚呼 満蒙開拓団 岩波ホール盛況なり  橋本艦長 回天出動せず 真夏のオリオン 

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