2011年11月10日 (木)

金子みすず 亭主に禁じられた詩作

C0193833_0292487   私と小鳥と鈴と
私が両手をひろげても
お空をちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように
地面を速くは走れない。

私が体をゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄はしらないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

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もうひとつ、有名になった金子みずずの詩を紹介してみる。

S0804262_2  大漁 (鰮いわし
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮の
大漁だ。

浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するのだろう

詩としては、着眼点が人間の側ではなく、鰮から見たらそのとおりだから、ハッと気づいておどろく新鮮さがある。今からまねても、詩人として大成するかは、保障のかぎりではないが。

金子みすずの詩は、死後50年を越して、著作権者の権利失効が成立している。遺族に著作権がなく、『金子みずず著作権保存会』が印税を受け取る形になっている。その中から、遺族に印税の一部を支払うという。死後50年過ぎてから発見されて、急にクローズアップされて、幸運というか、不思議な立場である。

金子みすゞ記念館(生家跡):大正期の童謡詩人金子みすゞ(1903-1930)は仙崎で生まれ、深川高等女学校(現在の山口県立大津高等学校)を卒業するまでの間を仙崎で過ごした。
  仙崎(せんざき)は山口県長門市の一地域で旧・大津郡仙崎町一帯を指す。日本海側屈指の漁港として、また蒲鉾の産地としても知られ、戦後の引き揚げ港。現在は仙崎駅~長門市駅間で列車が往復運転している。詩作の大半は奉公先の下関市で行われたものだが、その題材には仙崎の情景が多く描かれている。代表作の一つである「大漁」は仙崎漁港に大量に水揚げされた鰯にモチーフを得たものだとされているし、王子山、弁天島、祇園社(八坂神社)など仙崎の風景を読んだ詩も数多く残されている。また、みすゞの墓所も仙崎にある。

Img_236636_27043985_0_2   『にんげんだもの』相田みつを
くるしいことだってあるさ 人間だもの
まようときだってあるさ 凡夫だもの
あやまちだってあるよ おれだもの

ヘタうまい文字で「人間警句」の相田みつをの心とよく似た心象だと思う。しっかりつかむと壊れてしまう「魂の形」を上手に描く。宇都宮市の柴田トヨさん(99)の初詩集「くじけないで」にもその雰囲気がある。100歳になったトヨさんが書いた詩は、「さびしくなったら」だ。

Dscn1084 さびしくなった時 
戸の隙間から 入る陽射しを 
手にすくって 何度も顔に あててみるの
そのぬくもりは 母のぬくもり
おっかさん がんばるからね 
呟きながら 私は立ちあがる

相田みつを、柴田トヨさんの詩は、細工がないように見える。細工していないように「細工」しているのだろうが。金子みすずは、ダレが教えたのか、天性の何かをもっているようだ。だから、赤い鳥(北原白秋)、金の船(野口雨情、金の星に改題)、童話(西条八十)に投稿して、大正12年、初投稿から注目された。西条八十から「どこかふっくらして温かい情味が謡全体を包んでいる。この感じは英国のクリスティーナ・ロゼッティのそれと同じだ。閨秀の童謡詩人が皆無の今日、この調子で努力して頂きたい」と激賞されている。それから、金子みすずの詩は、その後3年間、みすずの作品が掲載され続けた。

Ws000004 Ws000006 金子みすず(本名テル)は、山口県大津郡仙崎に生まれ、父庄之助、母ミチ、兄竪助、本人テル、弟正祐の一家であったが、父はテルの三歳のとき死亡。母の妹フジが、県内屈指の書店「上山文英堂書店」に嫁いでいた。テル(みすず)が女学校2年のとき、叔母フジがなくなり、女手がないからということで、母ミチが後妻に入った。弟は幼いうちから、文英堂の養子になっていた。兄竪助が結婚することになった時点で、テル(みすず)は、文英堂下関店で店番として勤め始めた。この本に囲まれたこの時期、この生活が気に入っていた。詩を書くにも適し、投稿していた時期と重なる。

9784882843023 上山文英堂店主(社長)上山松蔵の指示で、大正15年、社員の中で手代格(中間管理職)の男と結婚した。文英堂の発展のため、身内で組織を固めるため、テル(みすず)を利用したともいえる。養子となった弟正祐が一人前になる前のリリーフとして考えられていたようだ。テルの夫が仕事はできるのかもしれないが、ワンマンで遊び人であった。一番のつらいことは、みすずに「童謡を書くな。投稿仲間と文通をするな」と禁じたことである。詩を全く理解しない、みすずの心から一番遠い男であった。昔は、そういう政略結婚のような結婚でも、そう不思議とは思われなかった。

詩で飯が食えるか!」「魚屋に学問はいらん!」とか、「女は黙れ!」「飯は黙って食え!」とか、昔の男の中にはガンコに自分の考えを一方的に押し付ける人がいたものである。今の男には、考えられない古い時代の世界が当然のように広がっていた。古い日本の社会は、そうなんですよ。

 当時の男の常識だったかもしれないが、みすずの夫は花柳界に出入りして、夫の立場からすると、気のあわないみすずの顔を見ているより、女にチヤホヤされているほうがいい。そのうち、遊郭で性病(淋病)に罹患して妻みすずに移してしまった。これが引き金になって、離婚となる。最初子供(女の子)は、妻みすずの養育であったが、夫が気が変わって子供を渡せという要求をしてきて、当時の法律では妻が拒否できなかったのか

Misuzu その前夜、娘3歳と一緒にフロに入り、童謡をいっしょに歌い続けていたという。深夜、母や親族に遺書を3通書いた。母には「今夜の月のように私の心も静かです」昭和5年3月10日、上山英文堂二階でカルモチンを飲んで命を絶った。娘と一緒に撮った写真の預り証と三通の遺書が残っていた。

みすずの詩は、一切発表されていないから、突如発表されたように見えるが、昭和5年まで密かに書かれていた。書き溜めた詩はノート数冊に清書して、童謡詩に理解のあった弟正祐あてに送ってあった。その後、ずっと彼の手元におかれていた。

文庫本「金子みすず童謡集」角川晴樹事務所発行より参照

私の言いたいことは、金子みすずが愛するわが子を夫に奪われて、その苦しみを歌ったら、どんな詩がかけたか、それが私には興味がある。残酷な要求であるが、童謡から本当の詩人、人間の佳境に入ると思う。この部分は、ないものねだりであるが、芸術家の境地である。二十五で死んではいけないよ。まったくちがった詩が出来るはずだったと思う。

だだ、金子みすずは生きていれば、108歳くらいだ。子孫がまだ多くいる。彼女が生きていたころを知っている人も多い。詩は発表できないかもしれない。 安住紳一郎と米倉涼子 金子みすず巡り:

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2010年12月26日 (日)

99歳詩人柴田トヨ「くじけないで」貯金

99朝日新聞の『声』欄に『老いた母への週刊はがき通信』という題で毎週自分の母へ書き送っている話があった。身辺雑記を書いているが、書くことがないと、新聞から拾った話題を書いて送るとか。兄の家にいる母は、投稿者の須賀川通信に返事はしていないが、受け取ったはがきを炬燵の上において何度も繰り返し読んでいるという。

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その投書『老いた母への週刊はがき通信』というのがこれである。暖かい味わいのある文章である。紹介する。08

Photo_2 「最近、7月に天声人語に紹介された「貯金」という詩を書いて送ったら、とても感激して電話をくれた。その後、「くじけないで」という詩の本をプレゼントした。」と言う内容である。

恥ずかしながら、柴田トヨさんのことも、貯金という詩も知らなかったので、Webで調べた。インターネットは便利で、すぐわかった。

「貯金」 
私ね 人から やさしさを貰ったら 心に貯金しておくの
さびしくなった時は それを引き出して 元気になる

あなたも 今から積んでおきなさい
年金より いいわよ

日本には、昔から「積善」という言葉がある。甥の結婚式に「積善」を贈った記憶がある。唐傘が回ってきてそこへ言葉を書いてほしいということで、そこに書いた。いいことの貯金=「積善」である。「やさしさを貰ったら 心に貯金」、というより、「自分からやさしさを相手の心に貯金して」・・・という言う意味で書いた。柴田トヨさんも「積善」を昔から教えられていたのだろう。

 「秘密」
私ね 死にたいって 思ったことが 何度もあったの
でも 詩を作り始めて 多くの人に励まされ
今はもう 泣き言は言わない

九十八歳でも 恋はするのよ
夢だってみるの 雲にだって乗りたいわ

新聞に紹介され、NHKでも紹介されたので初詩集「くじけないで」を出したら、詩集など、3000部も売れたらヒットだというのに、柴田トヨさんの詩集は96万部売れたと書いてある。参考元

新聞に投書した本多さんのように、歳老いた親が健在なら、電話ではなく「はがき」でいいから手紙を送ってあげたら、喜ぶのではないだろうか。じーっと眺められる文字の方が楽しめる。電話の言葉は消えてしまう。

特に80歳以上の親は、これが最後かもしれない・・・そんな気持ちで伝えたいが、一期一会という言葉は知っていても、なかなかそうもいかず、気づいてみると、「親孝行、したいときには・・・」ということになる。年に一度は顔を見せてあげよう。

新聞の「声」のような投書欄には、記者の書く記事より多様性もあるし、いいアイディアがある。海老蔵の手打ちの話や、大桃美代子と麻木久仁子の取った取られたツイッター騒動(他人のモメゴトはミツの味というが)より、テレビはもっと紹介するべきだろうに、無視している。

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2010年9月20日 (月)

70年前の詩「町の辻」 敬老日に贈る

Photo  昭和3年に満州事件が起き、それ以後、日本はバタバタと軍国主義一色に染まってしまったが、それより少し前の時代は、意外と穏やかであった。それは、教科書の上からも言える。

その頃の最後の教育を受けた84歳の方が、尋常小4年、10歳のとき教科書に載っていた詩を投書していた。記憶のみで詩を思い出し書いているようであった。

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 この詩が全部わからないか、ネット上で調べてみると、孫の代になっては、正確に知っている人は少ない。かなり聞き違い、お年寄りは覚え違いをしているようであった。

 しかし、この国威発揚の教科書になる前、この詩を習った人は、「町の辻」の「雪解け道のぬかるみを、杖にすがりしとぼとぼと、歩み来たれる老婆あり」と、多くの10歳の心に強く残っている人がいた。

 「町の辻」
雪解け道のぬかるみを 
杖にすがりてとぼとぼと
歩み来れる老婆あり 
行き来の車馬の絶えされば
向こう側へ行きかねつ
老婆の前を右左
行き交う男女の多けれど
北風寒き街の辻
身なりいやしき老婆には
手を貸す人もあらざりき

米屋の小僧お得意へ  
米を運びし帰り道
ひらりと降りて自転車を 
角の下駄やに預けおき
すぐに老婆を導きぬ
  
下駄屋にありし人は皆
「年の若きに感心な」
かくゆう声を後にして
くにに 母親残すらん
彼の瞼に露ありき
下駄買う人も売る人も
下駄屋にありし人はみな
彼の姿を見送りぬ
さとすべき子にさとされし
小さな悔いを抱きつつ

『尋常小学国語読本~国定(3)期~』

 下駄屋で見ていた人が「年の若きに感心な」と語り合う言葉を尋常小4の子どもに説明抜きに聞かせておけば、いつしかそれが身になる。敬老の精神を押し付けでなく、体得してもらうのは難しいが、多くの80代は、10代で覚えた詩をそらんじている。きっとその詩に感動したのだろう。今私たちが読んでも、いいな、と思う。そういう感動こそが、教育の基本だと思う。

 国定教科書で、満州中国で事変拡大していくと、教科書の内容も変わってしまい、このような悠長な教育は打ち切りになって、いっせいに国威発揚の方向へ走り始める。日本人を軍部がコントロールする教育に乗せられてしまった。

 その教育に乗せられた私たち国民もアカンけれど、トップにいた人たち、どういう気でいたのだろうか。日本で最近、頭ではトップを行く人間がやった不祥事を列挙してみる。
「日本振興銀行の倒産」、(新銀行東京もあやしいから、預金している人、用心用心)、郵便不正事件での村木局長を有罪にしようとした検察、これらは、時代の歯車を自分で回す気でいる。
「国家の意思」を自分で操るところは、満州事変を起こした関東軍の参謀のような暴走を感じる。
教科書の穏やかな流れをかき回すことのないように願いたい。

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2010年6月21日 (月)

細川護熙、竹院に半日 閑す

Photo_13細川護熙は、かつては日本新党を率い、日本政治の中心にいたが、一夜にしてその座を投げ捨て、再び政治の表舞台に出ていない。(週刊文春6月10日号より

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潔いというか、あまりにも、日本の行く末、国民に無関心な態度には呆れる。もっと粘れよ、そんな気持ち出見てしまう。そういう意味で、ハングリーでない人は似た行動をとる。個人的には、言い分があるだだろうが、政治にはトンと興味を失っているいるように見える。

7 細川 護熙(ほそかわ もりひろ、1938年(昭和13年)1月14日 - ):日本の元政治家、陶芸家。公益財団法人永青文庫理事長。
参議院議員(3期)、大蔵政務次官、熊本県知事(第45・46代)、日本新党代表(初代)、衆議院議員(2期)、内閣総理大臣(第79代)、フロム・ファイブ代表(初代)などを歴任した。

肥後熊本藩主だった肥後細川家の第18代当主。後陽成天皇の14世孫にあたる。戦国武将細川忠興の子・熊本藩主細川忠利から数えて15代目の細川護貞と、近衛文麿の娘である温子との間の長男。現在の東京都千代田区に生まれる(本籍地は熊本県熊本市)。学習院高等科を経て、京都大学を受験するが失敗。一浪後再受験、またも失敗し、上智大学法学部を卒業後、朝日新聞社に入社。鹿児島支局を経て社会部記者となり、金嬉老事件などを取材。

今の仕事は?と、聞くレベルの存在ではないから、仕事をしていようが、いまいが、お殿様には、その種の質問は意味をなさないだろう。

Photo_14 「中国詩心の旅」という週刊文春の企画で、細川のお殿様は旅を楽しんでいるようだ。

左は、唐の詩人李渉(りしょう)「鶴林寺に題する」のテーマ「閑」をもて余している、という漢詩を書き下ろしたもの。声に出して読むと、漢詩はいい響きがします。

 一日中、酔生夢死の状態でぼんやりしていたが、もうすぐ春が終わると聞いて、思い切って山へ登った。
 竹の生い茂る寺院に立ち寄り、お坊さんに出会って語りあったところ、はかない人生にあって、得がたいのどかな数時間を過ごすことができた
。〈漢詩の意味)

Photo_15 中国江蘇省鎮江市竹林寺、上海のすぐ近くにある。その寺を訪ねて竹林と寺院を細川護熙が訪ねている写真である。この空見て感慨にふけっている姿が様になっている。

殿様は基本として、衣食住に不自由をしたことがないだろう。NHK大河ドラマ「龍馬伝」に土佐藩の山内容堂が出ている。容堂は、鯨飲、大酒のみで、庶民を人とは思わないような姿が見える。徳川方の大名だから、保守的名思想かと思っていると、攘夷に理解している時期もあり、時局が変わると、攘夷派を弾圧する。保守反動で通してくれたら、それなりの対応の仕方があるのに、困った殿様だと、維新の功臣が嘆く言葉を聞いたことがある。

Photo_2 熊本細川の殿様も、総理を辞めてから、敷地内に窯を築いて、焼き物に熱中していると聞こえていた。中国四千年の悠久の旅を読んでいると、ほーこんな時間の流れ方があるのか、人生味わうことのないまま時間にあくせくしている自分に驚いてしまう。

鶴林寺は、今も元時代の鎮江の寺となっているが、寺はその旧観を留めていない。程遠からぬ山麓の竹林の中に静かな一寺があって、僧の姿はなかったが、葉間から洩れる陽光に旅中の閑を得た思いだった。」これは細川護熙さんの文章のように構成されている。この余裕が、あくせく動き回っている庶民には書けない心境だ。

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2010年4月 8日 (木)

谷村新司さくら 八州廻り桑山十兵衛

「八州廻り 桑山十兵衛」を見ていたら、エンディングテーマが、心に響くなァ、と思ってその言葉を書き写していたら、ソレって谷村新司作詞作曲の「さくら 」という曲だった。

Topimg1 Castimgb_2 「八州廻り 桑山十兵衛」は、大衆娯楽の時代劇にしては、いいつくりだ。「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「子連れ狼」など一連の娯楽時代劇の中では、秀逸だと思う。北大路欣也の従者の一人河相我聞ではない方の、クセのある寺島進が好演している。子役の女の子もいい。

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 さくらはまた 今年も咲いた
 人の痛みを包みこむように
 さくらはただ咲く為に散る
 ただ咲く為に風に散る

Tanimura この気取りのないフレーズにしびれた。『誰が』とか、『なんで』とか、説明臭くない。それがいい。自然現象というか、森羅万象をあるがまま読んでいるようでありながら、真理を歌っている。谷村新司作詞の真骨頂だ。

51etf6nhel__ss500_ その前に、久本雅美の妹朋子の歌を聴いたから、余計にその点を痛感した。久本朋子って、「久本の可愛い方」と自称して笑いをとっていて、私も前から注目しているが、姉雅美の域にどうしていかないのか、と思っていた。 

 もしも世界があなたに冷たくて
 もう投げ出したくなったなら
 そんな時は電話してよ
 あなたを笑顔にさせたい
Days ~気づかれない想い~

主要なテーマに詩的リズムがない。素人の詩で、内容に普遍性が含まれていない。これでは、いくら歌手が上手に表情を載せて歌っても、聞く側に情感がわかない。多分シンガーソングのライターのつもりだったろうが、失敗してる。笑いではお姉ちゃんという強敵がいるから、歌へ行っている印象だが、イマイチ、歌の魂がつかめていない。

谷村新司作詞作曲の「さくら 」が無料で聴けないか、YouTubeで探したが、韓国でアップした映像動画ならあった。音がプツンプッツンと切れるのが欠点だが、谷村新司のさくら、雰囲気はわかる。

下の動画は日本のアップだが、谷村新司の姿はない。だが音声は聞ける。これはスムースに聴けるが、しばらくしたら、多分規定違反とかで聞けなくなる運命の動画ではないか、と思っている。最近やたらと権利関係が難しく、作り手の権利が強まっているのが、気になる。もっと多くの人が自由に聴いてもいいでないか、と思う。

歌詞 - さくら -
 作詞/作曲 谷村新司 -

泣きぬれた星の夜も 夕暮れの坂道も
夢破れ歩く町もみんな消えて

※気がつけば またここにいる
 思い出のこの場所
 あの人と見上げていた
 一面の薄紅色

△さくらはまた 今年も咲いた
 人の痛みを包みこむように
 さくらはただ咲く為に散る
 ただ咲く為に風に散る

生きてゆく意味教えて 誰か教えてほしい
さようならが人生なら 私は何

(※繰り返し)

(△繰り返し)

さくらさくら無常の道に
風を抱きしめひたすら揺れる
さくらさくら香りと色を
空に残して風に散る

音楽は心やすらき① 歌で脳活 人生いつまでも青春時代     ヨイトマケの唄 米良美一が歌う    泉のほとり ロシア民謡を歌った夜     夏川りみ 彼女の歌をYouTube聴こう    本田美奈子が歌うドボルザーク新世界     ちあきなおみ 冬隣 喝采 紅とんぼ     真夜中に倍賞千恵子を聴きながら     陽は、また昇る 歌詞 音楽つき    

音楽は心やすらき② 小倉優子音楽隊inオールスター戦    椎名林檎 天才か、はったりか     南から南から 三原純子昭和17年     新宿駅裏「紅とんぼ」ちあきなおみ     井上陽水 「いつのまにか少女は」聴く    手紙 拝啓15の君へ アンジェラ・アキ   佐藤しのぶ 品のある点が魅力    スーザン・ボイル中年の星   

音楽は心やすらき③ 親愛なる子供たちへ「手紙」樋口了一   イムジン河 加藤和彦の自殺はなぜ    秋の夜長 河島英五か、本田美奈子か    私の心は夏もよう 内館牧子と藤本敏夫   浅川マキ「こんな風に過ぎて行くのなら」   笑っていいとも 卒業歌ベスト5    谷村新司さくら 八州廻り桑山十兵衛

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2009年1月 9日 (金)

新宿駅裏「紅とんぼ」ちあきなおみ

00009 新宿駅裏「紅とんぼ」ちあきなおみが歌うと、なんでこんなにひきつけるのか、不思議な気がする。「喝采」にしても、「冬隣」にしても、死者を悼むより、死んでしまった人と同化して、自分も死にたい気分になって歌っているのが、惹きつける。本当はそういうのは、困るが、歌謡曲の世界では許されるのかもしれないが、いまどきのチャラチャラした歌と並んだら、訴える力は格段の差がある。

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Wikipediaによると、夫の俳優の郷鍈治(宍戸錠の実弟)が死んで荼毘に付されるとき「一緒に焼いて」と泣き叫んだという。狂ってしまいそうな気分、よくわかる。どの歌を聞いても、そんな雰囲気が感じられる。 ちあきなおみのキャラなんだろうか。個人的な感想であるが、人間の本源的な悲しみを背負っているようで、太宰治の主人公が持つような死への引きこみがある。

フリーターで、仕事の不安があって、一人自室に閉じこもっていて、彼女の歌を聞いていたりすると、地面の下へ引きこまれるような同感を誘う。オレには家族もいないし、生きていても楽しみもない、そんな気分で聞くと、彼女の歌の魅力に引き込まれてしうまう。新宿駅の裏でひっそりやっていた飲み屋さんを店じまいする情感、昭和30年から40年、まだビル群ができる前、人間同士のふれあい、それを歌い上げるとき、ちあきなおみには他を寄せ付けない情を感じさせる。

00005 ちあきなおみの「紅とんぼ1」「紅とんぼ2」、「紅とんぼ3」歌は3が一番情がこもっている。男の目からすると、こぼれてしまそうな、彼女の生き方をオレが支えてやりたい、そう思わせる何かがある。なんだろう。この引力のような弱さ、それが女の魅力か。

坂本冬美「紅あかとんぼ」藤圭子八代あき「紅とんぼ」 天童よしみの「紅とんぼ」もあるが、やはりなんといっても、ちあきなおみの情感を知っていて聴くと、格段の差がある。

昭和の匂いのする「ねえ、あんたYouTube もいいから、ぜひ聴いてほしい。この曲を女性が余技でまねすると最高だろうねえ、あんた2 

夫の死去以降は一切の芸能活動を停止。引退宣言もないまま現在まで公の場所には一切姿を現していない。(引用)

nozawa22: ちあきなおみ 冬隣 喝采 紅とんぼ  nozawa22: 吾亦紅 われもこう すぎもとまさと

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2008年11月 7日 (金)

なかにし礼 作詞家はラブレターから

Img_0504_2Img_0500_3左は平成5年で55歳、右は今年、平成20年は還暦ではなく、古稀、70歳だという。古稀の祝いをして、世話になった人を呼んで、盛大のパーティをしたようだ。出席者は、こしのじゅんこ、高嶋礼子、戸川昌子、菅原洋一、佐久間良子、いしだあゆみ(妻の姉)、長島茂雄など、数多の有名無名の人が集まっていた。徹子の部屋からの感想、記事。

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Img_0498 なかにし礼は、功なり、名を挙げ、押しも押されぬ作家になり、今は世界を船旅で夫婦で楽しんでいる人生であるが、彼の人生は、人との縁、一通のラブレターが「わらしべ長者」のように、才能もあるが、彼を育てくれた。その出会いを全部、消化して自分の栄養にしている点は才能であろう。その中の三人を人生を振り返るように黒柳徹子に語っていた。

最初のわらしべ シャンソン歌手石井祥子

その出発点を20歳、立教大学の学生でシャンソン喫茶のボーイをやっている時のエピソードを淡々と披瀝していた。アテネフランセでフランス語も齧っていた。その喫茶では、シャンソン歌手が実際に歌って聴かせるショーが行われていた。そのとき、石井祥子という歌手が歌っていた。美しく可愛いと思って、想いの丈を綴った手紙を渡した。その度胸というか、情熱があった。

本当はボーイが自店の歌手にチョッカイ出すのは禁じられているはずなのに、そういう行為に走るなかにし礼、この人はどういう神経しているのだろうか。自分の人生にプラスすると考えれば、よその家から枝に実る柿をちょっと失敬、そのぐらいの飛躍ができる人のようだ。チャンスはそうやって得ていくのかもしれない。待っていても、幸運は来ない。

Img_0489 ラブレターを受取ったシャンソン歌手、石井祥子は、センスがあるんだね。若い坊やみたいな、なかにし礼を呼んで、「こんな手紙、失礼だ」とは言わなかった。ボーイである「なかにし礼」はこの恋は実るとは期待はそうはできないだろうことは彼もわかていたのかも、傷ついてもいい、「ヘタな鉄砲も、数打ちゃ当る」くらいの精神だろうか。

「あなたの手紙、詩的で面白い。ついては、訳詩(訳詞)をやってみない?」とヒョウタンから駒だった。失恋の代償に仕事が舞い込んできた。そのシャンソン歌手石井祥子という人は不思議、ラブレターの文章を見て、訳詞ができると思うその感覚は特異だ。きっと若く見えても、かなり歳の差があったのかも。なかにし礼は20歳だった。

日本のシャンソン界は、活動が活発で、フランスから楽譜を取り入れ、ドンドン日本語に訳して歌い広めようとしていた時期だった。アルバイトをしながら、フランス語を習っていたから、辞書があれば、なんとか意味がわかる実力はあったので、引き受けた。

やってみたら、結構評判がよくて、その後、ドンドン仕事が来た。そのころ、ボーイの時給が23円で、一日10時間働いても、一ケ月フルに働いても7000円~8000円にしかならなかった。(黒柳徹子「NHKで一時間56円だったんです」)その当時は、「13800円」というフランク永井のうたが流行していた。大卒初任給が一万円くらいだった。

Img_0488_2 訳詞をやって、一曲で500円もらった。これは肉体労働から抜けられるチャンスだと思った。時給23円で残業しても、生活はそんなによくはならない。その当時住んでいたアパートは、隣りの部屋を二つに分けた3畳の間に住んでいた。こちらの戸を開けると隣りの部屋が閉まるような、構造であった。布団を出すと、ゴキブリがゾロゾロと出てくるので、薬局でDDTを買ってきて、布団を敷いたあとに布団周りにディディティをグルーっと撒いて、そうして寝た。

湿気で波打つような畳で、窓を開けるときは、開けますと言わないと、隣が顔出していると首をはさんでしまうから、要注意だった。夜家に帰ってきてから、30燭光の裸電球の下で、鉛筆なめなめ作詞をした。そして一晩で500円をもらう生活を続けた。このシャンソンの訳詞は注文が続いた。

満州にいたころは、母や姉は東京へ歌舞伎を見に、飛行機をチャーターして出かけるような豪勢な生活をしていた。それが一転、こんな生活は、彼にとっては最低生活であった。まだ満州から引き上げてきた彼には「まだ爆撃されたり、殺される恐怖と比べたら、平和はいい、それだけでもありがたかった、という。

二人目 シャンソン歌手深緑夏代

次のステップは、シャンソン訳詞続けるうちに歌を書くのは面白いな、と思うようになった。自分でも試してみよう、とCBCラジオ放送で募集していた歌謡曲を応募し、それに当選した。

Img_0491 古稀パーティにて それがレコーディングの場に作詞家として呼ばれ、立ち会った。それをレコーでイング吹き込みをしてくれた歌手は深緑夏代であった。彼女には「坊や」と呼ばれ、「坊や、いい詩をかくじゃない」と近寄ってきて「私が訳詞を頼むから、やりなさい」言われたのが、私を育ててくれた縁の人であった。彼女は宝塚の大スターだったが引退して、シャンソン歌手となった人。その時、私が22歳、彼女は37,8歳くらいだった。

その後、深緑さんの歌うレパートリーの訳詞をいくつも手がけ、よくお宅へ呼ばれて行った。そこで教えられたのは、高い音には、「イー、とかウーを入れると、歌いにくいんだよ。イーとやれば、喉にしわもよるし、声も出し難いから、高い音の所は「ア」「オ」を入れなさい」とか、最初、この歌は下向いて、段々上へいく歌だから、その言葉もそれにあわせなさい」と手とり、足とり教えてくれた。なかあにし礼には、ずいぶん勉強になった。それが、その後の歌謡曲を書く上にも、歌詞に役立っている。

僕のまじめだったのは、訳詞のお金は、1000円になり、1500円とギャランティが高くなって、それを全部貯めていたことだ。立教大学を中退状況になっていたを、4年遅れで改めて大学へ戻った。4年間分の学費を払って納入して卒業した。

家賃500円の五反田のボロアパートからようやく脱出して、九段へ映った。芸者の置屋の二階へ下宿する。夜になると、芸者衆が前も隠さず白粉を塗って化粧をする。「坊や、大きくなったら、私を呼んでね」とか「この辺で遊ぶようにならないと、ダメよ」と言われた。朝は三味線の稽古で目を覚ますような場所へ移った。

そして、立教大学へ入り直したころ、シャンソン界のとある女性と恋をして結婚するのです。24歳。そのころは、作詞で食えるようになっていた。

そして 石原裕次郎との出会い

20080219_267900

新婚旅行で下田国際東急ホテルへ行ったら、「石原裕次郎ご一行様」と書いてあるわけ。「裕ちゃんは映画などで見て知ってはいるが、何も緊張する必要はないのに、ホテル内は緊張でみなぎっていた。ホテルへ入ってから、ご飯を食べてから、僕と新妻がロビーに出て来ると、ザワザワしている。石原さんがカウンターに坐ってこちらを見てニコニコしている。そして、僕と目があったら、指で僕を招く区わけ。「僕ですか」と自分の胸を指さすと、ウンというので、彼女と二人で裕次郎の前へ行った。

「何ですか」そして「コンバンワ」と少々間が抜けた挨拶した。なかにし礼24歳、石原裕次郎はその4歳上の大スター。裕次郎は、独立記念の「太平洋ひとりぼっち」の映画を撮って、最後の部分を下田で撮っていたのだ。

「君たち、新婚か」という。「ハイ、新婚です」というと「今、退屈紛れにロビーにいる新婚カップルの中で一番いいのは誰だというコンテストをやっていた」という。そして「君たちが新婚という条件が叶っているから、一等賞だ」と、「一杯やろう!」とビールをご馳走してくれた。

「ところで、君は仕事は何をやっているんだ?」「僕は、シャンソンの訳詞をやっている」僕としては、シャンソンの訳詞なら多少文学的な意味でも歌謡曲より品位があるという気持ちがあった。「枯れ葉よ…?あんな歌か?あんなの、オマエ、くだらないよ。日本の歌を書け。日本人だろう?」と言われて、その言葉にググっときて言い返したかったが、反論しないで「はいはい」と聞いていた。

インテリの自負していたなかにし礼は歌謡曲をバカにしていたが、そこは、顔に出さないで、話を続けていた。石原裕次郎は「いいものができたら、もって来い」「オレがすぐ歌う」わけにもいかないが、協力してあげるから」と言われた。忘れようと思っていたが、頭の片隅に残っていた。「太平洋ひとりぼっち」は命がけで作っているから、必ず見てくれよ。そういわれて封切られてから見た。

堀江青年がハワイ沖でしけにあって、水を掻き出して船を助けたあち、一人きりで短波放送を聞くと村田英雄の「王将」が流れてくる。「吹けば飛ぶような将棋の駒に掛けた命を笑わば笑え…」と言う歌詞を裕次郎扮する堀江青年が吹けば飛ぶようなヨットに掛けた命を笑わば笑え…」と歌って、ホロっと涙を流すシーンを見て、歌っていいもんだな、と感動した。こんなに人の心を感動させ、心に残った歌が書けたらいいな、と思って、歌謡曲を書いてみよう。そんな気持ちになった。単純でしょ、となかにし礼は笑いながら、黒柳徹子にいう。

歌の力はすごいナと思って、自分でギターを弾きながら、一曲作ったのです。シャンソンを書いているから、自信があったのに、それは原曲があっての作詞訳詞だから、創作には役立ったなかった。自身があったと思っていたのに、コリャだめだ、と思うほどだった。

でも、今作れるのは、コレ、この程度しかない、とカセットテープに吹き込んで、石原プロへ持って行った。それが「涙と雨にぬれて」という曲です。石原プロへ行くと、温かく迎えてくれて、そのカセットをみんなの前でテープを回して、ヘタな歌が流れ、本人なかにし礼はいやになっていた。

「まあ、お預かりしましょう」と、通り一遍の言葉を聞いて、ホントに失敗したと脂汗を垂らす気分で帰宅した。それから、翌年、石原プロから電話があった。レコーディングに立ち会ってください、という連絡だった。38年に下田のホテルで石原裕次郎にあってから、一年半ごのことである。

作品は石原プロのヒロケイコというタレント+ロスインデオスが歌うのだった。曲は編曲者が手直ししていて、別の曲のような気分で聴いた。「いい歌じゃないか」と本人が思うほどによくなっていた。それが昭和40年で20万枚、翌年昭和41年に、田代美代子とマヒナスターズでも出されて40万枚。生まれて初めてのヒット曲になった。ヒット賞をもらった。

その後は、60代になって、「長崎ぶらぶら節」で直木賞ももらった。兄について書いた「兄弟」はテレビで放送された。作詞と小説で作家ということになる。

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2008年5月26日 (月)

「奥の細道」随行曽良は隠密か

01_2「奥の細道」の冒頭の一節は、有名でくどくどと説明すると、興をそぐと言われる向きもあるが、暗記しておきた日本の名文100には入っているだろう。

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。  古人も多く旅に死せるあり。  予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。  住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、  草の戸も住替る代ぞひなの家
(人の世の移ろいにならい、草葺きのこの家も、新たな住人を迎えることになる。これまで縁のないことではあったが、節句の頃には、にぎやかに雛をかざる光景がこの家にも見られるのであろう。)と発句を詠んで、面八句を庵の柱にかけておいた

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Photo芭蕉は40代の半ば、江戸時代の年齢感覚からいうと、現代の70代という年齢である。そのとき、家を処分して東北へ俳人として、一大決心してヒッチハイクに出る。それに弟子の曾良(30代)を連れている。この曾良の正体が不思議だという意見が多い。彼は幕府から何か言い含められて、探索の命をされているのではないか、その疑念がのこっている。

出発1週間前にきて、その一週間で幕命の指示を受けているという。東北仙台の伊達の意向をうかがい知ることではないか。

Photo_2 当時、多くの人は健脚で、一日に6時間~8時間は歩き続ける。50キロ程度は平気であるが。これは多い。今現代の人には、1日50キロを越す行程を3回はある。

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2008年2月 7日 (木)

夫ある女の恋 時実新子の世界

D0065324_22283232有夫恋川柳の世界で、えもいわれぬ人間の営みを描いた点で、秀逸である。夫があろうと、妻があろうと、自分の内側に燃え立つ炎ほむらは、通り一遍の倫理感で消せない。

彼女のフィクションか、実体験か、私は知らないが、その激しさにやや感動した。理屈で閉じ込めてしまうことで、人間は生活の平穏を保っているが、それでいいのか。

世界を征服したり、一躍名を上げて、注目される事業、研究で満足する、そんな Dream Come True もあるかもしれないが、「有夫恋」に身をやつすのもアリ、だろう。家庭、社会、年齢など、あらゆる枷から解き放されて生きたいのは、誰にでもあるさ。それを、多くの人は耐えている。

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D0065324_23293912 時実新子(ときざね・しんこ)本名 大野恵美子
1929年 岡山市生まれ
1945年 岡山県立西大寺高女卒
1946年 姫路市へ嫁ぐ(17才)
1947年 長女誕生(18才)
1951年 長男誕生(22才)
1985年 夫死亡
1987年 曽我碌郎と結婚(58才)
2007年 死去(78才)

彼女の作り出した世界、あえて「彼女の作り出した世界」というが、「狂」と呼ばれてもいい、そんな世界を持ちたい気持ちは、多くの少年、少女、青年なら持つ。壮年、老人でも、消えていない。

本のおびに「妻をころして ゆらりゆらりと 訪ね来よ」と女の情念がこめられている。これが川柳かと、私は思った。川柳は「笑い」と限定する人が多い中、時実新子は、異端を行くといわれていたが、あえて内面をさらす与謝の晶子と比較された。ここまで自分の心を見せて、これでもか、という印象がある。

十年以上前に発行されたばかりのころ読んで、いいなと思う句に付箋をつけておいたものがあった。

真夜中の女のいのち水欲しや

今があるのみいちどきに花降れよ

投身の鏡に揺れるマリア

斬っても斬っても女のくらがり

ふたたびの男女となりぬ春の泥

生涯胸を去らざるものに黒揚羽

☆抱かれたくなる 不意打ちのロック
☆象が膝折る 涙が湧いてくる
☆愛はそのとき物乞いに似たるかな
☆波の宿 別れてあげることにする
☆まして女の中を流れた十年よ
☆飛行機の昇る角度は恋に似る
☆飛行機の降りる角度は愛に似る
☆青梅を叩き落として夫婦かな
☆しずかに別れたかったけれど砂塵
☆火の女とて昼の戸を閉ざされる

☆獣姦求む急いで森の奥へ来よ
☆獣姦輪姦強姦この身まだ美し
☆男を脱ぐ青のしたたる朝なりし
☆きりきりと女極道月影踏む
☆梨の芯かなしいせっくすがおわる
☆人を信じた舟を一艘焼き尽くす
☆さくら咲く一人ころして一人産む
☆相愛の五月 血の音聴き給え
☆結び目の三十年の瘤の垢
☆血の中に今百匹のキリギリス

☆わが日々はサーカスもどき梅もどき
☆膝がしら涙受けんと生まれしか
☆裂ける雷(らい)ただひたむきの裸身たり
☆墓の下の男の下に眠りたや
☆鬼と暮らして鬼のふんどし洗いおり
☆ころしてよ頸に冷たい手を巻いてよ
☆こおろぎの顔つくづくと四十すぎ
☆菜の花の風はつめたし有夫恋
☆暖冬にうまく女を捨てましょう
☆よその男と命の芯をみつめ合う

☆指で梳く髪あしたからまたひとり
☆秋の日はつるべ落としよ重ね婚
☆離婚前王手王手の詰将棋
☆カザノヴァに逢いたや指の反るほどに
☆ビール缶ぺこんと暮らし荒れてゆく
☆じゃんけんの好きな男の妻になる
☆愛果てて蟻百匹と眠るかな
☆別れたらチロリン村へ行くつもり

俳句、短歌に馴染みのない人にも、すーっと溶け込んで読める。この読みやすさはなんだろう。本心、フィクションであっても、伝えたい言霊が宿っているような、言葉に命がある。ここに読みたくなるものがあるのだろう。

感想は読者各自のもの、私があえてこういう感想を持てとは言わないが、かなりインパクトの強い川柳である。何か覚醒されたようなエネルギーを感じる世界である。

、「英雄、色を好む」とは、あまりにも直裁過ぎるが、色恋を関心ないのはエネルギーが貧弱かもしれない。セックスのエネルギーがベースにあるのは事実であるだろう。それをどう表現するか、それをじっくり燃やす炎はこうして文学になる。

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2007年12月17日 (月)

写真俳句 いくつかの挫折も知りて雪の駅

真つき俳句は、作る側より鑑賞する側の理解の橋渡しになる。今後、これが盛んになりそうな予感がする。なにしろ、俳句集をもらっても、え?どう理解するの?と思うことが多かったんだよ。句集を貰っても。ほんと、ありがたいんだけど、なんと感想を述べていいのか、困ったんだ。写真つきならわかるじゃないか。

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021 寝る者も働く者も年の暮

狙いは特賞だと評価するが、写真が弱い。それから、この句の表現がもんきり型である二点がまずい。よって、優勝を逃したと思う。写真が先で句があとかな・・・もっと働く人の様子がわかるといいがね。この寒空に寝ている浮浪者の心が見えたら凄いだろうね。働く者も辛い年の瀬だろうね。

俳句と写真とのコラボレーションはいいアイディアだ。俳句の文字を絵によって表現すると、解説になるはずだったが、絵や写真で俳句の真髄が示すことができそうだが、果たして・・・・

022012_2 一本の彼岸花と棚田かな  彼岸花(まんじゅしゃげ)が咲く遠景に棚田は、うまい写真、全体が明るくていいな。

旬の味先ず値札から吟味する 値札を先に見てからやっと食べるものを決める現実の懐を描写が良い狙いだ。

013011_2 千の風ここに集めて浜の夏 写真は見ているだけで気分がいい。この句でなくても、いい。写真だけなら、これが一番。

いくつかの挫折も知りて雪の駅 雪国の空の重さ、空気の暗さを知らないから、勝手なことを言える。この句、奥深い表現で優勝、最優秀作品のなったようだ。

0200 

俳人を称する人の独特の言い回しで素人との隔絶がなくなる。映像で表現できない俳句も写真をつけてくれたら、独居俳人から、仲間俳人になる。俳句仙人が庶民俳人で、お互いに理解しあえる。いい試みである。

こんな写真つき俳句なら、オレも一念発起して俳句やってみるか、と思ったので、紹介してみました。俳句に懲りすぎて、意味不明なものが多すぎた。これなら短歌もそうしようよ。

ことの写真俳句と短歌 日常茶飯事 彩り 思いついた時に 自然が大好き

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