2009年12月 7日 (月)

12月8日 開戦記念日 海軍反省会

89958998 12月8日、リメンバーパールハーバー。真珠湾では、アメリカ人には、グランドゼロと同様に、アメリカ人屈辱の日として記憶に残っている。明日は真珠湾で「日本人憎し」を思い出す日になる。

海軍反省会400時間のテープをもとにNHKが開戦記念日を前に、海軍軍令部の特集した。

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ  ご感想  お書きください

9008昭和16年、対米戦争(太平洋戦争)を開始した開戦記念日に12月8日を前にしてNHKで、再び海軍反省会400時間の録音を取り上げた。これは今年8月13日だったかと思うが、そのとき始めて3日連続で特集した。

今回は録音を聞いて、半藤一利、澤地久枝、が出て彼らの見解を述べている。海軍内部では批判をそれなりにして、反省はそれなりに意味があるが、第三者の批判に耐えるものではない。

9044 今回、見直してみて、重要な発見は、昭和8年に軍令部が海軍の中で、法令をもって立場の強化をした点の指摘だ。これは作戦の中枢で、この法令を危惧した昭和天皇の心配も吹き飛ばしてしまう切り札は、皇族伏見宮博恭王をトップに持ってきて、他の批判を封じたことが、その後の予算獲得とか、戦争推進に寄与した。海軍幹部の意図がこの人事に込められている。

9043 伏見宮博恭王は、日露戦争にも参加した戦争経験者で、天皇より20数歳年上であった。こういう皇族が利用されていることも気づかず、自信もって意見を述べ、強気一辺倒で進んで行くのが、一番危険。強気な行け行け風な意見で押すと、単純で大向こうの拍手が多い。戦わないという意見は弱気で、大衆は喜ばない。慎重な意見の価値を伝えることの難しさがある。

もう一点では、戦争に進んだ理由として、第一委員会という戦争諮問会議みたいな委員会を作った点である。ここにエリート中のエリートを集めて、戦争経験はないかもしれないが、彼らが知恵袋、シンクタンクの役割を果たした。頭が良くて、作戦能力があると判断をこの委員会に任せた。永野総長でさえ、彼らの方針に任せてしまった、という見方をした。

ここで、欧米の圧迫が、この線まできたら戦争だ、という具体的なラインを決めていた。大所高所からの、展望ではなく、勝つための佐官クラスの技術的な方針を決めて、それが目標になった。それが石油の禁輸を上げて、それに追い詰められたら、戦争だとした点を批判することなく、第一委員会の判断に身を任せていた。大局的見地や諸外国との関係を考える政治的なトップ判断が欠如していた。

つまり、自衛行動として、マレーア半島へ軍事行動をすれば、イギリス、オランダ、アメリカが禁輸という手を打ってくる。アメリカが禁輸手段を取ったら、日本の生命線に触れる、それは第一委員会の決めた参戦のラインに達する。あえて海軍がしてしまう。そうすると、ワーっと日本国民が沸点に達する。それは、海軍としては、第一委員会が決めた戦争に打って出るデッドラインというお墨付きが簡単に手に入るわけだ。

そのとき、政治的なトップ判断が日本という国はできないし、それを手足の軍を止め、大衆を抑える、肝の据わったトップがいなかった。それに尽きる。

この流れを読めない人ばかりではないだろう。が、第一委員会という責任の所在の不明な組織に判断を任せて戦争へ突き進むわけだ。シンクタンクの役目をした第一委員会を解体して、大衆の国民的催眠から目を覚ますだけの力と行動力のある言論人か、政治家がいなかった。扇動家は大勢いるが、地味な役回りの良識人で止め男がいなかった。コレは、現代にも通じるだろう。

海軍の場合、
①軍令部強化、
②第一委員会のシンクタンク化。
③大衆の国民的な催眠
三つが、責任所在不明の潮流が戦争を進めた。

12月8日(昭和16年)真珠湾攻撃で大勝利、翌々年(昭和18年2月)シンガポール陥落と勝利に沸いた。日本国民がここで戦争を止めるという発想があれば、賢いだろうが、それが終結展望がないままドンドン進んだ。この戦争というものの止め方を国民に教育していないから、声の大きい武断的な人間がバカな戦争で国土破壊、国民大犠牲の敗戦になってしまった。これだけ悲惨な目にあえば、もう再び戦争はしないだろう、と思ったもんだ。ところが、どっこい、60年、70年経てば、そんなこと忘れてしまう。人間はそう賢くはならないもんだね。

これを半藤一利さんは「国民的催眠」状態で、沸き立っているから、ブレーキが利かないのだ、という。今の世でも、大衆を焚き付けてわーっと言わせて、そのエネルギーを利用しようとする輩が、東京オリンピックを招致しようとした。他の国の意見がそれを止めた形になって、事なきを得たが。

集団ヒステリー、あるいは国民的催眠、そういうものに気づかないのが、どこかの国民だから、ご同輩も、ご注意召されよ。

海軍には400時間の反省会記録が出たが、陸軍は反省する気力もなかったのか、あるいはみんな墓の中へ記憶を封じ込めたか。

以下関連ページ  日本軍」沖縄 集団自決、慰安婦問題  8月15日千鳥が淵戦没者墓苑に集合  太平洋戦争 開戦から学徒動員まで   嗚呼 満蒙開拓団 岩波ホール盛況なり  橋本艦長 回天出動せず 真夏のオリオン  陸軍中佐沼田正春 幼い息子に遺訓 ミサイルとMDに戦争の悲惨さはない 海軍軍令部はどんな反省をしたのか  12月8日 開戦記念日 68年目

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ  ご感想  お書きください

| | コメント (2)

2009年11月24日 (火)

好漢田英夫、反骨キャスター死す

01_2田英夫が死んだ。86歳だった。歳とともに、ぼけた感じになったが、若い時の田英夫は、カッコいい人だった。舌鋒鋭く、ニュースキャスターとしても容姿もスマートで、菅直人より、ずっとスマートな男で女性に人気があった。

Sty0812240319000p1_2Images_2Nakamura_2 このタイプは、美濃部亮吉、田英夫、菅直人、中村 敦夫に女をひきつける大衆にアッピールする類似した何かがある。

Den1_2 田 英夫(でん ひでお、1923年6月9日 - 2009年11月13日)は、日本のジャーナリスト、政治家。勲等は勲一等。参議院議員を務めた。貴族院議員や台湾総督を務めた田健治郎の孫として、東京府東京市(現:東京都区部)に生まれる。東京帝国大学入学直後の1943年に学徒出陣で徴兵され、その後、上官命令で震洋特攻隊に配属された。しかし、出撃命令を受ける前に終戦を迎え、命拾いをした。Wikipedia参照

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓
人気blogランキングへ  ご感想  お書きください

300pxshinyoboat 震洋(しんよう)は、第二次世界大戦で日本海軍が開発した特攻兵器。
小型のベニヤ板製モーターボートの船内艇首部に炸薬(約250kg)を搭載し、搭乗員が乗り込んで操縦。上陸しようとしている敵艦に体当たり攻撃することが目標とされた。末期は敵艦艇の機銃増加に伴い、機銃を破壊、到達するために二発のロケット弾が搭載された。

02 現TBSの『JNNニュースコープ』の初代のメインキャスター。ベトナム戦争取材を北ベトナムで行い、報道姿勢が反米的と自民党、福田赳夫幹事長が、TBS今道社長を自民党本部に呼び、TBS首脳部にTBSへの再免許不更新をちらつかせ、圧力をかけたため田英夫は降板したとされている。成田空港建設反対集会取材のさなか、反対同盟の農婦7人とヘルメットを着けた若い男3人を乗せたTBS成田事件の影響もあり、田英夫は、降板の経緯に触れることなく、「それではみなさん、また明日」を「それではみなさん、さようなら」と言い換えるのみでTV画面でから去った。1970年同社を退職。

この経緯が多くの人に知られていた、1971年6月、日本社会党から第9回参院選の全国区に立候補して192万票を獲得し、トップ当選した。このころが華だった。00003

2001年7月の第19回参院選では戦争に対する危惧から、以前より表明していた引退を撤回して比例代表区(社会民主党)から出馬するも落選。しかし、田嶋陽子の議員辞職に伴って2003年4月に繰り上げ当選となり、6期目を務めることになった田嶋陽子のあとに繰り上げになっていたとは気づかなかった。

好感が持てるタイプである個性が生かせる点で、ニュースキャスターが一番彼に向いた仕事であるようである。議員としては、野党にいたせいか、みるべき点が少ない。あまり転々と動きすぎた点が減点か、という印象がある。

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓
人気blogランキングへ  ご感想  お書きください

| | コメント (0)

2009年9月23日 (水)

軍用馬を徴用された体験談

7365 秋田県田沢湖村の近くに、西木村がある。有名な作家西木正明の出身地でもあるが、そので代々続く家へ訪れたとき、額に入った軍用馬の写真を見つけた。

仙北郡西明寺村及び檜木内村が合併して西木村

7369 今年、卒寿になる佐藤コメさん、「(その写真の馬は)ウチのチロです」という。その話は、聞いていても、涙が出そうになる話であった。

「卒」の略字(卆)が九十と分解できるため、90歳の祝いの言葉に使う。

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ
  ご感想  お書きください

昭和16年、女学校のとき、きょう生まれるか、まだか、とコメさんは楽しみにして学校から帰ると、毎日馬小屋にかけつけた。そこには、生まれたばかりのチロがいた。どこの農家でも、馬は大切な動力源だから、大切に育てていた。

ウチで生まれた馬だから、馬小屋に敷きわらをして、餌の世話もした。まるで自分の弟のように子馬のときから可愛がって育てた。コメさんの家は、村で一番の大農家で、広い田を耕すには農耕馬は大切な動力である。それをちょうど、これから力を出し始める三歳を迎えたころに、徴発するのだから、農家には辛いことである。

それが、昭和19年暮、軍用馬として徴用されると、通知がきた。コメさんには、家族の一員を奪われる気がして、耐えられない気持ちであったが、軍の命令に逆らえるものではない。国家への奉公は、当然の時代に、少女の胸の痛みなど、数に入らない。

1939年(昭和14年)4月に軍馬資源保護法が公布され、毎年の検査で軍用保護馬に指定された馬の所有者は、一定の管理や「鍛錬」への参加などを行ない、大日本帝国陸軍による徴発にそなえる義務を負うようになった。
昭和16年10月、陸軍馬政課の命により、仙台師団は戦時に必要な軍用馬を徴発するため、師団長直轄委員会を開き、必要な徴発馬の数とその条件並びに買い上げ価格を決定した。

出征してく兵士を送る気持ちで、彼女の名づけた名前「チロ」を駒ヶ根の神社へ連れて行き、武運長久を願って帽子、肩掛けなどで飾ってやった。

チロが徴用される頃は、戦雲怪しくなってきていたが、まだ、姉は満州の公務員宿舎で子ども四人と幸せに暮らしていた。弟は東京の大学に通っていた。その二人が、あと数年で、弟は戦死、姉は引き上げ間際に病死ということになっていくとは、そのときはまだ知らなかった。

馬を送り出す前に、薄紙の和紙にチロの送り出したわが家の住所を書いてコヨリにして、耳の陰に見つからないように編み込んでおいた。馬は軍用馬となると、どこの馬か一切わからなくなるのが通常だった。

チロはコメさんの世話で、丸々太った健康優良児として、言ってみれば、甲種合格であった。荷駄を運ぶ馬ではなく、人が乗る騎乗用の馬にされた。出征の前の日まで、「軍へ行ったら、餌をたっぷりもらえないだろう」と、普通の倍以上は食べさせて、体調を整えてやった。

馬小屋の中は、ワラを敷き詰め、ふわふわの寝床にしてやり、至れり尽くせりの大事にされて、送り出された。徴用され貨車に積み込まれたのを見たら、涙がでた。ふわふわにワラの上から、板張り有蓋貨車にぎゅうぎゅう詰めの状態で仙台の司令部から下関まで連れて行かれた。

下関では、大陸に渡る前に、もう一度身体検査され、日本内地で最後の日は、水をたっぷりのませ、飼い葉をたっぷり食べ、朝鮮半島の釜山へ送り込まれた。そして、あとは軍事機密により作戦地名は一般国民には知らされない。したがって、チロの着いた場所は一切わからなかった。中国国内であることは想像がついた。

昭和19年、チロが徴発されてから、半年が過ぎ、一年に近いころ、写真入りの軍事郵便がきた。「チロ(とは書いてないが)は、御国のために、懸命に御奉公に励んでいます」という手紙の文章だった。写真を見て、あのチロに間違いない。そう思うと、懐かしくて、懐かしくてうれしかった。内緒で住所を書いておいたあのコヨリを、馬を世話する兵隊さんが見つけてくれたのだ。

その文面に、愛情を持ってお世話してくれる人の情けが伝わってきた。しかし、チロが出征する前の福々しい姿はなく、以前の一割どころか、二割は痩せていた。つらい仕事に従事していることが伺われた。

送ってくれた将校の名前も住所も、手紙そのものが戦後引越しなどしているうちに、なくなって、今ではこの写真だけが残っているだけである。チロに乗っている兵隊さんを探す手掛かりはない。

姉は、昭和21年、子供四人を連れて満州を脱出しようとしていたが、5人目の男の子を生んだばかりで、気はあせったが、体力が伴わず、病気を併発して満州で没した。

チロは、その後、どうなったのか、どこで戦死したのか、あるいは中国人の手に渡ったか、それも亡羊として判らない。戦争に負けるということは、こういうことなのかもしれない。

東京にいた弟が学徒動員で、軍隊に入ることになった。体格に恵まれていた弟は、激戦の島へ送り込まれたが、輸送船が攻撃されたのか、昭和20年、戦死の通知は来た。しかし、どこで死んだのか、わからないままであった。

コメさん、語り終わると、「ウチでは、私一人が生き残った。憎マレッ子、世にはばかる、ってか。ハハッハハハ・・・」と、卒寿のコメさんは笑っていたが、笑い飛ばすしか方法がないだろう。

「釣りバカ日誌15」ロケ隊が秋田へ来た  戦後引き揚げ 故郷への道   シベリア抑留の話

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ
  ご感想  お書きください

| | コメント (0)

2009年7月27日 (月)

太平洋戦争 開戦から学徒動員まで

昭和18年のい末に始まったアメリカとの戦いは、昭和17年ミッドウエィの海戦までは、どっちかといえば勝っていた。シンガポールの英国軍を降伏させたし、アメリカは真珠湾攻撃でまだ立ち直れていなかった。

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ
  ご感想  お書きください

太平洋戦争 映像記録史 前編 1941~1943 72分の動画のなかに詳しく描かれている。始めてみたが、アメリカのフィルムを使っている部分もあり、非常に詳細である。

空母-太平洋戦争における海戦の主役 39分

00003真珠湾攻撃で、日本人の特徴というか、欠点だろうか、真珠湾攻撃で戦艦や航空機を300機破壊したとか、戦死者は3000人と戦果を数えているが、真珠湾攻撃で見落としているのが、軍需工場の破壊とか、石油、ガソリンの備蓄基地を無傷のままのこしている。直接の武器とか、船、飛行機を破壊して、たしかに成果ではあるが、補給、修理部門に攻撃がない。これだったら、すぐ立ち直るだろう。

00006 軍備とか、国力の差が明らかなら、後方の補給部隊を徹底的に叩くゲリラ的な使い方をしない限り、勝ち目はない。山本五十六は軍神といわれた戦略家だが、真珠湾攻撃で戦果は上げているが、敵の団結を目覚ましてしまった点では、政治家のセンスはない。

敵の厭戦気分、平和運動を国民が政府のやり方に反対デモせせたら、国力が二分するだろう。航空母艦4隻あれば、二隻が航行できなくなると同じ効果があると、考えないだろうか。

正直にぶつかるのは、早期決戦だと、山本五十六はミッドウエィ海戦を主張したが、その当時の日本の無線傍受はアメリカが進んでいたから、情報はボロボロ、筒抜けだった。そのことに日本側は気づいてさえいない。日本側には情報戦という意識がまるでない。日本軍の無線交信を傍受システムが数十人単位で行われていた。

00007 ミッドウエイ海戦の前には、日本軍がどういう戦略するか、想定していたが、日本側はアメリカの行動を予想できないから、ソレまで五分の戦いをしていたが、情報が遅いから、哨戒機が知らせで甲板に待機していた艦載機に陸上爆撃か、空母攻撃の魚雷か、判断に迷っていて、爆弾装備にしたところ、空母爆撃の魚雷に変更しろと、急に変わっててんてこ舞いしているところに、第一次攻撃隊が戻ってきた。

その戻ってきた艦載機が着艦した直後の時間に攻撃できるよう、アメリカ側は艦載機を発艦させた。日本側の第1攻撃隊の着艦と第二次発艦準備で手間取っている艦上を攻撃した。これで、日本の艦載機は着艦する空母がなく、燃料切れで海に落ちるやらい、船もろとも藻屑となった艦載機は300機以上あるという。しかし、ミッドウエイの敗戦は、日本政府軍部は一切国民に発表しなかった。

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ
  ご感想  お書きください

| | コメント (0)

2009年3月18日 (水)

インパール作戦 陸軍の良心宮崎繁三郎

76980970 現代の高級官僚にも、政治家にも、自分の立場と利益だけを重んじて、倫理感のとぼしいとんでもない人材を上に頂いていることがときにある。それを自戒する意味で、戦時中、命かけて部下を日本を思っていた良心的な武人宮崎繁三郎を紹介したい。ウイッキペディア参照

岐阜中学(現岐阜県立岐阜高等学校)出身。陸士26期。陸大36期。陸士、陸大での成績は平凡であったが、責任感がつよく、日本陸軍の良心といわれている。長男は、陸軍士官学校出身で元明治大学総長の宮崎繁樹。

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!   ↓   ↓
人気blogランキングへ  感想をコメント欄↓へお書きください。

インパール作戦は、投入日本軍将兵8万6千人に対して、戦死3万2千人余り、戦病者は4万人以上(そのほとんどが餓死者であった)帰還時の兵力は僅か1万2千人になった。参考ページ

1944年のインパール作戦は、第15軍司令官牟田口廉也中将による補給を無視した無謀な作戦で、多くの犠牲者を出した。牟田口中将の指揮下、宮崎は陸軍少将で、第31師団・歩兵団長として参戦した。彼は険峻な山岳地帯を自ら大きな荷を背負い、先頭に立って部下を率い、要衝コヒマの占領を指揮した。援軍や補給が絶たれて孤立し、同地撤退を余儀なくされた際には自ら最後尾を務め、少ない武器で巧みな戦術により見事な撤退を果たした。彼が単なる名将に止まらず、人格者としてまた理性的軍人として賞賛される要因になった。

彼は、負傷兵を戦場に残さないという信念の下、自らも負傷兵の担架を担ぎ、食料が欲しいと言われれば自らの食料を与えて兵たちを直接励ました。また他隊の戦死者や負傷兵を見つけると、遺体は埋葬し負傷兵を収容させ、日本軍の白骨死体で埋め尽くされた白骨街道を撤退し続けた。宮崎の、軍人としてのみならず、人としての倫理観をも滲ませた。

インパール作戦後に第54師団長となった宮崎は、1945年4月にイラワジ河下流付近で防衛戦を展開した。突如、上級部隊であるビルマ方面軍の司令官木村兵太郎大将が司令部を放棄し逃亡したため、指揮系統を失った宮崎師団は敵中に完全に孤立する事態になった。殲滅される寸前で重装備を放棄してペグー山系の竹林に逃げ込んだものの、第54師団は補給や連絡が途絶えて今度は全軍餓死の危機に瀕してしまった。そこで7月下旬やむにやまれず分散して敵中突破を試みたものの将兵の多くが死亡、目的地のシッタン河までたどり着いたのは半数以下であった。宮崎はそこでも粘り強く防衛戦を展開して、ジュウエジンで終戦を迎えた。

戦後は小田急線下北沢駅近くの商店街に陶器小売店岐阜屋を開き、その店主として清廉な生涯を終えた。今際の際、病床を訪れたかつての部下に「敵中突破で分離した部隊を間違いなく掌握したか?」と何度もうわ言を言ったという。宮崎はペグー山系からの敵中脱出時に多くの部下を失ったことを気にかけていたのだった。

陸軍大佐歩兵第16連隊長として参戦したノモンハン事件では、同事件唯一の勝利戦指揮官とも言われている。また停戦協定後には、機転を利かせて、駐留していた地域に日付と部隊名を彫った石を埋めさせ、そこは日本軍が占領していた地域であるという揺るぎない証拠を示す事で、国境線画定に大いに役立ったと言われている。これにはソ連側も驚嘆したと言う。

命の危険と引換えに、教え込まれた信念、公のために尽くす、全体のために礎になることは、たとえ儒教道徳の行き渡っていた戦前でも、逃げる人がいることは、人間として当たり前だったのかもしれない。作り上げられた思想だからだろうか。あるいは、命可愛いからか。危険から逃げる牟田口中将の方が人間として、自然な成り行きだろうか。宮崎繁三郎の作り上げられた人物像は、出来すぎ?

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!   ↓   ↓
人気blogランキングへ  感想をコメント欄↓へお書きください。

関連記事  キャリアの失言と愚将牟田口廉也  兵士たちの戦争 ガダルカナル白兵突撃 兵士たちの戦争NHKルソン島死闘  ルソン島で人肉を食う敗走日本軍    初年兵を死地にやった上官   ある憲兵の記録 日本人のDNA    戦争を知る人たちの記録    ビルマの竪琴(竹山道雄)VTR見る 

硫黄島からの手紙 映画館で見た   終戦 荒廃した国土 忘れるな   講和条約 日本は占領されていた  白骨街道 戦争の影響 疎開、食料など 日本軍の関与 集団自決、慰安婦問題  レイテ戦記  レイテ戦記2  レイテ戦記3  関東軍 機密費戦費まかなう阿片   ベトナム戦争沢田教一の写真から  インパール作戦 陸軍の良心宮崎繁三郎

| | コメント (0)

2009年1月17日 (土)

給付金NPO ホリエモンの提案

A071 給付金NPO ホリエモンの提案 テレビ番組「太田総理大臣」内で堀江貴文ホリエモンが語っていた。「国民に給付金を寄附してもらい、その溜まったお金をインターネット投票で使い道を決める」という提案である。

読み始めたら、ここで木戸銭としてクリックしてね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ  nozawa22ブログ順位見る

ホリエモンの提案、寄付金の運用方法は目を引く。
Horie_takafumi_aug_2005そのお金は、給付した人に与えられる投票権により、運用されます。その運営主体:定額給付金運用NPOには、NPOやNGOから出資の依頼申請をする。また金融機関は運用申請もできる。(出資希望のプレゼンは、動画やプレゼンテーションツールで提案する)
 寄付した投票権を持つ人たちが、その申請をみて、PCや携帯ネットで投票をする。1/2以上の得票があり、かつ、1/2以上の賛成があった出資申請や運用申請に、お金を出資、出金する

自分でそれをやるとは言わないが、それを誰かやってくれないか、その提案はいいアイディアである。以下引用した文章である。

ホリエモン「定額給付金NPO」設立案に参加しよう

株式会社ライブドア元代表取締役社長の堀江貴文氏が自身のブログで、麻生内閣が経済対策の柱として掲げる総額2兆円規模の「定額給付金」の使い道について斬新なアイデアを提示している。

六本木で働いていた元社長のアメブロ 思ったことを素直に書きます。一般的には、ホリエモンとか堀江とか呼ばれています。

大金使って、せっかく集めた税金を大金をかけて配るという世紀の無駄政策ですが、あきれてものが言えません

この公明党に引きずられた政策が強行されるくらいなら、定額給付金運用NPOを設立し、そこに給付金を集めて有効利用しよう。読者からのコメントで「ぜひとも活動に参加したい」、「直接民主主義の新しい可能性を実験する良い機会」など450件を超えるコメントが寄せられ、その多くがホリエモンのアイデアに賛同している。

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓
人気blogランキングへ  感想コメント↓お書きください。

| | コメント (3)

2008年11月22日 (土)

月尾嘉男 厚生次官殺害と昭和初期

Img_0787 長期的、広い視野で見ると、現代の犯罪は、昭和初期の情況に極めて似ている。1932(昭和7)年の5・15事件の発生。帝国海軍の青年将校は、その当時の政治状況に不満をもっていた。犬養毅首相を暗殺した事件である。と、情報ステーションで月尾嘉男は語っていた。昨日私の描いたことと似たことを言っている。世代が似ていると、同じようなことを心配するのだろうか。

☆読み始めたら、ここで木戸銭としてクリックしてね!
   ↓   ↓
人気blogランキングへ  nozawa22ブログ順位見る

月尾嘉男:愛知県名古屋市出身。愛知県立旭丘高等学校を経て、1965年、東京大学工学部建築学科卒業。1972年に都市システム研究所所長に就任。その後、名古屋大学助教授、教授を経て、東京大学教授に就任。2003年、東京大学名誉教授。建築デザイン・設計において、コンピュータ利用の草分け。また情報通信等を活用したまちづくりや地域起こしを提唱し、全国各地に自身が塾長に就任した私塾を設けている。情報通信審議会をはじめ、政府や地方自治体の審議会や懇談会の委員等を歴任。ウイッキペディア参照

1929(昭和4)年、ニューヨークの株式相場は大暴落し世界不況が広がって現代のサブプライムでまったく同じ状況が起こっている。1930(昭和5)年、ロンドンで海軍軍縮条約が結ばれ、日本は不利な条件で、軍艦製造を圧縮しなければならなかった。このことで、国民の不満は高まって爆発していた。海軍内ではもっと不満があった。

現在それに相当するのが、先週から開かれているG20(トゥエンティ)金融サミットで麻生首相はこの窮状を救うために20兆円のIMFへ融資を行う可能性ある、と公言した。国内の意見としては、そんなに余裕があるなら国内にもっと政策を行ってくれ、という意見があった。

もう一つ昭和初期は、大不況で地方では子どもを売るとか、女性は身売りをする悲惨な状況に陥っていた。そして、自殺が多くなっていた。現代も、自殺者は、昨年3万3000人以上になっている。現在は、今日本は格差社会が拡大している。女性の働く人の半分はパートタイマーである。男性でも2割(5人に一人)はパートタイマーになって、給与格差がドンドン拡大している。

それらのことを並べていくと、非常に今の社会の状況が、その当時に似ている。その当時から5・15事件が起きたことを考えると、こういうような事件が現代社会の不安定さとか、政治的な不満から鬱積しているから、また同じような事件が起こって来る可能性、大なりと思う。

時代背景とは無関係に起こった事件とも考えられるが、やはり5・15事件のあと、世の中で広がったのは、満州事変になり、日本の大変不幸な時代に突き進んで行ったのです。今の状況が必ずしも、そうならない保証もないから、ちょっと暗く考えすぎですが、そういう可能性を考えて、対処していかなくてはならないじゃないか、と思うのです。

関連記事 美しい国日本 という考え方  連続元厚生省次官狙いの世相背景  田母神たもがみ発言はクーデターだ  麻生内閣は定額給付金でつぶれる  自衛隊の自由 田母神空幕長  関東軍 機密費戦費まかなう阿片 戦前の軍歌は巧妙にできている 2月大雪 叛乱軍とくれば、国民の鬱憤  憲法9条と自衛隊の矛盾 どうする?  終戦 荒廃した国土 忘れるな 歴史認識を育てるには 空襲警報発令 昭和20年中津川市 月尾嘉男 昭和初期の情況を語る

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓
人気blogランキングへ  感想コメント↓お書きください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月16日 (日)

田母神たもがみ発言はクーデターだ

Img_0684 サンデープロジェクトで田原さんは、のっけから田母神発言はクーデターだ」と視聴率考えてか、すごいことを言い出した。たしか、この発言で、自衛隊内の空気がわかったが、国民の平和愛好意識からは、かけ離れていることはよくわかった。

☆読み始めたら、ここで木戸銭としてクリックしてね!
   ↓   ↓
人気blogランキングへ  nozawa22ブログ順位見る

Tky200811110313 いわゆる「村山談話」で近隣アジア諸国へ「日本は侵略してご迷惑をかけた」と謝って、専守防衛で戦争しない国だと宣言したことは、自衛隊の士気の高揚にはよろしくない。そういうことだ。

敵を威嚇する道具だから、少しでも日本の安全を脅かすなら痛めつけるぞ、という道具であり軍隊であることが任務だから、「村山談話」で手足を使えない状態では、猪木がアリと戦ったようなもので戦にならない、そういうわけだ。

Img_0669 長く自衛隊が平々凡々と過ぎてきたうちに、内部の教育は軍事的に力もつき、頭も軍事教育が進んでいる。将校クラスは田母神防衛大校長の息のかかった人が何千人といる。だから、「私が声掛けたら千やそこいらは応募す Img_0671_2 る」と言う発言につながる。

513dxc926nl_sl500_aa240_ つまり、本気で隊員に決起を促せば1000人は集まるという意味にも取れる。雪の226事件で、あの落語会会長になった柳家小さんは若かりし頃、駆り出されたと聞いた。

Img_0678 つまり、彼田母神のいう思想に同調者はいくらでもいるぞ、というわけだ。こんなにも、国民の願いと差のある思想で防衛されているということは、恐ろしい。ナイフを持っていると試してみたくなると同じで、軍事的に力つけてくると、実力を試してみたくなる。

自衛隊の隊員は、若いひとばかりで、トップでも50代の人で、60歳を越した戦争、この場合、太平洋戦争でその悲惨さを知っている人はゼロに近い。

Photo 田母神論文の内容を見ると、意外とシロウトの私が見ても、論拠の弱い、風説にちかいものを引き合いにして、都合よく論旨を組み立てている。

Photo_2 たしかにハルノートをやり取りしている間に、情報がアメリカ側に漏れて、ルーズベルトの謀略にかかって、真珠湾攻撃してしまったとか、アホの日本のトップがいたことを言わないで、日本の責任でないとか、聞いていてこれが空軍幕僚長のいうことか。

Photo_3 満州事変の仕掛け人は関東軍のやったことではない、と強弁するのだろう。そんな言いがかりは、自衛隊内でしか通用しない。その論理を正当化して言い募る、その姿勢は軍人としてどうかね。昔いた満州事変を引っ張っていった連中とそっくりだ。

頭の中は、政府見解に従わなくていいと思っている。それがまた「いつか来た道」へ向うのではないか、それが止められるように「文民統治」をアメリカ占領軍が日本に置き土産にしてくれたのに、60年たつと、使い物にならなくなる。

Img_0696 歴史を知らないトップがいて、その現役兵士たちは、そのトップのいうことを従ってしまう。21,2歳の現役の子たちは、1989年天安門事件の時生まれ、中学生で「湾岸戦争」、高校生でイラク人道派遣。戦争といえば「湾岸戦争」しかイメージしない。だから、指揮官レベルの論文でさえ、間違いだらけだ。

Photo_4その田母神参考人が自説を自信もって述べていると、それを追求する側の腰の引けていること。その様子がNHKテレビで放映されなかった。それは、国会議員の方が追及に自信がなかったせいだとか。

Img_0672 こうして、アパグループの懸賞当選という形で出れば、問題になる、それを知ってやったのなら、これは確信犯だという。彼は現役トップでこれがばれることを覚悟していた、という。そうして、自衛隊内の不満を世間に知らせて、論議沸騰させようという意図があった。そしてクビになるのは覚悟の「切腹」だと説明する。

三矢事件で緊急時、非常時対応を3軍の行動計画を相談した事件、こうした行動の文民統制下では、禁止されて、自衛隊にはストレス一杯状態を打ち破りたいマグマがある、そのことが計らずもわかった。その不満はその後も続いている証拠だろう。

Img_0689 軍を持つ限り、武器である軍が一人歩きする可能性、危険性はいつもある。軍の手綱をしっかり握る文民の力が問題。終戦御前会議でも、文官のほうが弱く、陸軍の某将軍のほうがヤッパリ強くてポツダム宣言を受諾できず、天皇の聖断にたよるあぶない決定だった。

文官のしっかりしたトップがいないと日本の針路はまちがっちゃうよ。軍が強い国、ミャンマー、フィリピンなど、軍人が政治を握るとか、クーデターが起こる。

関連記事 自衛隊の自由 田母神空幕長  ミズーリ艦降伏調印 責任者の責任  ポツダム宣言 阿南惟幾VS東郷茂徳 田母神たもがみ発言はクーデターだ

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓
人気blogランキングへ  感想コメント↓お書きください

| | コメント (3)

2008年11月 9日 (日)

白人至上主義

Photo_2 破れた共和党大統領候補マケイン氏は、 潔く民主党オバマ氏へ協力してアメリカが一体となって、やっていこう、と呼びかけているのに、それができない人、グループがいる。それが地下にマグマのように存在する。

☆読み始めたら、ここで木戸銭としてクリックしてね!
   ↓   ↓
人気blogランキングへ  nozawa22ブログ順位見る

この白人女性がそうだ、とはいわないが、頑なに黒人、黄色人種を軽蔑する人がいる。そして、白人が一番偉い、と思い込んでいる人々がいる。オーストラリアなどは、白豪主義といって、長い間、日本人の入植、移民を許さなかかった。

アメリカがオバマを大統領に選んだことは、黒人蔑視の時代からマーティン・ルーサー・キング Jrの民権拡大の歴史を経てきたが、未だに黒人は汚い、あるいは貧しい、と見ている気配がある。その上で白人は賢く、いい人たち、と思い込んでいる。

共和党の副大統領候補になったアラスカ州の知事、彼女は狂信的な白人優位を謳う右翼に乗っかっているだろう。本人はわかっていても、取り巻きの勢力が、白人優位の勢力の象徴に祭上げられて、その勢力を利用する。

このグループは、アメリカライフル銃協会の勢力につながる人が多い。人間の基本的な欲求である自己保身、安全が他を排除する方向へ向う。これが他民族国家になると、肌の色が違うと排除することないなる。そのために、グループ化する。こういう人たち、ガンコで他人の意見は聞かないから、理解しあうとか、妥協というのができない。困ったものだ。

それが、共和党の一部に組み込まれているから、始末が悪い。無党派層の拡大で、今、アメリカの多くが白人ではなく、他民族のヒスパニック、黒人、中国人、中東の人、メキシコ人と多くの人が集まって、なおかつ混血ハーフ、クオーターが増えて、その頂点にオバマが立った。

そういう大統領が、アメリカに必要であるとわかってきた証拠、それを自分たちの要求のわかる人だと思い始めたのだろう。偉大な人種の実験場がアメリカということ。今後、人種のルツボになったとき、白人優位なんて言っていられないだろう。

白人の肌はメラニン色素がないから、太陽光、紫外線に弱い。混血の子は、概して強い、丈夫な子になる。人間は実験ができないから、わからないが、各種民族に肉体的な長所を生かした人種改良は可能性はある。実際にそれをやった例はない。

ヒットラーのナチがやったのは、知能と体格を基準に優秀なドイツ男性と女性を指名して結婚させて、ゲルマン民族を造りなおそうとした。論趣が違うので、この話はここまで。

しかし、自分の考えを、キリスト教の一派が擁護し続ける考えで突っ走ると、これは混乱、対立の軸になってくる。宗教は、その意味では、困った存在である。いつも争いの火種になる。自分の考えができない連中を巻き込んで、えさを与えながら、拡大して、敵を見つけては内部を固めて、勢力を大きくする。

そういう勢力グループができないようにするには、各自が自分の考えで進める人生でありたい。そのためには、自分の力で考えるインデビジュアリズムindividualism、本当の個人主義が必要である。

これは、日本の宗教、特に新興宗教で、末端の信者が考えることを放棄している姿を見ると、それを痛切に感じる。

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓
人気blogランキングへ  感想コメント↓お書きください

| | コメント (0)

2008年8月31日 (日)

関東軍 機密費戦費まかなう阿片

1411 板垣征四郎、東条英機が、日本政府の不拡大方針に逆らって、関東軍を動かして中国で戦線を拡大して勝手な行動できたのはなぜか。日本政府が予算を付けなければ、彼らは行動ができないはず。暴走の裏に阿片があったということを「兵士の戦争、NHK証言シリーズ」で紹介していた。二人とも、A級戦犯で絞首刑、靖国神社に合祀。問題の人物である。

00002 満州国という独立国は、日本からは心のトゲのように語られるが、若い人には「満州国って何?」と思われるくらいの存在だろう。満州の位置は北朝鮮の更に北にある中国大地(緑色部分)だ。

☆読み始めたら、ここで木戸銭としてクリックしてね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ  nozawa22ブログ順位がわかる

次に、「関東軍って何?」関東軍:日露戦争後にロシアから獲得した(遼東半島=関東州)租借地と南満州鉄道(満鉄)の守備をする関東都督府陸軍部が前身。1919年改組後は、関東軍として独立。当初は独立守備隊6個大隊と2年交代で内地から派遣される1個師団の編成。と説明しても、それで?と言われるかもしれない。

そこで関東軍を勝手に動かして、中国で戦線拡大した、板垣征四郎東条英機がいた、といってもよくわからないかもしれない。彼らの行動を通して、戦争が起こる原因を追究してみたい。

Tojo2 東條英機は1884年(明治17年)7月30日、東京市麹町区(現在の千代田区)に東條英教陸軍歩兵中尉(後に陸軍中将)と千歳の間の三男として生まれる。 本籍地は岩手県。長男・次男はすでに他界しており、実質「家督を継ぐ長男」として扱われた。番町小学校、四谷小学校、学習院初等科(1回落第)、青山小学校を経て、1897年(明治30年)、東京府城北尋常中学校(現・都立戸山高等学校)に入学する。
 1899年(明治32年)、東京陸軍幼年学校入学(3期生)。1902年(明治35年)、陸軍中央幼年学校入学(17期生)。1904年(明治37年)、陸軍士官学校入学(17期生)。 英機は、現役軍人のまま第40代内閣総理大臣に就任した(在任期間は1941年(昭和16年)10月18日 - 1944年(昭和19年)7月18日)。
ウィキペディア(Wikipedia)

Itagaki_seishiro 板垣 征四郎(明治18年(1885年)1月21日 - 昭和23年(1948年)12月23日)は、昭和期の陸軍軍人である。満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣などを務めた。敗戦後、東京裁判にて死刑判決を受ける。現在は靖国神社に合祀されている。元参議院議員の板垣正は次男。
 岩手県盛岡市出身。盛岡中学、仙台の陸軍幼年学校、陸軍士官学校(16期)で学び、陸軍大学校(28期)を卒業。父は旧盛岡藩士。実家は日蓮宗の信徒。 
 昭和4年(1929年)に関東軍の高級参謀になった。昭和6年(1931年)、石原莞爾らと謀り、満州事変を実行。昭和7年(1932年)、建国した満州国の執政顧問となる。次いで満州国軍政部最高顧問(1934年8月~12月)、関東軍参謀副長兼駐満大使館付武官(1934年12月~1936年3月)、関東軍参謀長(1936年3月~1937年3月)。二・二六事件後の皇道派の掃討のあとは、いわば「東条派」との対立の中で「石原派」の重鎮として、第一次近衛内閣で陸相に就任。宇垣外相による日中和平交渉に際しては、「蒋介石の下野」を講和の条件とする強硬論をぶち上げ、交渉不成立の原因を招いた。平沼内閣でも陸相を務めた。その後は、支那派遣軍総参謀長に転出し、1941年に大将に昇進したと同時に朝鮮軍司令官となる。昭和20年(1945年)4月、第7方面軍司令官。一流の軍歴を歩んでいるが、部下の参謀や少壮の将校達の言うがままに動くところがあり、「頭に祭り上げられる型の軍人」と評する声もある。
ウィキペディア(Wikipedia)

1376 勝手に出先の関東軍が、日本政府の言うことを聞かないで軍を動かすことができるだろうか、その疑問を解いたのが、NHKの調査報告「日本軍と阿片」だった。参考ブログ←紹介

003029a1347_ro10yen日本軍は軍隊内で通用する「軍票」がある。しかし、中国内では誰もこの軍票を価値ある貨幣だとは思っていないので、殆ど使えない。軍の権力で通用させて、多くの中国人はこの軍票を持っていて、これを買い取ってほしい、という。現金として物を買って払ったのが軍票なら、それが単に紙切れ・・・となれば、当然中国人は怒るだろう。未だに戦後処理が行われていない、軍の犯罪である。

昭和12年、盧溝橋事件以後、戦線拡大で日本軍は中国内で占領地に傀儡政府を作っては我が物顔をして、中国国土をほしいままに使っていた。清朝が倒れていない、国民政府ができる前の中国は、国自体が疲弊して、押せば今にも倒れそうな状態で、香港、マカオとか、99年単位でイギリスやフランスに立地のいい場所を租借された。99年たって、ようやく香港は中国に戻ってきた。戦前の中国は、西欧列強に食い荒らされた場所だった。

日本政府は、「戦線を拡大する意思はない」不拡大の意思を明言したにも係わらず、関東軍、板垣征四郎辺りの強硬派がどんどん中国内部へ領土拡大していった。そのさい、内地政府から予算が付かないのは当然である。機密費が必要だから、ということで、関東軍の知恵者が阿片に目をつけた。戦時中、日本の戦費は年間予算の70%を越す。そんな状態で戦線を拡大した分に予算が付けられるはずがない。

そこで、阿片を現金代わりに使うのが当然のようになっていた。特務班を中心に、中国人をスパイに仕立てて、敵情を探らせていたが、お金の代わりに阿片を持たせたという。

13901391 特務班の班長だった人が、阿片はこのくらいだと見せてくれたのはアメの包みだった。これが10粒で、一ケ月の給料くらいした、という。一粒が1万数千円の価値がある、ということだ。軍票をもらうより、ありがたいことになる。

1387 証言している特務隊の班長だった人は、官給品の阿片を10粒、県庁でもらい、それを資金として活動をするのだという。ポケットにそれを入れて、阿片窟へ行って阿片の暗号で小指を立てて「いりませんか。要不要ヨウプヨウ」と取引するのだと説明した。

1367 阿片はケシの実を傷つけて、そこから出る汁を削り取って貯めると阿片の元になる。そんな説明はあまりよろしくないが、それを軍が目つけた。日本軍は金欠でお金がないから、それで阿片栽培して、それを精製して、機密費にしたり、軍費にしていた。阿片争奪戦(第80話)に詳しい。歴史研究家:岡崎溪子

これ阿片の害は、人間を破壊する。ヨーロッパ列強が中国で、阿片戦争をやって、もう骨身にしみていけないもだと、方向転換した後に日本がイギリスの真似をしているわけだ。散々ヨーロッパ列強諸国が甘い汁を吸ったあと、日本が50年遅れてやると、ダメだと文句言われている。満州国設立もヨーロッパの植民地政策の真似。国際連盟の委員会で、非難勧告されて、日本軍はそれをおっぴらにできないから、取り扱うように偽装組織の民間機関に任せた。それが宏済善堂である。アメリカの諜報機関は、既に日本軍は阿片の取り扱いを偽装慈善団体で行う、と報告書に書いている。(戦後資料で発見)

中国戦線が広がると、中国政府は、日本の中国侵略を国際連盟に提訴して、制裁を発動するように求めた。それに応えて、連盟は第16条(経済制裁)を与える権限を与えた。この一連の行動から、ついには連盟の機関との効力関係を停止を通告した。日本が国際的に孤立していく道を選んだ。

Img_1462 益々中国内で占領地を増やして、占領地に傀儡政府を樹立した。その費用にも、阿片から得た利益をつぎ込み、武器弾薬の費用をまかなった。阿片は内モンゴルの農家を動員して大量生産していた。年間33トン、金額にすると、現在の金額で110億円に上った。その当時、阿片で得た金額はほぼ南京政府の年間予算に匹敵した。

1373 宏済善堂の副代表をしていた中国名李鳴(日本名:里見甫)は、東京裁判(国際軍事法廷)で証言している。宏済善堂へ阿片が送られてくると、それを売りさばき、最初は関東軍に治めたが、南京傀儡政府ができると、そっちへ納めたと言う。東條英機、板垣征四郎の関与も証言した。

里見 甫(さとみ はじめ、1896年1月12日 - 1965年3月21日)は、関東軍と結託しアヘン取引組織を作り、阿片王と呼ばれた。中国名李鳴を名乗って活動した。
 満鉄総裁に就任した後藤新平は、台湾総督時代に阿片の専売化・漸禁政策により、アヘン戦争以来中国に流入、蔓延していた阿片売買を独占する。満州でも同様の政策を実行し、阿片利権は三井物産および
興亜院主導で設置された宏済善堂理事の里見に託される。関東軍の影佐禎昭大佐の指導で中国の地下組織青幇や紅幇とも連携し、上海でのアヘン密売を取仕切る里見機関を設立。阿片によって得た莫大な利益を関東軍の戦費に充て、一部は日本の傀儡であった汪兆銘政権に回した。(8%が宏済善堂の利益)ウィキペディア(Wikipedia)

1476 興亜院(こうあいん)は、昭和13年(1938年)12月16日に設立された日本の国家機関の一つ。中国大陸での戦線が拡大し占領地域が増えた為、占領地に対する政務・開発事業を統一指揮する為に設けられた。長は総裁で、内閣総理大臣が兼任した。総裁の下に副総裁4名と総務長官、政務部・経済部・文化部の各部長で構成された。ウィキペディア(Wikipedia)

00008_2 8月15日靖国神社2008年 Ⅰ  小沢昭一が戦中、戦後を語る  兵士たちの戦争 ガダルカナル白兵突撃 兵士たちの戦争NHKルソン島死闘  ルソン島で人肉を食う敗走日本軍    初年兵を死地にやった上官   ある憲兵の記録 日本人のDNA    戦争を知る人たちの記録    ビルマの竪琴(竹山道雄)VTR見る 

硫黄島からの手紙 映画館で見た   終戦 荒廃した国土 忘れるな   講和条約 日本は占領されていた  白骨街道 戦争の影響 疎開、食料など 日本軍の関与 集団自決、慰安婦問題 被爆死体片付けた 広島高師の学生 美しい国 命をかけた祖国  戦争を知る人たちの記録  レイテ戦記  レイテ戦記2  レイテ戦記3  関東軍 機密費戦費まかなう阿片   ベトナム戦争沢田教一の写真から

☆今後とも、励ましクリックよろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ  感想をコメント欄↓へお書きください。

| | コメント (3)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

Eラーニング | うちの仕事 | おすすめサイト | その時歴史 | アメリカ関連 | アンケート入力 | アンケート集計 | アーカイブス切抜き宝庫 | ウェブログ・ココログ関連 | ギャンブル | グルメ・クッキング | ゲーム | スポーツ | テープ起こし | データ入力 | ニュース | パソコン・インターネット | ファッション・アクセサリ | ベトナム | ペット | マスコミ | メール | ランニング | ロシア問題 | 世界、地球 | 中国と中国人 | 人生訓 | 人間の本質 | 住まい・インテリア | 余暇の善用 | 健康 | 先生、教師 | 創価学会、公明党 | 動物 | 北朝鮮問題 | 医療 | 友人 | 国際政治 | 外国習慣 | 季節景色 | 学問・研究 | 学問・資格 | 学校・受験 | 宗教 | 宝飾アクセサリー | 家族 | 平和 | 年賀状 | 心と体 | 恋愛 | 恋愛、愛 | 意見・主張 | 愛国心 | 慶事 | 慶事おめでとう | 戦争 | 戦後日本の問題 | 手紙 | 携帯・デジカメ | 政治 | 故郷追憶 | 教育 | 文化・芸術 | 旅、旅行、見聞 | 旅行・地域 | 日本文化 | 日記・コラム・つぶやき | 映画・テレビ | 書籍・雑誌 | 東京見聞録 | 歌、メロディ | 歴史 | 歴史文化 | 死の門出 | 環境エコ | 生き方 | 生活 | 病気 | 社会問題 | 私の提案 | 経済・政治・国際 | 経済・金融 | 結婚 | 美容・コスメ | 職業プロ | 育児 | 芸能・アイドル | 草花 | 言語問題 | 詩歌 | 読書 | 財産形成 | 趣味 | | 選挙 | 野球 | 録音起こし | 青春時代 | 音楽 | 食べ物、食文化