2012年7月23日 (月)

先生の根回しで?イジメ防止

Photo 担任の先生は忙しくて、生徒一人ひとりにまで、注意を払っている余裕がないというが、教育の専門家であるプライドを捨てては、先生失格でしょう。
 生徒間のトラブルを事前に察知して、手をうつくらいの手段を講ずることができないでは、プロではありません。教科の専門知識も大事ですが、モット大事なことは、生徒管理でしょう。管理というと、機械的な感じがしますが、担任のクラスが崩壊するような学級運営では困る。

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 全国のクラス担任が、うまく行くクラスばかりではないだろうが、投書の主も、生徒の担任がそういう点で、よくやってくれたのだと思う。いい先生にめぐりあえるのは、幸運かも。

しかしね、昭和も50年か、60年以降は、学校制度によって、先生が締め付けられ、先生自身も、こうしたい、ああしたいと思っても、雑事が多くてというが、土が休みという流れで休日が多くなったのと比例して、多忙になったように見える。安定した収入のある家庭は、私立学校へ行かせようとする親が多くなる。

 昔の話をしていいかな、
 先生が学校に泊り込む宿直、コレは夏目漱石「坊ちゃん」で、坊ちゃんの布団にイナゴをたくさん入れて驚かす話があるが、学校の決まりで、男の先生だけは、順番に宿直していた。それが近年、ガードマンになったし、侵入者がいると警備会社に連絡がいき、ガードマンが駆けつけるようになった。

 夏休み中、担任が宿直の日は夏休みの予定表に◎がついていて、行くところがない生徒たちは集まってくるのがイベントであったりした。勉強を教えてもらいに来ていいとか、星を見たり、花火をグランドでやったり、スイカを食べたり・・・。田舎の小学校や中学校では、こういう里山風俗があったような気がする。それが、消えていったのは、人間の何がそうさせているのか、みんなが考える問題だ。

 イジメが、その時代になかったかというと、人が集まると必ずある。小学三年で、チビのU君が少し大柄な男の子の背中に乗って、あっちへ行け、アイツをやっつけろ!と指示して、ターゲットにされたことがあったが、長くは続かなかった。
 六年生のときは、O君とは後に親しくなったが、運動会の道具倉庫から荷物運びをやっているとき、しつこい妨害をして“イジメ”状態になったので、ガマンしきれず、勝てる相手かどうか、わからなかったが、油断していた顔に一発拳骨を見舞ったら、引いてくれた。しかし、その後は、私の帽子を奪って、二階の窓から校庭へ投げられて、そのときもくやしい思いをした。
 一発殴ったのが、後の出来事であったかもしれないが、その後は、O君とは高校まで一緒であったが、良好の関係を保っていた。彼が、始めて年賀状をくれた人だった。集団リンチのような暴行は、受けた経験はないが、危なかったときは高校の弁論大会で、応援部のやり方を批判したら、呼び出された。

 そのときは、20人くらいの応援メンバーが、待ち構えていたときは、やられると覚悟をした。そのときのリーダーが同じクラスのK君で、それ前に、担任が「野沢を守ってやれ」と他の生徒に言ってくれていたし、たぶん、その雰囲気を察してK君にも、何か伝えていたと思う。だから、私の「弁論」批判に応援メンバーが「やっちゃえ!」といって盛り上がりかかったとき、「待て待て」とK君が止めに入ってくれたので、その場は収まった。

 中学生のとき、二年、三年担任の女の先生は、せっせと家庭訪問をして、家庭の事情を把握して、コミニケーションをとって、反抗期の男の子たちを押さえ、二年間、無事送り出した。
 その間に、文集を二回つくり、文化祭で劇を二回、音楽会二回、生徒会選挙半期ごと年2回で計4回あった。二年間で、近郊へ二時間、三時間歩いて出かける遠足があった。春秋と合計4回あったはずだ。悲喜こもごも、盗難事件あり、怪我、骨折したとか、けんかあり、ホームルームで遠征あり。市内流れる川の清掃と花壇づくりあり・・・、教科書を家に持ち帰らないで、教室に専用書架つくってしまう生徒会長がいたり、文集には生徒の力を結集して、謄写版で印刷し、製本までした。充実した中学生生活であった。

 その中で、高校受験の勉強はしたのだろうか。家に帰って復習した程度で、受験勉強らしい勉強はしていない。
 その中で、いじめ・・・は、中学で止める子が半分いたので、その子たちには、高校受験の勉強している他の子の姿が、どうだろう、彼らの人生にはイジメにも見えたかもしれない。
 “恩讐の彼方へ”行ってしまっただろうが、生徒同士では、小さな意地悪はあった。Kさん、中学までしか行かなかったが、隣の勉強のできるBさんが意地悪でいやだったと同窓会で告白していた。

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2012年7月12日 (木)

「メガネはずせ」 往復ビンタ 昭和の匂い

 今、自伝の電子本を作成しようと、やっていると時間がいくらあっても足りない。試読、立ち読みできるように「少年に往復ビンタ」 をnozawa22の読者に一足先に紹介する。

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 往復ビンタ、懐かしい言葉になったが、昭和20年代、こういう人を制裁する手段が存在した。
 まだまだ軍隊の残影が人々の脳裏に生々しく残っていた頃の話である。痛みを知っているアナログの昔は、往
復ピンタには効果があった。一度痛みを知らされることで、序列ができるし、同じ過ちをさせない効果があったのではないか、と思っている。
 Y家の誠ちゃん、3人兄弟の真中で中三だった。お父さんは本州製紙の工場長で、本州製紙の工場長の自宅が
本町にあった。池があり、庭があり、広かった。Yさん一家は、都会の人の感じがした。
 私の長兄が東京で結婚式したとき、東京に転勤していた誠ちゃんのお父さんに仲人を頼んだ。そんなつながり
もある。誠ちゃんはN家の聖ちゃんと同級生で、二人は中学の野球部のレギュラーで仲良しだった。
 その頃、町の練習場で卓球するのが流行っていた。
 花菱町の和菓子の老舗「梅信」から来ると、道路を屋根で覆った卸売市場八百健がある。その近くに卓球台が4台くらい置いた卓球場があった。
 我々小学生の子分たちは、中学生の誠ちゃん、聖ちゃんと一緒に遊ぶというより、先輩の取り巻きで付いて回った。中三と小五では格段の差があるから、それが当然であった。その日は二人が卓球をしに行くというので、卓球なんかしたこともないし、やらせてもらえないが、ついて行った。中学生の先輩も、チビたちをなんとなく世話してくれていた。
 中三の誠ちゃんは卓球ラケットをシェイクハンドで使っていて、ラケットの柄の部分を長くして持ちやすくしていた。ラケットの柄尻が凹にへこんでおり、特徴があった。球のはじき具合も研究し、ラバーの張替えも自分でしていた。小五から見れば、とにかく中三といえばなんでも出来た。偉大であった。この頃の四,五歳の差は大きい。自転車のパンク修理も、門松の建て方、山へ行ってゴイサギの捕まえ方も、知っていた。

 ラケット持っていた二人が、球の打ち返しか、試合だったのか、ラリーを1時間もやっていたかな。ラケットをどこかに置いて休憩していた。次、再び卓球をしょうとしたら、誠ちゃんのラケットがなくなっていた。中学生の誠ちゃん、聖ちゃんの二人は、探し回っていた。
 近くにいた中学生の包みを触ると、ラケットの柄の部分に特徴があった。シェイクハンドのグリップの凹凸部分が誠ちゃんのと同じだった。凹の部分を触れて、少年を呼び、包みを開けさせた。果たして誠ちゃんのラケットだった。
 その盗んだ少年を連れ出し、チビたち我々も、皆でこの少年を囲んだ。
 こういうときは、我々ガキ子分たちは、その他大勢ではあるが、それなりに役立っている。制裁を加えるにしてもギャラリーがいるといないでは、勢いが違う。
 連れ出された少年は無言であった。誠ちゃんと聖ちゃんはいった。
 「眼鏡をはずせ」
 往復ビンタのルールみたいなものだ。少年は、覚悟してか、眼鏡を外した。
 パチンパチン、
 眼鏡を外した少年の頬から往復ビンタの音がした。誠ちゃんが済むと、聖ちゃんもやった。
 それだけやると、「もうするなよ」といって少年を解放した。
 今は、いわゆるキレて、前後見境なくリンチする。バーチャル時代は痛みを実感しないから、刺すとか、殺すと一気に飛躍するのではないだろうか。
 その当時の往復ビンタは、やる側は、抑えるところは抑えた。殺しをするわけではない。手加減があり、理性的に殴っていた気がする。案外、こういう制裁の光景はよくあることだった。

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2012年6月19日 (火)

平田国学と岩倉具視、裏切りも 想定内

 たぶん、数千年前「殷」の時代の人間も、たぶん同じことを考えたことだろう。
 オレと同じことを言って、むなしさに倒れていったのかも知れない。
 「何度言っても
同じだ!それで政治はいいのか・・・・」と言いながら、なお、私はそれに向かって、扉を叩いている。

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 唐突に聞こえるかもしれないが、これは、源泉を辿れば、平田篤胤の国学史観にある。
 平田 篤胤(ひらた あつたね、1776年10月6日(安永5年)-1843年11月2日(天保14年)):江戸時代後期に国学者・神道家・思想家・医者。出羽久保田藩(現在の秋田市)出身。成人後備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となる。復古神道(古道学)の大成者であり、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学四大人(うし)の中の一人。その思想は水戸学同様尊皇攘夷の支柱となり、倒幕後の明治維新変革期の原動力ともなった。その思想は後の神仏分離や廃仏毀釈にも影響を与えた

 小説『夜明け前』(島崎藤村)を読むと、幕末中津川のインテリ階級は、平田国学の影響を受けている。そのころのインテリは、句会と称して、週一で談合していた。幕末政局を語るのだが、平田国学の影響で、倒幕を考える水戸の天狗党を応援していた。しかし、中津川のインテリは、みな役職のある身で、問丸とか、庄屋とか、尾張藩の配下にあったから、面従腹背の態度で接した。

 本日は、プルデンシャル系G生命保険に勤めているH氏が来訪した。彼は、故郷中津川市の近郊付知出身で、同じ高校の後輩であるというつながりで会うことになっていた。

 彼は、こんなことを言っていた。小学校で先生から、音楽の時間に「インターナショナルの歌」を教えられた、と。
 立て飢えたる者よ
 今ぞ日は近し
覚めよわが同胞
 暁は来む
という労働歌だ。教えられたのは、多くは労働者の団結の歌だ。
 そういえば、昭和30年ころ、近江絹糸の人権ストで日本中大騒ぎだった。女工哀史の世界がマダ残っていると、驚かれた事件で、中津川近郊の労働者が共闘をしようと集まり、名古屋、岐阜から機動隊が集会の日、大挙して押し寄せ、市内は機動隊の車両と隊員であふれた。
 そんな影響もあったのかもしれないが、
労働歌を授業中に教えられたと語っていた。

 中津川市では、校長の指示など無視して、綴り方教育が行う先生がいた。また、作文集をつくったり・・・、今民主党幹事長輿石さんと同じ位の年齢の先生は、そのころは、自分の考えを生徒に教える指導ができた。父兄の文句もあまり強くなく、陰でいわゆる「アカ」と先生の陰口をいう程度であった。が、昭和30年以降は、私の印象では、そういう先生は、郊外の学校へ追いやられて赴任させられたように見えた。

 昭和40年代にそういう教育を受けたH氏は、いまだに、保守系の自民党を支持したコトは一度もない。いつも革新系を支持してきたという。教育の影響だ。

「中津川市には、どうして革新系でしょうか」と聞かれて、
 それで、明治維新前後の中津川の話をした。彼は、「夜明け前」全巻読み通したというから、国学思想が、幕末中津川市の知識階級に与えた影響を話した。
 
「夜明け前」島崎藤村 全巻読了
赤報隊 御一新年貢半減: nozawa22
踊らされた相楽総三と赤報隊: nozawa22

Mino0214  そのころの庄屋など役職の知識人は、尾張藩に内緒で、倒幕運動に加わっていた。
ら尊皇攘夷激派、天狗党の乱の残党が、諏訪近くの和田峠の激戦で破れ、中仙道を通ると、どこの宿でも、戸を閉めて、彼らを避けた。ところが、中津川宿を通過したさい、五平もちや飲み物で歓待した。

02178
横田元綱(和田峠の激戦で戦死)の首を中津川の有志に委託し、埋葬した碑

 天狗党の隊士が、中津の宿ではなぜ歓待してくれるか、不思議に思って尋ねたら
「この人々残らず御同士の方々にて」(中津川の人たちは、みんな平田国学の同士です)と、平田国学を信奉している仲間として扱った。
その後、この天狗党の残党は、ことごとく捕らえられ、琵琶湖近くで斬首される。

 その後、明治維新、昭和になって中津川市の市長になった人も、この幕末の知識人の子孫であり、平田国学がそのまま新政府の方針になったとはいえないが、中津川では、幕末の国学=反幕府で、その意識がめんめんと地下水のように伝わっているという歴史がある、というのが、私の解釈である。

だから、戦後の生活綴り方教育につながったし、労働組合左翼運動にも関連しているのではないか。それが、先生たちの左翼思想にも伏流水のように現れてきたようだ。


 長州藩の方向変換にかかわる「中津川会議」をお膳立てしたのは、半兵衛(間秀矩)である。彼は、幕末東濃地方では平田派国学者の筆頭で、文人として評価の高い知識人である。その子孫が、昭和廿年代に市長を務めた。

 中津川市では、明治幕末には、倒幕運動に強い関心を持って、明治維新を眺めていた。この半兵衛(間秀矩)は、明治新政府軍の東山道軍を下諏訪まで先導したことなど功績があった。京都の長州屋敷に出入りし、天狗党を通過させ、また東山道軍を下諏訪まで先導したことなどから、明治維新に功労のあった

 文久2(1862)年、長州藩の桂小五郎は、藩主毛利敬親を尊皇攘夷へと説得するため、中津川宿に潜んで殿の到着を待ち、その間、東濃地方の平田派国学者の筆頭であった半兵衛と接触したと思われる。
 桂小五郎が
「公武合体」から「尊皇攘夷」へと長州藩主の頭を切り替えさせた中津川会議を開いたといわれるが、その具体的に場所を設定したのが、この半兵衛だといわれている。

 五代目間半兵衛秀矩の身分は、間家の分家・山半の五代目の商人で、中津川村や役場の役人、さらに代官山村氏の御用などを務める有力者でした。時局に敏感で明治維新の長州藩の攘夷の動きを支えようとしていた。

 間秀矩(間半兵衛)の名で有名で、近郷の平田派門下人を組織し、京都の長州屋敷に出入りし、鳥羽伏見の戦いが開戦してから18日後の慶応4年(1868)1月21日、東山道鎮撫総督軍を下諏訪まで先導したことなどから、明治維新に功労のあった

 どこの地方にも、保守対革新の対立はあるが、中津川市では、市長選では明瞭にそれが現れる。そもそも、幕末明治維新の頃には、中津川市には国学ブームがあって、村の役人など知識階級は、尾張藩に知られないように、かなり本気で倒幕活動した。
 
鳥羽・伏見の戦いで新政府が勝ち、逃げる幕府軍を追いかける形の東山道先鋒隊(相楽総三ら赤報隊など)が、中仙道を通過する際、地元から隊に加わる人の名簿が残っている。

(それより先に進軍した、東山道先鋒隊(相楽総三ら
赤報隊など)が美濃国、信濃国を朝廷側に導こうとしたが、途中で新政府の方針変更で取り消され、悲劇に終わる。 )←今回はこの件は取り上げない

 というわけで、幕末の中津川知識人は、平田国学の影響で反幕府を貫き、明治新政府の側に立ったが、「夜明け前」の主人公青山半蔵は、平田国学の思想、また「年貢半減」の旗印の賛同し、新しい世が来ると信じた。
 にもかかわらず、明治政府はそのマニフェストを踏みにじる「
裏切り」を行う。その悩みで、青山半蔵は狂ってしまう。

 
この正直な平田国学を信奉するウブな青山半蔵には、明治政府が「新しい世」のマニフェストを裏切るのは、到底受け入れられない気持ちだったと思う。最後は、座敷牢で狂い死ぬ。
 老獪な政治家岩倉具視なら、この程度の
裏切りも、想定内。美濃地方の青年は、この理想と現実政治のギャップについていけるか。

 中仙道沿いの美濃地方、中津川市の人なら、一度は潜る思想洗礼である。この洗礼をどう潜るか、われわれ青年の「成人式」である。

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=夜明け前 関連資料=
夜明け前の虚構と史実 
「夜明け前」島崎藤村 全巻読了 
藤村の「夜明け前」読み難いのはなぜ 
歴史の鼓動 夜明け前の町  
「夜明け前」の中津川で 心中事件:  
中津川豪商 生き方 杢右衛門と半兵衛  
中津川村最後の「庄屋」 
水戸天狗党を歓待する

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2012年5月12日 (土)

幼稚園教諭失踪(瑞浪)で理事長欠席

A6465A_6464 同期会へ出席してみると、会の中がざわついているので、「何かあったの?」と聞くと、元NHK記者の彼が、「瑞浪の幼稚園教諭がクルマごと拉致されて、行方不明になっている。おそらく・・・だろう」とかいつまんで説明した。

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A023  同期会まで、そのニュースは気づかなかった。事件は5月7日(月)に起きて、金曜日である。日テレ系「ミヤネヤ」のトップで紹介していた。瑞浪の幼稚園は、中京学院大学系列であるから、その理事長であるT氏は、同期会にドタキャンだ、と幹事が説明した。多治見警察瑞浪署が捜査しているのに、職場責任者が抜け出てくるわけにはいかない、ということだ。

 これで、責任者の顔が報道され、いい加減な対応して失敗する人が案外いる。T氏なら、そんなへまはしないと思うが、これは、中京学院の浮沈にかかわる。しっかり対応してほしいものだ。

Image_621324 中京学院大学(経営学部)は、私の出身地中津川市にできて、歴史はそれほど長くはない。中津の町に大学ができて、将来を考えると、岐阜県で二番目に古い女学校建設した間杢右衛門の先見のように、20年後、30年後、リニアで東京から30分の地の利を生かし、旬でいい教授、話題の教授を呼べる大学になるだろう。

中京学院大学(Chukyo Gakuin University):岐阜県中津川市に本部を置く私立大学。1993年に開学。母体は中京短期大学で経営学科を大学に改組。安達学園創立者の祖先が水戸藩士で水戸学の「文なき武は愚であり、武なき文は弱である」という「文武不岐」の精神を継承原点とする。
経営学部経営学科
看護学部看護学科
中京短期大学部[保育科] [健康栄養学科]

T氏は、瑞浪市長退任後に中京学院大学学長に就任した話は聞いていたが、今は理事長になっている。そのT氏に乞われて、同期のメンバーO氏が学長になり、中津川市に住まいを移し専念している。栗と鮎がうまいのだと盛んに勧めて、中津川市の市民になっていた。
専門分野 経済史、現代ヨーロッパ経済論
研究テーマ:ドイツ関税同盟 欧州統合
担当科目:経営学I・II/経営管理論I/経営管理論II
 ちなみに、彼の奥さんはドイツ人。

 話は飛んでしまったが、事件の概要は、
A014◆防犯カメラに映像から 急速に解決展開するかもしれないが
 行方が分からなくなっている同市山田031 町の幼稚園教諭松井洋子さん(40)の乗用車は、正面の来客用駐車場ではなく、瑞浪市役所東分庁舎の職員駐車場に放置されていた。市役所職員らによると、乗用車は(行方不明の翌日)8日朝には駐車場に止まっていた。鍵は掛かっていたが助手席の窓は全開で、運転席などに、血痕が残っている状態で見つかった。後部座席などには婦人靴や小物入れ、菓子箱などが残っており、雑然としていたという。


A007中京学院大学系列にある「中京幼稚園」は、瑞浪校舎看護学部の中に存在して、「『中京学院大学 中京短期大学部』のキャンパスの真ん中に位置しています。つまり、お兄さん、お姉さんたちの目で守られて過ごしています。保育科や健康栄養学科で学ぶ、子どもが大好きな学生も幼稚園でお手伝いをしてくれます。賑やかで、たくさんの愛情で包まれているのです。」

A030  同市役所のATM(現金自動預払機)の防犯カメラに不審な男が映っていたことが11日(金曜日)、分かった。男は、ニット帽をかぶりマスクを着けていたという。関係者によると、男は7日午後7時半ごろに二つの金融機関のATMからから35万円と50万円、合計85万円を引き出しており、多治見署などが行方を追っている。
 松井さんは7日午後7時ごろまでには、駐車場から直線距離で約2.5キロの同市土岐町にある、勤務先の中京幼稚園を車で出て、その後の行方が分からなくなっている。
 松井さんの携帯電話は土岐市内にあるとみられ、電波が捕らえられている。同署などは11日朝から200人態勢で松井さんの行方や所持品などを探している。松井洋子教諭は、中京学院大学/中京短期大学部の講師で、最近中京幼稚園に赴任した。

 このような状態では、中京学院の理事長は、勝手に抜け出して東京の大学OB会で飲んで騒ぐわけには行かないだろう。事件の渦中にあっても、T氏は、学長O氏あてにメールがあり、出席できない侘びの伝言を伝えてきた。

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2012年4月25日 (水)

開拓者 弁当を持って来られない小学生

007  満州の開拓民と送り出されて、戦争に勝っているなら、万々歳であるが、あの太平洋戦争は、そして満州は砂上の楼閣になってしまった。満洲の地から身ぐるみ剥がれて、命からがらで、故郷へ故郷への思いで戻ってきた。日本に帰ってくれば、故郷なのだから、暖かく迎えてもらえると思っていた引き上げ者は多かったはずだ。

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 ところが、日本へ帰ってきても、身内の家に身を寄せても、「一旦出て行ったお前らに食べさせるメシはない」と、実家に入った嫁からいびられて、肩身の狭い思いをした人は多い。ある人は、実家の鶏小屋の鶏糞臭い中に入れられたとか、蔵の隅に寝泊りしていたとか、多くの引揚者はつらい思いをしている。

 私の育ったのは、そんな時代だった。
021024教室には多くの引揚者の子が編入してきた。クラスには50人は常に超えていた。60人近くいた。
 満州や朝鮮から来た子がいたし、樺太の製紙工場からの引き上げが目立った。中津の町には王子製紙という大会社の中津川工場があったので、そこへ外地の製紙工場従業員が家族ごと引き上げてくるので、転校生は多かった。

028  満鉄に勤めていた叔母一家が、祖母の家を頼って引き上げていた。故郷の実家から朝鮮の植民地に移って行ったので、実家に多少の箪笥タンスとか何か置いて行ったらしいが、そういうものは、実家では邪魔になるから、中身を片付けるだろうが、引き上げ側には、アレが実家においてきたという意識がある。それで、預かっている母の側と叔母の側との諍いが起きたようだった。引き上げてきた姉妹は、私の学校に来て一年、成績優秀と表彰されていたが、あまり親しくした記憶がない。

 あのころは、学年末にクラスで5人、一学年4クラスあれば20名程度の成績優秀者は表彰状をもらっていた。学年二十人の表彰者に一人は郡長から総代として別に賞状を与えられた。今はそんな制度は、差別になるからない。

 名古屋や東京の都会から疎開してきた人も多く、いろんな人がいた。そういう人は都会のセンスがあって、おしゃれな印象があったが、食い詰めたというか、貧しい人も多くいた。NHK[開拓者」の那須を開拓する話ではないが、中津川の町も、郊外の未開拓の山に近い部分のサント(実戸)、子野地区、松田地区、手賀野地区、西山など、いままで開墾が遅れた地域に人が入って耕すことになった。

 N先生は開拓民の子に「入植して何年?」と聞いていたが、10年経てば、見通しがつく、と説明していた。先生の仕事は安定してるからいいのだが、先生も、戦地から引き上げの先生も多かった。その代わり、戦時中に代用教員になった人も辞めないから、県の教育委員会もこまっただろうな。

 太平洋戦争の南方諸島での生き残り先生は、体罰は厳しかった。生死ギリギリの場所から戻ってきていたY先生などは、内地にずっといた先生とは違うと、回りからいわれていた。代用教員あがりのP先生は、竹刀のようなムチをもって、態度の悪い生徒は遠慮なく叩いていた。復員教師の人生観、厳しさ  保古沼で巨大鯉を釣る先生

 遠くの部落からは1時間半も歩いて南小に通学する生徒がいた。西小にもいたが、多くは貧しくて、弁当を持って来られない子が多かったようだ。昼休み、昼食の時間になると、弁当を持っていない子数人は、いつも外へ出て運動場の鉄棒のまわりにいた。「水で腹をいっぱいにする」と生徒同士では、言っていた。先生は、こういう食べ物がない子を見ながら、どんな気持ちだっただろうかね。先生だって、毎日毎日のことに、食べさせるわけには行かないだろうし・・・ジレンマがあったに違いない。

 小四の春先だったが、学校からみんなで町の映画館へ映画を見に行った。視聴覚教育として、先生が選択して映画を見せていた。午前中の一般客が来ない時間に、児童に見せるのは映画館にもメリットがあるのし、先生も映画を静かにみてくれるなら・・・。

 そういうわけで、毎月一回は映画館へ集合して、教育映画など、よく見たものである。それが恒例化されたのは昭和23、24年ころからだが、その日は「富士の高嶺に雪が降る」というようなタイトルであったが、あまり魅力的な映画ではないと思って、行っておけばよかったのに、行きたくないと行かなかった。映画を見るお金のない子も行かなかった。

 その日、映画からみんな帰ってくると、「弁当がない」という事件が起きた。
 近藤(武典)先生は、映画に行かず居残った生徒を一人ひとり呼び出して尋問しているようだった。弁当を取った犯人は、ひもじいから食ったのだろうと予想はつくが、それを見逃すということはできないだろう。武典先生も、苦しい犯人探しをしたのだろう。私も居残り組だから、疑われた中にいるが、そんなに強く聞かれなかった。初めから目星がついていたからのかもしれない。結末については、何も話されなかったので、アレはどうだったのですか?と武典先生に聞いてみたいが、先生はとっくに黄泉の国に行っている。

027  今は小学校へ弁当を持っていく習慣がないから、わからないが、弁当の用意は、実の親であればこそ一生懸命つくるが、我が家は母が死んで、一年生の私には19歳の姉が弁当を持たせてくれたが、一番悲しかった弁当がある。
 今でも思い出せるが、弁当のご飯の上に「イカの塩辛」が、弁当の蓋で押しつぶされて並んだ姿を見たとき、その弁当の
哀れなこと!普段ミミズを掘り出して遊んでいたから、ミミズに見えて、とても食べる気にならなかった。「イカの塩辛」普段は食べるが、弁当の上に乗せたら、イメージが悪い。しかし、19歳の姉にそれを言うと傷つくだろうから、それは言わずに弁当を残した。いまだに言っていない。たぶん、覚えていないだろう。

 姉も鉄道の機関区へアルバイトに出ていて忙しい人だったから、連絡不十分になる。学校へ行ったら、遠足だった!そのまま、カバン背負って、●●寺へ行った。ここの杉の根元には、武具は刀、馬の鞍が埋めてある、と説明があった。そのあと、昼食なのに、弁当を持ってきていない私は、ぼんやりしていると、ほかに弁当を持ってこられない子といっしょに、担任の加藤スミヨ先生から、蒸かしたサツマイモを一本、もらった。その後、スミヨ先生産休をとって晴郎クンを生んだはずだ。 NHK「開拓者」満島ひかり 満州引上げ悲劇

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 選挙:中津川市長選 1月22日投票
  • 幼い子を孤独にしてはいけない 2010.01.20
  • 故郷の廃家 中津川市内を歩く 2010.03.20
  • 給食に脱脂粉乳を飲んでいたころ 2009.10.05
  • 昔の子供はどんな遊びをしたか 2009.09.05
  • 更け行く秋の夜 16,7頃を回想 2009.09.04
  • 閑話閑題 1 中学生時代のワル  2009.07.01
  • 空中戦でB29遁走 昭和20年1月9日 2008.07.02
  • 空襲警報発令 昭和20年中津川市 2008.06.27
  • 先生の名前を覚えていますか 2008.06.04
  • 復員教師の人生観、厳しさ 2007.08.21
  • 椛の湖 フォークジャンボリー夢の跡 2007.08.01
  • ふるさとを語ろうよ 中津川市(岐阜県) 2007.05.22
  • 軒先で 朝からヒワが鳴いていた 2007.04.14
  • 中津川市によく火事があった頃 2007.03.14
  • 第五福竜丸のマグロを食べた家 2007.03.07
  • カケ将棋に負けた平八先生 2007.02.24
  • 紙芝居おじさん 神主が副業 2007.02.08
  • 市内の企業野球チームが盛んだった 2007.02.06
  • 初恋の洋子ちゃん、今いずこ 2007.02.05
  • 文化新進会 戦後中津川市に新風 2007.02.04
  • 復員兵が帰ってきた 昭20年秋  2007.02.03
  • 本町界隈 中津川市 2006.05.07
  • 「みかんの花咲く丘」が歌われた頃 2006.01.29
  • 冬、来りなば 2006.01.05
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    2012年4月21日 (土)

    弔辞 熊崎公平先生

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    熊崎先生(高三担任)は、広島師範に在学中に原爆投下に遭い、師範学校の学生は被爆しながら、市街地の被爆死体を片付ける作業に従事した。先生は、いわゆる「入市被爆」を受けて「原爆手帳」を持っている、と話されていた。中津川市で唯一の被爆手帳の所持者であった。被爆死体片付けた 広島高師の学生: nozawa22

     今朝午前9時過ぎ、T子さんから電話あり、今Wさんから連絡があり云々との趣旨である。

     女性の電話は、一方的な 話が多く、彼女の電話もそっちからかけてきたから、そっちの用件が優先であるのはいいが、相手の話を聞かない人が多い様な気がしている。そういうものだと割り切ってしまえば、それでいいかもしれないが、会話というのは、テニスのように打ったら打ち返す妙を楽しむものではないかな。面白い味を与え、相手の話を楽しむ、そんな余裕があると、友人として楽しいはずだ。

     その電話が終わると、すぐにWさんから「Nさん、弔辞を読んでくれない」と、「藪からスティック(棒)」に言われ、葬式に出られないから無理だ、と断ったが、だいぶ人選に困っている様子であった。
     先生には目をかけて頂いて、でもないが、弔辞くらい書くから、誰かに代読してもらえばいいかもしれない、と思って、弔辞をかいた。誰が読んでも違和感ないように、使って頂ければ、Tさんに添付で送る。余計なことでも、使われないことになっても、文句言いっこなし。

     Y君から電話があって、先生に花を贈るから、一口仲間に入って・・・と言う話を持ち込まれた。まあ、先生は本町の近所で、うちから1分のとおりであった。先生は、数学の先生で、できない生徒には近づきにくい先生で、道徳倫理に厳しい印象があった。

     男女は、密室に入ってはいけない。部屋はオープンにしておけ。とか、欲を刺激する宝くじ、あれは「多空くじ」で、損する仕組みになっている。射幸心を刺激するモノは大嫌いな先生であった。

    しかし、弱いものをいじめるのには目を光らせていた。体育祭になると、バンカラ連中が幅を利かせて、生徒を強制的に応援歌を練習させていた。これを批判する弁論を私がやったものだから、いっぺんにこの連中に呼び出しを受けた。

     熊崎先生、その情報をキャッチしたらしく、体格のいいK君に「野沢を守ってやれよ」と、彼をガードつけてくれた。呼び出した彼らの多数は「なぐっちゃえ」とか「伸してしまえ」と声を上げていた。その中のトップが私のクラスの男で、彼も熊崎先生から何か言われていたらしく、「まあまあ」という調子で、無事に帰ることができた。

     大学にいるとき、熊崎先生、教頭かなにかやっていたころで、先生が銀座の三越あたりにあるビヤホールで待ち合わせ、「どうや」といろいろ話して、つまりは岐阜県の高校には数学を教える少ないから、早稲田の学生で「岐阜県に来て数学を教える人材はいないか」ということだった。教員免許なんか、なんとかなるから、と勧誘が目的であった。ちょど、第一次ベビーブームが中学から高校へかかる時期で、教員補強が目下の急務であった。

     アルコールに弱いのに、先生にしこたまビールを飲まされ、真っ赤かになって、池田隼人は偉い、所得倍増と言ったらそうした。とか、高度成長のさなかであった・・・懐かしい思い出である。もうそんな時代は来ない今では、過ぎ去った過去が懐かしい。

     先生宅では、お母さんがおばあちゃんが焼き芋、丸まま焼くのでなく、スライス型にして焼く焼き芋を売っていた。中津川市西山で競馬をやっていたころ、熊崎先生の家が焼き芋の販売権を持っていたと聞いた。中津川市での競馬は、採算がとれないので、数年で笠松へ譲渡した。笠松競馬の採算も、あぶないから、ライブドアの堀江モンがてこ入れして買い取る話があったが・・・。

    「幾星霜いくせいそう」なんて言葉、古いね。80年も過ぎたら、元気な人も、黄泉の国へいくのは、ごく普通なのさ。公平先生のお嫁さんになった福田先生、昭和24年ころ、南小学校の先生で、丸としたかわいい、小学生から見ても、可愛い人と思った。

    「先生は、被爆死体を片付ける話を終えると、熊崎先生は、その後、その話にはそれ以上触れなかった。メリハリのある態度は、先生の信条であった。

     昭和三十二年七月、真夏の日差しを避けて、旭丘公園の緑陰の中を通り抜ける風は、涼しかった。今も、あのときと同じように、先生は長い旅路を終えて、ほっとされているのではないか、と私たち教え子はそう思っています。
     これまでのお導きに感謝し、安らかに眠られることをお祈りいたします。以上、弔辞とさせて頂きます。」
    追記「熊崎公平氏94歳老衰。今月16日に入院して20日死亡」

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    2012年1月25日 (水)

    信濃路はいつ春にならん夕づく日入りてしまらく黄なる空の色

    Photo_5 信濃路はいつ春にならん夕づく日入りてしまらく黄なる空の色 島木赤彦
    (信濃はいつ春になるのだろう。夕日が沈んでしばらくは、空が黄色になっている。)

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    中学生の国語の教科書に載っていて・・・違う、岐阜県の長野県寄りの中学生だったので、模擬試験とか、問題集によく出ていた記憶がある。ちょうど年度末の時期に冬でありながら、夕日がキラキラ光る時期があった。空気のつめただの中に、春はもうじきだ、という希望がある光景であった。

    東京は、一昨日は雪が降って、昨日、きょうと寒い日が続き、夕方見ると、西の空が焼けるように赤い。オレンジ色の空が広がって、信濃路ではないが、春が待ち遠しい。岐阜県美濃も、山間部に近いから、空気がいたいように冷たかった。今は保古沼はスケートができないようになったが、昔昭和20年代は湖面にスケートリンクがあって、多く人がスケートに来ていた。北恵那鉄道のバスが中津川駅から保湖沼まで連れて行ってくれた。

    根の上高原
    1 Photo_6 恵那山から望む根の上高原(ねのうえこうげん)は、岐阜県中津川市と恵那市にまたがる高原である。高原には、標高930mの保古山、灌漑用の3つの湖があり、「根の上湖」と「保古の湖」は導水路で繋がっている。保古の湖湖畔は、景勝地として有名。
     ツツジ、紅葉の名所で、夏は避暑地、キャンプ場、冬はワカサギ釣りで賑わ
    Img_0026 う。年間17万人の観光客が訪れ『東海の軽井沢』ともいわれる。
    Photo_7  リニア中央新幹線の駅として、中津川市(美乃坂本駅)(中津川はリニアで品川まで30分。新大阪まで30分)が選ばれ、首都機能移転候補地 【北に山(御嶽山)、南に湖もしくは 大池(根ノ上高原根の上湖、保古の湖)、東に清流(木曽川)、西に大通り(中山道)で風水学の『四神相応』の地で 新都建設に優れた地勢】。

    冬には、小学生にとっては、スケート場であった昭和20年代、寒かったがもうじき春だという気持、これが少年時代の心の絵であった。

  • Photo_9   信濃路は
     いつ春にならん
     夕づく日
     入りてしまらく
     黄なる空の色

  • 故郷追憶
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    2011年12月30日 (金)

    選挙:中津川市長選 1月22日投票

    02  03起きている市長選挙のドタバタ、これを紹介したい。が、まず、地図上の「中津川市」の位置。中津川市は、東海道新幹線で名古屋下車して、中央線で岐阜県⇒長野県に向かうと、長野県寄り岐阜県東濃にある「旧中山道宿場町」である。これを頭に入れて、以下の記事をお読みください

    中津川市長選 署名3万2000 対 前市長大山耕二  1/22 中津川市 市長選挙開票速報 平成24年

    政争に興味ない方は、ふるさと中津川 遠きにありて思うもの  故郷の廃家 中津川市内を歩く 中津川市 記憶の案内ボランティアⅠ をお読みください

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    201201121102_15958 選挙管理委員会も、びっくり、未曾有の候補者乱立で、掲示板の作り直し。受付後2日間余裕もたせておけば、ムダな費用使わないで済んだのに。

     中津川市には県議(定数2)が二人いる。(参考)早川捷也 14,399票(自民党)平岩正光 14,020票(自民党)共に自民党である。
     その二人、平岩正光氏は今回の中津川市長選挙に立候補を表明し、早川捷也氏は、JA理事青山候補を支援している。自民党は二分してしまった。その上、リコール寸前で辞職した現市長の大山耕二氏(国交省の元技官)は、前回自民党の支援で当選し、今回はリコールこの騒動の元凶である。その大山氏、保守で再立候補し、保守は3つに分裂。
    そこへ革新系の前市長の中川鮮候補が出て、混乱状態である。ほぼ、獲得票数は、ほぼ同じか、四すくみ状態。

    中日新聞1月14日最新ニュース   出直し市長選(15日告示、22日投開票)に出馬を表明していた平岩正光県議(56)は14日、立候補を断念した。出直し市長選には5人が出馬する見通しとなった。
     平岩氏は同日午前、市内で開いた後援会幹部会議で「混乱の中津川市政を一つにしたいと訴えてきたが、支持者の理解を得るまでの時間があまりにも短く、立候補を断念したい」と述べた。その上で「私の不徳の致すところで期待に沿えなかったことをおわびする」と謝罪した。

     出直し市長選には大山氏、中川鮮元市長(74)、東美濃農協の青山節児・前代表理事専務(60)、共産党恵那地区委員会常任委員の木下律子氏(64)、大山氏の解職請求(リコール)をした「なかつがわ一新の会」役員の藤井四郎氏(66)が出馬を表明している

    私の観察眼平岩辞退で、中道の青山が俄然有利になったように見えるが、現状では、後援会組織が平常の60%稼動すれば、大山候補の当選が濃い。中川、藤井は、統一候補にならないかぎり、不利だ。

     住民に聞くと、「大山前市長が当選だろう」という。
     大山市長は、他人の意見を聞かないなど、人物には難があるが、リニア駅設置のやりとりは国交省OBならスムーズにいくだろうという期待がある。
     また、図書館の建設は、合併により
    財政的に有利な合併特例債等が使えるのを熟知しているから、これを利用しない手はない、という役人知識を説明不足のまま、押し切る強引さが理解されていない。それを知る立場からみると良かれとやりながら、人徳のなさが墓穴を掘っているといわれる。しかし、盛り上がった
    署名運動、住民の意向が、結局、飛んでしまう、ここが問題かもしれない。

     署名運動の中心グループが推した市議佐藤光司氏(62)は22日、家族の理解を得れず出馬を断念した。
     もう一つわからないのが、候補者を出さない民主党、公明党、共産党の態度が不明という点である。リコール運動を主導した「一新の会」は市長候補者がいないので困惑している。(中津川ブログ人参照)

     共産党は候補を出したから、後は民主党、公明党が誰を推薦するか、これが流れをつくる、と予想する。この決着は投票日まではお預けになるが、僅差できまりそうだ。良識無党派の票数組織票の競争、リコールの署名は3万集めた票は霧散して、6000票集めたら、当選か?と予想している。知恵のあるリーダーがいないと、こんな哀しい結末になるのだろうか。組織票(民主、公明)が青山?平岩?うまく裏取引した側が勝つ?大山前市長は組織固めだがどこまで固いか、中川派は共産党票は期待できないから不利、保守の票が欲しい。15cf941ffbb1d790a1f332930e967779

    中津川市の新図書館建設事業などをめぐる市長解職の賛否を問う住民投票(今月5日告示、25日投開票)を控えた22日、大山耕二市長(62)が辞職した。住民投票は市長の辞職で中止となり、辞職に伴う出直し市長選は来年1月15日告示、22日投開票される。
     市長大山氏は、この日の市議会定例会閉会後に退任会見を開き、出直し選出馬をあらためて表明。「リニアをいかした夢のまちづくりを進めたい」と語った。住民投票前の辞職に対する批判には「市長の評価は行財政改革、まちづくり全般で判断されるべき」と従来の主張を繰り返し、出直し選で信を問う行動の正当性を強調。新図書館建設は継続しつつも「事業を急ぐあまりに対話、説明が不足していた」と陳謝し「『和を以て貴しとなす』の精神で、時間を掛けて対話に取り組む姿勢を貫きたい」と、市民と、対立してきた反市長派議員に訴えた。
     出直し選は混戦は必至。リコールの問題となった新図書館建設事業とミックス事業に加え、リニア中央新幹線の開通を見据えたまちづくりや合併後の問題解消が争点になりそうだ。
     また、この日の市議会本会議では、反市長派の市議が市議会の自主解散の決議案を提出したが賛成10、反対14で否決された。
     市長のリコール(解職請求)では、新図書館事業などに反対する市民団体「中津川一新の会」が運動を展開し、11月1日、住民投票の実施の請求に必要な有権者の3分の1を超える3万596人分の署名を添えて本請求。大山市長は同26日、辞職と出直し選への出馬を表明していた
    岐阜新聞

     中津川市長選挙は、一地方のことだからか、読売と朝日新聞はあまり興味がないようで載っていない。特に朝日のニュースは有料デジタル記事にしたせいか、まるでネット上では出ていない。朝日新聞一部売りの値段を180円にした。これは新聞衰退につながりそうだ。もう、宅配新聞は減る一方で、時代の趨勢で仕方がないのを購買者に押し付けようとしていないか。マスコミの傲慢さを感じる。

     たかが一地方都市の市長選挙であり、新図書館建設事業などをめぐるハコモノ行政に、赤字抱えた市財政に危機感を覚える市民の意識の問題で、これは国政で八ツ場ダムの再開、「もんじゅ」の赤字垂れ流し、国の国債赤字財政。これとまったく相似形、これが国の行く末を決める先駆けになる。中津の場所は、日本のヘソといわれるくらい、日本列島のド真ん中である。その中津川市の市民の意識が、今後日本人の行く末を暗示するのではないか、そんな気がする。

    中津川市の大山耕二前市長をめぐるリコール運動に端を発した争いは、A11 職賛成派、反対派の双方に深い亀裂を残しただけでなく、有権者の半数に迫る3万596人の署名が生かされることもなく住民投票は中止となった。投票直前になって辞職した大山前市長は「議会で議決された案件を実行するのは議会制民主主義の基本だ」と訴え、反市長派の議員らは「住民の直接請求を受けた結果に従うことこそが、民主主義の根幹をなす精神」と叫んだ。いずれにせよ、市を二分した住民投票は、期日前投票に寄せられた215票とともに日の目を見ることなく消えた。
     リコール運動は、強引な市政への反発から生まれた。地元の合意のないまま推進されていった「ミックス事業」。「環境影響評価を実施する」という市側と、反発を強める地元住民らがにらみ合う一触即発の雰囲気の中で取材をしていた時、用地の入り口に陣取った住民らの虚をついて裏側から入った市職員らが「調査を行いました」と声を上げた。そこに“民主的解決”への意思を感じ取ることはできなかった。
     また、新図書館の工事契約の締結は、市民グループ「中津川一新の会」から署名が提出された日に行われた。起工式は署名審査の最中に行われ、新図書館の事業概要の地域説明会が約1カ月の間に次々に開催された。反対する声と正面から対決する性急な対応に思えた。
     一方、「一新の会」とリコール運動を進めてきた「新図書館建設に反対する超党派議員の会」は、市長選への候補者擁立を巡り内部分裂、新旧議員13人のうち7人が離脱する騒動になった。現役議員を擁立する動きに対して「(対立の)当事者である議員を候補に据えるのは納得できない」との理由で、うち6人は別の立候補予定者への支持を表明した。
     「一新の会」は、コツコツと積み上げてきた住民投票への“はしご”を外され、内部分裂で推進力も半減してしまった。「民主主義を守る」「市民のために戦う」。3万人余の署名が紙くずになったいま、双方の主張が空虚に聞こえるのは私だけだろうか
    。【小林哲夫】=毎日jp毎日新聞社

    .選挙:中津川市長選 出直し選、中川氏が正式に出馬表明 /岐阜
     中津川市の大山耕二市長の辞職に伴う出直し市長選に関して、元市長の中川鮮氏(74)が26日、記者会見を行い、正式に出馬を表明した。
     出馬の動機について「中津川市は、急速に変化しなければならない時期なのに停滞している。私以外の立候補予定者は同じような立場で、中津川市を変えることはできない」と述べた。
     新図書館の建設には「署名活動で、民意は明らかに反対であり、中止したい」。ミックス事業(し尿・下水道汚泥処理施設建設)についても「白紙撤回し、新しい技術を使って中身を変えて事業展開する」と話した。リニア新幹線については「電磁波など未解決の部分を慎重に考え、安全の視点を失わないように科学的判断を求めていく」と述べた。
    【小林哲夫】

    選挙:中津川市長選 「超党派」離脱の6人、青山氏を支援 /岐阜
     「中津川一新の会」(菅井陽一代表)とともに大山耕二・中津川市長のリコール運動を推進してきた「新図書館の建設に反対する超党派議員の会」(楯公夫会長)を離脱した市議らが25日、同市内で記者会見し、「市議と元市議の計6人は、出直し市長選に出馬表明した元JA代表理事専務、青山節児氏(60)を支援することを決めた」と発表した。
     会見したのは深谷勲市議と粥川茂和市議。6人は、ほかに三浦八郎市議と元市議3人。いずれも「新政会」メンバー。離脱の理由として「民間からの候補者擁立が難航し、避けるべきだとしていた議員からの擁立が浮上したため」と説明。青山氏支援については「新図書館の建設中止で合意を得られた」としている
    。【小林哲夫】

    民主党が国政の場で、マニュフェストを破って官僚のいいなりになっている流れが、国民に総スカンを食っているが、大山市長は官僚経験からそんな傾向が出ているのか、その辺の追求がダレもしていないが、さて市民はダレを市長にえらぶのか。革新系の中川元市長の再選はあるのか。

    公明と民主へ頭さげて政策協定を結ぶか、あるいは、青山候補、平岩候補と話し合うか、勝つ芽はある。「一新の会」の支持を最大限得て票を伸ばすか、市民はダレに票をいれていいのか、迷っている。年長者らしく、この中でリーダーシップ発揮して、立候補者全員による「討論会」をやって、インターネット中継をしてもいいじゃないか。本当はテレビ中継できたら、日本中のニュースになる。教養や見識の点では、中川候補が一番でしょう。市民も、利権で進む市政の姿勢を正す機会であると気づきます。

    事情は毎日めまぐるしく変わっていて、年明けて、こんなニュースが流れては消えていく。http://mainichi.jp/chubu/seikei/news/20120105ddh041010004000c.html
    岐阜県中津川市の出直し市長選(15日告示、22日投開票)で、大山浩二前市長(62)の解職請求(リコール)運動を進めてきた「中津川一新の会」(菅井陽一代表)のメンバーで元県立中津高校教諭、藤井四郎氏(66)と、共産党恵那地区委員会常任委員、木下律子氏(64)が5日、出馬の意向を明らかにした。両氏とも午後に正式に出馬表明するその後、藤井四郎氏は、市議推薦できないとして、辞退会見をした。

    1月14日(告示前日)現在 結局5名立候補予定
    ①大山浩二(62)前市長
    ②中川鮮  (74)元市長
    ③青山節児(60)東美濃農協・前代表理事専務
    ④木下律子(64)共産党恵那地区常任委員、
    ⑤藤井四郎(66)「なかつがわ一新の会」役員

    中津川市長リコール 市長選挙混沌!

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    2011年12月21日 (水)

    中津川市長リコール 市長選挙混沌!

    平成23年、地方の一都市、中津川市の市長選挙、リコールなんか全国的ニュースにもなっていないが、やはり、問題点には人類普遍的なものがあるので、考えてみたい。当地では大騒動だ。

     問題の発端は、大山市長の箱物行政の賛否、
    ①市内ユニー跡地に大図書館を建設し、特定企業に利益を与える 
    ②中津川市は1千億円の借金がある。税金の使い方に慎重にせよ。

    この二点がリコール運動に火が付いたようだ。(千葉)八千代市長の掲げた、「新川周辺地区都市再生整備計画」と似ている。両市は(都市の規模もやや似て)同じような経過をたどっている。市長など上に立つと、何か後世に残るものを作りたいと思うようだ。赤字財務を黒字化するのが先、これは市民の望むところだが、これだと面白い仕事ではないと思うのかね。橋下大阪府でやれることが、他で出来ないはずはない。

    選挙:中津川市長選 1月22日投票

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     最新分析(12/23)
     青山節児氏(60)▽前市長、中川鮮氏(74)▽県議、平岩正光氏(56)
    ▽市議、佐藤光司氏(62)の四氏は、反市長なら完全に分裂だ。佐藤光司氏は辞退の方向らしい。青山、中川、平岩で話し合いを持つだけの根回しができて、統一候補なら大山市長といい勝負になるが、このままいけば、リコール成功、選挙は惨敗になる。市民運動の連中は、バカかエゴだ。うがってみれば、大山市長の作戦勝ち。青山、中川、平岩のうち、年長者の中川さんが「私が身を引くから、ここは統一候補平岩さんにしてみないか」とまとめたら、大山VS平岩でいい勝負になる。保守層を呼び込めて、市民グループが加わる勢力になる。各層の要望を取り入れたマニフェストを作ることができる。

    中津川のブログ人 大山市長のように一極集中の図書館建設ではなく、(M議員は)分散型の図書館整備の提唱をして見えます。私も賛成です。
    やはり現在は箱モノの建設ではなくソフト事業を充実するべきだと思います。借金が1千億近くもあるある中津川市では税金の使い方には慎重にも慎重にお願いしたいものです

    それで、市議会議員グループの一新の会は、反市長派の市議や元市議ら13人と協力して、住民投票に必要な有権者の3分の1を超える3万596人分の署名を集めた。菅井陽一代表は「2月から準備し、ようやくここまでたどり着けた。投票者の8〜9割は賛成してくれると思う」と話した

    12月22日議会の最終日までに、住民投票が行えるが3分の1を超える3万596人分の署名を集め、この市長リコールに値する市民の署名の前に、大山市長が、その前に辞職して市長選挙をして再選を狙った動きで、こんどは反市長側、リコールを行った側の足並みが揃わないで、立候補者がすでに二人、大山市長と合わせて三人が立候補の流れになっている。

    これは、リコール運動(署名集め)の市民グループが分裂の流れになっているのが、大山市長側にはモッケの幸い、シメシメとほくそ笑んでいる・・・、という図である。

     住民投票前に辞職表明 岐阜・中津川市長、出直し選へ
    Image1
    岐阜県中津川市の大山耕二市長(62)は26日、解職の是非を問う12月の住民投票を前に、辞職することを表明した。出直し市長選に立候補して審判を仰ぐという。12月2日に辞職願を市議会議長に提出する方針。
     記者会見で、大山市長は「辞職を表明させていただきたい。住民投票ではなく、まちづくりや行財政改革など市政全体の進め方について市民に信を問いたい」と切り出した。
     住民投票(12月5日告示、同25日投開票)を回避する理由について「リコールは図書館建設を止めるためにある。それは無理がある」と指摘。「市長は全体の善しあしで選ばれるべきだ」と主張した。その上で「説明と対話が不足していた、と反省している。対立から和解、融和の市政を切り開きたい」と話した。
     住民投票は、反市長派の市民団体や市議らが、有権者の半数近い署名を集めて実現にこぎつけた。大山市長にとって厳しい結果が予想され、支持者には「住民投票を避けるために辞職し、出直し市長選で戦うべきだ」との声が強かった。
     不利な状況に追い込まれるのを避けるための辞職であることを大山市長は否定したが、「支持者にはそうした意見もあった」とも話した

     中津川市長選:JA専務が出馬へ 出直し選
     
    岐阜県中津川市の出直し市長選(来年1月15日告示、22日投開票)で、「JAひがしみの」(本店・中津川市)の代表理事専務、青山節児氏(60)は14日、毎日新聞の取材に対し立候補する意向を明らかにした。すでに辞表を提出しており、15日の同JA理事会で理解を求めるという。青山氏は「リコール運動は理解できる。市政を巡る市長と議員の対立や、職員らの苦悩も聞いており、融和できる市政にしたい」と意欲を語った。
     出直し市長選は、大山耕二市長(62)が解職請求(リコール)の賛否を問う住民投票の実施を前に、今月22日付の辞表を提出したことを受け行われる。大山市長は3選に向けて出馬を表明しており、このほかにも立候補の動きがある。
     リコール運動は、新図書館の建設と、し尿・下水道汚泥処理施設の計画を巡り「中津川一新の会」(菅井陽一代表)が展開、有権者の半数近い3万人超の署名を集めた。
    【小林哲夫】

     出直し中津川市長選 中川前市長も出馬へ 3人目
    01  
    岐阜県中津川市の前市長、中川鮮(あきら)氏(74)は17日、同市の出直し市長選(来年1月15日告示、22日投開票)に立候補する意向を明らかにした。中川氏は支持者らを集めた会合で、市政の混乱を指摘し「自分が前に出て解決していかなければ。それには市民に思いを受け止めてもらうことが必要だ」と述べた。これで3人が出馬の考えを表明した。 【小林哲夫】

     統一候補で調整大詰め 出直し中津川市長選  2011年12月16日
     
    市の大山耕二市長(62)が辞職表明したことで来年1月22日に実施が予定されている出直し市長選に向け、反市長派の超党派市議の会と、市長の解職請求(リコール)をした市民グループ「なかつがわ一新の会」が、統一候補の擁立を進めている。告示(1月15日)まで1カ月を切り、調整は大詰めを迎えている。
     両会は統一候補擁立を目指して連日のように協議を続けているが難航。市議の会は東美濃農協(中津川市)の青山節児・代表理事専務(60)を統一候補とすることを模索したが、一新の会が「リコールに中立の立場という青山氏の姿勢は受け入れにくい」と反発。
     市議の会の中にも「3万人を超すリコールの署名をしてくれた人に説明ができない」などと青山氏を統一候補とするのに慎重な市議がおり、調整が続いている。
     出直し市長選には、大山市長が立候補を表明。首長経験者が立候補を検討し、経済界にも他の候補擁立を求める意見があり、混沌(こんとん)とした様相となっている。
     (本田英寛)

    これまで、反大山市長で歩調を合わせてきたリコール運動の母体が、市長選挙の候補をめぐって、「JAひがしみの」(本店・中津川市)の代表理事専務、青山節児氏(60)が、立候補の動きを見せた途端、足並みが乱れて、収拾がつかない状態になっている。

     反市長派に「すきま風」/中津川市長選2011年12月15日
    ◆市議「支援で結束」 市民団体「推せない」
     13日夜、反市長派の市議と市民団体「中津川一新の会」のメンバーが市内で顔をそろえ、出直し市長選について約2時間話し合った。
     立候補を要請していた候補者を断念することも報告された。終盤には青山氏が姿を見せ、出直し市長選に立候補する意向を伝えた。「中間派として市の対立を解消したい」と訴える青山氏に、一部からは「中間ではだめだ」と、批判的な声が飛んだ。反市長派は、大山市長の解職の是非を問う住民投票に向けた署名活動で3万人超の署名を集め、新市長誕生のために協力してきた。だが、その大山市長は辞職を表明し、住民投票は中止される。
     反市長派でつくる「超党派議員の会」の市議の大半は「市長への批判票を一票でも逃したくない」と、青山氏支援で結束しようと動き始めている。だが、一新の会には青山氏へのアレルギーが強い。あるメンバーは「青山氏は当初、住民投票の署名活動に積極的ではなかった。推せない」と打ち明ける。1月15日の出直し市長選の告示を約1カ月後に控え、一枚岩だった反市長派にほころびが見え始めている。

    ◆市長派は準備着々
     一方の市長派は、出直し市長選に向けた準備を進めており、マニフェストがもうすぐ完成するという。
     大山市長の後援会の井戸俊作会長は「相手が誰でもやることは変わらない。市長にふさわしい人は誰か訴えていく」と話す。市議会の市長派与党「緑政会」の伊佐治由行市議も「青山氏は行政経験もなく手腕は未知数。今までどおり大山市長を支えていくだけだ」と、同じ考えだ。市長派の市議や市民団体「中津川市の未来を守る会」は、各地で市長を招いた市政報告会を開催。今後はチラシで、「対立から融和」などと訴えるという。

    ◆地元財界は様子見段階
     中津川市選出で、自民党恵北支部長の早川捷也県議は「青山氏は行政に携わったことがなく無色。(分裂している)市議会の保守系をまとめられる」と話し、支援する考えだという。自民県連は、大山市長が初当選した2004年と、08年の市長選でいずれも推薦した。だが、早川県議は「混乱を招いた責任は大山市政にある」と指摘しており、来年1月の出直し市長選で推薦するのは難しい状況だという。中津川市は2005年に長野県の1村を含む7町村を編入合併した。青山氏は早川県議と同じ旧郡部の出身。「市議会の保守系会派を分裂させた」大山市長に批判的な声が多い市財界からは「県とのパイプが太い人がいい」と、別の候補者の擁立を望む声もある。中津川商工会議所の幹部は「青山氏がどんな人物か詳しく知らない」と話し、今のところは様子見の段階だという

     ここで、私の意見を述べてもいいでしょうか。もう一ヶ月しか残っていない時期では、大山市長を再選させないためには、中川鮮(あきら)氏を引っ張り出そうとする市民グループが市議会議員グループと、政策協定で統一候補にして勝つしか道はありません。それ一番現実的です。

     中津川の町の政治的風土は、今や革新的な意識の思想ではメシは食えないと思う人ばかり。それが頭でっかちの左翼ははやりません、と大抵の人は思っている。市民グループが市政に意見を通すには、妥協しながら、本丸に近づく方法を学んでほしい。らっきょの皮むきのように純粋を貫くと、実は得られない。中川鮮が市長に当選した時の投票数を見ると

    市長選挙
    平成12年4月16日
    中川 鮮 (63)17,926票無所属
    小林房吉(75)13,255票無所属
    平成16年4月18日
    大山耕二(54)19,628票無所属
    中川 鮮 (67)13,137票無所属
    平成20年4月20日
    大山耕二(58)25,418票無所属
    中川 鮮 (71)18,641票無所属
    中村正人(70) 1,988票無所属

    平成12年17,926 平成16年13,137 平成20年18,641と、中川さんを押す市民クループの票は伸びていない。保守が勝手に転んだときにしか勝てないという現実を知らないといけない。その後、県議会補欠で候補した際の結果は

    県議会議員選挙(中津川市選挙区定員2)
    平成18年6月25日(補欠)
    当選平岩正光(50)12,081票自由民主党
       中川 鮮 (69) 7,105票無所属
       今井祐司(36)  7,045票民主党
    平成19年4月08日
    当選平岩正光(51)14,749票自由民主党
    当選早川捷也(63)12,964票自由民主党
        今井祐司(37)12,700票民主党
        三好通男(77) 3,434票日本共産党
    平成23年5月11日訂正

    早 川 捷 也 14,399票
    当 平 岩 正 光 14,020票
       島 田 千 寿 13,956票

     中川 鮮さんが 7,105票のところ、自民党で立った平岩正光さんは12,081票だ。ダブルスコアとは言わないまでも、惨敗。市長経験者をこんなに傷つけていいものか、応援する支持者(幹部)は考えてほしい。瑞浪市長は4期まっとうして、静かに引退している。静かな引退生活を送らせて上げてください

     中川さん、もう少し第三者の客観的に見て、中津川市の方向性を打ち出し、分裂をまとめる役目に徹してほしい。市民グループのカチカチ頭を柔軟にして、反市長グループをまとめる仕事に徹して、リーダーシップを発揮してほしい。ドングリのなんとかは、やめてほしい。

     市民グループの皆さんへ、現世ご利益の政治を望む現代人に理想を説いても、通じませんよ。40代から50代からリーダー有望株を探して、10年後を目指すくらいの市民運動をしてほしい

     中津川市の友達が新聞見ていうには、市長選挙の記事ばかりだ、という。立候補者は大山、青山、中川、佐藤、平岩の5名、なんという混戦。これなら、大山候補の勝ち抜けだ。リコール運動に賛成した反市長大山の(市民の)意志が実現不可能になる。

    <中津川市長選>自民県議と市議が出馬 12月22日(木)2時51分 自民党県議平岩正光氏(56)と、市議佐藤光司氏(62)が21日、出馬の意向を明らかにした。市長選の出馬表明は5人になった。

    ●平岩正光氏(56)は「現状があまりに混乱しているので出馬を決めた」とし、「リニアなど夢のあることを力を合わせて、いい町をつくっていきたい」と語る。同市議を3期務めた後、県議(自民党)に転じて3期中。
    ●佐藤光司氏(62)は、市長解職請求(リコール)運動を進めてきた「中津川一新の会」(菅井陽一代表)が反市長派市議らと擁立。「現市政は市民の声を聞いていない。反市長派市議らと頑張っていくしかない」と出馬理由を説明。リコールのきっかけとなった図書館建設や、し尿・下水道汚泥処理施設計画を「白紙撤回する」と述べた。佐藤氏は市議5期目。

     すでに市長選に出馬表明しているのは、
    ●大山耕二市長(62)住民投票の実施前に辞職表明
    ●青山節児氏(60)元JAひがしみの代表理事専務
    ●中川鮮(あきら)氏(74)前市長。
    岐阜県中津川市の出直し市長選(来月15日告示、22日投開票)。【毎日新聞 小林哲夫、石山絵歩】

    青山節児氏(60)▽前市長、中川鮮氏(74)▽県議、平岩正光氏(56)▽市議、佐藤光司氏(62)の四氏は、反市長なら完全に分裂だ。佐藤光司氏は辞退の方向らしい。青山、中川、平岩で話し合いを持つだけの根回しができて、統一候補なら大山市長といい勝負になるが、このままいけば、リコール成功、選挙は惨敗になる。市民運動の連中は、バカかエゴだ。うがってみれば、大山市長の作戦勝ち。

    選挙:中津川市長選 1月22日投票

    中川 鮮さん 前中津川市長 2006.05.04 中津川市 市長選の結果、分析 2008.04.26 冬、来りなば 2006.01.05

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    2011年11月11日 (金)

    手で考える、手を鍛えることが必要だ

    Higonokami 花森安治さんが、子供が小刀で鉛筆を削ることの重要性について語り、小刀で削るのは指で考え、それを通して頭で考えることであって、小学校の教室に(手回しの)鉛筆削りを置くことはとんでもないと異議を述べていた、と天野祐吉はCM天気図(朝日新聞)で書いている。 たちどまれ日本 天野祐吉

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    20100112org00m040067000p_size8Yngvbryc 花森 安治(はなもり やすじ、1911年10月25日 - 1978年1月14日):編集者、グラフィックデザイナー、ジャーナリストである。生活雑誌『暮しの手帖』を創刊した。ユニークな服装をしていた。確かスカートをはく男性であったと思う。は、中立的な立場で、出回っている生活用品を実験して、商品の良さを消費者に伝えた。この公正さから、評価が高かった。製品作る側、メーカーの側にも、利用する消費者の側にも、支持される雑誌だった。義姉が愛読していたから、よく聞かされた。この雑誌は月刊ではなく、不定期刊行(季刊だったかも)。

    昭和20年代までは、小刀をつかって鉛筆を削っていImagesた。小刀には、「肥後守(ヒゴノカミ)」と書いてあるのだが、小学生にはこの意味がわからなくてね、まあ、無視して使っていたが、そのうちBonkamisori01ボンナイフで鉛筆を削るようになった。小刀=ナイフでは、すす竹とヒゴを削って杉の実鉄砲を作ったり、もう少し太い竹で紙をつめて撃つ紙鉄砲を作った。竹の水鉄砲の小型のもの。こういうのが出来るのは、小学校5年、6年だ。怪我しないわけでないが、そのことを親があまり叱ったりはしていなかった。

    小刀(ナイフ)より大きい鉈(なた)が使えるのは、中学生くらいであった、身体能力の発達によって、使える道具が明らかに違っていた。中学二年、三年でこの鉈が使えると、山の木を切り倒すとか、能力が一人前と客観的にわかるものだった。

    正月の三が日過ぎて、町内の門松を集めると結構大量になった。その当時は町の人たちが近くの山から松を切り倒してきていた。その集まった門松で、小屋を作って、子供たちの遊び場になっていた。

     冬場だから、畑などが空いていたから、そこに穴を掘って、掘っ立て小屋を毎年、中三が先頭でやっていた。私が二年生だったときには、中三のセイちゃんが先頭でやってくれた。まず四方に柱を立て、輪郭を作ってから、壁の部分に順次杉の葉を敷き詰めて、風が吹き込まないようにそれを厚くした。完成すると、中は三畳から4畳の広さは逢ったと思う。そんな小屋が中学生の能力でできた。これもナイフを使う能力が、鉈に変わり、腕を上げた結果だろう。

     このドンド小屋は、中津川市の風俗であったが、禁止された。ナイフ使う能力、鉈を使うチャンスを奪ってしまった。たしか、小学生に火遊びなど、年上の子が教えるから、危ないとか。悪いことも教えたが、たての人間関係も成立する場であったが、禁止することで、その「風俗の伝承」も切れた。

    コレと似たものは、秋田横手のカマクラがそれに似ている。雪だから山の木をきったりはないから、続いているが、穴の中に入って子供が楽しむ点では同じだのだが、木曽地方にあったドンド焼き前のドンド場がなくなった。禁止決議は昭和26年の小学校と中学校合同生徒会長会議で決定された。

    かくして、安全な規範のなかで、子供を含めて人間は安全に守られていくのだが、こういう危機を乗り越える各自の能力は低下してしまう気がする。

    中津の町中央を流れる四つ目川の欄干が低くて、昭和20年の一月機関区つとめのSさん、多少酩酊してのご帰還の途中、欄干の下へ落っこちて翌朝死体が発見されて大騒動だった。危険はいつもあるのだけどしょうがないものかもしれない。いやはや、文明の進歩と不器用さはつながるのか。

    帝政ローマも、初期の軍は強かったが、繁栄してくるに従って、ローマは軍の能力も下がり・・・という解説がある。これはやわらかいものを食べ、ラクをしていくうちに蛮族の勇猛さが欠けてしまうせいだという。これが文明であったとしたら、文明はあまりありがたくないことかもしられない。現代社会もにている。

    Bon6 昭和24年ころ、小刀からボンナイフで鉛筆を削り始めた。担任K先生は、それを見て髭剃りの使用済み“両刃のかみそり”をくれたが、それでは押す側にも刃があるから手を怪我しながら削ったが、あまりありがたくなかった。

     日本人は、ご飯を食べるのに箸を使っていたし、ナイフで鉛筆を削っていたから、器用だったのではないだろうか。また、相撲がつよかったのは、全国的に和式便所で毎日何分か中腰で座って下半身が鍛えられていたからだと思う。その生活様式で、腰と下半身が鍛えられたのだと思う。洋式トイレが普及して、日本の青少年の身体的特徴が消えた。相撲の褌姿が嫌われて、強い青年が相撲に来なくなってしまった。相撲というスポーツはやめますかね。

    Cd053105000a158_mpop  「危険だから」ナイフではなく、手回し「鉛筆削り」機が普及したので、鉛筆削りの上手下手がなくなった。人間の機能や能力を進歩を妨げてしまうのだが。性格占いとして、鉛筆の削り方で、こんなのがあった。長めに芯を出すのがのんびり屋、短い芯は短気で、ちょうどいい芯を目指すのがちょうどいい。知っていましたか。

    今ではシャープペンが普及して、芯の太さは一定だし、芯を削る必要もない。効率という点を追求すると鉛筆はシャープペンになる。効率こそが一番だとみんな思っているのだろうか

    「手で鉛筆を削る」という簡単な作業が、小学校1年では難しく、ようやく3年生くらいでできる、成長の過程を自覚できるものだった。小刀(ナイフ)を使えると、まず、木で作ったのが短刀だ。次が、二股の木を切ってゴムカン(木の股を利用したパチンコ)。石の弾ですずめを打ち落とすのが、子供の遊びであった。ナイフが子供は当然使えるし、ポケットにいれて遊びに出かけていた。野蛮な遊びがごく日常であった。それによって、手も足も、鍛える日々だったような気する。

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