この人の仕事振りをみていると、殆ど余暇というもののない生活のようで、その鬼神ぶりには、頭が下がる。慈恵医大を卒業後、血管外科を専門とした。
日本で外科専門医。首や脚の血管がつまる動脈硬化症や、大血管が膨れる大動脈瘤などの治療を専門にする血管外科医だ。95年に米国に渡り、以後11年間、米国で外科専門医になるに厳しいトレーニングを5年間受ける。成績が悪いと、切り捨てられる。新卒の医学生約3万人中、外科研修医の枠は1/30の1000人。http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/20060302/
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日本では、手術の症例が少なくて、勉強にならないからと、思っていたところへ学会の発表で動脈瘤を切開する手術ではなく、血管内へ写真のようなステントグラフトを入れて、膨張している血管を膨らむのを防止する方法が発明されたと読んで、大木は、無給で働くという申し出をして、アルバート・サインシュタイン医科大学の研究室へもぐりこんだ。
ここまでは、努力する人間ならそこまでやるだろう。認められて、ステントグラフト挿入手術をやらせてもらえるには、チャンスが必要だ。チャンスはどうやって掴むか。これが難しい。毎日、手術用具の整理は清掃が与えられるだけで、手術にタッチするチャンスは来ない。家族引き連れて、今までの貯金を崩して、アメリカでの生活は焦りがあっただろう。
有名になった人には、そのチャンスの瞬間がある。森進一は、先生がスカウトしたが、デビューするきっかけがなく時間が過ぎたので、先生の家のオモヤの前で土下座をして訴えた。大澤親分の孫、大澤あかねは、小さなアルバイトのえきすとらに出ても、母がテレビ局へ電話して「アノ後ろにいた子、名前はなんですか、もっとセリフを言わせたらどうでしょう」と関係者にファンのようなふりをして、サクラをやっていたという。芸人のデビューも劇場で声援をどいんどんやる。涙ぐましい応援が結構影響するらしい。小沢征爾(指揮者)は、チャンスがあるたびにそれを得て、ステップアップして、そういうチャンスを三つ以上掴めば、頭角を現す、という。
研究室で手術のチャンスが来ないので腐るところだ。いかにしたらチャンスがつかめるか。大木隆生は、アメリカのステントグラフトは目が粗く雑なものだったのを一人研究室に残って、これを改良していた。手が器用だったのだろう、その作品を教授がたまたま見て、君は天才だ、といった。これが彼のチャンス、きっかけだったようだ。それからは、順調だ。
大動脈瘤という病気は、石原裕次郎で有名になったが、彼も大木隆生教授にこの方法で手術をいうけたら、死ぬことはなかったのではないか、と思った。
膨らんだ血管の壁に負担をかけないようにステントグラフトで血液の流れを淀まないようにするわけだ。まだ、その手術した血管が永久にもつのか、そのあたりがよくわかっていない部分であるが、切開手術することができない人には、手術の体力への負担がすくなくて、いい結果のようだ。

ステントグラフトを患部へもっていく技術が名人芸に近いワザだ。これは一箇所だけの単純な場合だけではない。
血管外科では6人の外科医で毎年、1800件以上血管外科手術をしている。秘書、専属看護師、保険事務員、臨床検査技師、実験補助員ら計40人のスタッフが配置されている。
6人の外科医は、手術記録やカルテなど雑用はないので、手術と診察、研究開発、論文執筆や講演活動などに専念できる。彼らの平均年収は5000万円で、当院の内科医の約4倍だ。日本の100倍もする年間500万円の医師賠償責任保険料も、あまり負担ではない。http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/090414/index.html
アメリカは41歳でわたり、動脈瘤の手術は場所がわるいとほとんど医者に見放されてしまう。その症例を大木隆生のところへ来る。外来をみると、一日80名は見てしまう。その間、休憩も食事もしないで、夜中四時までかかるという。鬼神に迫る。
「ありかとうございます」と感謝される仕事を選んだのだというから、それだけやる医師冥利というものがあるのだろう。
プロファッショナルとは、なんですか?と司会の茂木健一郎が聞くと、「プロフェッショアナルとは、究極のアマチュアリズムだと思う」と答えた。なるほど、という感じがする。アマチュア精神ということをじっくり考えたい。
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