2011年11月 1日 (火)

優秀な「受付のおじさん」(公立小学校)紹介

Photo 大企業でトップまで勤め上げたAさんが、定年になって、念願だった教員(小学校か中学)になろうと、その可能性を探った。普通、年齢からしてダメだろうとして断念するところ、彼は臨時でも、講師でもと問い合わせをしたという。彼の知力、体力の面からいえば、校長でも十二分に勤められるし、ヒラ教師にしても、もったいない能力だと、私は個人的に思う。

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彼は、年齢という壁にぶつかって、持っている能力が生かせないでいた。彼の挑戦は、あきらめず、教育委員会からシルバーセンターへ紹介されて、某区「(小中)学校受付員制度」が発足するので、そちらへ応募したらと勧められた。

●区内54学校へ二名ずつ、合計108名を採用。
●朝8時15分から午後4時まで(実質7時間)
●日給5,045円(休み時間を除くと時給735円)
●(1学校二人勤務)就業日数は1ヶ月10日
●年間二百日勤務で、担当は約100日。

●仕事は、来校者の訪問目的、氏名記載
●不審者の通報
●雇用者は教育委員会とシルバーセンター
●上司は、校長とすべての教員
●雇用期間は1年間、更新は、雇用者と被雇用者の都合で。

●受付の10メートル以内で、勤務する。職場を離れない。
●不審者を監視するため、新聞雑誌を読む許可はない。
●生徒・児童の個人情報に立ち入らない。

「学校受付員」という肩書きで、三年間つとめ、それを彼は「受付のおじさん」(源流社)という本にまとめた。

Photo その中で、彼の仕事ぶりは、その学校受付員制度中できちんと規則を守り、子供たちとキャッチボールをするにも、受付から10メートル離れない場所でキャッチャーをやり、(個人情報だだから)子供たちの氏名をむやみに聞かないし、立ち話でもプリベートに深入りをしない、そういう気配りは完璧であった。

 朝8時15分から生徒の登校に間に合うように入り口を開錠して、生徒に「おはよう」と声掛けをるよう、そのコミニュケーションの時間を楽しみにしていた。500名の生徒全員の顔と名前を覚えるために、名札と顔を必死に覚えようとした。クラスの名簿を入手すれば、容易になるが、個人情報保護制度では、受付員には範囲外のことだから、それはいけないこととして、彼は自分自身に禁じていた。このチョロマカシて、名簿を手にいれる、子供から聞き出すなど、裏の手があるが、彼は断固やらないのだった。これが彼の堅さであり、信頼の元になっている。

個人情報保護法ができるときは、雑誌。出版界では。大反対の運動があり、その先頭にたっていた彼であるが、こうして制度が施行された現在は、「悪法も法なり」ソクラテスが語った言葉だったと思うが、それを彼はきちんと守って、やってはいけない『個人情報』には立ち入らない。

 また、受付員の見ている前で、ケンカやいじめがあれば、それを説諭するのは、受付員の役目ではない。間に割って入り×のポーズをして止める。説諭は教師の仕事、権限のない範囲に入り込まない。女の子でイジメを受けていたら、以後も気をつけてみる。泣いていたら、慰めの言葉をかけるにしても、3年生以上の女の子には、必要以上に接近したらいけないのである。

 先生は、生徒と自由に交流ができるが、受付員はそういう自由はない。悔しい思いをしただろうが、それは書きたくても書いていない。勤務内で、自分の持つ能力を発揮する機会は与えられる仕事ではないが、与えれられた範囲内で子供を理解し、励まそうと努めていた。私だったら、制度そのものに意見を言いたくなって煙たがられるところ、彼は制度のなかで懸命に任務を果たしている。これが、どこでも受け入れられる彼の優秀さである。

 最後辞めるにあたり、卒業式後の謝恩会で、(彼は招待されていないので)副校長にお願いして(会の冒頭に)最後の挨拶をした。「ありがとうございました。」お世話になった礼とともに、光文社に勤務していて、こんどはT大で「報道倫理」の講座をもつことになり、多忙になった理由を語り、去っていく。まあ、「竹林の七賢人」や「寒山拾得」のように、最後まで正体が見えないままの人もいるが、彼としては、「お世話になった礼」と自身の説明をしておきたい気持があったのかな、と思う。校長や副校長は、「受付員」が辞任にあたり、挨拶の場をつくる気遣いがほしいが、たぶん「受付員」の辞任など、頭にないのかも。

 これは私の意見であるが・・・・、社会で働いた人を学校に「シルバー教員」として副担任として置くと、教育の幅が出るだろう。彼のような社会で30年、40年の知恵をもつ人を学校教育で活用する知恵があると、公立小学校も、私立小学校に奪われてしまう生徒を引き止められるだろう。

 シルバー世代の知恵を子供、孫世代に残すチャンスをつくることは大変貴重なことだ。『年寄りが死ぬと、大きな図書館がなくなるのと同じ』ということわざがあるらしいが、多くのシルバー世代の持っている知的財産を墓場へ持っていく前に、生きている孫や子に与えたい。シルバー世代は、そういう機会をもちたいし、孫や子の世代は、老人世代の持ち物を吸収するいい機会になる。特に公立小学校、中学に訴えたい。

※『年寄りが死ぬと、大きな図書館がなくなるのと同じ』は、国連事務総長アナンやオスマン・サンコンも紹介しているが、ギニアの格言と言う人もいるし、マリのアマドゥ・ハンパテ・バーという人の言葉ともいうが、アフリカで広まっている言い伝えであろう。紹介者は、フランス語の原文も紹介している。
En Afrique, quand un vieillard meurt, c’est une bibliothèque qui brûle.

 コレも、「観光通訳と外務省キャリア」のユニット化、「学校教師と文科省キャリア」の一体化、このアイディアと一脈通じる。学校の先生は、経験と能力があれば、先生になれる。田んぼの先生、クリーニングの先生、配送の達人は先生になりうる。そういう、先生が他の能力のある人を先生にする知恵を持つべきである。英語のネイティブを英語補助教員にするようなことができればいい。教員が余るなら文科省に採用せよ 通訳ガイドと外務省外交官試験 連動させよ

 制度の枠をはずして、敗者復活戦、あるいはサッカーの一軍、二軍入れ替え戦のような制度が、日本社会にあると、みんな真剣に自分の職を守るために勉強もするし、上昇するために活気づく。どの官公庁も、公立教員も必死に努力する。負けても、勝ちあがるチャンスがある社会を日本は持つと、TPP反対で農業を守るだけでなく、知恵があると勝てると思うだろう。

 この仕事と同時に、マスコミ関係の講座を持とうと、大学の講師の口を探していたが、ようやく東京の某大で「マスコミ」関係の講座をもつことに、一年賭けて見つけ採用された。彼の職歴からして適職である。彼は、それを足を棒にして探す労を惜しまない。的確な動きをしている。

 彼は、この本を棺おけに入れる本であると、決めている。彼は、大学卒業前から光文社へ1/500倍の倍率で入社した優秀な学生だった。その半生がほとんど書かれている。いい本になっていた。

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2011年10月31日 (月)

自費出版フリーマーケットで売れるか

« 青空の下 皇居周辺の散歩 気分爽快 | トップページ

2011年10月31日 (月)

自費出版フリーマーケットで売れるか

02_2 自費出版で本を作る側は、見栄えがよくて、本屋の店頭に並ぶようにしたい。できれば、かけた費用を回収したいと思う。

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フリーマーケットで自分の詩集を売っている人を見かけることがあるが、まず売れているとは思えない。よほど幸運な詩集でないと売れない。贈呈本として差し上げるなら、喜んでくれるケースが多い。“ひととき”投稿の方、自分の写真集を売ってみたい、と試しにやってみて売れなかったという体験記である。

自費出版した人の願望は、売ってみたいというこだ。実際、商品として「写真集」をフリーマーケットに出してみると、本というのはいかに売れないか、実感として感じられたのである。人は「なぜモノを買うか」という大きなテーマにぶつかる。食べ物、消耗品など生活必需品なら、買うかもしれないが、「詩集」「写真集」、どうしても欲しいなら買うだろう。生活の余裕、趣味に合致していれば、買う。

さて、最近の本を出版する会社は、多くは「売れて儲かる」本をいかに作るかが先行している。というより出版経費を作者に負担してもらう工作が多くて、いい本を出版することは難しい。有名人のゴシップとか、話題の人の本は、一定部数は消化できるから、出版社はそういう固定ファンのいる人の本が出るが、一年も持たないで消える。その後話題にもならない。

自費出版だといって、一冊目はOKだが、連続に贈呈本をもらっても、前の本の謝礼もしていないと気になるものだ。トクに自分の趣味でもない短歌、俳句集もらっても、本心は困っても顔に出せないし・・・。俳句のベテランともなると、数年ごとに出版する。強引な人は、1000円、2000円という本を売りつける。気の弱い人は、顔が引きつるのを感じて払わされている。

短歌、俳句集をもらったら、読んでわかる分かりやすい一句を見つけて、そのことを賞賛する、それなら間違っていないから、それが一番無難な対応になる。できれば、同好の人に配ってそちらの世界でお願いします。という気持、案外多いのではないか。

自費出版とは関係ないが、芥川賞、直木賞をとっても、売れている人とそうでもない人の差、激しいだろうと思う。それは、司法試験を通っても、弁護士として繁盛している人とそうでもない人は差は大きい。似たような現象はどこにでもある。

 自費出版でなくても、ケーキにしても、ラーメンにしても、野菜、果物でも、売るのは難しい。これも、売るコツがあるのだろうと思っている。ヨーカ堂、イオンで売っている菓子と個人商店で売っている菓子、全く同じ商品で値段も同じでも、売れ行きが違う。売る方、陳列、宣伝、集客数、その辺のリサーチが個人ではできないから、行き当たりバッタリで、見てくれた客にアピールするしかない。

この投稿者の「写真集」、全国国民、全員が見れば、ひょっとして売れるかもしれない。あるいは、コレが有名な石坂浩二が写したとか、有名な写真家がオビで激賞しているとか、付加価値があれば、違った目でみてくれる。売り方が問題だ。

必需品でない「自費出版」の本、宝石の販売なら憧れ、資産価値として、売れるかもしれないが、フリーマーケットで一冊売れたら大した販売力だ。みかんなら、試供品で味を見てもらって、「うまかったら」買ってくれ、といえるが、本は一度、「写真集」は見たらオシマイだ。保存しておきたい、という願望をもてないと、購入には至らない。

どうやったら、「写真集」は売れるのだろうか。この「写真集」は内容は雲らしいが、親戚の人にコネで無理やりかってくれ、と泣きつくことになる。

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2010年9月 1日 (水)

家なき子のレミと平野レミの関係

5439 捨てられていた乳児をバルブラン夫妻が育てるが、旅芸人にレミを売り飛ばしてしまう。捨て子のレミが旅芸人ビリタスと共に旅をしながら、過酷な環境でに生きる姿は 涙をよぶ。本当の母親を探す姿を描く。

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原作はフランスの作家エクトール・アンリ・マロの19世紀代表の児童文学。健気なレミの姿が胸を打つ、壮大な冒険ストーリーである。

54485450 小学6年生のとき、図書館で「家なき子」(講談社、少年少女世界名作選集)をクラスメイト数人と競争で読んだ。文章の書き方もちょうどよかったのか、読書が楽しかった。レミ少年の不幸と幸せが身につまされて、読んだものだ。その感動は、長く心の底に残っている。それを改めて、DVDで見ると、子供のときには気づかなかった背景がわかってきて、違った面を理解した。

そのころ、担任の澤田寿美子先生、「大人になってからもう一度読むと、違った感想がある」と、先生は、「三銃士」を読み直した感想を語っていた。子供向きに書かれたものには、見させたくないもの、聞かせたくないものが、案外あるのだろうな、と子供ながら思った。

今回DVDは、大人向き?子供向き?あいまいな作品だったが、子どもの売り買い、旅芸人の世界、実母伯爵夫人を死んだ亭主の弟が口説いているとか、そして、その義弟が財産ねらって、レミを殺そうとするシーンなど、多少、子どもには聞かせたくないのか、と思ったが。

5500 作品の中で、大型の船をパリのセーヌ川にうかべて療養するというシーンは覚えていたが、病床にいたのはレミの弟だったが、この作品では母が病弱という形になっていた。大きい船だった印象だったが、船を作る予算がなかったのか、わりと小さい船だった。

5405_25408なぜレミは伯爵家から連れだされ、路上に捨てれれたか。それは、夫の死後、伯爵家の後継者として財産をねらった義弟が人をつかって、遺産相続権利者であるレミをなき者にして、自分が継承者になるのが目的だった。

5431 だから、レミが見つかってからは、人を介して、レミの命をねらう。最後は、散歩に連れ出して、湖に落としてを水中で殺そうつしたが父代わりのビリタスが助け、義弟は増水した川に流れていく。傷ついたビリタスは、レミに船の夫人がレミの本当の母だと教え、早く会いに行くようさとし、自分は傷ついた体を休めている間に絶命する。

5480 時代は1800年代半ばの作品だ。テレビも、携帯電話も、冷蔵庫もないし、洗濯機もない。そういう世界にいると、モロに人間と人間のぶつかり合いがはっきりする。

「家なき子」のレミの名は知っていたが、それがレミだろうが、ミレだろうが、あまり意味を持たないが、ラジオをよく聞いていたころ「平野レミ」の名が耳にとまった。

W932450100817 TBSラジオ番組コーナー『ミュージック・キャラバン』(久米宏)の公開生番組コーナー曲のイントロで、平野レミが、繰り返し「男が出るか! 女が出るか!」呼んだ。その番組を聞いていたイラストレーター和田誠が平野レミに惚れ、その縁で1972年和田と結婚した。

平野レミは、料理家として有名になったが、咳こむような語り口は今でも、変わらないが、その当時も、ゲテモノ的な突き抜けた個性があった。最近の活躍(デリバリーキッチン)。彼女自身が語ったのか、誰かほかの方の説明か、

父親平野Img_09_05 威馬雄ひらのいまお)

彼の父(平野レミの三代前)がスコットランドの貴族の家系で、ナポレオンの最初の皇后ジョゼフィーヌの近い親族の子孫

フランス文学の権威で、「レミの会」をやっているとわかった。「レミの会」というのは、みなしごや、親に育ててもらえない子を引き取って育てているのだと聞いたから、興味もった。

20050901org00m040019000p_size7_2 そんな関係で、娘にレミと名付けたらしい。元気の良さは抜群で、和田さんと結婚したときの話も、あけすけに語っていた。「アレって、毎日やるものだと思っていたけど、ちがうんだね。うちはめったやらないの」と、数週間に一回と回数をイメージさせる話を平野レミは語っていた。

上野高校へ入ったが、受験勉強で必死の同級生をみていて、自分はそういう勉強していては、耐えられないから、「学校をやめたい」と父にいうと、「いいよ」と簡単に許してくれた。

人間には個性があるから、個性にあった生き方をすてば、生き生きした生き方ができる。その父の度量に感動した。その度量の広さが、夫和田誠に会ったとき、感じられて、ケッコンに踏み切ったと語っている。

料理愛好家・シャンソン歌手 平野 レミさん

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2010年5月13日 (木)

五木寛之が「親鸞」新刊を無料公開

5sinnrann 五木寛之の「親鸞」上巻が無料で読めると新聞に全面広告があったので、確かめてみた。ただで五木寛之の新刊本が読める。「青春の門」で感じさせてくれたエネルギーとは違うが、最近の作品には、人間の生き方を考えさせる作品が多い。

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Ws000001親鸞〈上巻〉全文無料公開指示に従ってソフトをインストールする手間があるが、そのあとは、わりと簡単にできた。

Ws000002

操作方法は、書いてある指示は以下の通り。Photo

Ws000005_2 親鸞〈上巻〉全文無料公開が始まる。

読み始めると、平安時代の末、闘牛の話で、少年時代の親鸞がそこへ覗きにいっている。少々文章のテンポも、のんきな感じがする。万人の読者を相手にしていると、このくらいのゆるさがいいのかも。

宗教に救いを求めている人が読むのだから、これでいいのか。そんな理解で読み進めている。図書館で借りてまた返してしまうと、手元に本は残らないから、同じようなものだが、今後インターネットブックが流行ると、本の所有意識はどんな変化するのだろう。

本をもっていて、それをのちの参考にしたり、読み返したり、人に貸したりした。その自分の本になったら、どんな利用の仕方も自由だったが、今後、それを貸したりできなくなるのだろうか。

今回は、上巻だけを無料公開して、下巻は買ってもらおうという戦略のように見える。まあ、一ケ月の限定公開というのは、書店での「立ち読み」の許可と同様なのかもしれない。

宗教知る 幸福の科学 国政進出、第二公明党か 良寛70晩年の恋 貞心尼29歳 チベット動乱で聖火拒否の善光寺僧侶  時間の有効利用、ヨガ教室、仏陀再誕  禅宗(曹洞宗 万福寺)からの贈り物  共に縁を結ぼう 結縁の勧め  伊勢神宮の精神性は何か  一休宗純 宗派の垣根を越えた行動 

親鸞と五木寛之知る 他力本願と悪人正機説   親鸞「他力本願への道」  不況と親鸞 文芸春秋五木寛之対談  語らざれば、憂いなきに似たり 五木寛之

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2009年11月 7日 (土)

そして、太宰治と愛人太田静子

8185 8188 太田静子は小田原の一寓に母と引っ越してきた。母は思いの外、瀟洒な住まいが気に入った。まるでメルヘンのようだと喜んでいたが、引っ越して四日後から母は入院してしまった。引越しと母の入院については、太宰に手紙を書いていた。太宰治の作品が映画化され、撮影が進んでいたので、太宰は静子の近くに頻繁に来ていた。彼独特の電報が「アスイチジ オダワラエキ」ときた。静子が小田原駅へ行くと、太宰は30分も前から来て待っていた。

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8213 8230 「お母さんの見舞いに行こう」と花束を買って、病院へ静子と行く。太宰は病室前まで来ると、花束は静子に渡し、病室の外にいて、母の様子を外から見ていた。静子は母を桜の園のラルフスカヤみたいな人だという。それを太宰は確かめに来たような様子だった。母も彼が自分を見ているのは気づいているのだが、どうも太宰は小説の材料として母を観察にきた・・・としか思えない。

8259 戦争が激しくなって、昭和20年7月、太宰は家族を連れて津軽の実家へ疎開してしまう。それから1年半は、東京へ出てこない。静子の母が死んだと手紙を出して、太宰との関係が復活してくる。静子には、もう三十代半ばになって、母を失い、目の前に太宰はいない。小説家としてやっていくには自信がない。持ち物は売ってしまい、売るものも無くなってしまった。

太宰へ母が亡くなったと知らせると、彼から返事がきた。
「拝復 いつも思っています。なんてヘンですね。正直に言おうと思います。お母さんが亡くなったそうで、お苦しいことと存知ます。
今日日本で仕合せな人は誰もありません。でも、もう少しなつかしいことがものかしら。青森は寒くて、イヤに窮屈で困っています。
恋愛でもしようかと思って、ある人をひそかに思っていたら、十日ばかりのうちに、ちっとも恋しくなくなって困りました。タバコを1万円近く買って一文なしになりました。いちばんおいしいタバコを十個だけ押入れの棚に隠しました。いちばんいい人と命がけで生きてください」
そして、欄外に「コ ヒ シ イ」と書き添えてあった。太宰の精神てきなボンボンぶりがよくわかる文章だ。相手の気持ち逆なでするような「恋愛でもしようかと思って、ある人をひそかに」とか、タバコを1万円近く買って、とまるで、そんな浮世離れしているから、何を考えているのか、わからん。

静子は手紙を貰って、太宰の愛情を確かめたくなった。太宰が静子だけを見つめてほしい、当然の願いだが、手紙でそれを求めたのだ、と私は思う。

8231 もう、下曽我(小田原)の優雅な生活を続けていく資金も底をつき、どうしたらいいか、三つの選択肢しか残っていない、と最後通告のような手紙を書いた。

「私の生きていく道を考えました。
①若い作家と結婚してマンスフィールドのように小説を書く生活
②私をもらってやろうとおっしゃる方のところへ再婚して、文学なんか忘れてしまって、主婦として繰らす生活
③それから、名実ともにMCさんの愛人として、暮らす生活。

8217 この三つのうち、一つを選んで、進みたいと存じます。このうちどの道が一番よろしいでせうか。MC様にお尋ねくださいませ。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
太宰治様、私の作家マイチエホフMC」

静子の女の勝負を掛けた手紙で、太宰を追い詰めている。言葉の駆け引きでは、太宰は自分の方が上だと思っているから、仕掛けられた勝負に面白がりながら乗っていく。静子の手紙に対して、最初、電報で応じている。

8195 「アハレ ワガ  イノチ」と打ってきた。その二時間後に、もう一通の電報がきた。「セイカツのコト シンパイスルナ オサム」

 そして、手紙がきた。楽しんでいるように太宰は三段階で気持ちを伝えてきた。
「お手紙拝見、いさい承知いたしました。
 下曽我のあそこはいい所じゃあありませんか。もうしばらくそのままで、天下の状勢を静観していらしたらどうでせう。
 もちろん私はおじゃまに上がります。そして、おもむろに百年の計を立てることに致しましょう。あわてないようにいたしませう。
 あなた一人の暮らしのことなど、どうにでもなりますよ。安心していらしゃい。雨の一日です。あなたも雨の中で書いているのですね。油断大敵。小田静夫という名前で手紙をください。またお手紙ください。静子は今までと違う。」と、

「静子は今までと違う」と、思わせぶりな太宰の手紙だった。それを確実なものにしたいと、静子は手紙を書く。

「静子は今までと違う・・・と、夕方になって考えついたことは、行き着くところまで行きたい、ということでございました。私は小さなことは考えないことにしました。」と書いて、最後に「赤ちゃんがほしい」

この「赤ちゃんがほしい」という静子がストレートに書いた一行に太宰治がたじろぐのだった。静子のまっすぐな気持ちに応えられるか。太宰の言葉、得意な文章で書けるか。

書いているのは「文章は得意だと思っていたが、これほど苦手、不得意な文章で」と述べている。

「静夫さん、お苦しくなったご様子、それではなにもならない。かえって、心の落ち着く恋、憩いの思い、なにも気取らず、はにかまず、怯えない仲、そんなものでないと意味がない。こんないやな仲、と見つけた」シドロモドロになって、文章が意味をなしていない。「いこいの草原、私はうちめものを大好きですが、でも、それはまた違うんです。やっぱり会って話してみないといけません」シドロモドロが続き、体勢を整えていう。

「私はあなた次第です、赤ちゃんのことも。あなたの心が映る鏡です。虹、あるいは霧の影法師です」と苦し紛れに言い逃れしようとしている風に見える。

8218静子としては、私一人を見て、愛してほしい。と、今太宰に問いかけ、問題提起している。それを突きつけられて、大地主のボンボンは、40歳近い歳で腰がすわっていないから、土壇場まで来ているのに逃げるか、ごまかせると思っているのか、とも見える。

自分の責任、自分の主体的な引き受け方を逃げて「鏡です」といういい方をするのは、ちょっと頂けない。静子は「赤ちゃんがほしいです」という要求は、このあと、静子のいう愛=赤ちゃんがほしい、というレベルになると、愛を現実化する方向へ向って、女の強さに男は口先だけでゴマカシきれなくなる。真剣勝負で女が臨んでいることだ。

「私は影法師なんかに恋してたくはありません。私が一つの胸の灯火や蛍や星のように映っているのでしたら、お別れします。」ここまで言われると、太宰は完全に負けだ。主導権は静子に移っている。なんとか、言葉でなだめることはムリになっている。

8271 1年半の青森津軽での疎開生活を終えて、三鷹へ戻る。静子が手紙を出すと、一度相談があるから、三鷹へ来るようにと返事があった。太宰には、今、「桜の園」をロシアから日本に舞台を移したアイディアが涌いていた。それを静子の生活の中に見出していたので、彼女の日記を借りたいと思っていた。太宰は静子を三鷹へ呼び寄せるために地図を書いて送っている。

8186 静子は久しぶりに太宰の自宅を訪れた。奥さんもいる家では、静に話をして、太宰は静子が書き綴った「斜陽日記」を借りたいと申し出る。静子はしばらくどうしようか、考えていたようだが、うなずいて「ウチに取りに来てくれたら、お貸しします」という約束して帰る。

これが静子が太宰に仕掛けたワナだったのか、小田原の下曽我の桃源郷と呼んでいた自宅へ来た。我が家へ迎えた太宰に「斜陽日記」を貸し、その夜は静子の家へ泊まった。それから一週間ほど泊まってから、帰った。

1a809aeb その「斜陽」は、桜の園を下敷きにして、静子の「斜陽日記」を借りて、完成した。そして、静子のおなかには、赤ちゃんが宿っていた。出版された「斜陽」は大評判になり、静子は出産して、治子という「治」の一字を与え、自分の子供である認知の証を残したが、出産後数ヶ月で1948年(昭和23年)玉川上水にて山崎富栄とともに入水した。治子は太宰治と一度も会っていない。

太宰治が コレだけの女を苦しめ、悩ましてこの世を去ったのちに松本清張が作家としてデビューする。同じ年なのに、出発点がかように違う。

6月13日、ライバル太田静子に宛てて最後の書簡を投函(「修治さんはお弱いかたなので 貴女やわたしやその他の人達にまでおつくし出来ないのです わたしは修治さんが、好きなので ご一緒に死にます」)。同日深更、太宰と共に玉川上水へ投身Wikipedia

太宰治と愛人太田静子   そして、太宰治と愛人太田静子   生誕100年 太宰治と松本清張は同じ年: 試食ならぬ試読 太宰治「清貧譚」

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2009年9月11日 (金)

半島へ、ふたたび 伝えるものは何?

02H2_02 新潮ドキュメント賞(選考委員:櫻井よしこ 、柳美里 、柳田邦男 、藤原正彦 、藤原新也というから、内容が深いかと期待したが、期待通りというわけには行かなかった。

この賞のあやうさを感じる。授賞式に出た人からチラッと聞いたが、蓮池さんに賞を贈ることで売れ行きが違う。だから、新潮社の意図を暗黙のうちに汲んでいるのだという。

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01_3読み易い文章ですらすら読める。旅行記としては、悪くはない。北朝鮮に拉致された人だから、名称の意味も解説しているし、北と比べて韓国のことを書いているが、平凡な個人旅行記である。作家に会って話しをしているし、狭い道を見つける探索など、小さなエピソードがある。

朝鮮、韓国の歴史にそって、日本人に伝えるべきものが何かあるはずだ。その深みを伝える力が弱い。蓮池さんの知識からすると、できるはずだ。ハングルが使える人なら、もっと掘り下げて観察ができるはずだ。

彼の立場は、まだ帰還しない拉致犠牲者が北にいるから北にいたときの話を赤裸々に語れない部分もあるだろうが、李舜臣「孤将」を翻訳したのだから、朝鮮の歴史的な痛みを共感できる部分がないのか、その辺に筆が及んでいないと思った。

「半島へ、ふたたび」は、その第一部で、二部には彼のブログから採録した文章が並ぶ。なぜ翻訳者になったか、その過程が書かれている。これは、タイトルに魅かれて買った人には、余計な部分、水増しだ。半分この内容とは違う。羊頭狗肉だ。

蓮池さんの努力は立派だが、作家として結果が求められる。伝えるものをしっかり伝える、この狙い、歴史観がないと感動も訴えも薄くなってしまう。折角の語学力も宝の持ち腐れになる。

ジェンキンスさんの本には、期待しないで読んだから、額面通り北の生活を読み取れたし、タラップ降りてきて妻とブチューとキスしたシーンの場面を娘と言い合う話は面白いと思ったが。こちらは、英語で書いた原稿を翻訳とリライト加筆したのだから、本人が書いたとはちと違うだろう。

作家蓮池さんには、期待が大きいので、ハードルが高くして見てしまう。その点で、蓮池さんには辛いことかもしれない。24年の拉致生活で彼を有名にしている。作家スタートには有利な立場だ。本を出そうとすれば、一流作家並に出版社から喜んで出してもらえるアドバンテージがある。内容が貧弱だったら、それは淘汰される。がんばれ。

チャールズ・R・ジェンキンス「告白」  

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2009年6月12日 (金)

著作から新聞デビュー 講演活動へ

Photo_2 「極道の世界から仏の道へ」が、新聞に紹介された。小林さんから下野新聞を送ってもらった。乱暴なヤクザだった小林さんが、僧侶になり、こうして有名な存在になっていくのを見るのは、著書を手伝った私としては、うれしい。

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まだ、オーストラリアの放送局から取材を申し込まれているという。極道の道に染まった人間に外国メディアが興味を持ったという話だ。これでは、日本で知られる前に海外で知られることになる。

彼には、外国メディアだからと驚かないで上手に付き合うようにとアドバしスしたが、始めてのメディア攻勢に戸惑わなければいいのだが。今後、彼が目指している講演活動の支援になるといい、と思っている。数回のマスコミ取材で急に有名になるはずがないから、あとは地道な努力で実績を積んで、中身のある人間になることだ。

Photo_3 そうすれば、師と仰ぐ「高田好胤薬師寺管長」にも、紀野一義先生にも、恩を返せる。恩返しの人生の最初のステップとして、人々の要求に応えられる講演活動をしてもらいたい。その最初の一歩が半生の著作であった。その著作のお手伝いができたことは、私もいい仕事だったと思う。

下野しもつけ新聞は、本の出版社や値段まで紹介してくれて、ずいぶん親切だ。

ゴーストライター(著作代行) 録音テープ起こしの有効利用  極道の世界から仏の道へ

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2009年5月11日 (月)

極道の世界から仏の道へ

Photo 東北線の古河の住人の小林さんの著書をお手伝いして完成したので、送って頂いた。

特異な経歴を経ているから、怖い人と思い勝ちであるが、人の約束を裏切らない、素晴らしい人物である。純粋な生き方をしている。

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彼は団塊世代に生まれて、その後、中学卒業、高校中退して、後はヤクザの社会にどっぷりつかって、おまけにシャブ中毒で人格を破壊されたところまで行った人物だ。

刑務所に入って、ヤクが切れた頃に突然「幽体離脱」の体験をして、性格が変わってしまった体験を語っている。霊的な感覚が鋭くないと理解が困難な部分もあるが、あのヤクザだったあの人があんなにいい人になった、という事実存在する。

黄門様の陰について回る「風車の弥七」も、ヤクザから坊さんになった言い伝えがあるが、小林サン、同じ生き方と共鳴して、茨城県諸川村に弥七の石像を立ててしまった。

Img_0427 紀野一義先生と この事実を人物と共に語るのが、「極道の世界から仏の道へ」である。かれの実直な一本気の行動から、「高田好胤(薬師寺管長)」に可愛がられ、紀野一義先生に弟子入りしている。

Img_0428高田好胤薬師寺管長 托鉢で生活を続け20年、その区切りとして、半生を書きたいので手伝ってほしい、と連絡を受けて、彼の語ることをICレコーダーに取って、そこから一冊になるまでをお手伝いした。

今後は、彼小林義人氏は、講演活動ができればと思っている。彼のために「本」が世間に広まるようになればと思っている。本の発行:ブイツーソリューションISBN978-4-434-1317-6

Img_0423 現在の小林義人氏

306-0226 茨城県古河市女沼199-6 電話090-2408-8876

丸坊主、剃髪、プチ出家  五体を離れ自分を認識する幽体離脱 覚醒剤シャブ中毒の幻覚と怖さ  著作代行  段ボールハウス訪問

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2009年4月20日 (月)

赤い月 なかにし礼 母の満州体験

Photo_3 2004年に放送された「赤い月」

酒造会社の森田家がなかにし礼の家だろうと思って読んだ。このストーリーは、既にテレビ化されているし、映画にもなっている。なかにし礼の母波子を通して満州波乱体験は進んでいく。文庫本「赤い月」があったので、読んだ。

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Photo_4 昭和20年以降の目から見れば、あんな危険で虚構の満州へ行くことないと思うが、当時の血気盛んな青年だったら、「狭い日本に住み飽きた」と大陸を目指すように煽られていると、いくだろう。関東軍という満州国を支える日本人を守る仕組みができていたから、他人の土地も日本人の都合よく利用できた。だから、日本人は一儲けしてがんばるぞ!という気持ちだった様子がよくわかる。

大正9年、母波子は、石屋の娘でミス小樽に選ばれ、小樽港へ軍艦が集結する祝典のパーティで接待役をしているところへ、運送業で羽振りのいい男森田勇太郎がちょっかい出して知り合う。モガの波子は彼の馬車に乗ってドライブする飛んでいる女だった。美貌で気風がよく、てきぱき行動する。和装より洋装で、ダンスをする女、当時の時流の「女は太陽だった」平塚雷鳥のイズムに影響を受けていた。

勇太郎と知り合うときも、波子は士官学校出の少尉大杉と付き合っていた。女を男の僕としてしか見ない軍人のカタ苦しいところを振ってしまった。将来は士官学校出て、陸軍大学へ進む最高のエリートだったが。

Photo_5 ストーリー森田一家が小樽から満州に渡ったのは昭和9年5月のこと、母・波子は30歳、父・勇太郎は33歳、長男の一男は9歳で美咲は3歳だった。
 母波子達がたどりついた牡丹江駅には、当地の手引きを担う塚本という男がいた。勇太郎と波子は、小樽時代の知己・大杉寛治と、塚本の口利きで酒造りに活路を見いだす。大杉は関東軍の参謀副長、塚本は満州で幅をきかせる協和物産の社員だった。
 波子と勇太郎夫婦の必死の努力と、越後白雪のベテラン番頭・池田の尽力により、森田酒造は日本酒「弓鷹」の醸造に成功し、もともとの住民だった匪賊の襲来におびえながらも、財を成していく。
 波子達の奮闘があったからこそ森田酒造は成功したわけだが、その影に関東軍の大杉の力が大きく影響していたことは否めない。大杉は波子の初恋の相手だった。★

02黒龍江省  満州牡丹江に着いてからの苦難も順調にクリアしていく。満州で典型的なサクセスストーリーだが、突然のソ連の参戦で満州で築いた全てが崩壊していく。それが波子の行動とともに描かれている。それでも、『生きていく』ための彼女の価値基準、生きて日本へ子供たちを連れ戻す、そのためにはあらゆる手段を使うことが善であった。

第一章、森田酒造に家庭教師に入っているエレナはソ連のスパイだという密告書が保安部へ送られてきた。エレナは保安部にいる氷室青年と恋仲だった。その女に騙されているというわけで、氷室の上司牧田は、氷室を救いたいが、この密告書が憲兵隊へも行っていれば、と悩む。

氷室を使って、エレナの現地処分(臨陣格殺:司法手続きを経ないで処刑できる制度)を行わせることに決した。昭和20年8月9日、ソ連が満州へ侵攻開始するその日である。深夜2時、森田酒造へ家宅へ数十人の警察官が押し寄せて、エレナはいるか、という踏み込みだある。

肉体関係もあるエレナは、氷室と恋仲になり、騙し続けてきたから、情報を本国へ送り続けていたわけだが、8月9日、深夜、突如、踏み込まれ、正体がばれたと思い、逃げ出そうとしたが、数十人の警察に取り囲まれて、エレナは氷室の軍刀一閃、うまくクビを切り落としたはずだったが、氷室の胸に血しぶきが降り注いだ。

この章が「赤い月」に書かれた第一章である。なかにし礼は、交響曲描いているように「赤い月」を書き進めている。第二章が邦人総引上げの様子が描かれる。軍人専用列車に乗り込むために、エレナを切り捨てた氷室に頼み込む。

引上げも軍人家族が列車を優先的に利用できるのに、波子は自分の仕えるコネを最大限に利用して家族を帰国させる手段を講ずるのである。多くの徒歩で移動する人々が助けを求めても、彼らの貨車に追いすがる手を強引に払って、列車を進める。その意味では、列車に乗って逃避行できる波子、森田家の一行は恵まれたが、それでも、悲惨な旅である。

Photo_6 匪賊や満州の大衆が押し寄せてくる中、森田酒造に溜め込んでいたお金を帯の芯を抜いて縫込み、小額年生の公平(なかにし礼)に背負わせて、大金を持った。このお金がハルピンに着いて、最高級のナショナルホテルに六人が5日宿泊できた。ハルピンに来るまで5日間はフロも入れないし、食べ物も不自由した。列車の停車すると、饅頭を現地の満人が売りに来る。普段1銭で買える餡のない饅頭が十円だという。100銭で一円だから、1000倍の金額を吹っかけるが、ひもじさには勝てないから、日本人は今まで馬鹿にしていた満州人の言い値で饅頭を買う。50個も籠に詰めてくれば、50銭しか売り上げにならないのが、一気に500円になるのだから、笑いが止まらないだろう。

今の感覚で表現するえば、1個100円のパンを10万円だと言って売るのだから、50個家で焼いて売ったら。500万円になる。非常時の人間の異常さを感じる。

列車の止まっている線路下へ物売りが集まってきて、避難民は、腕時計とか貴重品と物々交換して食料品を手に入れたのだ。

nozawa22: なかにし礼 作詞家はラブレターから

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2008年10月30日 (木)

田辺聖子文化勲章ほんまかいな

Mww931465Bks0805010851001p1_4 大阪の文化人の文化度というのが、東京に住んでいると、よくわからん。田辺聖子のイメージは、かしまし娘の庄司照枝にそっくり。写真並べてしまうと差ははっきりするが。空気が似ている。根っ子は、関西の匂いという点ではまったく似ている。

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Photo 田辺聖子の文化勲章、誰が推薦したのだろう。ほかに受ける人はいないのか。人生相談の内容、どうもぴんと来ない。悪いはないが、普通のおばさんでもこの程度のことは言う。

田辺文学も、提案型でないから、表現の面白さ、題材の面白さで、読者が楽しめばいいのだが。文化功労章、文化勲章も頂いた方は、それだけで偉い人になるから、私の意見は無視して頂いていいのだが。

01 ノーベル賞を取ると、即文化勲章へという順番は、おかしい。勲章を授与する側に判断、調査能力がないのか。そうなると、文化勲章にしても、文化功労賞にしても、誰が決めているのか、基準はどうなっているのか、さっぱりわからなくなる。吉田茂、中曽根康弘、佐藤栄作は文化勲章、功労賞をもらったか?与える側にいると、「文化勲章」をやっとけ、という感覚?これも、教員採用の事務方へ圧力や賄賂が、もっと大掛かりで横行していやしないか。それを県水準より上のランクだから手が出ないし、マスコミも嗅ぎ付けないだけではないのか。佐藤栄作の沖縄返還が受賞理由でノーベル平和賞を受けた。が、それは相当いろいろの方面から受賞委員会へプ推薦プッシュがあったと聞いた。

以前、堺屋太一と田辺聖子が対談している文章を読んだが、堺屋は書くテーマがいくらでもある、というのに対して、田辺聖子はテーマがなくて・・・といっていた。ということは、具体的な事象を書いていくのが、田辺聖子の書き方になるのだろう。女性作家は、男作家のように論理的なテーマを追求にテーマを求めるわけにいかないんだな、と思った。案外、書く材料に枯渇している、とひそかに思ってみていた。

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