私が不二家でアルバイトしたのは、昭和36年頃。(早稲田)信愛学舎の先輩木下康さん(熊本市/商学部)が不二家に就職して、クリスマスに研修として行っていたので、アルバイト紹介してもらった。
大学2年の冬休みである。私は、彼女もいない、電車男陣内のようであった。
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新橋店を紹介受け、高田馬場まで、1時間半はかかって出かけた。始めて会った店長は50がらみ、夢路いとし喜味こいしの兄いとしと似た顔だった。休憩室で橋幸夫の「潮来の伊太郎」(潮来笠)をちょっと音程を外しながら、手書きメモを見て歌っていた。こんなにのんきにしていていいのか、と思ったが。
本社からの紹介だから、直ぐ採用で、明日から来てください。となって、その翌日から約2週間、不二家新橋店に続けて通った。春休みは、店長採用でまた2週間、今度は新橋駅構内の名店街に不二家でバイトをした。
一階店頭にはショーウインドウがあり、ショートケーキ、シュークリーム、エクレアなど。壁側は商品が多数並んでいた。普段は私たちアルバイトは商品補給、客の誘導が仕事だった。
ショートケーキのウインドウの中はレジ。レジの女性は背が高く、大柄、23歳。私より一つ年上、藤原紀香似の物腰も柔らかな女性だった。
商品を並べていると、件クダンの店長が出てきて、「品物を売るのは簡単、それまでの準備が勝負だ」と、商品を並べるまでを強調していた。歳の近い売り場主任がこっそり教えてくれた。「店長、本社会議で叱られて、ここの店に飛ばされてきた」年齢からすれば、もっといい役職につけるはずだ、とウワサされていた。
二階は、洋菓子喫茶があり、男性コックが二、三人とウエートレスが数人。クリスマスが近いので、クリスマスケーキが3階に山ほど積み上げられていた。クリスマスケーケーキは2週間以上まえから作って、用意してる。
普段のショートケーキなどは、毎日配達されてくる新鮮なものが多いが、クリスマスケーキはその日に作るというわけにはいかないから、クリスマス同日にどーんと売るためには、準備してストックが必要。
昭和35,6年頃のクリスマスは、クリスマスケーキがバカ売れした。控え室で昼飯を食べる以外は、ほとんど休憩らしい休憩はない。
不二家だけなのか、それとも他のお菓子屋はそうなのか、ねずみの被害が多く、お菓子の袋を破られて散らかっていた。夜閉店になるとショーケースのお菓子の上にトタン板のガードを全体に被せる作業を必ずやった。あと二週間に一回は、ネズミ駆除の粘着シートを店中に置いた。翌日来ると、大抵は一匹、二匹はかかっていた。衛生面で、この程度がその当時の水準かと思った。
主任から声がかかり、「一緒に行ってほしい」というから、付いていくと、放送局だった。某お茶漬けのモトの会社のロゴ入りクリスマスケーキを局の社員に配る仕事だった。コマーシャルを出す会社は、こういうサービスでコネを強くするんだ。がんばっている社会の裏を見た。
レジの紀香姉さんは、陣内似私を指名して本社のケーキつくりの工場へ一緒に行った。「タクシーを捕まえて」と命令するんだけど、田舎モンの私には、年末のタクシーは全然捕まらない。時間ばかりたって、紀香姉さんに軽蔑の目で見られた。それでも不二家の銀座工場内に行った。注文ケーキを取りにいったのだった。
工場内は、クリスマスケーキ作りは一段落している様子だった。ケーキの匂いと、床はバターの油脂でツルツルしていた。社員はケーキの上に絵を描いていた。ケーキを作る工場に入ったのはそれが始めてで以後ない。
クリスマスイヴは、店頭でケーキを売り切って、夜遅くなって、社員店員とアルバイト高校生も、喫茶室でささやかに祝杯をあげた。「去年のクリスマスもこんなだった」と主任が言っていた。店長はささっと帰ってしまっていた。
「帰っても門限でカギがかかっている」と、信愛学舎の話をすると「うちに来て泊まっていけ」と、主任がいうから、池上線沿線の彼の家に泊めてもらった。
二週間たって、最後の日、「紀香さん、住所教えて」とお願いすると、「いいわよ」と教えてくれた。あの頃は携帯電話もないし、メールもできない。手紙で始まるのが、その頃の付き合い方だった。電車男陣内の私は、とリあえず、住所メモをゲットして、また会える日を約束して、バイトを終了した。
数回、手紙のやり取りがあった。「バイトさんのいたころは楽しかったが、今は火が消えたように静かになって、大型は腰をすえる場所を決めなければ、と思っています」自称を「大型」という紀香さん、自分の結婚を暗示していた。不二家の本社社員と結婚すると通知が来たのは、数ヶ月後だった。
このころの女性は、適齢期意識が非常に強かった。22歳~25歳、ここを外すと、声がかからなくなるという強迫観念があるのではないか、と思えるほどであった。私が思っていたのではなく、一般的に。
この後、しばらくして、国鉄三河島事故があって、この店で働いていたAさんという子が事故に巻き込まれて死んだ。中背の可愛い子だった。21歳だった。勤めの帰りであったとか。不二家では、この彼女のほかにも、もう一人くらい犠牲者がいたようだった。
不二家に就職した木下康さん、数年勤めたが、やはり同族会社だから、という理由だけではないが、辞めて故郷熊本に戻ってしまった。
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