2012年2月10日 (金)

賽サイは投げられた カエサルの心中

Augustus1 「ローマ人の物語」塩野七生(ななみ)を読み始めたら、困ったことにストーリーが長いから、どこまで付き合っていけばいいのか、と悩むところである。ローマ史では、特に「カエサル」の存在が大きいので、これを日本人の我々は、どう理解、解釈したらいいのか・・・、中間報告しておきたい。

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共和政ローマの巨星、カエサル(英語読み=シーザー)は、ローマの歴史上欠かすことのできない人物である。このカエサルの登場してくるのは、西暦BC50年前後、日本で言えば、古墳時代か、その前弥生時代、やっと稲作伝来したばかりである。この頃には、ローマは地中海を中心にして世界を支配していた。

この世界を支配している帝政ローマ(元老院を中心の政治)は、属領から物資が入ってくるから、利権のヤマに暮らしているような社会になりつつあり、それの政治体制にメスを入れようと考える人と、保守的な現状維持をねらう人がいがみあう・・・(細かい部分を飛ばします)

 日本の歴史に引き当てると、私の見方では、ちょうど明治・幕末、日本国内の戦乱に西郷隆盛が登場したようなバックグランドがある。ちょうどBC50年前後の帝政ローマに起きた歴史の潮流は、同じ国でありながら、お互いに同じ国民が殺しあう時代だ。そう考えてみると、カエサルの役目が理解しやすい。

 それは、独裁者・スッラの死後、革新的な考えを持つ三人による三頭政治が始まった時代である。カエサル自身40代前半に、三頭の一人になった。他の二人は、彼より数歳から10年上のクラッスス及びポンペイウスであった。ポンペウスは、カエサルの娘ユリアと結婚していたので、親密な関係であった。ところが、娘ユリアは数年後死亡して、カエサルと距離を置き、三頭政治の共通の政敵である、保守的な元老院議員の娘と再婚にして、ポンペイウスとカエサルの対立がはっきりした。三頭のもう一人クラッススは、引き連れた軍がカルラエの戦いで壊滅し、戦死した。ここに、三頭政治は崩壊した。

 ここから、カエサルとポンペイウスの対立と戦いは始まった。カエサルが属領の軍事権がある間は、うかつにポンペイウスの所属する元老院の多数派も、カエサルを刺激しなかったが、任期切れを理由に、紀元前49年、カエサルのガリア属州総督解任および本国召還を命じる『元老院最終勧告』が発布された。カエサルを丸腰にして、追放を企図しているのは、味方の情報網がそれを知らせている。

220pxlocationrubiconRubicon 帝政ローマでは、軍を率いて、国内へ入ると政治バランスが崩れるので、配下の軍を連れ込まないのが「決まり」であった。その軍を率いて、ローマ境界のルビコン川の前に立って、法を犯してローマへ入ったらいいのか、悩んでいた。

カエサルは自派の護民官がローマを追われたことを名目に、軍を率いてルビコン川を越えたことで、ポンペイウス及び元老院派との内戦に突入した。1月10日にルビコン川を渡る際、彼は「賽は投げられた」言ったという。

Kaesaru01_2  ルビコン川を越えて、ローマに入ってはこない、とポンペイウス及び元老院派は考えていた。カエサルは法を守るはず。今までに軍を率いてローマ国内に入ってきた例はない、と安心していた。そこへ、「賽は投げられた」というビックリするニュースで、ポンペイウス及び元老院派は、大慌てでローマから逃げ出した。ポンペイウスには、大多数の元老院議員が同行し、ローマの政権は空洞化した。彼らは、イタリア半島の靴の踵にあるプリンディシへ集まった。政府金庫には多額のお金を残したまま逃走したので、カエサル軍はこの金を軍費として利用が可能になった。

ポンペイウス派の集合しているプリンディシに向かって、カエサル軍は急行したが、彼らは海上覇権を握って、船もカエサル軍になかったので、軍隊、元老院議員のローマ政治中枢がポンペウス派と共にギリシャへ渡ってしまった。ギリシャとしては、ローマの国内騒乱を持ち込まれて困っただろうが、あまりそのことは、ローマ人の歴史には書かれていない。

02 カエサル軍は後を追いかけてギリシャに渡りたいが、海上制海権がないので、船はないし、船を仕立てて港を出ると、ポンペウス派の軍船に攻撃され放火されたり、沈没されて、陸戦とは勝手が違って、なかなかポンペウス派を制圧できないでいた。小部隊(15000の兵と500の騎兵)でカエサルは追いかけてたが、ポンペウス軍の多勢で、攻めるに攻められないで、後便のカエサル軍の到着を待った。これが、数ヶ月待って、ようやくカエサル軍の残り(10000の兵、800の騎兵)がギリシャへ到来したが、カエサルの希望した場所とは方向違いに上陸した。5ヶ月も遅れ、先遣隊と合流して、ポンペウス軍を包囲する壕掘り囲んだ。軍隊の人数は、合計2万5000兵と1300騎兵(最終決戦では、2万2000兵と1000騎兵)である。対するポンペウス軍は5万4000兵と7000騎兵いた。

追加前のカエサルにポンペウス軍が総攻撃したら、名将カエサルも持ちこたえられないと見られたが、攻撃にでないで、ようやく合流したカエサルと戦う姿勢になった。カエサル軍はカエサルの指令で動くが、ポンペウス軍は、合議制で進めるので、まとまらないのが実情。元老院の地位の高い人が多く、彼らは軍は兵士が倍の人数がいるから、負けることはない、と思っている。だから、被害の少ないように守りを固め、それから攻撃する、コトを望んでいた。

勝機を見るには、将は一人で、敏捷に動かないと、チャンスは生かせない。そのため、最終決戦には、カエサル軍の弱みを見せて、ポンペウス軍の勝ちを確信させるように陽動した。カエサル軍は平原に陣を張り、ポンペウス側が有利な高台に陣を張らせた。

機動部隊である騎兵は、カエサル1000対ポンペウス7000であった。通常で考えたら、勝てない。ポンペウス側は勝利を確信していた。最終決戦場へ行く前、ポンペウス側の元老院議員たちは、戦勝後の地位や分け前について語り、祝宴のテントを張り、料理を用意していた。

03 勝利を確信するポンペウス側は高台に陣を張っているから、あわてずに相手が掛かってきたら、迎え撃つから、先に手は出さずに待ちの姿勢に終始した。カエサル側は、何度も戦う姿勢で出ては相手を威嚇しては戻り、数日から10日以上コレを繰り返した。これで、陣地から進むと敵陣に入るとか、肉体の疲れ具合もわかった。練習をくりかえした。

騎兵も、まともにぶつかったら、1:7では勝ち目がない。機動部隊の騎兵を押さえ込むことが決め手であると、戦いのベテランは考えた。馬の性格として障害物があると馬は避ける性格を利用して、馬、騎馬同士を戦わせないで、ポンペウス側騎兵が来たら避けて通して、それを後から兵と共に追いかける。騎兵の正面には古参ベテランの古豪兵を置く。馬の正面にやりを突きつけて、騎兵を止める役目を果たす。

ポンペウス側騎兵の先頭を止め。後ろからやりで突き、側面から攻めると集団騎兵は動きが取れなくなる。その人間の槍ふすまに囲まれて、機能を失に逃げ出す。ポンペウス側機動部隊が全滅して逃げ出すと、あとは歩兵部隊の応援に1000騎兵が出られて、後方からの攻撃が効果出る。歩兵部隊も相手が動かないから、こちらから一気に攻めるのではなく、中央で呼吸をあわせて、全員一致の行動が取れたので、効果的な攻撃が可能になった。

04 勝ち戦を想定していたポンペウス軍は、囲いを破って逃げ出し、二万以上の逃亡者が小高いヤマに上った。カエサル軍並の人数のポンペウス軍がその周辺に残っていては危険なので、周りを囲み、水や食料の遮断をした。こうすれば、戦うことのリスクを冒すことなく相手の降伏を導くことができる。案の定、数日後に降伏するために代表を送ってきた。これによって、ローマの政権はカエサルに全権が移った。

ポンペウスの敗戦がいち早く属領に伝わったことで、どこもローマの敗将を受け入れるところはなく、最後に頼ったのがエジプトであった。ポンペウスはクレオパトラの弟が受け入れると返事をくれたので、ではということで、船のなかで「エジプト市民」の前でスピーチ原稿を書いて、これで再起してローマへ戻れると考えていた。

クレオパトラの弟王の側近が迎えにきて、ポンペウスと数名の護衛と共に別の船に案内された。ローマ側の軍隊と引き離された途端、エジプト側船上で刺殺されたのが、ポンペウス側の船から見えたという。

03026 Photo_2 その6日後には、カエサルはポンペウスを追跡してエジプトに到着して、彼の死を知る。エジプトは、先王が死んでクレオパトラと弟王がお互いにエジプトの政権争いの真っ只中であった。弟王側はポンペウスの首を土産にカエサルを味方に引き入れることを考えていたようだった。カエサル陣営にポンペウスの生首が投げ込まれた。カエサルは丁重にそれを葬った。戦いは戦い、同じローマの政治を担うものとして、死した彼を厚く敬う姿勢を示した。

もともと、カエサルとポンペウスは、娘を介して、理解しあえる仲であったから、カエサルは話し合えば理解し合えると信じていた。元老院の保守派はカエサルの考えには理解がなかった。カエサルは敵であっても、戦争、争いのあとは、彼らを罰することはしたくないし、実際そのようにしてきた。今後の政局を考えたら、敵だったから殺すということはしたくなかった

Ph_04 一応のローマ国民同士の内戦は終結した。エジプトへ来て、こんどはエジプトの内戦に首を突っ込む形になり、クレオパトラはカエサルの力を借りたい、と思ったのは当然だろう。カエサルがクレオパトラの色香に迷ったとする説は、塩野七生はとらない、と書いている。女の色気作戦で近寄ってきたクレオパトラに、カエサルは乗っているようには見えるが、カエサルの遺書には、クレオパトラには心を奪われていないことが証明されている、という。

21世紀のアメリカの推移は、ローマの盛衰と同一に見られがちだが、確か共通する面も多い。

  • 世界を支配 ローマ賢帝ハドリアヌス時代 2011.10.08

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    2011年12月22日 (木)

    アルキメデスが活躍 第二次ポエニ戦争

    1 「ローマ人の物語」塩野七生を読んでいたら、ハンニバルがイタリア(古代ローマ)へ攻め込んで、(第二次ポエニ戦争)(紀元前219年 - 紀元前201年)約17年間、イタリア国中荒らしまわって、国土の大半を蹂躙して、ローマ側は首都防衛など守りに必死になっていた。その頃の話である。きょうの話は古いよ。

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    ハンニバルは、戦争の天才でアレキサンダー大王の研究をしていて、戦えば必ず勝つ、そんなウワサと信頼で、出発時の兵士は、イタリアに着くまでに事故や体調を崩してだいぶ減った。その上、戦死して減る。戦地で味方する国から兵士を補充して次の戦いに向かう。ハンニバルの軍は、全戦全勝の勢いである。相手になるローマ軍は、組織の国であるから、一年で指揮官が代わるとか、騎兵が少ないとか、イタリアには馬を飼う人が少ないなど、初戦は連戦連敗であった。それだけ、天才指揮官ハンニバルの統率力でカルタゴ軍は実に戦いに強く巧妙であった。

    Photo_3 カンネーの戦いが有名であるが、7万人のローマ軍を全滅させたトラジメーノの会戦を説明してみる。トラジメーノ湖に沿った道をローマ軍が通るという情報を得て、ハンニバル軍は道に沿った山中に兵を隠し待ち構え、ローマ軍の全体が逃げ場のない道に入ったところで、先頭部分に騎兵をしかけ、最後尾も押さえた時点で、山中に隠した兵が襲いかかる。湖しか逃げ場がないから、不意に襲い掛かられ、パニックに陥った7万人のローマ軍は、湖に沈んだという。数百人が泳ぎきってローマへ逃げ帰って報告したという。

     突然、古代ローマ時代の話になると話がしにくいが、まずハンニバルとはダレ?どこの国となる。第一次ポエニ戦争では・・・、ポエニとは、ラテン語「フェニキア人の建てた国」を意味する。つまり、ローマから見て「カルタゴとの戦争」ということ。

    Ruines_de_carthage カルタゴ(英語: Carthage):現在のチュニジア共和国の首都チュニスに程近い湖であるチュニス湖  (Lake of Tunis)  東岸にあった古代都市国家であり、現在は歴史的な遺跡のある観光地となっている。「カルタゴ」の名は、フェニキア語の「新しい町」に由来する。ポエニ戦争がなければ、ローマより勢いの国だったのに、それが第三次ポエニ戦争で、ついにカルタゴは滅びてしまう。長い間無人の国だったらしが、その遺跡はローマに匹敵するものがある。

    Photo カルタゴが先に発展して海洋貿易で繁栄していた。ローマはどっちかといえば、農業国で海洋貿易は弱かったが、イタリア半島のつま先の国シチリアがカルタゴに侵食されそうだ、とローマに助けを求めて・・・第一次ポエニ戦争、これが海上戦争で、ローマは船がない国だったが、あわてて作った船で、船の伝統がないから先入観のない戦いで、意外にもカルタゴに勝ってしまった。

    それから数十年後、第二次ポエニ戦争が、スペインにいたハンニバルが、ローマに攻め入る計画で軍を起こした。海を回っていくには、ローマ海軍に邪魔されるので、陸路を通ってイタリアへ向かった。

     その間の事情はWikipediaの説明を借りる。
     第二次ポエニ戦争=イタリア半島での戦い(紀元前219年 - 紀元前201年):ハンニバルはイベリア半島を制圧し、諸部族をまとめて軍隊を養成。5万の兵と37頭の戦象を連れ、アルプス山脈を越えてイタリアへ進軍し、第二次ポエニ戦争が開戦する。

    イタリア半島各地でローマ軍を撃破し、紀元前216年のカンナエの戦い(カンネーの戦い)ではローマを完敗させたもののすぐにローマ攻略へは向かわなかった。ローマは敗北を受けて「持久戦法」を採用し、指揮官となったマルクス・クラウディウス・マルケッルスはハンニバル軍に対して本格戦は避けながら果敢に小規模戦を仕掛けハンニバルを悩ませた。以後ローマへ進軍は許さず、イタリア半島では一進一退の膠着状態が長く続く。

    Photo_2  ローマ連合は、信頼関係が強く属国となった国はローマから離れないが、シチリア島の都市国家シラクサは、ハンニバルに破れ、カルタゴの一員になった。は防衛にアルキメデスも参加しており、彼の発明した兵器はマルケッルスらローマ軍を苦しめた。シラクサ陥落に際してはマルケッルスはアルキメデスは殺すなとの命令を出していたが、彼とは知らなかった配下の兵によって殺されている。アルキメデスは殺される直前まで地面の上に図形を描いて計算をしていたが、1人のローマ兵がこれを踏むと、「わしの図形を踏むな」と叫び、その兵士に殺されてしまった

    ローマ連合は、カンネーの戦い以後、ハンニバルと戦うのは避けて、絶対勝つような場面にのみ出撃し、あくまでも守りに徹したので、ハンニバルはイライラしたようだ。勝負が付かない場合、外征している側では、本国カルタゴから「何している」と矢のように勝利を催促される。イタリアの港がハンニバル側に一つもないので、補給に事欠く。洋上はローマ軍が制海権を持っていて、カルタゴから交代要員の兵士や武器弾薬、食料の補給船がきて追い返されてしまう。

    ローマ軍は、ローマ連合から離反したシラクサ(シチリア)を取り返す作戦にでていた。シラクサの攻防に、ローマ軍はアルキメデスの創作した武器が登場している。
     ローマ軍は、陸からも、海からもシラサクを包囲したが、シラサク城から、新兵器でローマ軍は攻めようと体を乗り出すと、
    ①投石器から石弾丸が飛び出し、場所を変えても、投石器は正確に飛んできた。シラクサ側は兵士は目で見ているだけで体は出ていないから打ち落とせない。この投石器で、横転して沈没する船も出た。

    ②クレーンのような機械。海側から縄梯子でいっせいに多人数でよじ登れば、城内に入り込めるだろうと、縄梯子をいっせいにかけてみると、城の側から②クレーンのような機械で縄梯子に乗っている兵士もろとも放り投げてしまった。そのような機械がいくつかあり、とても城へは攻め込めないでいた。

    ③「アルキメデスの鉤爪」
    シラクサ防衛のために設計された兵器の一種である。「シップ・シェイカー」(the ship shaker) とも呼ばれるこの装置は、クレーン状の腕部の先に吊るされた金属製の鉤爪を持つ構造で、この鉤爪を近づいた敵船に引っ掛けて腕部を持ち上げることで船を傾けて転覆させるものである。
    2005年、ドキュメント番組「Superweapons of the Ancient World」でこれが製作され、実際に役に立つか検証してみたところ、クレーンは見事に機能した。

    ④アルキメデスの熱光線」
    紀元前214年-紀元前212年のシラクサ包囲の際にアルキメデスが敵船に火災を起こして撃退したという説話を記している。数世紀後、トラレスのアンテミオスはアルキメデスの兵器とは太陽熱取りレンズだったと叙述した。これは太陽光線をレンズで集め、焦点を敵艦に合わせて火災を起こしていたもので「アルキメデスの熱光線」と呼ばれたという。

     このようなアルキメデスの兵器についての言及は、念入りに磨かれた青銅や銅の盾を鏡の代用とすると太陽光線を標的の船に集めることができた。これは、太陽炉と同様に放物面反射器の原理を利用したものと考えられた。
    1973年にアテネ郊外のスカラガマス海軍基地で実験を行った。縦5フィート(約1.5m)横3フィート(約1メートル)の銅で皮膜された鏡70枚を用意し、約160フィート(約50m)先のローマ軍艦に見立てたベニヤ板製の実物大模型に太陽光を集めたところ、数秒で船は炎上した。

    アルキメデスの原理などは、逸話としては数々知ってはいるが、古代ローマ時代、シチリアの都市国家シラクサにいたとは、「ローマ人の物語」で生きていたとは、ちょっとした感動であった。

    Romahanto 紀元前264年のローマ軍によるシチリア島上陸から第一次ポエニ戦争が始まり、第二次がハンニバルのローマ遠征で17年戦争でしょ、そして、第三次ポエニ戦争で、三度にわたる戦争が繰り広げられた。紀元前146年のカルタゴ滅亡し、この後、ローマは、BC紀元前から発展し、AD西暦100年代は最大の版図になる。 

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    2011年10月11日 (火)

    アメリカのデモ多発、オバマ再選苦境

    1599Img_1593 アメリカ国内で、抗議デモが起きているのは、900都市以上、1000の都市に広がっていると報道されている。この抗議運動は、オバマ支持でオバマ大統領当選にエネルギーを発揮した社会層である。このまま行ったら、共和党の勝利間違いない。ところが、彼らの要望は反資本主義主義、金融資本主義の犠牲者であり、共和党の考えに反する政策を求めている。

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    1627 中間選挙では、共和党が議席を伸ばした。そのとき活躍したのが、ティ・パーティ(茶会グループ)という、オバマ政権でワリ食っている白人、収入の安定した保守お金持層である。現政策に反対する層がエネルギーを発揮した結果、共和党を勝たせた。

     今オバマ政権は、自前の政策で貧困層を救う政策はなかなか立て難い環境にある。オバマ大統領が当選した時よりますます経済格差が進んでしまっている。それにシビレを切らせてた支持者の大衆が、ニューヨークでは、「ウォール街を占拠せよ」とのプラカードを掲げてデモをした。それが、ワシントンに飛び火して、シアトルから、900都市、1000都市の町に広がってしまった。900都市、1000都市の町といえば、アメリカ全土に広がっているということだ。そうなると、手がつけられない状態だ。

     アメリカの人たちは、日本人と違って、一人ででも、デモを始める。プラカードを作って一人ででも、行動する。この点は、日本人気質とは全く違う。個人では、国際的なアメリカの地位の下落、国際的な覇権とか、そういう問題を頭に置かない行動だ。こんな混乱がアメリカ国内で続くと、オバマ大統領も、エジプトなど北アフリカで起きた“アフリカの春”を歓迎したような余裕ある態度を示すわけにはいかない。

     デモはアメリカだけではない。イギリスも、フランスにも始まった。ギリシャのデモは、内戦状態だ。スペインもひどいらしい。日本は島国だから、のんきにしているが、世界の不景気は、世界中で猛威をふるっている。

    1628 デモの根本にあるのが、失業率である。アメリカは約18%、スペイン46%、ギリシャ43%、イギリス21%、イタリア28%、フランス24%、ポルトガル27%、ドイツ9%、わが日本8%。第二次世界大戦の敗戦国のドイツと日本が一桁でいいほうで、戦勝連合国が悪い。軒並み20%を越して、アップアップで、不景気を撒き散らしている。何とかしてよ。まあ、一人一人の就職率なら、100かゼロ、オールorナッシング、パーセントは関係ない。

     ギリシャ国債1年物は、利回りが136%になっている。これは破綻を意味している。早く破綻のアナをふさがないと、地球丸は沈没しますよ。EUの最大の危機だ。破たん処理は、日本がやった方式を学んでやっていてください、と関係者の中で語られている。そんなにうまく日本は不良債権処理したのか?利率がゼロに近いまま、預金者が受けるべき、金利を全部銀行、金融機関が食ってしまっている。日本の国民は怒らないから、のんきに今もゼロ金利政策をやっているが、利息がつくようにしたら、安心して金が使え、市場にマネーが回るのだろうに。

    各都市銀行も、低金利の恩恵と高い手数料(手続きを利用者が全部行うのに、である。一件700円の手数料で10件送金したら、7000円だ。パートの日給分を数分で稼ぐ)。そのへんの弱小企業の上前をはねて、かなりの高給鳥ばかりだ。特に一流都市銀行は。銀行でサービスで、手数料の割引なんて聞いたこともない。銀行危機で政府資金の投入で助けられ、返済に手数料とゼロ金利で返済に充てたらしいが、そろそろ、一般預金者にご恩を感じているなら、ソレを態度で示すべきだろう。

    Photo 比較的であるが、現状日本が安定しているから、円が上がって「円高」で、日本から輸出がしにくいから、日本企業が外国に出てしまうという現象が起きている。輸入している分が安くなっているから、物価が下がっていいはずが、下がらないどころか、10月から価格が上がっている。野菜の高騰が追い討ち。ダレが悪いか、さっぱり経済の責任が分かりにくく、追及しにくい。

    しかし、わかっていることは、1%の富裕層と大企業が金の99%の富を握っている。これがようやく一般の人にも分かってきた。それが「ウオール街を占拠せよ」というデモのプラカード文句になっている。

    20080606064554  そこで、金持ちの正体とは、どんなものか、それを追求したい。日本で繁盛しているウオルト・ディズニーの「ディズニーランド」「ディズニーシー」で、二千万人の人が一年間に高い入場料を払って楽しんでいる。ここから、何千億、兆に達するかもしれない金額をノウハウ、あるいは許諾権を持つアメリカへ、スルーと流れている。このアメリカへ流れる金額を正確につかんでいる人はいるのだろうか。

     パソコンのウインドーズの中に操作頭脳部分をOSと呼ぶが、そのOSがすべてのパソコンにXP、ビスタ、セブンと呼ばれて、それが組み込まれ、それをありがたく使わせて頂いて、著作権料として、アメリカへマネーが流れている。それも、何千億になるはずだ。これも正確に分からない。このアメリカへ流れるマネーが日本の財源にあったら、きっと日本の歳入は赤字ではないかもしれない。

     今の現役f15戦闘機でも、アメリカに肝心な部分を握られ、ライセンス使用料/権利金を払っているはずだ。次期戦闘機f35でもそうだろう。パソコン機能のインターネットにしても、アドレスの最後につくドッココム、あるいは、どっとne.jpなど、これもライセンス使用料を毎年アメリカの管理者に支払わされている。アメリカに払う金額は、数千億円だろう。

    Wbc  アメリカの野球なのか、と思わせられる一件があったので、切り抜いておいた。アメリカが元を握ると、自分の国だけが有利に運んで、儲ける傾向がある。当然のように日本などは、いい様に絞られる。当然のように取られしまっているから、抗議の声をあげるべきだ。日本の野球人は抗議しているようだが、日本のプレーヤーはアメリカへ行ったほうがいいらしいが。

     こんなに世界中から、アメリカヘカネが流れ込んでいるのに、一部の人にしか配分されていない。北朝鮮への支援物資が横流しするとか、特権階級にしか行っていないと、北朝鮮のやり方を非難するが、アメリカも似ているじゃないか。

    特権階級の成功者の意識を変えるのは、ムリかもしれない。デモで追放するしかないぞ。アメリカの大企業のCEO代表者が社員平均の何千倍と給料を取る会社がある。企業は世界の国々から製品の中に権利/ライセンス使用料を頂戴して、ジャブジャブとマネーは流れ込んでいるのに、そんな貧しい人を放置するのか!

     私はこれらの状態を「新植民地政策」と呼んでいるが、先に権利を握るとソレから出る利益を全部とってしまう。このやり方は、ちょっと不公平すぎる。デモが起きて当然だ。著作権にしても、ノウハウ利用料は、せいぜい10年、多くても20年、あとは世界人類の共同財産にしようよ。

     パソコンOSのXP、ビスタ、セブンが無料になったら、もっと安くパソコンが作れるようになる。事実、セブンを利用しているが、XPで良かったと思う面が多い。もうOSのXPで、十分だから、機能を増やしたり、新しくすると複雑すぎて使いにくい。供給側の販売戦略に振り回されている。それで、どんどんお金がアメリカへ流れるだけだ。

    1%の大企業、富裕層に“お金の集まる仕組み”を説明したつもりだが、どうだろう。こういう仕組みは、金融市場では、これが起きているから、先物取引やギリシャ国債の暴落で保険になっているシステムを利用して稼ぐトレーダーがいる。こうなると、マネーは何のために存在しているかわからなくなる。

     不足しそうな農産物を先に買い占めて、高値になったら売り飛ばすだけの道具にマネーがなっている不幸をどうしたらいいのだろうか。40年前に大学の卒論で「恐慌は20年後、解消されている」だろう、と私は予想したが、見事に予想が外れた。

     こんなに金融市場が、商品を製造しないで、金を稼ぐ場所になっているのは、まともな人間が考えたら異常である。米が不作になったり、麦、トウモロコシが少なくなると稼ぐチャンスであり、沢山生産されると商品価値が下がり、不幸になるシステムはヘンなものである。沢山生産できたときは、翌年は余裕をもって働き、貯蔵して、あるいは生産を休んで、遊んでもいい、そんなシステムを考えてもいいはずだ。

     江戸時代、徳川政府は身分制度が、非人間の面もあるが、「士農工商」と商業を営むものを一番下層においたが、そこには「モノを生産せず、他人の生産するモノを左右するだけで稼ぐ、卑しい仕事」と儒教的な思想があった。その理屈は通っているが、しかし、武士階級も、商人に金を借りないとやっていかれなくなってしまった現実がある。カネというのは、厄介なモノである。

     そうして、富を蓄えていたり、富裕層の方々は、自分の一生を養う金額以上は、施しと言うと聞こえが悪いが、税、負担金として、あるいは目的のために富を使う義務がある、としたいものだ。現代の富裕貴族階級、格差社会の貧困層ではない側は、しっかりした愛国心をもってゼニを思い切って使ってほしい。そうしないと、暴力的デモが日本でもきっと始まるだろう。貧困格差のために、方策を考えるときは今だ。

    私の書いたことを経済学者は、明快に論文にして、世界に発表してほしいものである。

    参考資料1 http://japanese.irib.ir/index.php?option=com_content&view=article&id=21695:2011-10-09-12-08-38&catid=17:2010-09-21-04-36-53&Itemid=116

    参考資料2  http://japanese.irib.ir/index.php?option=com_content&view=article&id=21723:2011-10-10-12-58-47&catid=16:gozarash-kabari&Itemid=118 内容は以下の通り

    抗議者らは、アメリカの金融機関の政策は、富裕層のためのものだとしています。また、アメリカの経済状況だけでなく、アメリカ経済に大きなダメージを与えているイラクやアアフガニスタンでの戦争など、他の問題に対しても抗議の意を表しています。最近のワシントンでのデモは、ウォール街を占拠せよ運動が、現在、別の都市にも急速に波及していることを示しており、首都の街頭でも、同様の抗議が目にされています。

    こうした抗議の目的は、政府の政策の変更や民主党から共和党への政権交代といったことに留まりません。彼らはより大きな目的を追求しており、それはアメリカの資本主義システムの根本的な改革です。アメリカの抗議者たちは、民主党、あるいは共和党が政権を交代しても、貧困、失業、経済的な不正といった彼らの問題が解決することはないという結論に達しています。
    そのため、重要なのは、資本主義に則ったアメリカの政治、経済システムを変更することだ。言い換えれば、政権の交代、一部の政策の変更は、表面を改めるだけで、資本主義制度の大規模腐敗の根絶や不平等の解消にはつながらない、と考えています。

    専門家は、現在、アラブの春がアメリカにも波及しており、この抗議がアメリカの各都市に拡大して、人々の目覚めが広がりつつあり、彼らは要求の実現を諦めない。また、アメリカの経済状況の悪化、特に雇用に回復が見られないこと、銀行の破綻が続いていることなどから、多くの人は、アメリカ各地での国民の抗議はさらに続き、広がっていくだろう、と見ています。(アギーギー記者)

    金融に一言① アメリカ経済カリスマの誤算をあばく  税金高い社会か、税金安い自由の国か  ホリエモン、村上世彰がアメリカ経済  ニューヨーク発 基軸通貨ドルの没落   100年に一度の不景気 クローズアップ現代   投機資金を封ぜよ現代社会のガン  国家予算の1割貯蓄から日本再建    ビッグ3アメリカ自動車産業の衰退原因 財政再建策を 国民から募集せよ!

    金融に一言② ホットマネー石油へ流入大暴れ 中国とアメリカの間の日本の立場  ビルゲーツの「創造的資本主義」とは   機密費2億3千万円の行方 追及せよ  日本の大借金と 国民一億総懺悔  ギリシャ金融危機 ヘッジファンド大儲け 銀行よ、驕る平家はひさしからず2 銀行よ、驕る平家は久しからず1  銀行の態度にゴマメノ歯ギシリ  円高ドル安 1ドル=76円、いいのか日本 んだよ!クリック」よろしくね!
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    2011年8月23日 (火)

    独裁リビア カダフィ どこまであがくか

    06Rcaf38z9u  リビアでは、反政府勢力(民衆勢力)がリビア首都トリポリの中心部を制圧している様子。首都の9/10を制圧したらしい。日本のリビア大使館も、リビア政府軍の国旗を降ろし、反政府勢力の三色旗を掲げた。カダフィの長男、次男は、反政府勢力に拘束されていると報道されている。

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     今年の初めに始まった北アフリカに始まった民衆蜂起でリビアの隣国では、数週間で倒れた政権であったが、独裁国家リビアはカダフィの統制がうまかったのか、民衆に銃撃にまでいたり、半年後の今に至っても、国内崩壊の内戦にまで至っているエジプトがホメイニ師イランに類似 嫌う米国

    トリポリ市内で戦闘続く反政府派の首都制圧後も」(22日)画像再生できない場合は、「」文字をクリックしてください

    Rcalhz8q0 ところが、カダフィ軍側は、カダフィ長男、次男は政府軍側が奪還したと、発表した。現実としてわかることは、反政府勢力が、都トリポリの中心、緑の広場、カダフィのいつも市民に向かって演説する場所を多数の反政府市民で満ちあふれている。しかし、カダフィ大佐私邸のある地域に反政府軍が攻撃をかけたが、守っている親衛隊、傭兵隊の反攻が強く、反政府軍は制圧に失敗した、という報道がある。

     トリポリの空港も、首都の主要な建物、機関は、反政府軍によって奪われた。一方、国営テレビ放送画面上で、政府軍側についているが女性アナウンサーが拳銃をかざして、政府軍の手で守られていると、「最後まで反政府軍と戦う」と見得を切りながらアナウンスしている。

    02 反政府軍の勢力が国土の大半を制圧したのは、明らかになっている。国営放送の女子アナウンサーが銃をもって、戦う姿勢を放送する図は、明らかに最後のあがきに見える。放送局を警護していた政府側の兵士は射殺され、放送(座談番組)中に電波が停止して真っ黒な画面になったそうだ。たぶん放送局は、反政府勢力の手中に落ちたと判断される。

     しかし、一方的にカダフィ陣営が降伏する気はなさそう。しばらくは、戦闘が続き、犠牲者はまだ増え続ける。カダフィに戦犯として戦争責任を問い、イラクのフセインと同じように、死刑にするのだろうか。

    07   アメリカは、リビアの政権交代で介入してアフガニスタンやイラクの場合のように、手を出してアメリカに火の粉がかかるのを避けているのが見える。第一関係者であるフランスに攻撃などはやらせ、フランスが困ってアメリカに頼んできた段階で「アメリカの出番」となると見ている。イラクの失敗、アフガニスタンの失敗を踏まえて、アメリカは今までと違って「世界の警察」の役目を避けているようだ。そういうかかわり方が、できる(経済的な)状況ではない、と言えばいいのかも。

    カダフィ支配は終結」 オバマ米大統領 画像再生できない場合は、タイトル文言をクリックしてください。

    ヨーロッパ諸国、アメリカが注目しているのは、リビア南部で産出される石油である。世界で産出される1%というが、今後80年間、変わりなく産出できる埋蔵量があると推測されている。

    アフリカ大陸で最大の原油埋蔵量を持つリビアの原油権益への外国企業のアクセスが拡大すると予想されている。こうしたなか、リビアの反体制派に属する国有石油会社のAGOCOの情報管理担当者は、ロイターに対し「イタリア、フランス、英国などの国とは問題はない。ただ、ロシア、中国、ブラジルとの間に何らかの政治的な問題が出てくる可能性がある」と述べた。

    いまで、カダフィ政権に加担していた国、ロシア、中国、ブラジルが、新しい政権から疎まれて、今後はイタリア、フランスが主役になる。アメリカはカダフィ政権と一たん縁を切っていたから、今すぐ顔が出せない形になっている。新政権が国連等での正式な手続きが済み次第、関わるとしている。

    エジプトがホメイニ師イランに類似 嫌う米国

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    2011年8月17日 (水)

    イングランド北部の町ニューカッスル

    0194  スコットランドは英国とはいえ、別の国、イギリスというのはニューカッスルあたりまでのイングランドのこと。ロンドン(ヒースロー)空港に着くと、イギリスと思うが、スコットランドは、日本で言えば、アイヌのいる北海道というか、樺太のあつかいだ。しかし、地方へいけばいくほど、英国のよさが見える。

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    7983 7986 ニューカッスルの町並みは、100年以上歴史ある三階建てレンガ造りで、どっしり構えている。旅の後半はずっとそんな家にいた。木造で日本なら地震が来るから持たないかもしれないが、修理しつつ持たせている。

    西暦122年ころ、軍事上の重要な拠点であったニューカスルに ローマ人達が到達する。
    8016  ローマ皇帝ハドリアヌスの命により、ニューカスルから西部のカーライルまでブリテン島を横断する城壁(ハドリアヌス防壁)がつくられる。この城壁の東端に位置するニューカッスルは軍事上の重要な拠点であった。また、交通・通商の拠点でもあり、ニューカッスルは商業・貿易の街として発展する。しかし、AD400年ころには、300年近く続いたローマ帝国は崩壊し、この地からローマ人はいなくなった。

    8010 8013  海に突き出た高台に僧院の廃墟がある。「何もないよ」見ても仕方ないよ、と娘が言うから、結局外から見るだけだったが、女や子供の興味は引かない廃墟であるが、おじさんには見ておけばよかったのに、と思ったね。芝生の庭がひろくて、石造りの城砦風な僧院の遺跡は痛く懐かしさというか、地面に抱きつきたいようなよさがある。

      7998 異邦人(駆逐した旧住民)からの侵略を防ぐ、ハドリアヌスの城砦と関係があるだろう。この僧院は、以前はもっと北側の海の孤島にあったが、スコットランドに住むケルト人(先住民)の進出によって破壊され、そこから後退してニューカッスルの僧院へ引っ越したという。新しい領地を拡大する場合、住民に先立ち宗教者が先乗りしておくのが政治的な配慮である。スコットランドから後退したとはいえど、ニューカッスルの僧院はかなり頑丈な城砦に見える。

    8014ノルマン人のイングランド征服後、このニューカスルが再び軍事上の拠点となる。1080年にはイングランド王ウィリアム1世の命により、この地に木造の城が造られた。ヘンリー2世の代には石造りの城が造られた。13世紀から14世紀には、ニューカスルを囲む城壁が建設された。
     中世には毛織物産業や石炭貿易で栄えた。ペストが大流行した1579年当時、ニューカッスルは1万人ほどの人口のうち約2,000人が死亡した。

    ジョージ・スティーブンソン(ニューカッスル出身)が、産業革命のきっかけになった蒸気機関車を実用化した。1847年にはイギリスを代表する重工業メーカーアームストロング社の工場が建設された。造船業も盛んで19世紀末ごろには世界最大の造船所であり最盛期には世界の1/4の船舶がこの地で造られた。

    1854年にニューカッスル・ゲイツヘッド大火災(The Great fire of Newcastle and Gateshead)と呼ばれる火災が起こった。タイン川の対岸ゲイツヘッドの毛織物工場で起きた火災がニューカッスルにも飛び火し、大きな被害を出した。

    第二次世界大戦後、ニューカッスルは造船業が衰退、1970年代には炭坑も閉山となり、中心街の空洞化や失業者の増大、治安の悪化、人口減少などさまざまな問題を抱えながらも、産業構造の転換を模索し、商業・サービス業・観光業に重点を置いた政策を実施した。

    1980年代にはニューカッスルは、活気を取り戻した。しかし重工業の工場労働者をサービス業などへ転換することが難しく、失業問題の完全な解決にはいたらなかった。1990年代に入ってからは外国企業も含めた企業誘致なども行っている。

    住宅街の建物は、古い建物が多い。ロンドンで見かける外国人の姿は見えない。隣のおじいさんが、子供たちがにぎやかにしていると出てきて挨拶をした。簡単な英語だが聞き取れない。「Speak slowly please」と頼んで、ようやく英国紳士のおじいさんはにこやかに対話できた。How long do you stay? といったようだから、2days stay といったら、 2Weeks二週間滞在なんだと勘違いされたが、妹が姉の家にきて二日で帰るというと、日本人のあわただしさは誤解を生む。

    7978 イギリス人、ヨーロッパ人には、日本人のせせこましさには、理解できないようだった。休みなら2週間は当然泊まっているのは、普通だから、イギリス人のペースとは違うものだ。英国ブリテン島は外部からの侵略が多く、厳しい歴史がある割りに、生活習慣はゆったりしている。日本は海で守られた島国なのに、どうして、せせこましい生き方になっているのか、ちょいと不思議だ。

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    2011年6月22日 (水)

    ワーズワース ピーターラビット湖水の世界

    Imagescameb8fo   イギリスの湖水地方は、氷河期末期に氷河が溶けて作った湖らしい。スカンジナビア半島のスウェーデンの氷河湖と同じつくりだろう。イギリスの中央政府は、湖水地域に鉄道を通して発展させようと、何度も計画したが、一度目はワーズワースが、二度目はラスキンが先頭に立って、湖水地方の自然を守るために、活躍した。

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    8236062  氷河時代の痕跡が色濃く残り、渓谷沿いに大小無数の湖が点在する風光明美な地域でリゾート地・保養地としても知られる。1951年にはその大部分にあたる2292k㎡が国定公園に指定された。イギリス国内の国定公園としてはケアンゴーム国定公園に次いで第二位の規模を誇る。
     湖水地方は今から約15000年前の最終England0131 氷期の終了に氷河が衰退するとそのあとには氷河が土砂を削り取ったU字谷や圏谷が残る。これらが水を貯めこみ湖となった。湖水地方近辺は緯度が高く、平均気温が低いために遷移が進みづらく湖とならなかった部分はシダなどが繁茂した。森林限界以下にはオークが茂り、19世紀にはマツのプランテーションが開かれた。標高800mから900mあまりの山がいくつもあり、イングランド最高峰のスコーフル・パイク(標高978m)を擁し、イングランドでもっとも深い湖もある
    。(Wikipedia参照)

     この地方のこの鉄道敷設反対運動が、今日本でもナショナルトラストの原点となっている。だから、というか、自然保護の意識が高い。産業の発展(経済)も大事ではあるが、人間の原点を大事にする精神、つまり、イギリス人は「人が生きる」とは何かを考えていたわけだ。産業革命の発祥地でありながら、一方では、その産業の発展と同時に、そこで落ちこぼれる人間性というものを拾う精神がある。

    ナショナル・トラスト (National Trust) :歴史的建築物の保護を目的として、英国において設立されたボランティア団体。正式名称「歴史的名所や自然的景勝地のためのナショナル・トラスト」(National Trust for Places of Historic Interest or Natural Beauty)。 自然や街並みや歴史的建造物など、「国民の(あるいは世界の)財産として次世代へ引き継ぎたいが、所有権や法的・経済的な問題により維持が困難なもの」を守り、次世代へ引き継いでいくこと

     その「湖水地方」の景色は、自然を保つ姿勢がしっかりしている。日本と同じ島国で、日本38万平方キロ、イギリス(UK)24万平方キロ、人口は日本が一億二千万人、イギリスは半分の5500万人くらいだ。似たような状況でありながら、自然保護に関しては、意識が進んでいるのではないか、と思っている。

     「虹」 ワーズワース
    私の心は躍る 大空に
     虹がかかるのを見たとkに、
    幼い頃もそうだった
    大人になった今もそうのだ
    年老いたときでもそうありたい
     でなければ、生きている意味はない!
    子供は大人の父親なのだ。
    願わくば、私のこれからの一日一日が、
    自然への畏敬の念によって貫かれんことを!
     平井正穂編、イギリス名詩選(岩波文庫)

     ワーズワースは実在の郭公カッコウの声を聞いて、そこからヴィジョンやイメージやミステリ(神秘)を感応している。郭公という具体的な「鳥」の彼方に、魂に共鳴するヴィジョンを感受し、自然の崇高な奥深さにワーズワースは忘我の境地にある自己を謳うのである。
     ロマン主義は、どこにもない、しかしどこかにある理想の世界や、境地を絶えず求めてやまない心情の発
    として形象化される。『黄水仙に献げる詩』や『霊魂不滅のうた(Intimation of Immortality)』においても、ワーズワースは具体的な水仙や、森や野をうたいつつ、実はその彼方にある神秘的な心情の陶酔どこにもないが、まさに「魂の深奥」に存在する「共感の歓喜」を讃美しているのである。

    ウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth, 1770年4月7日-1850年4月23日):イギリスの代表的なロマン派詩人であり、湖水地方をこよなく愛し、純朴であると共に情熱を秘めた自然讃美の詩を書く。同じくロマン派の詩人であるサミュエル・テイラー・コールリッジは親友で、最初の作品集は、コールリッジとの共著であった。多くの英国ロマン主義詩人が夭折したのに対し、彼は長命で、1843年、73歳で桂冠詩人となった。Wikipedia参照

     恵まれた家庭に育っているが、フランスオルレアンで知り合って、子供まで作った女性とは結婚できずに、別れさせられ、イギリスで親の紹介で妹ドロシーの友人と結婚する。親の死によって莫大な遺産を相続して、経済的にはめぐまれている。

    300pxtale_of_peter_rabbit_12 ピーターラビットを書いた作家ビアトリックス・ポーターは、資産家のせいか、母親は近所の子供とは「ばい菌が移る」といって、遊ばせなかった。教育は、学校へは行かないで、家庭教師を頼んで教育した。だから、家庭教師とは仲良くしていたが、あぞび相手はにないので、虫や動物を相200709140008o3 手に遊んだ、といわれている。

    ピーターラビット(Peter Rabbit):ビアトリクス・ポターの児童書に登場する主役キャラクターであり、シリーズ作品の総称ともなっている。「ピーターうさぎ」と翻訳されている場合もある

    165pxyoung_beatrix ヘレン・ビアトリクス・ポター(Helen Beatrix Potter, 1866年7月28日-1943年12月22日):イギリスのロンドン出身の絵本作家。『ピーターラビットのおはなし』シリーズで知られる。
     1866年・サウスケンジントン、陶芸家で法廷弁護士の父ルパート・ウィリアム・ポター(1832年-1914年)と、紡績商の両親を持つ母ヘレン・ポター(1839年-1932年)の間に生まれる。両親ともにそれぞれの祖父母の遺産により生活を送っていた。

     幼少時代は、ナースとガヴァネス(家庭教師)によって育てられる。 また、他の子供たちとあまり関わることなく、イモリ・蛙・蝙蝠・ウサギなどを飼い始め、小動物や植物に興味を抱くようになる。何時間も飽くことなく観察し、外出や遠出の際にペットもよく一緒に連れて行っていた。ピーターラビットのモデルになったウサギも、この頃飼っていたという。いつも飼っているペットの小動物をスケッチしていたという。 夏は、パースシア地方・スコットランド・湖水地方などの貸し別荘にて過ごしていたWikipedia参照

     20051011 もう一人、天才ジョン・ラスキン、彼の才能は多岐にわたるが、親の多干渉で私生活は不幸であった。最初の恋は、50代になって18歳のローズと相思相愛の恋仲になったが、ローズの親が若過ぎると、反対され3年後に父親が返事をすると言われ、ローズが精神錯乱で入院し、ラスキン自身も神経衰弱になった。三年後、結婚問題で体をこわしたローズが1875年死んだ。

     その後、ラスキンは湖水地方に鉄道を敷く問題で反対運動で先頭に立って運動に熱中した。彼は、イタリアへ病気療養のため旅行した。彼の書いた論文の内容で裁判で敗訴となり、その年、彼は最初の分裂症の症状が出た。ロンドンの大学の教授を辞職して治療に専念したため、病状は回復した。その後、たびたび神経症の症状は再発して、ラスキンを苦しめた。

     その後、恋愛の対象になる相手が現れ、求婚の手紙を出して、彼女自身もまんざらでもないと思われたが、周囲の反対でつぶされた。

     画家としての論文や中世ゴシック建築に関する論文は、ルネッサンス以降の精神の堕落を批判して、主流の人々へ批判を加える形になった。少数派となって、資産家の一員として生活しているのに、その立場と思想との間にはギャップがあった、と思う。つまり、彼は上流階級(アッパーミドル)に属しながら、自分の所属する階級を批判していた。

     それが、もともと神経的に病みやすいラスキンは、その後結婚した妻との間がうまくいかず、悩みは深くなった。彼は精力的にベネチアの建造物を調査している間、妻は貴族階級の仲間と遊びふけって、夫婦関係はますます悪くなり、彼の友人の一人画家ミレーと深い関係になり、離婚したが、彼はその友人画家の作品は支持し続けた。

     余談として、元妻と画家ミレーについて
     ジョン・ラスキンはタイムズ紙上でラファエル前派を擁護する論陣を張った。感激したミレーはすぐにラスキンへ礼状を出した。礼状が届いた午後、ラスキンは新妻ユーフィミアを伴ってミレーを訪ねた。1852年、ミレーはユーフィミアをモデルとした『除隊』や『ジョン・ラスキンの肖像』を製作し、ラスキン夫妻との親交を深めた。
     ラスキンとの結婚生活に耐え切れなかったユーフィミアは、ミレーに惹かれ、1854年ユーフィミアはラスキンとの婚姻無効の訴訟を起こした。当時は妻が夫を捨てる事は極めて稀で、ユーフィミアの行動は恥ずべき行為であると非難された。1855年にミレーとユーフィミアは結婚する。が、ミレーを寵愛していたヴィクトリア女王はユーフィミアの謁見を拒否し、以後ミレーに肖像画を描かせる事はなかった。
     181857年ロイヤル・アカデミー展で『浅瀬を渡るイザンブラス卿』を発表した時、「馬が騎士に比べて大きすぎる」と不評を買った。のみならず、この作品をカリカチュアが新聞に掲載され、中傷の的にすらなった。離婚後もミレーを擁護し続けたラスキンもが、「単に失敗ではなく、破局である」と手厳しくミレイを非難。結婚後8人の子供を養わなければならなかったミレーは、これ以後ラファエル前派の厳格な理想から徐々に遠のいた。●
    注意●『落穂拾い』などのフランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーとは全くの別人。Wikipedia参照

    イギリスを旅するなら、ロンドンもいいが、やはり田舎、田舎にその国の真実があるような気がする。今年はイギリスへ旅したいと思っている。

    猊鼻渓 巨大岩壁と清流の川下り南米の旅、イグアスの滝、マチュピチュ  アメリカ西海岸の火事から思うこと  真夏の快晴 きょうは暑さのピーク  八千代台Yashiyodaiにオーストリア人 日本人夫とアメリカ人妻のなれそめ  『わが谷は緑なりき』★★白黒映画 「慕情」名作再視聴 幸せ一転、悲恋  テキサス描くアカデミー賞映画ラストショー

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  • ノルウェー虐殺事件イギリスと日本
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    2010年9月12日 (日)

    ホテルルワンダ 支配人 狂気の体験

    5911 DVD「ホテルルワンダ」を借りてきた。並みの映画は太刀打ちできない迫力で、見始めると、息つぐ暇さえない。こんなにも、臨場感のある映画は少ないだろう。「シンドラー」のアフリカ版だというが、シンドラーには身の安全があったが、ホテルルワンダの主人公には、いつも(ルワンダ体制派の)フツ族から脅迫を受けていた。

    アフリカ大陸に100万人を越す虐殺があっても、西欧の人々には、「毛虫の殺し合い」にしか感じないだろうか。ルワンダは、アフリカの内地で、気候は穏やかな地域で果物等の大規模農場を経営するには適したところである。ルワンダ紛争 ツチ族 フツ族: nozawa22

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    Photoルワンダに入植したヨーロッパ人(ベルギー)が、労働力にするルワンダ人をルワンダ人に支配させる統治方法を始めたのが、種族対立の始まりである。支配者に(少数派の)ツチ族、労働者に(多数派の)フツ族を用いた。ベルギー人が去ってから、その(多数派の)フツ族は政府を作り、植民地時代の支配者側にいた(少数派の)ツチ族をに恨みをぶっつけた。

    日本が親日朝鮮人を利用して、朝鮮統治に使ったのと同じ手である。それが戦後日本人に協力した朝鮮人をリストに上げて、朝鮮人社会で苛め抜く構図と同じである。恨みは簡単に抜けない。

    5944 映画中で、ヨーロッパ人記者が、バーに中で「ぶしつけで失礼ですが」と聞いて、フツ族とツチ族を区別しようとするが、区別はつけられない。外見上、日本人と朝鮮人、日本人と中国人の差より少ないだろう。

     主人公ホテル支配人はフツ族であり、妻はツチ族である。インテリの主人公は、ツチ族に逆襲しようなんで思わない。近隣の多くの人はそんなことは思わないが、殖民地の外国支配が終わると、(多数派の)フツ族政権ができて、民兵組織が徐々に大きくなる。その過程で、(少数派の)ツチ族は自派を守るためルワンダ愛国戦線は一時避難していたが、再度ルワンダ内に戻ってきた。

    第一次世界大戦以降はベルギーの植民地であったが1962年に独立を果たし、少数派民族であるツチ族を中心とした国家が成立した。

    独立以後続けてきたツチ族による支配に反抗し、多数派フツ族を中心とする勢力が1973年にクーデターを起こし、フツ族がツチ族を支配することになった。ツチ族政権は逃げて、ルワンダ愛国戦線(RPF)を組織して、ウガンダを拠点にフツ族のハビャリマナ政権に対する反政府運動を活発化させることになる。1990年10月にはRPFがルワンダ北部に侵攻し、内戦が勃発

    1993年8月にRPFの猛攻と国際世論の高まりにより、アルーシャ協定が結ばれ、和平合意に至ったものの、1994年4月6日にフツ族のジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領を乗せた飛行機が何者かに撃墜されたことに端を発して、フツ族によるツチ族の大量虐殺(ジェノサイド)が始まり、一説には約100日間で国民の10人に1人、少なくとも80万~100万人が虐殺されたとされる。

    5873_2 1994年7月にRPFがツチ族保護を名目に全土を完全制圧し、フツ族のパステール・ビジムングを大統領、ポール・カガメを副大統領(現大統領)とする新政権が発足。紛争は終結したWikipedia引用

    国連軍が介入して、和解休戦協定が結ばれる寸前で、フツ族大統領の乗った飛行機が落ち、死んでしまう。その原因をツチ族の陰謀であると思ったフツ族過激派が凶行に及んだ。それが大きな筋である。そして、国内が大混乱んに陥る。そのあたりから、ストーリーが始まる。

    ストーリー
    5917_2 1994年アフリカ中部にあるルワンダで、フツ族過激派が起こした混乱状態の中で、外資系高級Hotelミル・コリンの支配人ポールは、自分の家族を救うことだけを考えた。しかし、その重大さに気がついた彼はホテルにツチ族やフツ族の難民をともに受け入れることを決断。
     ツチ族のルワンダ愛国戦線によって、フツ族過激民兵らが排除されるまでのおよそ百日間に約100万人々が殺害された。フツ族の将軍など虐殺の指導者たちが裁かれた。
    5959 国連軍や有名ホテルステータスを楯に、人々をフツ族過激派民兵からかばい続ける。ホテルの支配人としてコネを利用して彼は1268人の難民の命を救うことに成功する。
    ホテルの難民たちがルワンダ愛国戦線とフツ族民兵との前線を越えて難民キャンプにたどり着き、そこからタンザニアへと出発するところで映画は終わる。
    5953 フランスから派遣された兵士は、外国人旅行者、ジャーナリストを救援にきたのであって、020301 ホテルのフツ族の避難民、ツチ族の孤児は置き去りにされる姿は、現在の大国のエゴを丸出し。大量虐殺を知りながら、撤退を決めた国連軍。この映画「ホテルルワンダ」の言おうとするところは、先進国が見ぬフリをした事実をきちんと見据え、悔恨と反省を込めている。衝撃の傑作だ。

    映画撮影は、南アフリカで行われたとある。まだまだ、現実は描写できない部分がありそうだ。ようやく、修復が行われはじめている。

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    フツ族:ルワンダの多数派民族で、ベルギー撤退後、政権を握り、民兵を組織して、ツチ族を迫害。体格はずんぐりむっくり。先住の縄文人的な立場。
    ツチ族:植民地時代に、フツ族を支配した立場で、フツ族が政権をとってからは、隣国に根拠を置き、ルワンダ愛国戦線を組織。体格は背が高く弥生人的な立場。

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    2010年4月14日 (水)

    学べるニュース池上彰とお笑い土田晃之

    1116 土田 晃之が「徹子の部屋」で、きょうから「学べるニュース」が始まるという話のついでに、土田 が「(自分の)母の妹を知っているか」、と池上に聞いたら、池上は驚いて「覚えている」と答え、初恋の人だったことがわかった。そんな話をしていた。

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    Parsuasion_dw03001 池上 彰(いけがみ あきら、1950年8月9日 - ):長野県松本市出身のジャーナリスト。元NHK報道記者主幹。日本ニュース時事能力検定協会理事。血液型はA型。都立大泉高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部卒業。1973年、NHKに記者として入局。松江放送局、広島放送局呉通信部を経て、1979年8月から[1]東京の報道局社会部にて警視庁・文部省などを担当。

    高校生の時に『ある勇気の記録』という、広島抗争時に暴力団と対決した中国新聞の記者をモデルとしたNETテレビ(現:テレビ朝日)のドラマを観たことも記者になるきっかけになった。海外に行ったら地図を必ず買ってくる。私の趣味は世界中の地図を集めることWikipedia参照

    1114 土田 晃之(つちだ てるゆき、1972年9月1日(37歳) ):東京都練馬区生まれ埼玉県大宮市(現:さいたま市)育ちのお笑い芸人。血血液型 AB型。身長183cm、体重73kg(2009年7月時点[2])。埼玉工業大学深谷高等学校(現:正智深谷高等学校)卒業。最終学歴 東京アナウンス学院 コンビ名 U-turn(解散) 所属事務所は太田プロダクション。

    『タモリのボキャブラ天国』など数々のお笑い番組やライブで活躍、2001年に対馬が事務所に「ストレスが原因で、吐き気やむかつきがおさまらず、胃腸もかなり悪いので、芸能活動は無理」として活動を休止、そのまま引退・転職。引退は事務所を通して土田に伝えられたくらい仲が相当悪かった。その後「二度と俺の顔をテレビで出さないでくれ」と連絡。Wikipedia参照

    大泉高校在学中、池上の一年後輩に土田の母の妹がいたのだそうだ。「徹子の部屋」収録の見物に土田の母とその一行が来ていた。黒柳徹子が「顔は映しませんから」と言いつつ、観客席を眺めて「おキレイな方ですね」と確認。土田の母の姉妹の中で一番の美人だとか。素人を写すとプライバシーの侵害だろうか。野次馬としては見てみたい気がする。「徹子の部屋」は、よく見るほうだが、笑いは聞こえるが一度も観客の顔は写していない。

    1113 きょうから新しくレギュラー番組として「学べるニュース」は、始まる。池上彰がブレークしてきたのを感じる。社会全体が教えてもらわないと、世の中の様子がよくわからない。つまり、社会全体が幼児化して、わかりやすく説明する人を欲しがっている。池上彰は子供番組でわかりやすい説明の経験を積み、その手法が大人の顔はしても中身が幼児の人にはドンピシャだ。

    Med0912271201001p4 今後、この番組と似た番組が増えるだろう。池上さん自身、コメンテーターとして使われる事が増えるだろう。

    今のコメンテーターはマンネリで、個性がない。基礎知識がないコメント聞いてもしょうがないとか、好かれる要素の少ない人が目立つ。他の分野で目立つから、使われているだけで、関係ない人が並んでいる場合がある。司会が気つかって、やむえずコメントを言わせている場合がある。

    池上彰のレクチャーサンプル(下記)を見ると、なるほどこれはよくわかる。チェックして動画をみてください。ただし、日本国内法の著作権法を根拠 「●●の申し立てにより削除されている」かもしれません。台湾YouTubeに投稿されてものは、見られます。

    原油価格ってどうやって決めるの?  EUの初代大統領ってどんな人? コソボ紛争ってなに?  アメリカから見た基地問題  アメリカの核兵器発射装置  2050年 GDP世界ランキング予想  北朝鮮と韓国ってどんな関係?

    もっと見たい方は、クリック→こちら

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    2010年4月 9日 (金)

    明石康のユーゴスラヴィア紛争調停

    0062 1992年国連事務総長特別代表に就任、カンボジア和平に力を発揮した。そののち、1994年にユーゴスラヴィア紛争収拾のため事務総長特別代表に就任。カンボジアが比較的うまく行ったから、ユーゴの火中の栗を拾いに行かされた。日本国内では、国連で活動する日本人は少ないから、明石様びいきだが、セルビア人がサラエボ包囲して市民虐殺など解決が長引いたから、一部の西側外交官には明石代表の評判はあまりいいとは言えない。

    ボスニアにおいて攻勢を強めるセルビア人勢力への対応について指導力・決断力を発揮し得ず結果的にスレブレニツァの虐殺事件発生を招いたとして批判を受けた。(ウィキペディア参照

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    61 「爆問学問」で爆笑問題が明石康を訪問しているが、「うまく行く場合と、うまく行かない場合がある」と答え、うまくいった場合を、と言って語り始めた。

    明石 康(あかし やすし、1931年1月19日 - ):秋田県北秋田郡扇田町(現・大館市比内町)出身。小学生の時、秋田市に移住県立秋田高等学校(当時の秋田中)から山形高等学校 (旧制)を経て、東京大学(教養学部アメリカ学科)に進学。卒業後、フルブライト留学生として、バージニア大学大学院を修了、コロンビア大学で学ぶ(25歳の時、重光葵による日本の国連加盟受諾演説を傍聴席で直接観た。1957年博士課程在学中、国連職員に採用され、1992年に国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)事務総長特別代表に就任、カンボジア和平につとめた。

    ユーゴスラビア紛争は、ユーゴスラビア連邦解体の過程で起こった20年近く前の話だから、歴史に関心のない人には、サッパリだから、それを簡単に…

    ユーゴスラビア(多民族国家)は第二次世界大戦まではドイツ、イタリアに支配されていたが、戦後にパルチザン(ゲリラ)勢力を率いた指導者ヨシップ・ブロズチトーによって独立を達成する。ユーゴスラビアは「七つの国境に囲まれた、六つ共和国五つの民族四つの言語三つの宗教二つの文を一つの国家にした」そのような多様性を内包していた。(ウィキペディア参照)

    七つの国境(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、アルバニア)
    六つ共和国(スロベニア、クロアチア、セルビア、ボ
    スニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア)
    五つの民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人
    、モンテネグロ人、マケドニア人)
    四つの言語(スロベニア語、セルビア語、クロアチア語
    、マケドニア語)
    三つの宗教(正教、カトリック、イスラム教)
    二つの文字(ラテン文字、キリル文字)。(ウィキペディア参照)

    単一民族という日本では考えられない複雑さである。朝鮮(韓国)人、フィリピン人、中国人、ロシア人、日本人が同数で台湾あたりに国を作ったら、もめるだろうな。それでも。最初、チトー大統領が生きている1980年までは、ユーゴスラビアまとまっていた。それでも、まとめているのは、サーカスの綱渡りだと聞いたことがある。2959

    1033 ボスニアの都サラエボは、60パーセントは違う民族間の結婚だ、と明石康さんは説明していた。第三者的に見れば、似たもの同士だが、ヨーロッパ人から見た日本人と韓国人、中国人が似ているようなもので、民族意識を煽ると、途端にこれが一緒にされた民族は小さな差が許せなくなる。民族雑居から民族純化を煽って団結を叫ぶと、大抵は戦争になる。

    この地形的には、ここはヨーロッパの民族が移動して集まってきた駅前広場みたいな場所がユーゴスラビアだった。これがチトーの死後、ユーゴを構成する各(民族)国ではチトー時代の体制からの脱却を開始する。また、各国ではミロシェヴィッチ(セルビア)やトゥジマン(クロアチア)に代表されるような民族主義者が政権を握り始めていた。1991年から、次々戦闘が勃発した。

    0033 ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年に独立したが、その国内のセルビア人勢力がボスニアからの独立を目指して戦争を繰り返した(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争)。セルビア国内でもコソボ自治州が独立を目指したが、セルビアの軍事侵攻によって戦争となった(コソボ紛争)。

    ユーゴーの中心セルビアでミロシェヴィッチが大統領になると、離反していく他民族国(コソボ)を併合しようとしたり、ボスニアをセルビア人が主導権を持つ国にしようとして、首都サラエボを包囲が1992年4月5日から1996年2月29日まで続いた。

    1440 1238

    1541 明石さんは、国連はNATO軍を背景にして、この調停にかかわっていた。ボスニア紛争の中心人物、セルビア系民族主義者のボスと渡り合っていた。その後で糸をひくミロシェヴィッチ大統領とも、話し合った。戦争当事者と話し合うが、人数が多いと、まとまるものもまとまらない。

    NATOの軍事力を背景にして進めるのだが、多国籍軍が多いとセルビア軍を押さえられるが、国連も足並みが揃うわけでもないし、自国の軍事負担を日本のように避ける国もあるから、首都防衛がオランダ軍200人のところへセルビア軍数千名で攻撃掛けてきた。それを接近戦になって、NATO空軍機の援護射撃で持っていたが、接近しすぎて危険だから、空爆を止めてほしいと司令官から電話で要請があったので、空爆をやめた途端、首都をセルビア軍に占拠され、ソレ以降、サラエボ市民は危険に曝された。その結果、首都人口が60%に減った。高いところからセルビア兵スナイパーが狙い打ちした。

    1994年にはアメリカ合衆国の主導でボスニア中央政府とクロアチア人勢力との間で停戦が成立した。これによって両勢力はセルビア人勢力に対して反転攻勢をはじめ、またNATOによる空爆などの軍事介入も行われた。1995年に国際連合の調停で和平協定デイトン合意に調印し、紛争は終結した。

    ユーゴスラビアがバラバラになって、その中央にある国であるボスニア・ヘルツェゴビナが最後までゴタゴタしていたが、なんとか停戦した。「バルカン半島は火薬庫」といわれ続けて、それにセルビアのミロシェヴィッチ大統領が火をつけた。そんな印象だね。

    もう一つ、セルビア人がモスリム(イスラム教系)を憎む理由は、オスマントルコ王国に攻め込まれ、セルビアの国を滅ぼされた過去の歴史があるからだ。14世紀、トルコが攻めてきて、王様さえ戦死したという600年前の敵討ちという意識がイスラム教系の人間に投影されるようだ。この古い古い歴史、元寇の敵を討ちに中国人を憎むようなものだ。それほど、よその国では古い歴史を忘れていない。日本はアメリカとの戦いすら忘れていると、明石さんは二つの国は足して2で割ると丁度いいのに、と冗談交じりに言う。

    ミロシェビッチ大統領
    1991年スロベニア・クロアチア・マケドニア共和国独立
    に、1992年ボスニア・ヘルツェゴビナ独立運動に軍事介入した。また1998年以降激化したコソボ紛争を治安部隊により弾圧したが、1999年のNATOによるユーゴ空爆後、コソボの国連管理を容認する。
    2000年秋、ユーゴスラビア連邦大統領選挙の際、いわゆ
    る「ブルドーザー革命」により退陣。コソボ紛争でのアルバニア人住民に対するジェノサイドの責任者として人道に対する罪で起訴され、経済援助を条件にするNATOの圧力の下、2001年4月に職権濫用と不正蓄財の容疑で逮捕・収監された。国連旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(オランダ・ハーグ)に身柄を移送され、人道に対する罪などで裁判が行われた。
    高血圧など体調の不具合という理由、また容疑事実の立
    証がなされなかったため、裁判は非常に長引いた。2006年3月11日朝、収監中の独房で死亡。死因は心臓発作。

    彼のやったことは、民族主義を煽って、チトーがまとめたユーゴ・スラビアをバラバラにして、犠牲者を多くつくったことだ。日本で言えば、東條英機に似た人だ。戦争でしか、国の緊張と自分の人気が保てない。

    明石さんが、ミロシェビッチ大統領との会談にヘリコプターで彼の別荘へ行ったときの話をしていた。小型ヘリで別荘のヘリポートに着くと、護衛もつけないでミロシェビッチ大統領一人で出迎えてくれた。孤独な大統領だな、という印象があった。
    「信頼する部下と交渉してくれ」と紹介されて会談をしたが、「箸にも棒にもかからない人物」だった。有能な部下が彼にはいない。つまり、人間を見る目がないので、彼の周辺にはイエスマンばかりしかいない。彼の将来が予想された、と明石さんは爆笑問題の二人に語っていた。00013_6

    国際関係では明石さん、ずいぶん活躍した。ところが、1999年4月には自民党・公明党担がれて「東京都知事選」に立候補したが、石原慎太郎が当選。自民党・公明党から支持されているのに、鳩山邦夫、桝添要一にも大差であえなく落選した。

    国際社会に関心を① 美人ウクライナ首相、現大統領と対立   温家宝 氷をとかす旅 裏の狙い   「ロシア油田」中国と競合から考える 怨みに徳をもって報いる 以怨報徳 日清戦争で日本人の意識が変わった もうケンカはすみましたか 毛沢東  麻生首相 強欲ロシアに呑まれるな 

    国際社会に関心を② 天安門事件と中国政府の体質  講和条約 日本は占領されていた  グルジア プラハの春から40年目  世界遺産 チェコ プラハの民主主義   日本びいきのウクライナの歩み    ゾマホン援助 たけし、所ジョージ、田中義剛    クルド民族のサリン被害&家族離散

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    2010年3月14日 (日)

    クルド民族のサリン被害&家族離散

    Photoトルコ、イラン、イラクの位置関係を地理解するために、まず地図を見てください

    クルド族にクルド国はない。トルコ、イラン、イラクに分散して暮らしているが、それぞれの国で異分子扱いされている。イラク、イランではアラビア語を使っているが、クルドはクルド語を使い、文化も違う。ユダヤがイスラエルを建国してのち、クルドが国を持たない世界最大の民族といわれている。

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    Photo_3Photo_2 イラクは国内のクルド族が敵に内通しているとして、サリンを使った攻撃をした。そのとき、それに巻き込まれたクルド族が5000名の死亡、そして未だに松本サリン事件河野さんの奥さんように苦しんでいる人が1万人いる。さらっというが、一万人の後遺症で苦しむクルド人がイラク国境にいる。

    フセインのイラク軍に追われて、イラン側へ逃げるさい、多くの離散家族が生じた。化学兵器の使用で、かなりの数のクルド人が意味もなく殺され、孤児がイラン領内で孤児院で収容され、あるいは個人の篤志家によって養育された。

    クルド族トルコ・イラク北部・イラン北西部等、中東の各国に広くまたがる形で分布し、独自の国家を持たない世界最大の民族集団である。人口は2500万~3000万人、1200万~1500万人がトルコ南東部に居住する。
    宗教はその大半がイスラム教、宗派は一般的にスンニ派に属するといわれている。言語的には、インド・ヨーロッパ語族イラン語派のクルド語に属する。主な生業は牧畜が多かったが、近年、都市生活を送る割合も相当多い。
    長く統一した民族主義的な勢力が興らず、これらの国の中で少数民族として生活している。トルコやイラクでは分離独立を求め、長年居地元政府との間で様々な軋轢を抱えている。トルコでは、クルド語の放送、教育を認めない、クルドの独自政党をテロ組織とみなし、日本もそれに同調している
    。(Wikipedia)参照

    今回見つかったアリさんは、「ハラブジャの悲劇」で離散した孤児の一人である。彼はイラン人のコブラさんの元で育てられた。6歳までは、自分の親と思っていたが「あなたは、イラク人なの。本当の親はハラブジャから逃げるとき、はぐれたの。生後三ヶ月でマシャドの孤児院に連れて来られたところを私が引き取った。でも、本当のお母さんだと思って欲しい」と話した。

    アリさんが18歳のとき、2006年、育ての母コブラさんが交通事故で死んだ。イラク難民という身分証しかないので、将来が不安で故郷であるハラブジャの町について知りたいと調べているうちに、テヘランの「化学兵器の被害者支援する会」を見つけて会長と連絡が取れ、親身に相談に乗ってもらえた。

    「クルド地域政府の大臣がテヘランへ来るから、君の話をしてあるから、テヘランへ来てみないか」といわれ、大臣と会った。すると、すでに子を探す41家族が我が子ではないか、と名乗っているという。特別渡航許可も出て、昨年10月ハラブジャを訪問した。

    離散状況から絞って、5家族と面談してDNA鑑定のため血液を取り、待った。2ヶ月後「結果が出た」との連絡があり、再訪すると、その発表は、地元の住民300人が集まり、一大イベントになった。

    アリさんの育ての母コブラさんの写真は携帯の待ち受け画面にしているが、その写真に離しかけた「今、本当のお母さんがわかる」涙が止まらなくなった。

    03 「ファーテマ・ムハマド・サリフ」と、実の母の名前が呼ばれた。彼クルド族の母はクルド語しか話せない。アリさんは、三ヶ月からイランで育てられたから、アラビア語しか話せないが、目を見れば気持ちはわかった、という。生みの母ファーティアさんがまず見せたのは、実の父親と四人の兄姉の写真だった。全員、「ハラブジャの悲劇」のさい、毒ガスで全員、死んだ。アリさんは母と抱き合った。

    母はその後、再婚して、新しい夫の男の子3人を生み、ハラブジャの隣り町スレイマニアで暮らしている。母と再会後、アリさんはイランを離れ、実の母と新しい家族の元で暮らし始めた。

    ペルシャ語に近いクルド語の会話はすぐ上達し、今では地元の大学にも通っている。将来は大学院にも行き、IT関係の仕事に就くのが将来の夢だと語る。

    私の知り合いのトルコ人、「イラン人の言葉(アラビア語)は聞いてすぐわかる」と言っていた。この辺の民族は入り組んでいて、お互い近親関係にあるようだ。

    アリさん、クルド語名の「ジムナゴ」に戻ったが、家族では、イランの母がつけてくれた「アリ」と呼ばれているそうだ。(朝日新聞参照)

    国のない民族 クルド、チベットなど: nozawa22  チベット暴動 他山の石

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