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2012年10月25日 (木)

ファミリーヒストリー余貴美子★客家の血をひく祖父 台湾から

032 NHKで余貴美子のFamilyHistoryを見た。それぞれ、他国へ来た家族は苦闘を経て現在がある。
 台湾から日本に来た人には、王貞治、ジュティオングなどいるが、余貴美子もその一人。余貴美子は、話題になった「おくりびと」でも、目だった。私が彼女に注目したのは
まだそんなに老けていない団塊世代 山田太一ドラマであった。役の印象はそのときは、きちんと残るが、前のイメージが次の出演に影響を与えない得な女優である。

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 余貴美子
097  
貿易商で池袋でナイトクラブなども営む台湾の中壢市出身の台湾人の父余鴻彰と、日本人の母親京子との間に横浜市で出生し099た。范文雀は従姉にあたる。
 
父のナイトクラブ店パラダイス(池袋)では、かつてハナ肇や山田吾一が働いていたことがあHanbuianai る。池袋の再開発事業で横浜駅前に飲食店を出した。
神奈川学園中学校・高等学校卒業。
 祖先は広東省出身の客家ハッカ
(注※)
 父
余鴻彰は明治大学空手部OB、母は日舞のプロである。

118010  日清戦争の翌年に生まれた祖父余家麟は、日本には親近感をもっていたのだろう。三十代なかばで、台湾より日本で商売をしたいという決心をした。
011  そのときには、すでに五人の子供がいたが、コレだけ大勢の子供を連れていくのは、仕事をするにしても、住む家の問題でも、困難をともなうから末の二人の女の子を台湾に置いていく決心をした。
017018 109 111  この決断は、冷酷であるが、ある意味真剣だった。二歳の三女は、知り合いの実業家、生後数ヶ月の四女を農家へ預ける決心をした。母は非情な気持ちで、泣き叫ぶ二歳の娘を置いて日本に来たのだった。
貴美子のいとこ范 文雀が憧れの対象であった。

028 台湾から日本へ移り、神戸で会社を設立した。戦争が激しくなったころ、日本国内では台湾バナナが輸入できなくなったころ、余の祖父は乾燥バナナを台湾から輸入して、大当たりした。コレは売れに売れて、大成功した。その成功した証として、代豪邸で暮らしていた。

 戦時中には、特に甘いものがほしいのに、果物が少なくて、干からびたような乾燥バナナが結構貴重品であった。私も、家でこの乾燥バナナ一本食べさせてもらった記憶がある。
 
運動会で八百屋のYちゃんがバナナを食っているのを見るまで、バナナを忘れていた。病気見舞いに持っていく貴重品であった。Y君は木の上で食べていて「分けてやろうか」と声かけてくれたので、「うん」といって、半分わけてもらった・・・そんな記憶がある。

093 祖父余家麟は、最初は紅茶の輸入で成功したが、事業拡大で日本のみかん(たぶん温州みかん)を輸出して船便で送ったのがみかんが腐り大損害が会社経営の危機をもたらし、倒産にいたる。その後、乾燥バナナの輸入に移った。その後、横浜から池袋に移る。乾燥バナナは大成功して、豪邸を建てるまでになった。

049053_2  このころ、息子鴻彰は大学生(明治大学空手部)で、活躍していた。余貴美子の父鴻彰の将来妻となる京子は、五反田に住んでいた。その二人が結びつくには、いくつかの偶然があった。
 昭和19年1944年大空襲で五反田では多くの家が焼失して、幸い京子の家が焼け残り、罹災下人のために家を開放して、近隣の人と一緒に暮らした中に日本舞踊の師匠さんがいた。その後、12歳の京子はその縁で、日本舞踊を習うことになった。五年後には、師匠として弟子を取るほどに技量が上がっていた。
 058 父鴻彰が明大空手部の演舞をイベント会場で披露する際、華やかに演出するように、女性を使おうとして決めて日本舞踊を出し物に加えてと計画した。監督の紹介で、日本舞踊の師匠宅を訪問したとき、玄関から出てきた人が、師範代の京子17歳であった。

 そのときに、両者には、ビビっときたモノを感じて、その後交際に発展して、結婚に結びついた。

064066_3  余貴美子が普段外人登録証を持ち歩いているが、その本籍には、中国 鎮平村と書いてある。ところが、地図で探しても鎮平と言う村はない。それを余姓を探し出身地の台湾へ行って見ると、余さんという花屋さんがあった。余姓の集まり076 があり、祖父余家麟さんは、余家の14代として、台湾に渡ってきた客家ハッカ出身華僑であるとわかった。鎮平村=官平村に100年前に地名変更していたが、祖父余家麟は昔の地名を信じていたのだった。

086  (注※)客家ハッカというのは、中国人ルーツを語るときには聞くが、日本人には一体どういう人の集まりかよくわからない。
 客家ハッカは、周から春秋戦国時代、中原や中国東北部を統治していた王族の末裔である。最初の中国人で、中華文化を守
ってきた正統な漢民族。それが政権争いの戦乱から、中原から南へと移動、定住を繰り返していった。
089  元は王族であっても、移住先では
“よそ者”、客家ハッカと呼ばれ、移住先の住民との軋轢も多かったと考えられる。その中から、政治家も多く輩出している。
客家ハッカとなったのは、
最初が秦の時代辺りから江西地帯へ入植、
第2段階 黄河中原や華北住人が長江以南に避難。
第3段階 唐時代の乱に江西、福建、広東に南下。
第4段階 南宋末期元軍侵攻により広東に拡がり、
第5段階 清領土拡大で西は四川省、東は台湾へ、
最後段階に、海南島まで南下。
 客家ハッカと言われる人々は、古代の政権の中枢から派生している人々で、インテリ集団であった可能性がある。彼らは
族譜(家系図)を持ち、祖先信仰が強く、風習も守ってきたため、地元民とは交流が少なく、仲間意識が強いので、客家語には古代の文語が残っている。

多くのことを知らずにいた余貴美子の母は、祖母頼網好が、夜になると忍び泣きしたり、食事中に空ろな表情になる場面を見ていた。台湾に残してきた娘二人のことを思い出して、耐え切れなくなっていた。そして、ついに一人祖母頼網好は台湾に渡り、二人の娘の安否を尋ねて行った。二人の娘は明暗をわけていた。実業家の家に預けた三女の鴻英は、そこの家の息子と結婚して、物心ともに満たされた生活をしていた。が、末娘の鴻玉は、農家の労働力として使われ、家事の下働きをさせられ、学校へも行かせてもらえず、みすぼらしい身なりをさえられていた。
 養母に掛け合って、娘を引き取らせほしいと申し出たが、養母は働き手を失うことは困るから「娘を捨てたくせに、今さら何をいうか!帰ってくれ」と言い放った。娘鴻玉を抱きしめて、泣きながら謝った。

143 その後、消息が不明であったが、このファミリーヒストリーの取材班が、彼女鴻玉を見つけた。彼女は現在83歳で元気であった。
 話によると、母頼網好が会いにきてくれたのち、養家を飛び出して、都会でホステスをやったり、紡績工場で働いたという。母が会いにきてくれたことを心の頼りにして、耐えたと語っていた。26歳で結婚して3人の子供を育てた。

118_2 祖父余家麟は貿易会社、父鴻彰は、池袋でナイトクラブで成功していたが、区画整理で強制執行され、店は閉鎖しなければならなくなった。同時に、祖父は大金を信用貸していた友人に裏切られた。二人と苦境に陥った。

129127池袋から横浜へでて、「美人スナック」としてバーを開く。それも、時代の流れではやらなくなると、こんどは妻を店に出して、焼き鳥屋を開いた。仕事帰りのサラリーマンを相手の店として繁盛した。

133_3 台湾から来日して、祖父の代から息子の代へ、余一族は失敗しては、再起、成功してはつまずく。つまづいては立ち上がる。その根性たるや、やわな神経ではない。この強靭な粘りが、余一族の芯にはある。異国で成功するには、強くなければならない。と、祖父余家麟、長男余鴻彰を励ましたように、妻京子もその精神を守って、生きてきた。
娘余貴美子が、浮き沈み激しい芸能界で、がんばるのも。両親の背中を見て身についてもの、と彼女自身、納得していた。台湾人が日本で暮らすのは、やわな気持ちでは難しい。

061 父余鴻彰は、娘貴美子が芸能界へ入るのは反対であった。自分が浮き沈みの激しい仕事で苦労しているから、安定を望んだのだろう。彼は、彼女がようやく仕事が軌道に乗り始めたとき、がんにな140り、気づいたときは進行していた。苦労が体に応えたのかもしれない。享年53歳。

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コメント

NHKで余貴美子のFamilyHistoryを見た。それぞれ、他国へ来た家族は苦闘を経て現在がある。

投稿: 余貴美子 | 2013年10月18日 (金) 15時29分

余さんのファンになっちゃった
今日2013・11・1 NHKで余さんの御家族の番組
ファミリー・ヒストリー」が放映されました。再放送でしょうね。ずっとお元気で、美しく居て欲しいですね

投稿: ハイ! | 2013年11月 1日 (金) 16時53分

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