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2012年9月23日 (日)

鼠と呼ばれた男金子直吉(鈴木商店)

Photo  今、学歴がなく才能を発揮する、そういう男はめったにいない。昭和初期までは、中学へ行く人は二割もいなかった。学力とお金がそろうことは珍しい。野口英世は、才能あふれ、先生が支援したくなる人だった。こういう人は、一を学んで十を知る、という才がある。

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 金子直吉、丁稚奉公に行った先が砂糖の卸をやっていて、先輩職が金子に彼を信頼して取引を任せたら、大成功。

 入店間もない金子直吉に多くを任した。
 直吉が最初に土佐の鰹節、茶、肥料の取扱いだった。これが見事にあたった。先輩番頭は舌を巻き、主人は喜んだ。神戸の小さな砂糖の専門店はにわかに活気づいた。
 直吉は商機をよく知って樟脳や寒天なども取扱い、海外への輸出にまで乗り出すことになる。小さな砂糖問屋は、いよいよこれからというときだ。主人の岩太郎が急逝するのだった。
 さあ、どうする――。鈴木家の残された未亡人よねが店を切り盛りするには、無理があるという判断だ。しかし、よねは決然と言った。
「直吉がいてくれはる」「それに富士松もようやってくれます」――と。
 彼女は店の経営にあれこれ口出しするような女ではないが、人を見る確かな眼力を備えていた。直吉が店に入ってから事業は一転した。夫の岩太郎ではとてもここまで店を伸ばすことはできなかった――ことを、彼女はよく知っていた。

 昭和初め、台湾銀行が鈴木商店はの資金の融資を止めて、倒産した。鈴木商店の金子直吉が手がけた、帝人や播磨造船(石川島播磨重工業に継承)、日商(日商岩井に継承)など、数十社に及ぶ子会社は生き残り、現在に至っている。

 芽が出そうな仕事を見つけて、ソレを育てる才能、それは単なるサラリーマンでは、その能力は育たない。それは、商才は商才、公務員には公務員の才能がある。政治家には政治家の才能がある。内向きにコツコツやる職人的な才能がある。若い、中学生、高校生の才能を見出して、軌道に乗せてやるという先生が必要である。
 
 世の中にはミスマッチで才能が芽生えてこない人も多くいる。そのために、ウツになったり、自暴自棄になるということもある。自殺も、非婚率の高いのも、ソレが原因かもしれない。その人が才能を発揮するには、おせっかいでも、人生コーチがついていないと、世界最高の才能が見出せない。見てみィ!選手時代はいいコーチがついていたのが、ソレを外れて、選手を辞めたあと、技術以外の部分では、伸びていないと、強姦魔になったり・・・、自分教育が不足していると、そういうもんだ。

城山 三郎(本名は、杉浦 英一、1927年(昭和2年)8月18日 - 2007Shirotakinnei5 年(平成19年)3月22日):日本の小説家。経済小説の開拓者であり、伝記小説、歴史小説も多く出している。
愛知県名古屋市中区生まれ。名古屋市立名古屋商業学校を経て1945年(昭和20年)、現・名古屋工業大学に入学。理工系学生で兵役猶予になるが、海軍に志願入隊。海軍特別幹部練習生として特攻隊「伏龍部隊」に配属訓練中に終戦

1946年(昭和21年)、一橋大学予科入学、1952年昭和27年卒業。卒業論文は「ケインズ革命の一考察」。大学在学中に洗礼。

愛知学芸大学(現・愛知教育大学)商業科文部教官助手に就任。担当は景気論と経済原論。後に同大学文部教官専任講師。この間金城学院大学にも出講。
1954年(昭和29年)、丸山薫の紹介で、永田正男、宇佐美道雄、国司通、岩崎宗治と月一回の読書会「クレトス」を始める。名古屋の「近代批評」の同人に加わる。
1955年(昭和30年)、一橋大学経済研究所に出張。1957年(昭和32年)3月、
1963年(昭和38年)6月、日本作家代表団(団長・木下順二)参加による訪中を機に愛知学芸大を退職し、以後、作家業に専念。なお、ペンネームの“城山三郎”は、城山八幡宮(城山町)に〈3月〉に、引っ越して来たことから付けたと。
晩年は治安維持法が悪用された経緯から佐高信らとともに個人情報保護法の成立に反対の活動をした。
2007年(平成19年)3月22日午前6時50分、間質性肺炎のため、茅ケ崎市内の病院で死去。79歳没。

1957年(昭和32年):『輸出』で第4回文學界新人賞。
1959年(昭和34年) 『総会屋錦城』で第40回直木賞。
『落日燃ゆ』で吉川英治文学賞、毎日出版文化賞。
1996年(平成8年):『もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界』で第44回菊池寛賞。
2002年(平成14年):朝日賞。

 こういう商才のある人は、宿場町とか、港町には町の中興の祖として存在する。
 中仙道宿場中津川にも、関が原で敗れた側の●●家の・・・、八代目が養子で迎えられ、その人の才覚で、傾いた家運を建て直し、隆盛になった丸八間家の八代目杢右衛門(幼名斧次郎)喜矩がその人である。

間家の歴史と中津川市
中津川豪商の生き方 杢右衛門と半兵衛
 海の町、愛知県常滑市でも、隆盛した家がある。
 廻船問屋滝田家は、一度の回船で、びっくりするほど儲かるらしく、幕末から明治大正までの歴史であるが・・・。ただ、ここの家は秀才の家系らしく、息子が東大教授であとを継がず、妹も女優になって家を出てしまい、子供もない。家系の絶えた家は市に寄贈されて、町の重要文化財になっている

やきもの散歩道 常滑とこなめ

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