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2012年8月 6日 (月)

選手寿命の尽きた北島康介と古橋広之進

Img_5185eef2b4a1e45ad 北島康介が、200m平泳ぎの決勝戦で、彼は世界新記録を越す速さで100メートルのラップで泳いだときは、ヒョッとして優勝を期待したが、最後、後輩の立石諒にまで抜かれ4位に終わり、入賞を逃した。三大会優勝、あるいはメダル、と日本人なら皆願ったが…。どの選手も、そういう時期が来るのがスポーツの世界だ。

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ロンドン五輪第6日(1日)
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競泳男子200メートル平泳ぎの決勝が行われ、3連覇を狙った北島康介(日本コカ・コーラ)は2分08秒35の4位に終わった。立石諒(NECグリーン)が2分08秒29の3位で銅メダルを獲得した。
 北島は前半から積極的に飛ば市100メートルのターンまでは世界記録を上回るペース。しかし150メートルでジュルタに逆転を許すと、ラスト50メートルで失速。最後は立石にも抜かれ、五輪3連覇を狙った100、200ともメダルを逃した。

A032612左から橋爪四郎、古橋広之進 今を遡ること60年前、1952年、ヘルシンキオリンピックに“フジヤマのトビウオ”古橋広之進が出ると日本中は沸いていた。
当時、日本の競泳の実力は世界の記録を越えていた。特に、自由形1500と800mの古橋広之進、橋爪四郎の実力は、オリンピックに行ったら優勝者の記録を越えていた。

 1948年ロンドン五輪のときは、日本は敗戦3年目、国際的な競技会に参加が認められていなかった。戦争、敗戦は、スポーツイベントの参加にも影響があり制限されていた。日本水連は、ロンドン五輪の水泳競技決勝と同日に、意地で日本選手権を開催して日本の実力を見せつけた。どうだ!世界の水準に負けるものか!当時のヤマト魂を、慢心した今の社会に見せたいほどだ。 
 その結果
  400m自由形4分33秒4、(古橋広之進の記録)
1500m自由形18分37秒0(古橋広之進の記録)
 ロンドン五輪金メダリストの記録、当時の世界記録を上回った。同年9月の学生選手権の400m自由形では自己記録を更新する4分33秒0、800m自由形では9分41秒0を出しこれも世界記録を越えた。


 古橋は、水泳選手としては致命的な右手薬指第一関節から切断している。戦時中、動員された工場のブレス機で指をつぶして、致命的な欠陥を持っていた。一時は、水泳を止めようとしたが。ガンバリ精神で実力を伸ばしてきた。

 1949年、日本は国際水泳連盟復帰が認められ、古橋や橋爪四郎ら六選手は8月にロサンゼルスで行われた全米選手権に招待された。
20090804002115400m自由形4分33秒3、
800m自由形9分33秒5、
1500m自由形18分19秒0で世界新記録を樹立した。(これはいずれも、古橋広之進の記録)
  18分19秒0の記録は、予選で出したのは、世界新記録だから覚えている。予選だから力を抜いて決勝に力を温存するとは、当時は考えていなかった。全力でアメリカ打倒で燃えていた。
Photo アメリカの新聞では「フジヤマのトビウオ」(The Flying Fish of Fujiyama)と呼ばれた。この遠征はサンフランシスコ講和条約締結前だったので、米ドル(1ドル=360円)がなかったため日本水連幹部や在米日系人の寄付で宿泊賃をまかなった。GHQのマッカーサー元帥や昭和天皇からも励ましを受けた。

 この全米選手権のとき、テレビのない時代だから、本町の安藤ラジオ店では、通りに聞こえるようにボリュームを上げて聞かせていた。近くの店の人も出てきて、聞き耳を立てて集まっていた。よく聞こえた。子どもでも、ラジオから映像が見えるような気分で聞いた。
 日本が国際水泳連盟から除名されていたため、これらの記録は世界記録としては公認されなかった。世界記録を連発する古橋は国民的ヒーローであった。

 それだけ記録を立てた古橋も、1952年ヘルシンキ五輪のときは、ピークが過ぎていた。1500メートルもようやく予選を通過して、8人が決勝に残った。1500mを泳いだ結果。英雄ヘルシンキオリンピック1500m自由形で八位に終わった。8人中8位に終わったとき、古橋広之進、きっと泣きたかったに違いない。その4年前のロンドンオリンピックに出られたら・・・、どれだけ賞賛されたことか。優勝間違いなかった。

 それには、理由もあった。既に選手としてのピークを過ぎていたことと1950年の南米遠征中にアメーバ赤痢に罹患したことが響き、五輪本番では得意の400m自由形でさえ、予選は通過したが決勝では8人中8位に終わった。

 この時、実況を担当したNHKの飯田次男アナウンサーが涙声で
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日本の皆さん、どうか古橋を責めないでやって下さい。古橋の活躍なくして戦後の日本の発展は有り得なかったのであります。古橋に有難うを言ってあげて下さい」と述べた。
 私はこの放送を聴いたわけではないが、その当時のラジオは、海外放送の音質はあまりよくなかった。実況で聴くのは、耳をラジオにくっつけて耳を澄まさないと、よく聞き取れなかった。
こちらは、ヘルシンキです。日本のみなさま、こちらはヘルシンキです
 これは、声が風に乗っているように「
こちらは・・、ヘルシ・ン・キです」と、強くなったり、弱く聞こえたりした。それが、北欧のヘルシンキが遠くにあるように聞こえたのが印象的であった。
 
帰りの船のなかで、国民に顔向けができないから、古橋広之進、自殺を本気で考えたらしい。

 ヘルシンキ五輪が終わって、一年後、岐阜県出身の棒高跳びの選手沢田が中学(二中)を訪れて、試技をして見せた。県の教育委員会へ勤める人で、オリンピックで6位、飛んだ高さは4m15cmと思っら、4m20cm。今だったら、女子の選手でも、これでは優勝できない高さだが、そのときは、中学のグランドで3m80位を飛んで見せた。そのコロの道具は、あまりしならない竹製に見えたが、今のようなファイバーグラスではないことは確かだ。

 その後だったが、ベルリンオリンピックで平泳ぎ優勝の前畑(当時は兵頭)が、プール落成で来訪した。これが、岐阜県の9月末で、寒い冷たいプール開きだった。その寒い中、25mプールを往復して、泳いで見せてくれた。

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  距 離   古橋   現在の記録    
▼四 百メートル  4分33秒4  3分40秒07 P・ビーデルマン ドイツ
▼八 百メートル   9分33秒5   7分32秒12   張 琳 中 国
▼千五百メートル 18分19秒0 14分34秒14   孫 楊 中 国

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