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2012年7月 6日 (金)

阿川佐和子「私だけ」痛い話!ごきげんよう

042阿川「ちょっと恥ずかしい話ですが」
司会小堺
「昨日の話も、水泳で水着の上が取れて背泳ぎしたら開放的な気持ちになって・・・、簡単に取れるものですね」
阿川「簡単に取れるものですね。ヒモだと」


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032 私、仕事する前、ウチ、両親と一緒に住んでいたのです。隣の部屋が弟で、作りつけのベッドが、卍というか、コの字型で、私が上のベッドで、隣の部屋で下のベッドが弟が寝ていたのです。
036 毎日急いで降りるから、梯子段は面倒で、下に簡単 な木製の丸イスを置いて降りるようにしていたのです。遅刻しそうなときは、二段ベッドの梯子段はいちいち降りるのは面倒ですから、すぐトンと降りれるようになっていたのです。トントンと降りるのは早いから、そちらを主に利用していたのです。

044_2いつも、トン、トンを小さい頃から利用していたのです。そうしたら、あるとき、トンとやったら、足を踏み外して、046 イスがダンとひっくり返って、イスの足の一本ガッと、股間に・・・、
「イター!イター・・・!」
イタァア・・・、イタァァ・・・と、どうしようと思って、こっそり見たら、出血しているのです。

021 司会小堺「木でしょ?痛いでしょ?」
阿川「それで、私、私の初体験がイス?」
小堺、阿川・・・・言う言葉を失う、笑う。会場も・・・笑う。
小堺「ワー、びっくりした。まさか・・・」
ゲスト「リアクション取れない」
小堺「いろんな想像をしてしまう。当たったんじゃなかったのですね。・・・、ヘンなコトいってしまった。」
022 阿川「当たったのですが、当たっただけでないと思ったワケですよ。あまりにも痛かったから」
小堺「で、出血もなさって、出るものも出てしまいましたからね」
阿川「生まれたら、イス子?」
小堺「先輩だけど、言わせてもらいます。バカじゃないですか?」

阿川 佐和子(あがわ さわこ、1953年11月1日 - ):日本のエッセイスト、タレントである。
058 1953年(昭和28年)、東京都に作家阿川弘之の長女として生まれた。幼少期(2歳)の一年間は広島市の伯母宅で育った。その後、東京の鷺宮、四谷と移る。
東洋英和女学院中学部・高等部を経て、慶應義塾大学文学部西洋史学科卒業。卒業後は織物職人を目指し、さまざまなアルバイトをする。
1981年(昭和56年)、『朝のホットライン』でリポーターを務め、1983年(昭和58年)『情報デスクToday』のアシスタントを、1989年(平成元年)からは『筑紫哲也NEWS23』のキャスターを務めた。1992年(平成4年)ワシントンへ渡米、帰国後『報道特集』のキャスターとなる。
1998年(平成10年)、「TVタックル」にビートたけし、大竹まことという二人の強烈な個性によって、バラエティの才能を引き出され、バラエティ番組に出演する機会が増える。檀ふみ、安藤優子、平野レミとは親交が深い。特に檀とは父親が有名作家同士で特に親密で、共著は多い。檀ふみとの共著『ああ言えばこう食う』で1999年(平成11年)講談社エッセイ賞を受賞、小説『ウメ子』で坪田譲治文学賞を受賞。CMでも共演している。


 おまけの話
 過去のお見合い相手の何人かは国会議員で、『ビートたけしのTVタックル』で再会することもしばしばである。
 また、ビートたけしや大竹まこと、さらには浜田幸一、三宅久之らを手玉にとって、彼らも驚く爆弾発言が飛び出すこともある。話題が恋人との付き合い方になった際、たけしが「週2回はがんばらないとね」と発言すると阿川は「たった週2回ですか?」と切り返し、笑いを誘った。(wikipedia 参照)

太田光対阿川佐和子兄 親米反米論争
 
阿川佐和子 珍香も焚かず 屁

屋上のあるアパート 阿川佐和子自伝
言うんじゃなかった マイケル富岡 側室制度


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