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2012年7月19日 (木)

パラオで第14師団59連隊 米軍と休戦協定結ぶ

 旧日本軍は捕虜になることは、簡単にいえば、禁じられていた。代わりに敵軍の捕虜も殺された。「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」と、戦陣訓をたたき込まれて、捕虜になるより、決死の突撃をして死ね!というのが、当時の常識であった。当時の命は、一枚のはがきより軽かった。
 今の自衛隊は、命大事、「戦闘機乗りは一人教育するのにいくらかかっているのだと思う?」と、逆質問を受けるように大事にされすぎて、危険なことをさせられない。一機100億円の戦闘機は水没させても、パイロットは無理させない。

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 投稿記事によると、パラオで終戦を迎えた第14師団の師団長は上陸した米軍と「休戦協定」を結んで、飢餓状態にあった兵士に、食糧供給を求めた。その時の主計中尉の体験記が朝日新聞「声」語り継ぐ戦争に書かれていた。92歳の鈴木健という方の手記。
 当時の頭のいい人は、戦場に出ない職場として人気があったのが「主計」である。中曽根康弘も主計中尉であった。慶応の塾長小泉信三の息子も主計中尉であったが、戦死した。

パラオは、日本の真南約2700kmの太平洋に浮かぶ、小さな島嶼国家でMappalau1 す。西800kmにフィリピンのミンダナオ島、北東1200kmにはグアムがあります。
1914年の第一次大戦の時に日本がドイツに宣戦布告して無血でこの地を占領しました。日本はここに南洋庁を置いて南方の統括拠点とし、2万人を越える日本人が移住しました。この時期に町も近代化しました。しかし第二次大戦ではアメリカの攻撃対象となって激戦地となり、1944年のペリリューの激戦では双方で2万人を越える死傷者が出ました。戦後はアメリカの信託統治となり、1994年に独立を果たしています。産業は観光が 重要な位置を占め、美しい海を背景にダイビングやフィッシングを中心としMappalau2た観光客を惹きつけています。
面積 : 458k㎡(屋久島程度)
人口 : 2万人(2010年)
人種 : パラオ人(7割)、その他フィリピン系
言語 : パラオ語、英語。年配の人で日本語を話せる人もいます。
宗教 : カトリック(4割)、プロテスタント(3割)、その他新興宗教、土着の宗教など

 日本兵は、日本側の教育しか知らないと、捕虜の扱いがどうなっているか知らないまま、死に追いやられていたが、大学出て勉強している人は、捕虜が虐待されることはないと知っている。沖縄宜野湾市の友人は、逃げ惑っているとき、日本軍の学徒兵の将兵に米軍に投降するように指示された。おかげで助かって今があるという話を聞いた。その将兵は、自分は投降しないで最後まで戦って戦死されたのだとか。

 投稿者鈴木健氏の上司師団長は、アメリカ軍と休戦協定を結んで、将兵の命を救った。アメリカ軍としては、日本軍は実質捕虜であることに変わりはないから、それを認めたのだろう。Wikipediaには、休戦協定を結んだ話はなく捕虜としてしか扱っていない。

「我々は降伏したが捕虜ではない。武器は放棄するが軍隊として存続させていく。兵士たちは飢餓寸前で、人道的な立場から食料援助をうけたい」米軍との交渉が実を結び、缶詰などの食料が空港に運ばれた。空港からジャングルへ運び、各隊に分配した。
 驚いたのは、ドラム缶のような大きな牛缶、日本米よりうまいカルフォルニア米だった。栄養はもちろん、とにかくうまい。生まれて始めての食べ物ばかりであった。我々の食べ物といったら、携帯の乾パンのみ。米軍は、乾パンとチョコレート、ガム、タバコなどが一包みになっている。
 これだけでも勝負は決していた。なにしろ、当時はトカゲ、カタツムリが最上の食料であったのだから、私の任務である食料の供給は途絶えて久しかった。」
 45年八月十五日以降、餓死寸前から安堵感と共に食料事情が一変したのである。帰国までは、(戦闘の恐れがないので〉毎日のようにジャングルの宿舎で、郷土の歌の競演などしていた。八月十五日以前と比べると、天国と地獄である。

 という趣旨の投書で、米軍へ投降を勧めなかった日本の軍部の誤りは、現代の原子力発電を推進する日本指導者と何か似ていて仕方がない。

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