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2012年6月 7日 (木)

『母』姜 尚中カン サンジュン世界に引込まれる

10_pPhoto 姜 尚中カン サンジュン(日本名永野鉄男)著 『母』を読んだ。彼の文章が流れるように進む。読みやすい。
 朝鮮人、韓国人の日本人との軋轢の中を彼の父と母が仕事を築いていく。母の生涯を描く。
 朝鮮人、韓国人、彼らの心情をいまいち察することができなかったが、姜 尚中の母の人生を通して、少し理解したような気がした。

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 韓国人の心情の一端がわかったのは、死んだ長男の命日に巫女の祈りの中で、彼の母が狂ったように祈り、泣きわめくシーンを読んだときである。姜 尚中カン サンジュンほど、沈着冷静な人はいないだろう、と思うほどであるが、この『母』を読んでみると、彼にも、彼の母にも、在日人の胸中にある鬱積の大きさを見た思いであった。これが、日本人には理解到達できない朝鮮人の「恨ハン」なのかもしれない、と私なりに理解した。独りよがりの理解かもしれないが。

在日の多くが、成功した人生の、歌手都はるみ、解説者張元勲、プロレス力道山など、有名な在日、その二世にも、渦中の美元みおんにも、胸のうちには、溜まりに溜まったものがあると、フトと思った。普段、そんなことを言ったり聞いたりしないが、なにしろ、戦前戦中、『朝鮮人は、あわれなものじゃ、一日一銭、ごみくず拾い』と、日本の子供は平気で囃していた。その蔑視の中を生きて、財を築き、地位を築いてきたのだから、強いはずだ。

201111862045sm0xm D6764bce  日本でも、命日の行事はする。坊さんが仏壇の前で読経をする程度だが、朝鮮の風習は違うようだ。在日の彼らには、棘トゲのように刺さっている痛みが、あるのかもしれない。それが、あるとき突然外へでるのかもしれない。
 
 朝鮮音楽として、農村の長鼓チャング、シンバル、鉦(ケンガリ)でにぎやかなうるさい演奏があるが、アレに似たことを亡くなった人の命日にやる。チマ・チョゴリにコムスン(朝鮮ゴム靴)ガニ股で歩くおばさんが巫女ムダン、助巫が三人、それに母が加わって、思いきりにぎやかに「アイゴー、アイゴー」と泣き、チャング、シンバル、鉦を鳴らす。

日本人からすると、何でこんなにうるさいのだろう。耳をふさぎたくなる。この音で、逐鬼、一切の悪霊を追い払うのだという。

2003030561588  このおばさんが、亡くなった長男春男の命日に来ると、母が急に別人のように変わってしまい、尚中(鉄男)は、恐ろしい気持ちになったという。母はドラムや太鼓を家の中でガンガン叩き、鳴り響く中を白のチマ・チョゴリに身を包んで、激しく哭きながら、ところ構わず徘徊する。
「ア~イ~ゴ、ア~イ~ゴ、ア~イ~ゴ」
母の哭き声は、セミの鳴き声のように長い調子で、延々と続き、喉を震わせながら、炸裂音へ変わっていく。

 巫女ムダンというのは、日本のイタコに似て、悲しい歌声で死者の霊魂を弔い、死んだ亡者を呼び戻し、死者と二人きりの世界をつくる。母と二歳で死んだ春男の世界に浸りきる。尚中カン サンジュンには、まったく別世界、身震いする黄泉の世界にしか聞こえなかった。母を「異常」状態にしてしまう、ムダン巫女が怖いし、嫌いであった。このムダンの「逐鬼」の呪術の儀式のときは、子供の尚中(鉄男)はおろおろした。嵐が過ぎ去るのを待っていた。

 この主巫と助巫が三人が巫楽器を鳴らし、母が全身を震わせて踊りだすと、域を切らして笹の葉で鬼神を打ち払い、家中を練り歩く。そのうち、出刃包丁を持ち出して、兄のマサオや私尚中(鉄男)の身体スレスレに突き出すそぶりを繰り返す。シューシューと声を出し、最後に、出刃包丁を玄関から放り出して、占う。鬼神が間違いなく出て行ったことを確認して終わる。占いの結果が悪いと、再度それを繰り返す。

 父など、男たちは黙って子供の恐怖心見守るだけで、まあ、日本の行事で言えば、秋田のなまはげに似たものかもしれない。朝鮮半島の鬼神を駆逐する行事は、激しさがある。激しく悪鬼を追い出すには、人の側にもそれだけ溜まったものがあるのだろう。巫楽器の音は聞いたことがないが、農村の長鼓チャング、シンバル、鉦(ケンガリ)での演奏は、室内で聞いた日には、耳の鼓膜が破れそうだ。

P_014Photo_2コムシン 
日本人は韓国の言葉を知らなさ過ぎる。
 ハングル文字はなかなか覚えられないが、このさい単語をちょっと覚えてみよう。 ←クリック
ありがとう=カムサハムニダ、
こんにちは=アンニョンハセヨ。

 これくらいは覚えておきたい。

 こんな長鼓チャング、シンバル、鉦(ケンガリ)でのやかましい演奏が自宅で行われた翌日は、秘密にはしておけない。級友に「なにかあったのか」とか言われる。
「うっうん・・・、違うど」
日本で生まれ、日本でそだった尚中(鉄男)は、恥ずかしいことだった。なんとかごまかしていた。

 母と巫女の祈りは、亭主から忍従を強いられ、在日の苦痛を受ける女たちだけが、ストレス発散の土俗的な聖域であった。その無念の中で死んでいった霊魂と交流し、自分たちの心の痛みを和らげようとしたもの。そこには、変えられない現実へのあきらめがある。同時に、奈落に落ちた境涯をうがつ浄化のひと時でもある。母の癇癪が爆発したような狂騒は、母の胸の中にある鬱積を払いのける役目もあるようだった。と、姜 尚中は解釈している。

姜 尚中(カン サンジュン。Kang Sang-jung。1950年8月12日 - ):日本の政治学者。日本名永野 鉄男。熊本市出身。東京大学大学院情報学環教授、東京大学現代韓国研究センターセンター長。国籍は韓国。
父は、1916年に朝鮮南部の慶尚南道昌原市義昌区に生まれ、1931年に仕事を求めて自らの意思で来日。母は1923年に朝鮮で生まれ、1941年に釜山近くの昌原市鎮海区から父に嫁ぐべく関釜連絡船で来日。
 熊本県立済々黌高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業、早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。西ドイツ・エアランゲン大学留学(1979年 - 1981年)後、明治学院大学講師、国際基督教大学準教授を経て、東京大学教授。現在、東京大学情報学環教授。専攻は政治学・政治思想史。研究分野はアジア地域主義論・日本の帝国主義を対象としたポストコロニアル理論。
Wikipedia参照

22歳までは、朝鮮、韓国籍をきらって、ずっと永野鉄男を通していた。日本に同化したいと思っていたが、なかなか思い通りに腑に落ちた気持ちにはなれなかったが、おじが韓国に招待してくれて、初めて韓国に行ってみると、無理しなくていいんだ、という感情が押し寄せ、今までのストレスが解消したようだった。それ以後は、早稲田大学在学中に韓国文化研究会に参加し、永野鉄男をやめ、姜 尚中(カン サンジュン)名乗った。

訪ねた叔父テソンは、戦前日本の大学出身で、戦時中は日本軍憲兵となり日本人女性と結婚し子供をもうけ、戦後に妻子を残して韓国に帰郷。(叔母にあたる日本人女性とその娘、従妹は行方不明)韓国では、良家の韓国人女性と結婚し弁護士として成功。

姜 尚中を理解するために動画を見てみよう
爆笑問題のススメ 姜 尚中1
http://youtu.be/1BS6vL-TbSY
爆笑問題のススメ 姜 尚中2
http://youtu.be/pZoGJiQrS7I

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