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2012年6月19日 (火)

平田国学と岩倉具視、裏切りも 想定内

 たぶん、数千年前「殷」の時代の人間も、たぶん同じことを考えたことだろう。
 オレと同じことを言って、むなしさに倒れていったのかも知れない。
 「何度言っても
同じだ!それで政治はいいのか・・・・」と言いながら、なお、私はそれに向かって、扉を叩いている。

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 唐突に聞こえるかもしれないが、これは、源泉を辿れば、平田篤胤の国学史観にある。
 平田 篤胤(ひらた あつたね、1776年10月6日(安永5年)-1843年11月2日(天保14年)):江戸時代後期に国学者・神道家・思想家・医者。出羽久保田藩(現在の秋田市)出身。成人後備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となる。復古神道(古道学)の大成者であり、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学四大人(うし)の中の一人。その思想は水戸学同様尊皇攘夷の支柱となり、倒幕後の明治維新変革期の原動力ともなった。その思想は後の神仏分離や廃仏毀釈にも影響を与えた

 小説『夜明け前』(島崎藤村)を読むと、幕末中津川のインテリ階級は、平田国学の影響を受けている。そのころのインテリは、句会と称して、週一で談合していた。幕末政局を語るのだが、平田国学の影響で、倒幕を考える水戸の天狗党を応援していた。しかし、中津川のインテリは、みな役職のある身で、問丸とか、庄屋とか、尾張藩の配下にあったから、面従腹背の態度で接した。

 本日は、プルデンシャル系G生命保険に勤めているH氏が来訪した。彼は、故郷中津川市の近郊付知出身で、同じ高校の後輩であるというつながりで会うことになっていた。

 彼は、こんなことを言っていた。小学校で先生から、音楽の時間に「インターナショナルの歌」を教えられた、と。
 立て飢えたる者よ
 今ぞ日は近し
覚めよわが同胞
 暁は来む
という労働歌だ。教えられたのは、多くは労働者の団結の歌だ。
 そういえば、昭和30年ころ、近江絹糸の人権ストで日本中大騒ぎだった。女工哀史の世界がマダ残っていると、驚かれた事件で、中津川近郊の労働者が共闘をしようと集まり、名古屋、岐阜から機動隊が集会の日、大挙して押し寄せ、市内は機動隊の車両と隊員であふれた。
 そんな影響もあったのかもしれないが、
労働歌を授業中に教えられたと語っていた。

 中津川市では、校長の指示など無視して、綴り方教育が行う先生がいた。また、作文集をつくったり・・・、今民主党幹事長輿石さんと同じ位の年齢の先生は、そのころは、自分の考えを生徒に教える指導ができた。父兄の文句もあまり強くなく、陰でいわゆる「アカ」と先生の陰口をいう程度であった。が、昭和30年以降は、私の印象では、そういう先生は、郊外の学校へ追いやられて赴任させられたように見えた。

 昭和40年代にそういう教育を受けたH氏は、いまだに、保守系の自民党を支持したコトは一度もない。いつも革新系を支持してきたという。教育の影響だ。

「中津川市には、どうして革新系でしょうか」と聞かれて、
 それで、明治維新前後の中津川の話をした。彼は、「夜明け前」全巻読み通したというから、国学思想が、幕末中津川市の知識階級に与えた影響を話した。
 
「夜明け前」島崎藤村 全巻読了
赤報隊 御一新年貢半減: nozawa22
踊らされた相楽総三と赤報隊: nozawa22

Mino0214  そのころの庄屋など役職の知識人は、尾張藩に内緒で、倒幕運動に加わっていた。
ら尊皇攘夷激派、天狗党の乱の残党が、諏訪近くの和田峠の激戦で破れ、中仙道を通ると、どこの宿でも、戸を閉めて、彼らを避けた。ところが、中津川宿を通過したさい、五平もちや飲み物で歓待した。

02178
横田元綱(和田峠の激戦で戦死)の首を中津川の有志に委託し、埋葬した碑

 天狗党の隊士が、中津の宿ではなぜ歓待してくれるか、不思議に思って尋ねたら
「この人々残らず御同士の方々にて」(中津川の人たちは、みんな平田国学の同士です)と、平田国学を信奉している仲間として扱った。
その後、この天狗党の残党は、ことごとく捕らえられ、琵琶湖近くで斬首される。

 その後、明治維新、昭和になって中津川市の市長になった人も、この幕末の知識人の子孫であり、平田国学がそのまま新政府の方針になったとはいえないが、中津川では、幕末の国学=反幕府で、その意識がめんめんと地下水のように伝わっているという歴史がある、というのが、私の解釈である。

だから、戦後の生活綴り方教育につながったし、労働組合左翼運動にも関連しているのではないか。それが、先生たちの左翼思想にも伏流水のように現れてきたようだ。


 長州藩の方向変換にかかわる「中津川会議」をお膳立てしたのは、半兵衛(間秀矩)である。彼は、幕末東濃地方では平田派国学者の筆頭で、文人として評価の高い知識人である。その子孫が、昭和廿年代に市長を務めた。

 中津川市では、明治幕末には、倒幕運動に強い関心を持って、明治維新を眺めていた。この半兵衛(間秀矩)は、明治新政府軍の東山道軍を下諏訪まで先導したことなど功績があった。京都の長州屋敷に出入りし、天狗党を通過させ、また東山道軍を下諏訪まで先導したことなどから、明治維新に功労のあった

 文久2(1862)年、長州藩の桂小五郎は、藩主毛利敬親を尊皇攘夷へと説得するため、中津川宿に潜んで殿の到着を待ち、その間、東濃地方の平田派国学者の筆頭であった半兵衛と接触したと思われる。
 桂小五郎が
「公武合体」から「尊皇攘夷」へと長州藩主の頭を切り替えさせた中津川会議を開いたといわれるが、その具体的に場所を設定したのが、この半兵衛だといわれている。

 五代目間半兵衛秀矩の身分は、間家の分家・山半の五代目の商人で、中津川村や役場の役人、さらに代官山村氏の御用などを務める有力者でした。時局に敏感で明治維新の長州藩の攘夷の動きを支えようとしていた。

 間秀矩(間半兵衛)の名で有名で、近郷の平田派門下人を組織し、京都の長州屋敷に出入りし、鳥羽伏見の戦いが開戦してから18日後の慶応4年(1868)1月21日、東山道鎮撫総督軍を下諏訪まで先導したことなどから、明治維新に功労のあった

 どこの地方にも、保守対革新の対立はあるが、中津川市では、市長選では明瞭にそれが現れる。そもそも、幕末明治維新の頃には、中津川市には国学ブームがあって、村の役人など知識階級は、尾張藩に知られないように、かなり本気で倒幕活動した。
 
鳥羽・伏見の戦いで新政府が勝ち、逃げる幕府軍を追いかける形の東山道先鋒隊(相楽総三ら赤報隊など)が、中仙道を通過する際、地元から隊に加わる人の名簿が残っている。

(それより先に進軍した、東山道先鋒隊(相楽総三ら
赤報隊など)が美濃国、信濃国を朝廷側に導こうとしたが、途中で新政府の方針変更で取り消され、悲劇に終わる。 )←今回はこの件は取り上げない

 というわけで、幕末の中津川知識人は、平田国学の影響で反幕府を貫き、明治新政府の側に立ったが、「夜明け前」の主人公青山半蔵は、平田国学の思想、また「年貢半減」の旗印の賛同し、新しい世が来ると信じた。
 にもかかわらず、明治政府はそのマニフェストを踏みにじる「
裏切り」を行う。その悩みで、青山半蔵は狂ってしまう。

 
この正直な平田国学を信奉するウブな青山半蔵には、明治政府が「新しい世」のマニフェストを裏切るのは、到底受け入れられない気持ちだったと思う。最後は、座敷牢で狂い死ぬ。
 老獪な政治家岩倉具視なら、この程度の
裏切りも、想定内。美濃地方の青年は、この理想と現実政治のギャップについていけるか。

 中仙道沿いの美濃地方、中津川市の人なら、一度は潜る思想洗礼である。この洗礼をどう潜るか、われわれ青年の「成人式」である。

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=夜明け前 関連資料=
夜明け前の虚構と史実 
「夜明け前」島崎藤村 全巻読了 
藤村の「夜明け前」読み難いのはなぜ 
歴史の鼓動 夜明け前の町  
「夜明け前」の中津川で 心中事件:  
中津川豪商 生き方 杢右衛門と半兵衛  
中津川村最後の「庄屋」 
水戸天狗党を歓待する

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コメント

 ブログを拝読しながら、よく父とかぶるのは、当時の教育の影響でしょうか。学校の先生の影響かわかりませんが、父やこちらのブログが、「民主主義」に反することに対しひじょうに敏感ということを感じます。
 きっと、父たちを育てた大人(私にとっては祖父母たち)が、戦争で大変な目にあい、新しい社会をつくる強い思いとして、「民主主義」を大切にしようとした、ということのあらわれなのか、と改めて思ったりします。
 
 おとなしくてしゃべらない、本ばっか読んでた子供だった父らしいですが、中学卒業後、就職した都会へ出て、とくに政治的な活動を学んだようです。当時は60年安保闘争が始まった頃と聞いてます。
 20代後半で父は都会から戻り、そこで知り合った母と結婚し、兄と私がうまれ、地元の共産党議員として立候補しました。
 私の育った頃は、田舎でも「アカの子」なんて差別はひとっつも受けたことはありません。今思えば、子供に影響しないように育ててくれたんだと思う。政治に特に関心持つわけでもなく、のんきに育ちました。 
 70歳こえて、父は自分より年上との交流が多く「片足を棺桶につっこんどるオジイばっかョ!」と笑います。「新人類」と呼ばれる兄(息子)や、お調子者の私のだんなとは、話があまり合わないようです。
 こちらのブログnozawaさんと同様に、父も現代の社会問題を憂え心配しています。
 教育にも熱心で、小学校の将棋クラブの先生や学童保育のボランティアを引き受けたりしてます。父はあまり語らないので、そんなわけで、こちらのブログを興味深く拝読させてもらっています。
 ちなみに私の名前は、島崎藤村の「破戒」の登場人物からとったらしいですが。完璧、名前負け!(笑)
 うまく言えないのですが、父のことをなんとなくお伝えしたくなりまして。

すっぱ様 
 あなたのお父さんと話が合うかもしれないですね。島崎藤村の「破戒」は、ほとんど、男ばかりが登場人物で、唯一女性は、

投稿: すっぱ | 2012年6月24日 (日) 00時43分

自分の名前、映画「破戒」にでてた女優のイメージなんですが。じつはお話しを知らないので調べたら、めっちゃ不幸そうな女子の設定なんですが!おおおお父さん(汗)そのうち映画か本で、じっくりお話しをおってみようと思います^^

投稿: すっぱ | 2012年6月24日 (日) 19時50分

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