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2012年6月 6日 (水)

AIJ投資顧問浅川和彦 消えた2000億円

6_01 Photo  「八ッ場ダム」建設事業は、約5900億円(累計額 )(当初予算4600億円)。
それに、高速増殖炉「もんじゅ」建設費: 約
1兆810億
円(累計額)(当初予算約5,900億円)
 グリンピア建設など、年金から過去の浪費損失が
800兆
円だという。
 この壮大な予算と比べると、
2000億
円、消えたAIJ投資顧問の年金資金は、なんだ、その程度かと勘違いされそうだが、「経済の死角」(2012年03月12日号週刊現代)を紹介したい。
巨大な「八ツ場ダム」 完成しない公共工事
苦渋の前田国交相 してやったり 演技賞モノ
ダムのムダ

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   AIJ投資顧問は、合計94もの地方の企業・基金・団体の厚生年金基金運用担当者から、野村証券仕込みの口八丁手八丁の営業力で2000億円もの資金を集めた。それが、たった10年足らずでほとんどが雲散霧消し、AIJの預金額はたった40億円しか残ってない。
 AIJに資金を預けていた年金基金の加入者・受給者は合わせて88万人に損害をこうむりる。社社長の浅川和彦氏は「香港の口座にまだ200億円ある」などと説明しているが、確認されていない。


「だますつもりはなかった」AIJ社長が国会で釈明(12/03/27)
http://youtu.be/pk7BkniVNd8 ★  巨額の資金は、どこに消えたのか---。
 AIJ投資顧問は、2002年6月から資金の運用を開始。野村證券OBの浅川氏は、米系運用会社の日本拠点を買収、'04年8月に商号を変更し、AIJ投資顧問り、野村證券時代からトップ営業マンとして知られた浅川氏は、全国の年金基金に狙いを定め、猛烈な勢いで資金集めを開始した。

「浅川さんは、平身低頭、語り口は流暢で、理路整然と話し、しょっちゅうジョークを言っていた。初めから安定運用を謳っていて、こちらのツボを押さえ、派手な実績だとこっちも疑うけど、そうではない微妙なラインを衝いてくる」(京都織物卸商厚生年金基金の担当者) 全国の年金基金の運用担当者に食い込んだ。

「最初のきっかけは、電話の営業。AIJ投資顧問の概要の説明があり、約1年後に資金運用委員会を開いて、AIJ代表の浅川さんと証券会社の担当者が、委員の前でプレゼン。委員会に諮って5億円の購入を決定した。『毎月コツコツ稼ぐ商品だ』ということでした」(北海道乗用自動車厚生年金基金常務理事)

 契約後、浅川社長の事前の説明どおり、毎月平均して0・5%程度の利益というレポートが寄せられた。ときには0・1%しか儲けがない月もあったが、おおむね0・5%平均で回っていたので、1年後にさらに10億円を追加で総額15億円委託した。年金基金全体の7・5%に及ぶこの資金が返還されることは絶望的だ。

 浅川社長の手法は、巧みなセールストークと、酒食の接待。馴染みの店やスナックなどに顧客を招いて派手に接待。とにかく楽しいお酒で、顧客を飽きさせない。カラオケも上手だった。(別の証券会社幹部)

 こうして膨れ上がった資金が、2000億円にも達した。この1年間だけでも、180億円以上も預かり資金を増やしている。関係者筋では、その資金運用パフォーマンスに疑惑の目を向けられていたが、一般投資家はまったく気が付いていなかった。

証券取引等監視委員会が今年1月に検査に入り、その内容を日経新聞がスクープするまでは、「安定した実績を誇る会社」とみなされていたのだ。

 AIJ投資顧問の浅川社長は、証券取引等監視委員会から、なぜこれだけ39c901c4906f102195e5bbd2c8afb6f0_2のカネがなくなったのかについて、明言することを避けているようだ。
 AIJが投資家に説明していたのは、日経平均のオプションの売りという投資手法で、もっとも単純なデリバティブの一種です。それほど大儲けもできない代わり、年に数百億の損失というのも考えにくい。本当に投資の失敗なのか。
 淺川社長は、詐欺や横領罪に問われるのを避けるため、あくまで投資の失敗と主張するのでしょうが、実際には海外のトンネル会社などを通じて、相当な額が流出した可能性が高い」(全国紙経済部記者)
AIJが投資していたケイマン諸島の投資ファンドや、そこから資金が流出した香港の投資銀行、さらにそこから先の資金の流れについては複雑怪奇で、全容解明はほぼ絶望視されている。金融庁は、関係諸国の金融当局に協力を依頼するが、一部には「複雑な取引を経て国内に還流し、闇の勢力に流れている」(金融ジャーナリスト)と見る向きさえある。それは、AIJ投資顧問や、系列のアイティーエム証券の関係者の背後関係に「疑惑」があるからだ。 

 取締役の高橋成子(国会参考人招致されたが、医師の診断書を提出、うつ病 閉鎖病棟に一ヶ月入院相原病院 海江田万里委員長の説明。 (元)一吉証券時代浅川の秘書〈愛人?〉AIM Investment Advesors Ltd取締役)、松木新平、大原雅志氏。
 松木新平氏は、浅川和彦氏の同期で野村證券時代、不祥事として、大物総会屋の小池隆一への利益供与事件で逮捕された前歴。

 浅川和彦氏と高橋成子氏の月収が、約600万円と約300万円にのぼっているが、証券取引等監視委員会は、資産の運用に失敗して巨額の損失が出ているのを知りつつ、高額の報酬を受け取っていたと調べている。

 AIJ投資顧問の浅川和彦社長は、横浜市立大学を卒業後、1975年に野村證券に入社し、目覚ましい営業実績で頭角を現した。浅川和彦の経歴をまとめてみますと、
横浜市立大学卒業
1975年 野村證券入社(上司にオリンパス事件の中川昭夫)
1994年 外資系のペイン・ウェバーに転職
1996年 一吉証券に転職(歩合外務員で秘書と個室つき)
2004年 AIJ投資顧問の社長に就任
    高額納税者番付にも登場したとなっています。

 1975年当時、 野村證券は、3000人くらいの新入社員を採用したが、浅川社長は若いときから抜群の営業力で本社からも注目されていた。「浅川が初めに配属されたのは、名古屋の金山支店で、当時の新入社員は、『1日に100枚名刺を集めて来い!』と言われるような猛烈な営業をした。
 夏の暑い日など、名古屋で外回りをしていると背広が汗でびっしょりになって、背広の背中から塩を吹いてくる(笑)。浅川も飛び込みの法人営業でかなりの実績をあげていた」(野村證券OB・B氏)。

 入社5年目の'79年には従業員組合の執行委員に抜擢され、当時、組合執行委員をやると、その後の出世は確実と言われていた。
 その頃の浅川社長を知る野村證券の別のOBのC氏はこう話す。
「身長は160cmくらい、痩せ型で、体は小さいんですが、声がでかくて独特の迫力がある。ゴルフも好きだったが、とにかく賭け事が大好きだった。カネの亡者といったら失礼だけど、給料日のあととか、仲間うちで朝までマージャンをやっていた。マージャンは強くて、結構勝っていたと思う。競馬もやっていた。ちなみに浅川の奥さんは、金山支店時代に入っていた寮の近くのクリーニング屋さんの娘さんだと聞いたことがあります」

 野村證券では個人投資家向けの営業マンとして支店営業にキャリアを積み、京都支店営業次席、熊本市店長と出世階段を登っていく。やり手の営業マンとしてかなり有名だった。
 AIJ投資顧問の設立は1989年、運送会社や建設会社、電気工事会社など中小企業の厚生年金基金の運用を主力として、2011年9月末時点で、124の企業年金から1984億円の資産の運用受託。

 AIJは顧客に対し240%の運用利回りを確保していると説明してきたが、2012年1月下旬の証券取引等監視委員会の検査により、運用資産の大部分が消失していることが明らかとなった。
 これを受け、金融庁は証券取引等監視委員会の行政処分勧告を待たず、同年2月24日付で金融商品取引法に基づく1か月の業務停止命令を出した。

 豪快な性格で、顧客受けも抜群だった。
 ときに自分が推奨した銘柄が暴落し、大きな損を出したときも、変に恐縮するようなことはなかった。
「自分の顧客に、50億円くらい損をさせたことがあったと思いますが、『仕方ないですね。次、取り返しましょう』と屈託がなかった。天性の明るさというか、営業マンとして優秀でしたね」(前出・C氏)
 浅川社長は、予想通りみるみるうちに出世する。本社営業企画部勤務を経て、'85年に京都駅前支店長、'88年には熊本支店長に就任。周囲は「順当にいけば役員は確実」と見ていた。

 浅川社長がこの時代に開拓した新規の顧客に、神戸の名門女子校「松蔭女子学院」もある。浅川社長の営業で、野村との取引を始めたという。今回、明らかになったAIJの顧客リストにも、松蔭の名前があった。 昨年末時点で、5億2000万円をAIJに委託している。野村證券時代からの人脈が数十年間、生きつづけていたようだ。
 しかし、浅川社長は'89年に突然野村證券を辞めてしまう。 「不動産取引で借金を作ったという噂も立ちましたが、真相は不明。ただ、当時はバブルの真っ只中、彼は相当の顧客を掴んでいたから、どこに移ってもやっていける自信があったはず。

20120424 参議院財政金融委員会【証人:浅川和彦】-8
http://youtu.be/qs_kRBFhmgc

 野村退社後は、国内の別の証券会社の『歩合外務員』に転じ、年収は8000万~9000万円あったと聞いています。野村の社員のままでいれば、どんなに出世しても年収は5000万円どまり。彼くらいの力があれば、辞めたほうがカネになると思ったんでしょう」(前出・OBのC氏)
 その後、浅川社長は別の野村OBの誘いで米系証券会社・投資銀行のペイン・ウェバーに転じている。

 浅川社長が'02年にAIJの前身を設立したとき、役員として迎えたのが、野村證券元常務の松木新平氏だった。
「松木氏は、昭和38(1963)年入社。兵庫の篠山鳳鳴高校を卒業して入社した高卒社員です。仕事はもの凄くできた。野村社内でも、『高卒三羽烏』と呼ばれたなかの一人で、超のつく努力家として知られています。頭も切れ、ワラント(債券)取引などを担当、株式部長を経てエクイティ担当常務まで出世した。しかし、'97年の総会屋事件で、会社員人生が暗転したんです」(全国紙論説委員)

'97年、野村證券と大物総会屋・Kの不透明な関係が明らかになった。
 Kは、取引の一切を任せる「一任勘定」を行っていた。ところがこの口座で2億円の損が出たことから、当時の総務担当取締役に猛抗議し、この取締役が松木氏に相談して、違法な「利益の付け替え」を行った。結局松木氏と、総務担当役員らが逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けて、野村を退社している。

 いずれにせよ、事件で野村を退社、退職金も剥奪された松木氏に、声をかけたのが浅川社長だった。
 営業には実績があるが債券取引には明るくない浅川社長は、松木氏の知識に目をつけたようだ。こうし
て、浅川社長、松木氏の二人三脚でAIJ投資顧問がスタートした。

「'06年ころまでは、早稲田大元教授の植草一秀氏を顧問に招聘し、投資セミナーの講師として客を集めていました。植草氏が『痴漢事件』で2度目の逮捕をされると講師は辞めましたが、それでも浅川社長は植草氏を信用し、交際は続いていた。投資のための経済情勢分析など、植草氏に教えを請うていた」(経済ジャーナリスト)
 山梨県内のリゾート施設・ワークショップリゾート代表でタレントの清水国明氏は、'05年の会社設立時、AIJから2億4000万円の出資を受けていた。清水氏によると、浅川社長は、同社に実弟を送り込み、資金の使途をチェックしていたというが、多額
のカネを出した割には施設を視察することも稀で、経営に本腰を入れているようには見えなかった。

 その一方で私生活はどんどん派手になっていく。
 浅川社長は'04年頃から数億円の年収を得て高額納税者に名を連ね、荻窪から六本木の超高級マンショ
ンに居を移した。六本木の高級クラブに投資したり、不動産ファンドに出資していたという情報もある。
急に大金を手にして、思いついたように浪費しつづけた。
  一方、発足後まもなくから、業界関係者はAIJに疑惑の目を向けていた。
 もっとも早く問題提起したのは、格付投資情報センターが発行する雑誌『年金情報』である。
 同誌は、'08年11月17日号の「年金顧客評価調査」でAIJを全体首位としていたが、「運用成績の良さが
高い評価につながっている」「営業担当の証券会社社員が頻繁に事務局を訪れる」としながら、「投資家への(情報)開示が不十分」と早くからその危うさを指摘していた。

 同センターの永森秀和氏が言う。
「AIJは、業界では高利回りの運用会社で、年間5%以上の利回りを上げていたというもので、それ自体はそれほど不自然ではありません。しかし、相場が乱高下している中で、月別の利回りもプラスをほぼ維持し続けていたことが、疑念のきっかけです。
 金融庁が関心を持っている、という構成にして、'09年の2月16日号でAIJの名前を出さない形で記事にしました。ただ、関係者が読めばどこの運用会社かはすぐに分かった。『年金情報』は年金基金や業界関係者の多くが読んでいますし、口コミでも伝わり、解約の動きが一時広がりました」
掲載直後から、記事の反響は大きかった。
「こんな誹謗中傷を書いて、どういうつもりだ!」という抗議の電話が編集部に数十件も寄せられ、一時はパニック状態に陥った。電話をしてきたのは、主にAIJと取引のある年金基金の担当者だったが、
「電話の奥からなにやら指示を出してい人物もいて、非常に不可解な状況」(永森氏)だったという。
 編集部に圧力をかけたい、という意図があったのだろうか。

 当然金融庁も、この時期からAIJの取引内容に疑惑を持っていたが、その後3年近くにわたって放置し、「被害」が拡大することになった。本誌が接触した年金基金のなかには、 「金融庁の動きが遅すぎる。損害賠償を求める提訴も検討する」というところもあった。

 AIJから流出したカネの流れについて、別の人脈を指摘する声もある。
「浅川社長が実質的に買収し、傘下に収めたアイティーエム証券は、旧山一證券出身者が中心になって設立された会社ですが、富裕層や企業、投資家を顧客とし、以前からヤミ金融の資金が流れ込んでいるという噂が根強くあった。『悪の巣窟』と言っていた証券業界関係者もいたほどです。
 浅川社長が大株主になったあとも、以前からの営業幹部は残った」(大手証券会社社員)

 アイティーエム証券の設立にかかわった人物は、
「浅川は、違法ゲーム喫茶の雇われ店長のようなものだ。なにか問題があれば、身柄を差し出すための『顔』として置いているだけ。浅川が高額の収入を得ていたのも、今回のような問題が起きたときのための〝保険〟ですよ」
 と言っていたという。であれば、浅川社長は「切り捨てられた」のか。

 AIJ投資顧問や、アイティーエム証券の背後に、なんらかの「黒幕」がいて、浅川社長らを利用してカネ集めをしていたという疑惑が、関係者の間でくすぶり続けているのである。しかしその黒幕は、いまだにその影すら見えてこない。
「投資担当」だったはずの松木氏も、最近は体調を崩していた。
「松木氏は大腸がんを患っていると聞いています。もう1年半ほど前から入退院を繰り返しているようです。ときどき近所を歩いているのを見かけますが」(松木氏の自宅周辺の住人)

 AIJ投資顧問は、浅川社長をはじめ資金を集める営業部隊だけは活発に機能していたが、実際の投資部門はまともに働いていなかった可能性が高い。となると、集められた「現ナマ」の行方はどこなのか。
 「今後、金融庁は遅ればせながら全国の投資顧問会社に一斉に調査を行う構えです。これまで投資顧問会社は、金融庁に報告義務はあっても、検査を受けることはなかった。今後、AIJのようなケースが次々に見つかれば、長年積み立ててきた企業年金をもらえなくなる『被害者』が続出する恐れもある」(前出・
経済部記者)
 悪徳業者を野放しにしていた、金融庁の責任は重い。
「週刊現代」2012年3月17日号より

最後に書かれているように集められた「現ナマ」の行方が、まったくつかめないとしたら、大事件だ。ヤミの社会に流れているとしたら、日本の金融庁、警察の機能は、メチャクチャ。中国からスパイが入ってかき回しても、やられ放題だ。
社会保険庁の愚、旧日本軍の愚: nozawa22
反省すべきは反省し、改めるべきは改め・: nozawa22

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コメント

 2011年10月31日の財務省による市場介入時1兆円を上回る資金が市場取引を通じて騙取されていますが、AIJが流出した資金もその証拠金として用いられています。
 AIJは2002年5月~2004年3月まで財務省が実施した外為市場介入を利用した振込詐欺によって流出した介入資金で設立された犯罪組織のフロント企業の一つです。
 AIJのファンドの運用実績も2002年6月から始まっており、市場介入を利用した振込詐欺が始まった時期と一致しています。
 さらに浅川氏は2004年の高額納税者番付に登場しています。市場介入を利用した大規模公金詐欺に当初より関わっていたということです。
http://economicstability.asablo.jp/blog/2012/06/18/6506416

投稿: yt | 2012年12月 7日 (金) 14時50分

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