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2012年5月 1日 (火)

祇王、仏御前 諸行無常 平家物語

 人生って悲哀、無常だな、と初めて思ったのは、高一で「平家物語」を古文で習ったときだった。若い仏御前の踊りに目が行って、白拍子祇王が、一日にして平清盛に追い出されてしまうシーンを読んだときである。清盛って、こんなに冷酷に女を扱う人なのか、と感じた。人間、権力を握ると何でもできるんだ、ということも理解した。

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 NHKの大河ドラマ「清盛」は、薄汚れた少年「清盛」時代が長々を続く。祇園精舎の鐘の音、諸行無常・・・、この人生の無常が底流にある「平家物語」のイメージで知っているだけに、NHK大河「清盛」とはだいぶ違う。だから、視聴率が大河ドラマ史上最低になるのも、わかるような気もする。早く実力発揮の「清盛」を見せてもらいたい。

Imagescad49mu0  平安時代末期、時の権力者であった平清盛(1118~1181)に寵愛されていた白拍子祇王(ぎおう)は、ある日の出来事で突然捨てられ、悲しみの祇王は、母と妹とともに都を去り、山里で尼となり生涯を送った。この一躍スターダムに上り詰めた人も、一朝にして、新人スターが現れたら、どん底へ落ちる運命である。現代にもあるが、平安時代のこのころにもあった話。

 Kyo14 祇王は近江国(滋賀県)の生まれ。野洲江辺庄の庄司を勤めていた父が北陸へ流されたことで、母刀自(とじ)に連れられて、妹祇女(ぎにょ)とともに京へ出て白拍子の生活を始めた。祇王18歳の時である。
 白拍子とは、平安時代後期に流行した、当世風(=今様)の物腰柔らかな踊りををいう。また、その踊りをする女性を含めて白拍子と言う。
 白拍子の装束は、蝙蝠(かわほり)と呼ばれる扇子の一種を持ち、立烏帽子(たてえぼし)、白い水干(すいかん:当時の下級役人の普段着)に長袴で、太刀を腰に差した男装。白拍子は、前代からの神楽歌や催馬楽、風俗などに対して「今めかしさ=今様」をそなえた即興的歌謡であった。

 白拍子で有名なのは、義経の愛人静御前である。彼女は、義経に足手まといだからと、一行と別れ捕まり鎌倉へ連れて来られて、頼朝の前で「しずや しずのおだまき・・・」と、歌いながら踊った。そのとき、妊娠7ヶ月(義経)の身重あった。白拍子=歌って踊れるタレント、お酌もするし、とぎもする。身分は低いが、人気者であった。

 都へ出て来た祇王の歌と舞いの見事さは、たちまち都で評判となり、ある日、当時の最高権力者である平清盛に呼ばれた祇王は御前で舞う。清盛は、祇王の見事で気品のある舞い、そして何よりもその美貌に心を奪われ、直ちに自分の別荘西八条殿に住まわせ寵愛した。清盛の寵愛を得た祇王は、母や妹の面倒までも見て貰い、毎月、米百石・銭百貫の手当てをもらい、一家の豊かさ華やかさは例えようもないほどで、何不自由の無い生活が始まる。

 そこへ現われ出たのが加賀国(石川県)から出てきた16歳の仏御前という名の白拍子。仏御前の舞いも見事なもので評判となり、仏御前は清盛の屋敷へ行き、「舞をお目にかけたい」と面接を申し出る。祇王を寵愛していた清盛は「祇王より上手い白拍子がいるはずも無い」と門前払い。それを見ていた優しい祇王は、仏御前を不憫に思い「一度だけでも…」ととりなしたのである。寵愛している祇王の申し出に、仏御前の舞いを観ることにした。

 最初はイヤイヤ見ていた清盛も、見事な歌と艶やかな舞いにたちまち心を奪われ、昨日までの祇王への寵愛はどこへやら。
「ぜひ、ここに留まるように」
「舞いをお見せしたかっただけ、自分が帰る」と、仏御前は願い出たが、
「仏よ、祇王に遠慮するな。お前がそのように言うのは、祇王がいるからだな」とあろうことか、清盛は、祇王を屋敷から追い出してしまった。
 祇王は、あまりにも突然の清盛の心替わりに驚き、祇王は人情や運命のはかなさを詠んだ歌一首
「もえ出るも かるゝも おなじ野邊の草 いづれか 秋にあはではつべき」と、障子にしたため、涙ながら清盛の西八条殿を去った。

B4d14543a57efbeebf0a7adc515652d1  その後も、清盛は無神経さを発揮している。
  ある日、祇王の家へ清盛の使者が訪れ「仏御前が退屈しているので、参上して慰めてほしい」という。祇王は泣く泣く妹・祇女とともに清盛の御殿を訪れた。祇王は、下座に侍らされ、今様歌を歌い、落ちる涙をぬぐいつつ舞いを舞う。
 元々、祇王に気のない清盛は、一舞いすると帰してしまう。この清盛の無神経さ、悔しさに我が身のあまりの惨めさに、祇王は自害しようとするが、母の必死の説得で自害は断念するも、二十一歳で世を捨て仏門に入る。この時、妹祇女、母自刀も髪を剃り、三人で嵯峨の山里にあった小さな庵(=祇王寺)で念仏三昧の静かな暮しに入ったる。

 時が経ち、秋のある夜のこと。祇王らが住む庵の表戸を叩く者がいた。
Imagesca3oymys  恐る恐る表戸を少し開け、隙間から覗くと、そこには白い衣で覆った仏御前の姿があった。
 仏御前は涙ながらに「もともとは、舞いを認めてもらいたい一心で清Giouji9bothi 盛様の前で舞ったもの。心ならずも祇王様を追い出しことになり、悔やまれます」と、切々と自分のとった愚かな行為を憂いた話をした後、「つくづく物を案ずるに娑婆(しゃば)の栄華は夢の夢」と悟り、覆っていた白衣を脱ぎ捨てる。そこには髪を剃った仏御前。仏道に入ろうと決意してやって来たのである。
 この姿をみた祇王は、「まだ17歳の若さで現世を捨て、往生を願うは真の大道心」と快く庵へ迎え入れ、その後、朝晩の念仏を欠かさず過ごした四人の尼は往生した、と書かれている。

平家物語より 祗園精舎の一節 ←時間があるとき聞くと、味があるとわかる。聴きなれない節メロディではあるが、味わいがある。もう少し、現代人むけのアレンジがあってもいいと思うが。
http://youtu.be/SA0bABtx0zY

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コメント

NHK教育の「日本語で遊ぼ」で、現代風のうたにした「祇園精舎の~♪」も、いいですが、本家、琵琶のベンベンという音色 いいですね。
知多半島も知る人ぞ知る平家物語ゆかりの地、地味~に観光名所になっています。
頼朝の父源義朝は、落ちぶれて尾張国野間(知多郡美浜町)にたどり着き、年来の家人であった長田忠致とその子景致のもとに身を寄せた。しかし恩賞目当ての長田父子に裏切られ、入浴中に襲撃を受けて殺害された(『平治物語』)。享年38。その場所が、愛知県知多郡美浜町、「ホテル小野浦」←検索
 尾張国野間は、源義朝(頼朝・義経の父親)が、無念の最後をとげた地、だそうな。

 すっぱ様、頼朝の父源義朝は、あまりクローズアップされませんが、最後の地は知多半島でしたか。 教えてくれて、ありがとう。

投稿: すっぱ | 2012年5月20日 (日) 07時21分

こちらこそ!詳しくみてくださったようで、ありがとうございます。地元では「でる(←幽霊が)場所」って噂だったりします^^;

投稿: すっぱ | 2012年5月20日 (日) 14時17分

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