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2012年5月 5日 (土)

懲罰召集の記者と250名道連れ年配兵玉砕

_21太平洋戦争は、日本が「勝った、勝った」と言っておれたのは、開戦昭和16年12月8日から半年だけで、昭和17年6月5日のミッドウエィ海戦で主要な航空母艦や多くの艦載機とパイロットを失い、これ以後は戦いの主導権はアメリカが握った。徐々にアメリカ軍は失地回復のように、日本の伸びきった防衛ラインに沿って、北上してきた。

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 その実情をよく知っている従軍記者(現毎日新聞記者新名丈夫)が、東條首相が出した「竹やりでも戦う」といったことに昭和19年2月23日付東京日日新聞で「そりゃ。間違っている」と楯ついた・・・、という経緯である。

 「勝利か滅亡か 戦局はここまで来た。 
 日本は建国以来最大の難局を迎えており、大和民族は存亡の危機に立たされている。大東亜戦争の勝敗は太平洋上で決せられるものであり、敵が日本本土沿岸に侵攻して来てからでは手遅れである。
 竹槍では間に合わぬ。飛行機だ、海洋航空機だ。
 大東亜戦争の勝敗は海洋航空兵力の増強にかかっており、敵の航空兵力に対して竹槍で対抗することはできない。」

新名丈夫(しんみょう たけお、1906年(明治39年)11月3日 - 1981年(昭和56年)4月30日):日本の評論家、元毎日新聞記者。香川県高松市に生まれる。慶應義塾大学法学部卒。慶應義塾大学では弁論部に所属した。

Photo_2 
従軍記者新名丈夫は、18年1月から約半年間はガダルカナルで前線の惨状をつぶさに見聞きして、日本の窮状と大本営作戦の内容を把握していた。だからこそ、言えるのであるが、責任者の東條英機だって痛いほど実情は知っているだろう。カーッとなっているところに、痛いところを突かれて逆上したとも見える。これは、福島原発の事故で、菅首相は落ち着いて全体を掌握判断しなければいけないのをまるで戦闘部隊の軍曹のように前線に飛び出してしまったアレ、とよく似ている。

 

 この記事は、実情把握している海軍の将官は、陸軍の大本営のウソで塗り固めた発表をニガニガしく思っていたという背景があって、「日本の負け戦の状態を書け、書け」、はっきり戦況の現状を国民に知らせるべきだと、多くの良識的な海軍の将官は思っていた、と戦後になって言われている。そういうことは、「その当時に言えよな」とツッコミたくなる。

 

 この記事で、まず東條英機は激怒した。
 ちょうどこのころ、「戦争遂行のためには国務と統帥の一致が必要」と考え、首相・陸相と参謀総長の兼務に踏み切った。これは統帥権に抵触するおそれがあるとして、マスコミは批判していた。
 が、東條は政府批判や和平運動は「国賊的行動」とみなし、また東條批判は「陛下のご信任によって首相の任にある者に対する批判や中傷は、すなわち陛下に対する中傷」として許さず、憲兵を使って言論を取り締まり、批判者を懲罰召集して激戦地に送る仕打ちをした。

 コレ、コレ、「懲罰召集」をやり始めたのである。
 政府が、国民に非常時意識を固めるために、在郷婦人に竹やりの訓練を課して、戦意高揚を狙って方針を出したら、日本の戦局を熟知している三十七歳のベテラン記者に、その政府の方針を阻まむような記事を堂々と書かれてしまった。
 新聞原稿は通常検閲があるもので、これを書けば、当然戦局悪化と首相方針に反するからストップがかかるのであるが、海軍記者クラブの責任者は検閲なしに書いても検閲なしに掲載されるという慣例にしたがって、新名 丈夫の記事は新聞に載った。
 

 東條がこの記事を読んだときは、新聞は家庭に配布され終わっていたのである。そこで、発売禁止の措置をとったが、多くの国民は知った後である。 

 ベテラン記者新名丈夫37歳を二等兵として陸軍に懲罰召集した。
 彼は、二十歳大正末期、徴兵検査をうけたが、弱視のため兵役免除になっていた。当時、大正時代に徴兵検査を受けた世代は1人も召集されてはいなかった。「大正の老兵をたった1人取るのはどういうわけか」と、海軍が陸軍に抗議した。辻褄合わせのため、陸軍は大正時代に徴兵検査を受けた37歳以上から250人を丸亀連隊(第11師団歩兵第12連隊)に召集した。
 

 新名丈夫はどうなったというと、
 彼は、従軍記者経歴と海軍の庇護により、連隊内で特別待遇を受け、3ヶ月で召集解除になった。しかし、東條のご機嫌伺いのような部下が執念深く。陸軍で新名を再召集しようとした。新名の味方してくれた海軍が「国民徴用令」を適用し、海軍の保護下に置き、海軍報道班員として、外地フィリピンに彼を送り、新名は再召集を逃れた。この新名丈夫記者は新聞社と海軍という組織がバックが付いていたから、陸軍の横暴に対抗し、庇護され命を全うした。
 

  しかし、新名記者の側杖を食って召集された37歳以上人々250名は、全員、激戦地硫黄島へ送られ、玉砕して死んだ。無名の人は、こんな扱いを受けるという例だ。
  250名は誰だったか、それは一般に伝わっていない。毎日新聞は、一人の新名丈夫記者の筆の勢いで、行かなければ死ななかった250名を硫黄島で殺してしまった。「ゴメンナサイ」を一言でもいっただろうか?

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コメント

新名記者の側杖を食って召集された37歳以上人々250名は、全員、激戦地硫黄島へ送られ、玉砕して死んだ。無名の人は、こんな扱いを受けるという例だ。

投稿: 新名丈夫37歳 | 2015年7月18日 (土) 00時22分

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