東京通信工業からソニーに変更した頃
「なんでも鑑定団」をみていると、あまり、骨董趣味がなかったが、古いものの価値に目覚めてきたような気がする。多くの人より古いのといえば、東京通信工業からソニーに変更した頃、買ったソニーのテープレコーダだ。
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1958年(昭和33年)に社名を東京通信工業株式会社から、現在のソニー株式会社に変更した一年後か二年後、私はソニーのテープレコーダーを大学の生協で買った。そのテープレコーダーには「東京通信工業株式会社」と書かれた同型製品もあるようだったが、私の買ったのは「ソニー」の社名としては、トップ製品の印象であった。新品の匂いがプンプンするテープレコーダーであった。
高かったが、下宿の叔母さんに印鑑証明書をもらうため、区役所の出張所(文京区の富士神社境内)へ行ったのは明瞭におぼえている。印鑑証明を生協に提出して月賦にして買った。当時の入学時に払った金額に近かった。初めて月賦という制度を利用した。当時のテープレコーダーは大きいから、文京区動坂の下宿まで生協の職員が私について運んでくれた。
おまけ15分のオープンリールがついていた。その中には、子供の声の歌で、「ソニー、ソニー、S・O・N・Y ソニー!」と歌うのが新鮮で繰り返し聞いてしまった。
何に使ったかというと、オープンリールで自分の20歳の記念、21歳の記念に写真ではなく、声を残しておこうと、しゃべりを入れた。そのテープはいまだに残っている。そんなのは、よほど有名に私がなったなら、価値もあるかもしれないが、今もあるが、聞いたこともない。
しかし、利用されなくなって幾十年後、昭和60年代、別の小さな録音機も持っていたし、大きなテープレコーダーは場所をとるし、かさばるから、家の改装の際、大工の棟梁に良かったら持っていってと上げてしまった。アレは録音機テープレコーダーの走り、希少価値があるものではないか。
学生時代、英語の文通をしていたペンシルバニア州の先生がオープンリールで英語を吹き込んで送ってくれたので、知らん顔もできない。こっちもと、昼間誰もいないお風呂場にテープレコーダを持ち込んで5分程度吹き込んで送った。5分英語で話すのは大変なものだった。録音には悪戦苦闘した。その後、相手が何日に帝国ホテルに滞在するから・・・、と手紙をもらったが、文通しても親しいわけでもない・・・という気持ちで、面会には行かなかった。(誰か、英語の話せる仲間に相談するとよかったかもしれない。今考えると、私は独断が多すぎて、道を誤っているかも)
一番テープレコーダを使ったのは、英語の授業を終わった日に、その文章音読して、それを日本語に訳して吹き込んでおく復習をしておくと、英語の文章がよくわかった。この程度の利用法なら、テープレコーダなくても、十分勉強に支障はないのに、衝動買いだったかも。中学時代ニガテだった英語が曲りなりにも大学入試を突破できるレベルにまでいけたが、本来語学には向いていない私だから、英語レベルを保とうと必死だった記憶がある。
日本の学生の英語力は、入学時が一番高くて、徐々に下がって、大学二年間の英語学習したのちは、何も手当てしなければ、もうすぐに中学生の英語力以下に戻る。よほど英語の家庭教師をやったり、通訳に挑戦しないかぎり、大学生の英語力は蒸散してしまう。大学で英語力は、トーフル検定などして合格に達するまでやって実力保持を目指さないと消えてしまう。また、英語力のある学生に英語授業は必要ないと思う。エネルギーを他に授業を選択するチャンスを与えたほうがいい。あるいは、勝手に外国回って、一週に一回の英語レポートでOKにすると実力がつくのではないか。
YMCAの学生寮にいたので、風変わり旅行者が寮に宿泊してきた。学生と思えないブラジルの年配の学生が宿泊したり、あるいはアメリカ学生ボランティアの香港へいく途中下車で数日宿泊した。改築前の大隈庭園で我々と一緒に食事をしたり、相撲を取った。その時代の日本の学生の足腰は強く、一周り大きいサイズの彼らであったが、日本の学生のほうが圧倒的に強かった。私の相手も私より背もあるし、体重もあったが、組んでみると強い感じはしなかった。
日本人は足腰が強かったのは、和式便所の習慣で中腰で用を足すからだと、今は思う。習慣的に一日30分近くを中腰で訓練していたのだから、足腰が強いのは当たり前。昭和二十、三十年代育ちの学生は、ここYMCAに入寮して洋式トイレを始めて体験するのがほとんどであった。洋式便座は、ラクでだんだん日本人を軟弱にしている。これは進駐軍の陰謀ではないか?!
私のテープレコーダーは、アナウンス研究部(通称:アナ研)に狙われて、使っていないと、貸してくれとよく言われたものだ。数時間フルに使われて、あの当時のキーは重いから、ガチャンガチャンと音高く使われたが、ちっとも故障はしなかった。今思えば、彼らから多分感謝はされただろうが、謝礼を受けた記憶はない。このテープレコーダで何人ものアナウンサーが教育されて、多分有名アナウンサーが育ったことだろう。
昭和60年、大工の棟梁にテープレコダーを渡した段階でも、故障はしていいなし、通常に動いていた。大きな機械は壊れないものだ。今の機械の使い捨て時代とはずいぶん違うようだ。新生ソニーのテープレコーダー、あれから50年か、骨董価値が出た頃かもしれない。ひょっとして100万円くらいになった?
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