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2012年1月14日 (土)

NHK「とんび」重松清 昭和の世界 

Ws000003 1969(昭和44年) 原作者重松清は7歳、あのころの岡山県の景色が、作品に出ているのだろう。少年時代、昭和44年から10年間(1979年、昭和54年まで)を田舎で過ごしたのだと思って、この作品「とんび」を見ていた。

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Interview66 F0138055_13424189重松 清(1963年3月6日 - ):岡山県生まれ。早稲田大学教育学部国文卒業後、出版社(角川書店)勤務を経てライター・作家へ。91年、『ビフォア・ラン』でデビュー。99年、『ナイフ』で坪田譲治文学賞、『エイジ』で山本周五郎賞を受賞。子どもたちを描いた小説が高く評価される。2001年、『ビタミンF』で直木賞を受賞。主な著書に『定年ゴジラ』『見張り塔からずっと』『半パン・デイズ』『日曜日の夕刊』『トワイライト』『隣人』、近著に『疾走』『哀愁的東京』など

重松名言「ぼくの中の最低限にして最大限の価値観というのは、生きていれば勝ちだと思っているのです。潔さを追い求めて自殺しちゃうぐらいなら、言い訳してウソついて生き延びたほうがいいと思う。昔、『太った豚になるよりは、痩せたソクラテスになれ』と言った東大の総長がいましたが、ぼくは太った豚になってもいいと思いますよ。

Tonbi_akirathumb250x201183643_2後編】2012年 1月14日(土) よる9時~放送 高校三年になりアキラ(池松壮亮)は、東京の大学へ進学したいと願うが、父ヤス(堤真一)は広島大学への進学を勧めるが・・・、アキラが早稲田大学を目指していると知ったヤスは激怒し、東京に行くなら学費も生活費も出さないと言い出し、もめる。

この当時、地方の少年は東京の大学へ行きたいという熱があった。それは五木寛之「青春の門」にも書かれている。「人生劇場」(尾崎士郎)も、昔の早稲田ではあるが、その辺のことが熱烈に書かれている。早稲田大学は、地方から上ってくる学生が大半で、電車で通える学生は一割から二割程度だったが、ヤスのような息子が東京へ出ると、帰ってこないとか、さびしいもあるが、不況のせいで地元の大学へ行かせる傾向が強くなって、地方も大学が増えたということもある。早稲田も地方出身が少なくなった。地方で育てて、都会に人材を奪われるという恐れがブレーキになっている。

3939  父ヤスの逆鱗に触れた息子アキラは、たえ子(小泉今日子)たちの計らいでアキラは照雲(古田新太)の寺・観音院へ下宿し勉強を続ける。これは、アキラが東京へ行ってしまった場合、ヤスが子離れして自立するための"お試し期間"だ、とアキラの家出に賛成する。

 一方、父ヤスは息子が反抗している寂しさに耐え切れず、毎晩飲み歩いた末に栄養失調で倒れてしまう。そこで、結局ヤスは観念したようにアキラの希望を受入れた。入学試験のシーンはなかったが、アキラは見事、現役合格を果たし上京する。

入学してきょう上京という日に、ヤスはトイレに篭って、息子のアキラの門出を見送ろうとはしない、この父ヤスのデリケートな神経・・・、よく描かれている。全体として、父ヤス(堤真一)、「三丁目の夕日」の修理工場の親父と似ていて、アレ?という感じであった。昭和33年とそんなに時代が離れていないから、しょうがないかな。

列車が出て行く時間に、トイレから出たヤス、自転車で駆け手列車のアキラの「ガンバレ!」のエールを送るシーンは、劇画的な手法で、アレこれは漫画、劇画を見て育った世代の作家だと思わず、苦笑だ。

 3940 さびしくなって、会社も東京の仕事をしないか?と声をかけてくれたが、田舎の暮らしを離れたくないと悩むヤスに、飲み屋のたえ子(小泉今日子)は、「ウチで働かない?」「客商売は、オレはできない」とぶっきらぼう。「働かなくてもいいよ。いるだけで」「働くということは、カネをもらうには、役立っていないといけないんだ」とか、小理屈をつけると、「今のは冗談、忘れて」という。鈍感なヤスはたえ子のプロポーズであったのに、気づかない。

3938  母親は、アキラが幼児のとき、事故で死んで父ヤスがシングル父ファーザーとして、アキラを育てる。海雲和尚(神山繁)さんや、同僚(塚地武雅)、飲み屋の姉さんなど、多くの愛に包まれているシーンは、地方の暖かさを感じさせる。東京ではこんな育ち方はできないだろう。

 五年後。海雲和尚(神山繁)の見舞いで帰省したアキラは、東京での雑誌記者のアルバイト、卒業後もそこで働く決意、そして、東京でお父さんと一緒に暮らしたい、と伝える。多分に重松 清自身の経験を書いているのだと思うが、多くの雑誌社は在学中からアルバイトを雇って、実際にものになるか、見る場合がある。新卒就職では入社試験があるが、なかなか、これでは人材の判断がしにくいだろう。

私のクラスにも、光文社に在学中に就職して活躍した人がいる。学校は一年遅れで卒業したが、女性自身、写真週刊誌フラッシュの編集長になった。作家になる道は選ばなかったが。

 後日、実父が危篤と知ったヤスは、照雲たちに説得され上京する。ヤス自身、子供の頃、父親が母を捨てて女と上京して、母と二人の生活で大人になった。だから、母のいないアキラには一方ならない思い入れがある。自分を捨てた父が危篤だといわれても、再会を躊躇するヤスだったが、父に会いに行き、ふと思い立ってアキラが働く出版社を訪ねる。

 ヤスはそこで編集長から、アキラが入社試験で書いた作文を渡される。そこには、アキラが既に母の死の真相を知っていたことが書かれていた…。父のウソに感謝している心情が書かれていて、ヤスは感動して涙・・・。ちょっと、安易な設定であると思うが、まあ、いい。

東京で父の死に目に立ちあって帰ってきて、たえ子の店の悄然と現れた。たえ子はびっくりしながらも喜ぶ。カウンターの中へヤスが入り、「こうして見る景色もまんざらではない」と、マスター振りをみせ、たえ子は客になって「ビール」とうれしそう。ヤスは、ビールを探し、せんぬきは・・・と、たえ子にありかを教わる。

ストーリーの筋が飛ぶから、アレ?と思う点はある。人物の関係の説明が雑で分かりにくい点もある。しかし、読者が頭の中で補えば、コレも一つの味わいでもあると思うと許せる。

 3942 六年後、アキラは広島で子連れの結婚式を挙げる。アキラの嫁の一芝居あると、その性格も見え納得できるが、コレでは唐突すぎ。これは、トッピな話であるが、「とんび」という父だからいいのかな。息子の話ではなく、父親自身がテーマなのか。東京で孫と一緒に暮らさないかと誘うアキラにヤスは、自分は東京には行かない、アキラと家族がいつでも帰ることが出来る"ふるさと"として、これからもずっと広島に居ると語るのだった…。

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尾崎士郎 人生劇場 1972年版評価A 「Always三丁目の夕日」を見た 2005.11.27

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