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2012年1月 4日 (水)

ローマの英雄カエサルから学ぶ 02

1ymap   共和政ローマではグラックス兄弟による一連の改革に始まり、ガイウス・マリウスやルキウス・コルネリウス・スッラによる支配、ポプラレス(平民派)とオプティマテス(閥族派、元老院派)の争いなど後世「内乱の一世紀」と呼ばれる政情不安な状態が続いていた。

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_caesar_coustou 紀元前59年に第一回三頭政治と呼ばれる①ポンペイウス、②カエサル、③マルクス・リキニウス・クラッススによる統治体制を構築した。カエサルは娘ユリアをポンペイウスへと嫁がせ地盤を固めた。その後、カエサルはガリアなど3つの属州の総督として赴任し、ガリア戦争を戦い、紀元前55年にはポンペイウスとクラッススが共に執政官(コンスル)を務めた。

紀元前50年、ポンペイウス及び元老院派は、カエサルのプロコンスル(前執政官)としての任期が終わったことを受けて、ローマに戻り、カエサルの軍を解散するよう指示、その上、コンスルに立候補するのを禁じた。紀元前49年1月、元老院はカエサルに対して「元老院最終勧告」を発した。カエサルはコンスルの地位も奪われ、軍隊の力もなくローマに戻るなら、スキピオ・アフリカヌスのごとく罪に問われ、政治的に失脚させられる。ポンペイウスへと嫁がせ娘が死んだことによってカエサルの関係は切れた。

紀元前49年1月10日、カエサルは子飼いの部隊である第10軍団と共に、ガリア・キサルピナ(フランス)とイタリア本土の境界ルビコン川を渡る、決定的な一歩を踏み出した。元老院決定によって、イタリア本土(ルビコン以南)へ軍隊を率いて侵入することは禁じられていた。カエサルは「賽は投げられた」と名セリフを述べた。

カエサルがローマにきたと聞いて、ポンペイウスは同年3月に自軍の船隊と共にギリシアへ逃れた。ポンペイウスが軍を集めようとしている間、カエサルはポンペイウスへの合力が予想される属領の軍隊を排除すべくヒスパニアへ進軍。イレルダの戦いで元老院派軍を破り、元老院派に組して抗戦した現マルセイユ地方を陥落させた(マッシリア包囲戦)。一方、同じ元老院派の勢力下にあった北アフリカでは、カエサル軍を壊滅させた。

 カエサルはローマへ戻ると、元老院によって紀元前48年のコンスルに選出され、ギリシアへポンペイウスを追討するためカエサルは海峡の向こう側のエピロスに約15,000人の軍隊を集結させた。

005   ローマ制圧後、マッシリア包囲戦とイレルダの戦いでヒスパニアやマッシリア(現マルセイユ)などの元老院派を平定して後方の安全を確保し、カエサルが独裁官として仕切った選挙で紀元前48年の執政官に選出された[23]。独裁官を10日余りで自ら辞任し、ローマを発って軍を率いてギリシアへ上陸した。元老院派の兵站基地を包囲したデュッラキウムの戦いで敗退を喫したが、紀元前48年8月のファルサルスの戦いで兵力に劣りながらも優れた戦術によって勝利を収めた。
 一方、政敵ポンペイウスはエジプトに逃亡したが、9月29日、エジプトの都アレクサンドリアに上陸しようとした際、プエジプトのストレマイオス13世の側近の計略によって、迎えの船の上で殺害された。

Ph_01  後を追ってきたカエサルがアレクサンドリアに着いたのは、その数日後だった。カエサルは、軍勢を伴ってアレクサンドリアに上陸し、先王プトレマイオス12世の子である姉クレオパトラ7世と弟プトレマイオス13世が争っており、両者の仲介を模索したものの、うまくいかず、結局クレオパトラ7世の側に立って政争に介入し、ローマ軍はプトレマイオス13世派を打ち破った。この戦いで敗死した13世に代わって、プトレマイオス14世がクレオパトラ7世と共同でファラオの地位に就いた。

 紀元前47年6月、カエサルはエジプトを発ち、途中でポンペイウスの勢力下だったシュリアやキリキアを抑えつつ進軍、8月2日にゼラの戦いでファルナケス2世を破った。この時、ローマにいる腹心のガイウス・マティウスに送った戦勝報告に「来た、見た、勝った(Veni, vidi, vici.)」との言葉があった。その後ローマに短期間滞在、その際1年間の独裁官に任命された。

 北アフリカを支配していた元老院派をタプススの戦いで破り、更にウティカを攻撃して元老院のボス小カトを自害に追い込んだ(紀元前46年4月)。紀元前46年夏、ローマへ帰還したカエサルは市民の熱狂的な歓呼に迎えられ、壮麗な凱旋式を挙行した。

 カエサルはクレオパトラ7世をローマに招いた。クレオパトラ7世はカエサルとの間の息子カエサリオンを伴っていた。紀元前45年3月、ヒスパニアへ逃れていたラビエヌスやポンペイウスの遺児小ポンペイウス・セクストゥス兄弟らとのムンダの戦いに勝利して、一連のローマ内戦を終結させた。(続く)

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