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2011年12月14日 (水)

大阪維新の会は「橋下党」にあらず

Ws000002 大阪維新の会は、橋下徹一人が率いている地域政党等印象をもつ人が多いが、しかし、元々この組織を構想して作り上げたのは。今回のW選挙を制して知事になった松井一郎と大阪府議会議長を務める浅田均氏の二人である。
橋下徹一人が目立つが、彼は、もともと府議会議員、松井一郎と浅田均の繰り人形であったのだ。これは意外だ。掘り出した繰り人形が、意思を持って動き始めた・・・ということだ。(本日の記事は、「辛坊治郎の甘辛ジャーナル参照 週刊朝日12月16日号」からの参照で書いています)

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070503072 12  太田房江知事が二期目を前に自民、民主、社民の推薦で磐石な態勢で選挙に臨もうとしていたとき、。当時の大阪府政は、経済、治安、福祉、どれをとっても、「悲惨」の一語に尽きる状態であった。破廉恥ノック知事から財布を引き継いだ太田氏であったが、財政状態は一向に改善せず、赤字決算を重ねていた。ノック知事から引継ぎぐ、1995年から2005年、府内総生産は40兆3241億円から6%の低下した。同じ期間、東京は13%、愛知県は9%伸びている。それを考えれば、大阪の低迷ぶりは明らかである。

002_2  「辛坊さん、知事選に出てくれませんやろか?今の大阪でええと思いますか?このままオール与党で担がれた太田ハンに任せといて、大阪はよくなりますやろうか、私はなんとかしたいんです。そのために勝てる候補やないとあきまへん。なんとかなりませんやろうか?」

Pn2010121601000335___ci0003太田 房江(おおた ふさえ、1951年6月26日 - ):広島県出身の日本の元官僚、元大阪府知事、タレント、実業家。本名は齊藤 房江(さいとう ふさえ)、「太田」は旧姓である。エア・ウォーター非常勤取締役・経営戦略室特命担当・農業戦略部長、エア・ウォーター農園代表取締役社長。
広島県呉市出身。愛知県立時習館高等学校を経て、東京大学経済学部卒業後、1975年旧通商産業省入省。消費経済課長、近畿通産局総務企画部長を経て、1997年岡山県副知事に就任。1999年通商産業省に復帰し、大臣官房審議官となった。
2000年、横山ノック前知事の辞任に伴う大阪府知事選挙に自民党・民主党・公明党などの推薦を受け立候補し日本初の女性知事。続く2004年の知事選挙では、社民党も推薦、2期目の当選。2008年、任期満了により大阪府知事を退任。
その後、三宅久之は「大阪府の財政が危機的な水準であるのを知りつつ放置し、後任者(橋下徹)に「丸投げ」。退職金8000万円超を受取って、バラエティーでふざけた態度」と批判
。Wikipedia参照

正直「このおっさん、アホなことゆうてんねん」としか思わず「どないもなりません」とお引取り頂いたこの人物が浅田氏であった。当時、自民党であったが、中央の太田支持に反旗を翻し、独自候補擁立のために奔走していたのだ。

  浅田均  府議会議長 Member_asada_2⇒京都大学哲学科卒業→スタンフォード大学大学院修士修了
日本放送協会(NHK)職員/経済協力開発機構(OECD)日本政府代表部勤務
大阪府議会議員(当選4回)自民党府議団政調会長、自民党府議団幹事長現 大阪維新の会府議団代表
一言 議会が変われば政治が変わる。政治が変われば大阪が変わる。議事機関としての議会の役割を再検証、議会発の大阪大改造に取組む。

英語とフランス語を母国語のようにあやつり、パリの経済協力開発機構で働いていたが、大阪府議の父親の地盤を泣く泣くつぐ形で府議になった。

Photo 浅田氏と同様に、知事候補を探していたのが、父親の後をついで府議になったばかりの松井一郎であった。こちらは家業の電気工事店の社長をやりながら、議員をやる典型的な地方議員であった。全くキャラクターの違う彼らであったが、共通していたのは、「このままでは、大阪はどうもならん」という思いであった。04年で担ぎ上げたのが、「ベンチがアホやから野球ができへん」で有名な江本孟紀氏であった。

04年府知事選挙では、
太田房江 無所属 現職 1,558,626当選    
江本孟紀 無所属 新人   670,717 
梅田章二 無所属 共産   505,167
太田氏に約90万票差の惨敗。その後4年間は雌伏の時を過ごした。

002 改革派知事として鳴らした某大学教授から、こんな話を聞かされた。「研究室を出ると、「ちょっとお話を」と建物の影から二人の男が出てきて「大阪府知事選挙に出てくれ」と、朝からその教授の出てくるのを待ち構えていたのだった。辛坊は笑いながら「その二人は、浅井、松井という人ではないですか?」と尋ねると「どうしてそんなことがわかるのですか?」と驚いた顔した。

当時、大阪の府政は、10期赤字決算が確実になっていた。にもかかわらず、現職の太田房江知事が三期目に挑戦するうわさが流れていた。件の大学教授は浅井松井の要請を断り、その後、彼らが発掘したのがテレビで有名になった橋下徹弁護士であった。

浅田、松井両氏の本音は、とにかく誰でもいいから、知事選で勝ってさえくれたらいい。勝ってくれたら、浅田、松井両氏がマリオネット(操り人形)のように操って政治をするつもりであった。

さらに、裏話をすれば、今回行われた、橋下氏が府知事から転身して大阪市長にはなるシナリオは、二年も前から両氏から聞かされていた。
 だからといって、今でも橋下氏が繰り人形であると言うつもりない。彼らが選んだマリオネットは、府知事に就任するや、自分で動き始めた。やがて、人形師の二人を操るほどの力を持ち始めている。

2011111700000304jisin0000view現在、大阪維新の会は、府議・市議など勢力は100人を超す勢力だ。この動きが橋下徹という特異の才能を持つ政治家一人で作り上げられてきたものではないことを知っておいていいと思う。

110  倉田薫 「橋下前知事の残像と戦っているような選挙戦であった。影に負けるようでは話になりません」知事選で松井氏にまけた倉田薫氏は、敗戦の弁をこう述べた。これは、間違いである。倉田氏が戦ったのは、影どころか、今まで橋下氏の陰に隠れていたのは、維新の会の本体そのものだったのだ。
さあ、府と市両方のトップを維新「本体」が占めて大阪はどこへ行くのか。「辛坊治郎の甘辛ジャーナル参照 週刊朝日12月16日号」からの参照

倉田薫(くらた かおる、1948年5月19日-):日本の政治家。前大阪府池田市長(5期)、関西大学政策創造学部客員教授。元池田市議会議員(5期)。1971年、関西大学法学部卒業。同年、池田市役所に就職し、財政課に配属される。1973年、池田市役所を退職。

参考ページ 大阪市長選挙開票結果 平成23年11月27日 大阪市民パワーは日本の起爆剤 選挙  地方自治 橋下大阪府知事の野望 大阪維新構想  無党派を 甘く見てもらっては困る! マスコミの橋下徹バッシング 根っこの恨み

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