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2011年7月15日 (金)

渡辺謙 米長官ノーマン・ミネタ 人生追跡

6651  朝の連続小説「おひさま」のあと、つい続けて「アサイチ」(有働由美子 井ノ原快彦 柳沢秀夫)をみていると、渡辺謙がゲストだった。

総合では、1ヶ月後にしか見られないとは、かつて、白黒テレビ主流だったころ、「この番組はカラーで放送しています」とカラーに移行させてNHKが放送料金をアップしていったプロセスに似ている。国民はケージの中の鶏、卵を産むために飼われているのか、と・・・。

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6626  ノーマン・ヨシオ・峰田(アメリカ商務長官33代、運輸長官14代)の半生を渡辺謙がドキュメンタリー取材する。昨年、広島で被爆した日系アメリカ人のドキュメンタリーと同じ手法らしい。ノーマン・峰田の人生は「99年の愛」(橋田寿賀子ドラマ)に近い。

200pxnorman_mineta_official_portrai  ノーマン・峰田が運輸長官のとき、9・11テロが起き、アメリカの国民が「アラブ系航空機パイロット全員に怒りを向けた」そのとき、ノーマン・峰田がそれを押しとどめ、人種差別を避ける良識を発揮した。ノーマン・峰田には、良識を発揮するバックグランドがあった。彼は、戦時中、日本人の強制収容所に収容され、差別をされた経歴があったのだ。これを渡辺謙が知ったとき、それでノーマン・ヨシオ・峰田アメリカ運輸長官に関心をよせた。それが昨年一緒に仕事したディレクターに相談して、ぜひドキュメンタリーを作ろうという運びになった。

200pxnorman_mineta_official_portrai  ノーマン・ヨシオ・峰田の経歴をたどると、カリフォルニア州サンノゼに生まれ、それから9歳で強制収容所、ニューヨーク、ワシントンで人生をすごしている。そのプロセスをすべて渡辺謙は追跡した。一番印象に残るのは、ハートマウンテン強制収容所だ。渡辺謙はここを、わざわざ冬に訪れた。そのシーンを見ながら、語っていた。

●「印象的だったのは、ハートマウンテン強制収容所だった。ワイオミング州のそのあたりは荒野。日系アメリカ人は西海岸から集められた。日系アメリカ人だけで12000人になり、この地帯はワイオミング州の3番目の大都市になった。」渡辺がノーマン・峰田の人生をなぞっての印象を語った。
6633 ハートマウンテン強制収容所跡地へ行ってみると、文字の上から想像するのとは違っていた。やはり、そこの冬は厳しい。マイナス20度~30度、内陸だから北極とはタイプの違う寒さで、風が強かったし、つぶてのような雪が頬に痛い。予定では冬は行く予定はなかったのだが、あえて渡辺謙は行って体験した。「渡辺謙アメリカを行く」“9・11テロ”に立ち向かった日系人、今回の企画は、作成期間を決めず、納得できたら完成としたい。そういうスタンスで渡辺謙は、NHKデレクターと話し合っているようだ。

昨年NHKで放送した「99年の愛」で、草薙剛の母役でピン子がロケ地の収容所で体験した、砂嵐に目も開けていられない話をしていた。アレは、あくまでも映画ロケ中の一時のこと、それが収容されたら自由のない生活、冬はもっと厳しいと思う。http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2010/11/99nenn.html

6643  ドキュメンタリーをやらせてもらうなら、この人がどういう人生を歩んできたのだろうか、ある意味、人生を追跡しないといけない。今回もノーマン・峰田さんがどういう人生を選択しどういう生き方の中ではぐくまれたか、それをなぞらないといけない。なぞり切れるものではないが。歴史から我々が学ぶときは、そういう体感したものをきちんと体に残さない。
 本当にまずいぞ、これはこわいぞ、と体感した上で、将来に向かって話をしたり、自分で考えていないと、本当に残らない気がしてきた。それをまずボクがやらせて頂く。と、渡辺謙がドキュメンタリーに出演するにあたり、その役作り、立ち位置を語っていた。

●井ノ原の質問に対して、「(海外で出演して)大きく(自分が)変化するということはない。こういうことを深く掘り下げていく感じがして、深くいろんなことを考えたり、悩んだりしなくちゃいけないんだよね。というところに立ち返る、そういう感じがした。いろんなことには、いろんなバックグランドがあり、歴史があることをものすごく理解できた。

ノーマン・峰田をみんな知らないわけではないが、彼の行動がキャンプ(日系人強制収容所)というバックグランドにはつながりがあるとは知らない。

6632 ●「これ読者の声、渡辺謙さんのものですよね」と有働アナが出してきたのは、東京新聞に掲載された投書だった。「沈まぬ太陽」のロケ中にインタネット経由で送った投書であるのだが、もう本人は「沈まぬ太陽」のロケ中にやったこととは確たる記憶がないようだった。いろんなことが折り重なる多忙な人には常に新しいことが押し寄せるから、さっさと次のことに移動している。

 井ノ原が「謙さんが言ってくれると、ものすごく影響力がある」というのに対して、「その発言の影響力の大きさをを意識してしまうと、ボクは止めたほうがいい。(「ああ、なるほど」と年長の柳沢)それを「笠に着て」というと語弊があるが、そうではなく、本当に社会人として、社会に生きている社会人という立場として、ボクは投書したり、何かを発言しなくてはいけない。メディアを通してしまうので、それが大きく扱われてしまうことがある。できるだけ、根っこはそうでなくてはいけない。

M_ken20w 27559_1_2 年頃が近いが、抑制ぎみな渡辺謙と目一杯アピールする長渕剛(ラジオ放送)、ここの姿勢、性格が明確に違う。二人とも、被災地に対する関心は強く、支援は必死にやっているが、ずいぶん違うのを改めて感じた。UNITE FOR JAPAN 長渕剛 松島基地隊員を慰問激励

●海外をふくめて、いろんな人と仕事をする機会が増えて、自分の思っていることはちゃんと伝えないと伝わらないとということは、ものすごく勉強させてもらった気がする。だから、日本へ帰ってきて仕事をしても「わかっているよね」(以心伝心)というところからスタートしてしまう。アレちょっと、コレずれているかもしれない、と思うことがあると、徹底的に話すようになった。コミニケーションが大事。
 コミニケーションを(日本)社会にも発していく、もし思うことがあって、必要だと思ったら、それはボクの立場をいったん捨てても、発言すべきだと思います。
「という覚悟で発言するのですか
」(有働由美子)という問いに、渡辺謙はうなづいていた。サラリーマンとは違う覚悟を見せた。有働のいいところは、番組中、話の流れをきちんと把握して「投書」を出していたし、質問もずばり的を射ている。

6628  カリフォルニア州サンノゼで、1908年(明治41年)渡米した静岡県清水町出身の父と三島市出身の母の2男3女の末っ子として生まれる。
第二次世界大戦中はワイオミング州の日系人収容所に収容。典型的な渡米日本人の人生である。昨年見た草彅剛×妻イモトアヤコ(晩年は中井貴一×泉ピン子)で演じられた橋田須賀子のドラマ「99年の愛」のストーリーとそっくりな人生のようだ。この中からサクセスストーリーを発見した感がある。

200pxnorman_mineta_official_portr_2 1953年、カリフォルニア大学バークレー校ビジネススクール学士課程卒業。この年米陸軍に入り、日本や韓国で情報将校を務める。その後、父親の経営するミネタ保険会社に勤め、
1967年サンノゼ市会議員に当選。
1971年、米本土で日系人初、大都市サンノゼ市長に当選。
1974年、米本土では初めて米国下院議員に当選。
1995年まで20年下院議員、大部分は運輸委員会所属。
2000年~2001年、民主党ビル・クリントン政権で商務長官。
2001年~2006年、共和党のブッシュ政権でも運輸長官。
2001年9月11日米国同時多発テロ事件で、米国史上初めて全民間航空機の緊急着陸を命令。
2001年11月、サンノゼ国際空港は、「ノーマン・Y・ミネタ・サンノゼ国際空港」と改称。
現在はヒル&ノールトン社の副会長を務めている。

二年ほど前に日本にきて講演もしている。(2009年3月19日)
講演者:ノーマン・Y・ミネタ氏 主 催:笹川平和財団
200pxnorman_mineta_official_portr_4 Images "日米の架け橋となって:Bridging the Divide" 
河野太郎のブログには彼がそれを聞いたのか、詳しく書かれていた。情報が早い。

渡辺謙情報:政治に直言 新聞投書5月28日 硫黄島玉砕 昭和19年(渡辺謙):  渡辺謙 米長官ノーマン・ミネタ 人生追跡: 沈まぬ太陽 登場人物一覧: nozawa22

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きょうの格言 劣等感のエネルギーの大きさはすごい。優越感は何も生まないが、劣等感は使い方によっては、偉く大きい成果を生む。http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2007/11/nozawa22_5.html

ノーマン・ミネタの日本での講演
"日米の架け橋となって:Bridging the Divide"
200pxnorman_mineta_official_portr_3  ミネタ氏の話は日系人のサガから始まった。
日系一世、二世が戦争でいかに迫害され、差別されたか。その経験が日系人の心にどんな傷を負わせたか。この悲劇を繰り返さないために、日系人は何をすべきなのか。
アジア系の移民一世が土地を所有できなかったとき、JBペッカムという白人が、外国人の買った土地を自分名義で保有し、その土地を買った移民の子供が二十一歳になったときに、その子供の名義に土地を書きかえ、そのおかげでたくさんのアジア人がカリフォルニアで土地を所有することができた。

そして話は運輸長官時代に経験した911に急展開する。
運輸省でニューヨークの事件を知り、ホワイトハウスから呼び出されホワイトハウスの地下深くのPEOC(President's Emergency Operating Center)で対応にあたったこと。一機の飛行機がトランスポンダーを切ったままワシントンに接近し、ペンタゴンシティでレーダーから消えたこと(その飛行機が突っ込み、ペンタゴンの会議室で友人テリー・リンチが命を落とした)。
 そのときアメリカ国内を飛んでいた4638機の飛行機を2時間20分ですべて強制着陸させた。アメリカに飛んでくる飛行機の受け入れを拒否し、ヨーロッパやアジアから飛んでくる飛行機をカナダに受け入れてもらった。カナダのある人口5000人の町の飛行場の滑走路に夕方五時までに53機の飛行機が隙間無くびっしりと並び、その町の人口が15000人まで増えた(53機の飛行機が並んだ写真をもらったこと)。

 そして、アラブ人のパイロットの飛行を禁止しろという声に対し、これは民族や人種や宗教の問題ではないと断固反対し、ブッシュ大統領が、「1942年にノーム(ノーマン)が経験したことを今日、絶対に繰り返してはいけない」と、全面的に支持してくれた。
  
 商務長官に任命してくれたクリントン大統領に電話して、オバマを支持することにしたというのがどんなにつらかった。その後、クリントン夫妻から小さな鳩を贈られて、ほっとしたこと。出席した日系人に強いエールを送りながら、ユーモアを交え、しかもメモなしで数字がどんどん出てくる非常に驚異的なスピーチであり、質疑応答だった。

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コメント

本日、終戦の日に{9.11テロに立ち向かった日本人}を鑑賞し、みねたさんの社交性、機敏性、実行力に感激しました。益々のご活躍を期待しています。

Chick様 
Chickをクリックしたら、別世界へ誘われました。たのしい人生をお送りですね。皆さんに幸せのおすそ分けをしてください。http://www5f.biglobe.ne.jp/~mt37/20110312/p1.html  管理人より

投稿: chick | 2011年8月15日 (月) 22時00分

ミネタさん、「9.11テロに立ち向かった日本人」を拝見しました。
涙が止まりませんでした。3,11の大震災から以前復興もままならず・・
今の日本の政治家に一番必要なのはミネタさんのブレナイ考え方、実行力です。
お元気で又、日本にいらして下さい!是非、お目にかかりたいと思います。

投稿: NORIKO | 2011年8月18日 (木) 14時54分

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