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2011年7月 8日 (金)

国境なき医師団 黒崎伸子 肝っ玉

6529 今回の黒崎伸子(国境なき医師団)の訪問「爆問学問」は、厳しい世界の情勢に迫り、興味深く見た。

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6533 2008年、ソマリアの医療訪問団は、国連の平和維持軍PKOが撤退したのちに行っているから、環境は最高に厳しかったようだ。国境なき医師団が滞在できたのは約一ヶ月だけだが、印象は深いようだ。

Photo 国境なき医師団がいく場合は、先遣隊がどこで事件が起きそうだとか。中核病院はどこだ、という情報を受けて、本部から派遣指示がでて、その指示を受けた医師が現地に飛ぶ。東日本大震災では、先進国への派遣は始めてだったが、震災の翌日には仙台へ行っていたという。

東日本大震災では、中核病院自体が流されたり、スタッフが被災したり、医師さえ犠牲になっていた。この国境なき医師団は、6割は医師であるが、4割の支援スタッフがついている。彼らがいないと、病院をつくったり、電気、水道を敷設する作業が医師たちだけではではできない。

6526太田光と田中の二人が黒崎伸子先生をかこんで、「爆問学問」のトークを展開するのに医学生のギャラリーが集まっていた。

最初に伸子先生が太田田中の二人に聞いたのは「トリアージって知っていますか?」だった。アレ?聞いたような気がするが・・・、と私は思ったが良くわからなかった。爆笑問題の二人も解答できなかった。

医学部学生は常識か、たぶん黒崎伸子先生が「国境なき医師団」に関連して働いていることを知っている人たちだから、これらの言葉はわかっている様子だった。

6536 トリアージ(Triage):語源はフランス語の「triage(選別)」(症度判定の意味)から来ている。人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること。
特記すべきとして、優先度決定であって、重症度・緊急度決定ではない。すなわち、平時では、救命処置される傷病者も、国境なき医師団など、人材・資材が相対的に不足する状況では、全く処置されない場合があるのが特徴。ただ、一般病院の救急外来での優先度決定も広義のトリアージであり、「識別救急」とも言う。

黒崎伸子
6555 1981年長崎大学医学部卒業。 1983年から長崎大学第一外科、国立小児病院、健康保険諫早総合病院外科、 国立長崎医療センター、国立長崎病院などに勤務。
2007年4月から国立長崎病院非常勤診療及び黒崎医院で開業医として地域医療に関わる。
2001年より“国境なき医師団(MSF)”ボランティア医師として、スリランカ、イラクミッション(ヨルダン)、 インドネシア、リベリア、ナイジェリアでの海外医療援助活動に参加。 女性医療ネットワーク理事。 2005年より日本BPW(Business & Professional Women)連合会会長。
2007年10〜11月第62回国連総会日本政府代表団顧問として第3委員会出席。

6521 2008年、黒崎伸子がソマリアへ入国したときは、国連PKO平和維持軍が撤退の後である。国際医療援助団体「国境なき医師団(MSF)」の一員として、4月から1カ月弱、首都モガディシオ郊外の病院で患者を治療した。
 戦闘に巻き込まれた負傷者が次々運ばれて来る。ソマリアは女性蔑視が強く、「女では話にならない」と騒ぐ男性患者を「わたしは外科医だ」と一喝して治療を続行した。
 
 治療にあった「ダニレ病院」は、市街から車で約30分の砂漠にある場所で、石の壁に囲まれた野球場ほどの広さの敷地内に建物とテント合わせて100床あった野戦病院みたいなところ。
 首都モガディシオで戦闘が始まると、一度に車1台に8人、10人と患者が詰め込まれ運ばれて来る。すると、現地のベテラン看護師が、トリアージ(Triage)を行う。死亡=0(黒)、重体=1(赤),2(黄)、入院=3(緑)と仕分け、1と2と分類された優先順位の高い重体患者を手術室に送り込む。脚が皮1枚でつながった女性や母親に抱かれたまま撃たれた赤ん坊もいた。

6534  患者があふれ、治りかけの患者は病室から追い出し病床を確保した。患者には、戦闘で父を失い、母もイエメンに出稼ぎに行って亡くなり、孤児になった子供もいた。苦しむ患者を前にしても「どうせ死ぬ」と投げやりな現地の医師とは怒鳴り合いになった。女性患者の手術をするか「決めるのは男で家長」というのがソマリアのルール。しかし、病院に来る家長は、働き盛りが戦闘で死んでしまったのか、老人が多かった。

 活動は、外国人を狙った誘拐の情報を察知したケニア事務所の指示で、ある日突然「看護師らに別れも言えないまま」緊急退避で終わった。それでも、空港でうなだれていると、MSFの旗を見つけた元入院患者の男児が見送りに来てくれ、少し救われた。ダニレ病院は今も現地の医師や看護師らの手で診療を続けている。(時事

このソマリアの体験に基づき、爆笑問題に話をしていた。最初ホテルに宿泊したとき、「(部屋から外の見える)窓際に立たないように」と注意された。ホテルの道路を挟んだ向こう側は廃墟が並んでいて、銃撃されるかもしれない、というのだ。その夜は怖くて眠れなかった。

これは、医学生の「どのくらいで、恐怖心がなくなりますか?」に対して「今でもこわいです」と話して、その続きで、ソマリアでの恐怖体験を話してくれた。

その後、国境なき医師団関係で誘拐などが立て続けに起きた。これ以上滞在は危険だと判断した団長は、夕食のあと、「明日の朝までに、誰にもバレないように、荷造りをしておきなさい」と指示があった。撤退するのだ、と気づいた。

自分たちの病棟のソマリア人の看護婦も、スパイかもしれないし、情報を漏らすともりはなくても、「あの人たち、帰るそうだ」と伝われば、狙われる可能性がある。担当した患者にも、誰にも「ありがとう」の言葉も伝えられなくて、断ち切るように逃げ帰った。

黒崎は、「私は、今でも、ソマリアへ行けと言われたら、すぐ行くつもりです」と、ソマリアへの心残りの気持があるという。

太田光が「国境なき医師団」に入ろうとしたのは、どんなきっかけか、と聞いた。

6556 卒業して20年のころ、病院の中にポスターがあった。「あなたを待っている人がいます」という「国境なき医師団」の医師募集があった。それをみて、行ってみようかな、という気軽な気持だという。気軽な気持でないと、いけないだろう。

まあ、そのウラには、医師としてやりたいことが出来ない部分もあったに違いない。大学で働いて、診療もして、研究もして、大学で講義もしなければならない。会議もある。

患者さんと話して「どう?」と言う時間もつくることができない。患者さんの話を聴いて、その背景にあるものを知ることも必要。その医療の基本がなされない現状をかんがみて、「あなたを待っている人がいます」というポスターがひきつけた。その「国境なき医師団」に参加してみて、求めていたものが、そこにあった。そいういう充実感があった。

というわけだ。「国境なき医師団」に参加できる医師の資格として、日常会話ができる外国語【フランス語】が必要だと聞いている。

参考映像 BEYOND THE BORDER feat. bleür  ケニア:ソマリアから逃れて2011年6月21日

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