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2011年4月27日 (水)

面白ろうて悲しき「放浪記」の林芙美子

1965  放浪記は、最近では森光子のでんぐり返しのシーンで有名になったが、高峰秀子主演の映画は、林芙美子の人生に近い感じが生かされているようだ。昭和初期の日本の風俗も盛り込まれているし、ストーリーそのものが何度も人の手を経ているから、見せ場というか、ツボをつかんだつくり方になっている。図書館で借りてきたDVDである。
「浮雲」原作林芙美子 主演高峰秀子:

 

そうそう、図書館のヤツめ、消費電力を節約するとかいって、五時閉館になっていた。図書館を時短にしたら、パートの職員には賃金カットじゃないか。利用者には不便かけて、電気消費量を減らしたら、東電が災害者への補償金を払うのに東電の収入減ったら、意味あるのだろうか。電力を使ってこそ、日本経済が発展するのに、なんでもエコとか、節約することがいいと思う、トンチンカンも困ったものだ。

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Pic1_1_2007020227115218 林 芙美子(はやし ふみこ、1903年(明治36年)12月31日 - 1951年(昭和26年)6月28日):日本の小説家。当人は、生まれは下関と言い、生年は明治37年、誕生日は5月5日語っていたが、没後20年余り経って、誕生の地は門司市小森江(現、北九州市門司区)と発表された。

実父は宮田麻太郎、母はキク。父が認知しなかったので、娘は『林フミ子』として、母方の叔父の戸籍に入った。実父麻太郎は下関で競売りやテキ屋をやって繁盛したが、浮気して、母子は1910年、番頭の沢井喜三郎と家を出た。
 養父喜三郎と母は北九州の炭坑町(直方周辺)を行商して回り、芙美子の小学校は長崎・佐世保・下関と変わった。喜三郎は1914年倒産し、芙美子は両親に付いて山陽地方の木賃宿を転々した。1916年(大正5年13歳)、尾道市に暫く落ち着き、翌年、市立尾道小学校を2年遅れで卒業した

1877  映画の中で、「四年間に七回転校し、旅が故郷や」と語るシーンがある。根っからの根なしっ子、と演技を高峰秀子が演じるさびしそうな表情がいい味出している。

1918年(大正9年15歳)、文才を認めた訓導の勧めで尾道市立高等女学校へ進学した。図書室の本を読み耽り、夜や休日は働いた。女学校の教諭も文才を育んだ。18歳のときから『秋沼陽子』の筆名で、地方新聞に詩や短歌を載せた。尾道では親友たちに恵まれ、後年もしばしば「帰郷」した

1881 父親(養父)に親しまない芙美子に母(田中絹代)が「親に高等女学校出してもらって」というと「私は、働きながら学校へ行って、親の世話になっていない」とむくれているシーンがあった。

1922年(19歳)、女学校卒業直後、遊学中の恋人を頼って上京し、下足番、女工、事務員・女給などで自活し、義父・実母も東京に来てからは、その露天商を手伝った。
翌1923年、卒業した恋人は帰郷して婚約を取り消した。9月の関東大震災で、3人は暫く尾道や四国に避けた。この頃から筆名に『芙美子』を用い、つけ始めた日記が『放浪記』の原型になった

1882 婚約を取りか消され、母と芙美子が東京で行商をしている場面ころがメインのシーンになっている。下宿の隣に印刷工の加東大介が芙美子に気があって、お金を貸したり、おかずにとんかつを一枚多く買って、おすそ分けと言って、芙美子に近づこうとするが、芙美子はハンサム好きで、見向きもしない。貧乏でさびしがりやのくせに、男の好き嫌いが激しい。

1924年、親を残して東京に戻り、壺井繁治、岡本潤、高橋新吉、小野十三郎、辻潤、平林たい子らと知りあった。同棲しては別れることを繰り返した。詩のパンフレット『二人』を、友谷静栄と3号まで出した。原稿を雑誌社・出版社に売り込んで回り、ときに拾われた。

1913  このころに知り合った詩人で劇団員と知り合い、同棲、離別が映画では取り上げられていた。芙美子が、セルロイドのお人形に色付けパートからカフェの女給になったころ、青年伊達春彦(仲谷昇)と知り合った。芙美子はカフェの女給をしながら、テーブルに詩を書いているのを伊達春彦のテーブルに呼ばれ、彼に「どんな詩を書いているの?」と聞かれて、原稿を見せる。

1915 「両手に盛られた私の顔は
 みどりの色の白粉に疲れ
 十二時の針を引っ張っている」

 これがきっと林芙美子が書いた詩だろうか。なかなかいいセンスしているじゃないか。読まれた詩を聞いても、耳に響くし、両手を鉢にして顔が生けられてシーンが浮かぶ。時計の長針にぶら下がって引き止めるようなイメージから、これはいい、と思ったが、この若き仲谷昇扮する伊達春彦は、俄然芙美子に興味を持つ。

 伊達に詩をほめられ、出版社に紹介しよう。同人誌に投稿して欲しいと言われ、芙美子は「私、みんなにおごる」と言い出すと「いや、私がおごる。カフェの片隅で発見した 天才女流詩人のために 乾杯しよう」と伊達春彦は、女給たちにビールを振る舞い気前がいい。

キャスト
[若いときの顔だから見分けにくい]
林ふみ子:高峰秀子
ふみ子母:田中絹代
安岡信雄:加東大介 隣室人
伊達春彦:仲谷昇 同棲相手
福池 貢:宝田明 結婚相手
白坂五郎:伊藤雄之助
上野山 :加藤武
日夏京子:草笛光子 同棲相手婚約者
村野やす子:文野朋子 玩具工場同僚
藤山武士:小林桂樹
田村  :多々良純
玩具工場の主任:菅井きん
刑事:名古屋章
家政婦:中北千枝子
料理屋の客:岸田森
料理屋の客:草野大悟
スタッフ [編集]
製作:藤本真澄、金子正且、寺本忠弘
監督:成瀬巳喜男
監督助手:川西正純、辻村光慶
脚本:井手俊郎、田中澄江


 数日後に、隣の印刷工の安岡(加東大介)が「きょうは天気がいいから、散歩に行きませんか」と声をかけると、にべもなく断り、そのあと春彦が芙美子の下宿に訪ねてくる。そうすると、部屋に上げて、散歩に出る。

芙美子「伊達さん、奥さんいるのでしょう?」
春彦「ボクは彼女のそばにいるだけで自分が腐っていくような気がする
芙美子「新しい女を口説くときは、前の女の悪口をいう。それがおきまりのコース」
春彦「あなたは、傷ついた人だな。ぼく1928 たちはこの険しい世の中の片隅で二人だけの幸福を願うということは不可能なことだろうか。あなたは、私をなぶっているのが、面白いのか?
芙美子「なぶる?それは、私のいうことよ。私が男に甘い女。自分がこわいから、自分に懲りているから、だから」
 伊達は芙美子に近づき、彼女の手をとり、顔を近づける。

次のシーンでは、伊達春彦の部屋
春彦「働くところ、あったの?
芙美子「カフェの女給か、昼飯屋の女中くらい」
春彦「君を静かな部屋において、詩だの、童話を書かせたいものだ
芙美子「自分の奥さんさえ食べさせられないので、別れたのでしょ。あなたの奥さんって、きれいな人でしょう」
春彦「うん、きれいだ
1912 芙美子「憎らしい人、どうして奥さんの所へ帰らないのよ!」
春彦「君は残酷な人だね。僕にとって、君が一番必要だということが、わからないんだ
芙美子「今だけ、さびしいのよ」と、伊達にすがりつく。
春彦「こんな可愛い人をいじめた人がいるなんて。僕にもっとお金があったらな
芙美子「私こそ、あんたにお金の苦労はさせたくないよ。ね、私、明日から働きに行くわ。あんたと二人くらいどうにでもなるわ」

 ヒモタイプの男は、女の心に逆らわないで、上手に女の貢ぎたくなるように振る舞い、優しい言葉を発する。青年伊達春彦(仲谷昇)は、芙美子なんか、本命とは思わず、二股かけて平気な男だが、芙美子の尽くす姿がいじらしい。

1936 芙美子が帰ると、彼の和服の羽織がほころびているのに気づき、繕っておいてやろうと、管理人のおカミさんに針と糸を借りにいくと、「私が直してあげる」と着物を渡すと「手紙が入っているよ」と手紙をおわたされて
「あんたの旦那さん、いい男だから、大丈夫?」
「大丈夫よ」と強気にいうが、手紙を読み始めると、顔色が真剣になる。

1938  ねぇ、春彦さん、あれは「櫻の園」の舞台稽古のあの晩に私はあなたのお嫁さんになったの。それ以来、私たちの間には夫と妻の関係が続けられていて・・・
 あなたはお金ができ次第、家を持とうとおっしゃった。それが、あなたの下宿にいる女は何?あなたは女中だとおっしゃるけど、私には信じられません。

芙美子は手紙を読んで、それは今で言うと、男の携帯メールを読んでいるようなものだ。

 
芙美子が女給として働いている時間帯に、春彦の下宿に彼女が訪れていた。彼の下宿に芙美子の影を感じる若い20代の草笛光子扮する日夏京子が「女のにおいがするわ」といいながら部屋を眺める。
1943 春彦「ばかな、いつも僕が孤独と向き合っている部屋だ。あの女は下の納戸部屋で寝かしてもらっている
「ホント?」
春彦「ホントだよ。詩の仲間が酔っ払って、ここへ遊びに来たときあとからくっ付いて来たんだよ。その晩、ここで雑魚寝して、あくる朝、起きたら掃除したり、洗濯したりしている。すっかりこの部屋の女中きどりでいる
京子「その女が、女中だけでここにいると信じられないわ」
春彦「どうして疑い深いんだ」
京子「だって、私だっていっときもあなたと離れてはいられないわ」
春彦「結婚すれば、朝から晩まで一緒にいられるんじゃないか
京子「いつ結婚できるの?」
春彦「だから、お金が出来た時だといっているだろう
京子「私ね、両親に話して・・・」・・・と話しているところへ、聞き耳を立てている芙美子が、我慢できなくて戸をあけて入る。
芙美子「ただ今」
1945春彦「どうしたんだ。きょうは早いじゃないか
芙美子「この方、どなた?」
春彦「うん、東京新激場の日夏京子さんだ。詩も書く。名前くらいは知っているだろ?君
京子「東京新劇場だとか、詩を書くは余計よ。あなたの妻だって言えばいいのよ」

1939芙美子「私が妻です」
京子「もう一度、言ってちょうだい」
芙美子「妻は私です」
春彦「林さん、この人は僕の妻だ。
芙美子「病気で病院で入院しているという奥さんですか?それとも、別の・・・」
京子「どっちでもいいでしょ!林さん、夫から苗字で呼ばれる妻なんてあるのかしら?もう、この部屋にあなたのご用はないわ。お帰りになったら?」
1950春彦「京子さん、もういいよ。(芙美子へ)ビールでも買ってこないか?三人で飲もうよ
京子「女中さんと一緒に?私はいやよ。外で飲みましょう。」と彼女は立ち上がる。置いていかれそうになる春彦「京子さん」と追いかける。芙美子を振り返り、
春彦「(芙美子に)後で話し合うからね
と言い残して、後を追う。

林芙美子のおもしろさ、真骨頂はプロセスであって、結論とか文士になって活躍する成功譚は、読者にはどうでもいい。このどん底を這いずり回るこの姿に意味がある。春彦と恋人との間で、愁嘆場を演じ、人生でありそうでないことを次々と経験していく、これが放浪記で演じられ、彼女の人生の追体験みたいな味わいがある。それを娯楽にするか、あるいはシリアスに受け取るか、各自の判断かなァ。

林芙美子は大家になっても、貧乏性が抜けなくて、注文の原稿を次々とこなし、過労で結局つぶされてしまうようなものだろう。彼女の原稿書く早さは、かなり早いにかね。相当大量に書いている。ある時期に、過去を切り捨て、適当なレベルに原稿執筆の量を制限するべきだろう。

1926年(23歳)、画学生の手塚緑敏(まさはる)と内縁結婚をし、落ち着いた。緑敏は実直で、妻の執筆を助けた。
1928年(昭和3年)2月、長谷川時雨主宰の女人芸術誌が芙美子の詩『黍畑』を載せ、10月から翌々年10月まで20回『放浪記(自伝小説)』を連載した。その間の1929年6月には友人の寄金を受けて、初の単行本の、詩集『蒼馬を見たり』を自費出版した。
『放浪記』は好評で、昭和恐慌の世相の中で売れに売れ、芙美子は流行作家になった。印税で中国へ一人旅し、講演会などの国内旅行も増えた

1931年11月、朝鮮・シベリヤ経由でパリへ一人旅した。既に満州事変は始まっていた。金銭の余裕があれば旅に出て、向こう見ずな単独行を怖じなかった。ロンドンにも住み、1932年6月に帰国した。旅先から紀行文を雑誌社に送り続けた。
1935年(昭和10年)(32歳)の短編『牡蠣』は、私小説的な作風を離れた本格的な小説として、評価された。
1937年の南京攻略戦には、毎日新聞の特派員として現地に赴いた。1938年の武漢作戦には、内閣情報部の『ペン部隊』の紅一点として従軍し、男性陣を尻目に陥落後の漢口へ一番乗りした(『戦線』『北岸部隊』)。「共産党にカンパ」の嫌疑で、1933年に中野警察署が留置したが、芙美子は思想で共感したのではなく行動の人だった

1940年には北満州と朝鮮に行った。1941年、日米交渉が難航していた頃、自宅を下落合に新築し、飛行機で満州国境を慰問。『放浪記』『泣虫小僧』などが発売禁止処分となる。
太平洋戦争前期の1942年10月から翌年5月、報道班員として仏印・シンガポール・ジャワ・ボルネオに滞在。戦局が危うくなり、1944年4月から、夫綠敏の故郷、長野県の上林温泉、角間温泉に疎開。暫く二階を借りた民家が、今、林芙美子文学館になっている

幸い、下落合の自宅は空襲を免れ、1945年(昭和20年)10月に帰京。自由に書ける時代を迎え、人は活字に飢えていて、翌1946年から出版社が芙美子に原稿依頼が集中した。執筆依頼を断らぬ芙美子は、書きに書いた。その中に『晩菊』や『浮雲』などの名品もあった。私用や講演や取材の旅も繁くした。1949年から1951年に掛けては、同時に9本の中長編を新聞・雑誌に連載した。

Bugakuhihibun 1951年(昭和26年)6月26日の夜、『主婦の友』の連載記事のため料亭を2軒回り、帰宅後に苦しみ、翌27日早朝心臓麻痺で急逝した。『ジャーナリズムに殺された』と、世間は言った。享年47歳。生前、色紙などに好んで、『花の命は短くて苦しきことのみ多かりき』と書いた1日1回 応援クリック お願いします!」
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コメント

芙美子に関する年譜やその他紹介の中で直方に暮らしていた時代のことがいずれも欠落しています。(Wikipedia・・・養父喜三郎と母は北九州の炭坑町を行商して回り、芙美子の小学校は長崎・佐世保・下関と変わった。など他)このくだりの炭鉱町とは直方市のことです。直方で暮らした時代のことは芙美子の心に強く影響したと考えられます。
『放浪記』は直方で過ごした時代のことから始まります。『放浪記』に直方と地名が出ているので年譜に1913年(大正2年)『直方に移り行商をする』などの文言が記載されることで更に芙美子への理解が深まるものと思われます。

芙美子は直方市内を行商し、扇子が売れなくなると、一つ一銭のアンパンを売り歩くようになった。売りさばくと多賀神社でバナナの露店を開いていた母のそばに籠を置くと多賀神社へ遊びにいきました。そして大勢の女や男たちと一緒に、芙美子も馬の銅像にいい事がありますようにと祈願をこめました。
2012年5月吉日  直方文化連盟中村幸代
 

投稿: 直方文化連盟 中村 | 2012年5月19日 (土) 07時10分

放浪記は、最近では森光子のでんぐり返しのシーンで有名になったが、高峰秀子主演の映画は、林芙美子の人生に近い感じが生かされているようだ。昭和初期の日本の風俗も盛り込まれているし、ストーリーそのものが何度も人の手を経ているから、見せ場というか、ツボをつかんだつくり方になっている。図書館で借りてきたDVDである。

投稿: 放浪記 | 2013年1月10日 (木) 00時40分

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