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2011年2月27日 (日)

森山風歩 虐待と筋ジスからの出発

0522 サンデージャポンは、8Chフジは「おもしろくなければテレビではない」というように、タレントネタを主に取り上げ、ふざけてばかりだが、きょうは唯一真剣に母親の虐待と筋ジス少女の生き方を紹介していた。その「VTR見て西川史子先生、泣きまねしていた」と、爆笑問題の大田光が突っ込んだが、その彼女の受けた虐待と筋ジスを背負った生き方が並を超えて、人の心を打った。

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母親のネグレクトで、一般家庭とは一味も二味も違った厳しい環境に育った。これは、トラウマを持った人にぜひ紹介しておきたいと思った。単なる親を憎むアダルトチルドレンとならなかったのは、なぜだろうか、そのことを考えていきたい。

アダルトチルドレン機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持つ、という考え方・現象、または人のことを指す。Adult Children。親による虐待や、アルコール依存症の親がいる家庭や機能不全家庭で育ち、その体験が成人になっても心理的外傷として残っている人をいう。破滅的であったり、完璧主義であったり、対人関係が苦手であるといった、いくつかの特徴がある。成人後も無意識裡に実生活や人間関係の構築に、深刻な悪影響を及ぼしている場合も多いが、日本においては未だ一般社会による認知度は低い。(Wikipedia参照)

0454 森山 風歩(もりやま かざほ、1981年2月24日 - ):日本の作家。作家生活と並行してタレント活動も行っている。広島県広島市安佐南区出身。血液型はA型。心的外傷後ストレス障害(複雑性PTSD)を患っている。現在は本名の森山風歩で活動を行っている。

15歳1996年4月、山陽女子高等学校・普通科に入学したが、日常生活をするための車椅子をから与えられず、高校1年の後半からは家での生活を余儀なくされた。この頃、両親は協議離婚した。

16歳1997年の夏、40℃を超える熱が続き、痙攣や嘔吐が止まらない状況が数カ月続いた。それでも母親は病院には連れて行ってくれず、「ここで死んでしまうかも」という激しい恐怖に襲われ、病院へ行く手段として意を決して父親に電話をし、岡山大学付属病院(現在は岡山大学病院)に保護入院される。
17歳1997年9月、岡山県立岡山養護学校に入学した。
1999年3月、岡山県立岡山養護学校を卒業した。
1999年4月、
四国学院大学・社会福祉学科に入学するも、2001年、学費未納から除籍通知を受ける。その後、岡山県に戻り一人暮らしを始める。

05360539  小学校の低学年までは、風歩の幸せな暮らしが続いた。いい子であるときは母はやさしかったが、周りの子より劣るとか、成績がわるいと許さない。怒り出し、きちんとなんでもこなすことを期待した母には、自分の体の異常を怖くて伝えられなかった。

0540_2  小学校高学年で、腕が上がらないとか、かけっこでみんなより遅くヘンだなと感じるようになった。筋ジスの最初は、第三者には怠けているように見えるらしい。

私の娘が喘息で一年近く四街道国立病院へ長期入院した。そのとき、院内学級の会議で筋ジストロフィーの子供の親と役員で同席した。ときに、発症時の話を聞いた。何でもない平坦な道で転んだり、立ち上がりにくかったりと、親が異常を感じてそれを気づいてやらないと、子供自身はなかなか訴えてこないらしい。

ついでに、このケースの筋シストロフィーの子、年々体が衰弱して、小学5年で、すでに自分がいつごろ死ぬか感じている。冬休み、春休みに家に帰省して、また院内学級に戻るとき、車を止めて、じっと景色を見てなかなか出発しない、という。父親として、息子の心情を察して耐えられないと言う話を聞いた。ウチは喘息で悲しんでいたが、「喘息は治るから、いいですね」と言われ、私は返す言葉がなく黙ってしまった。

足の筋力が徐々に弱って歩くことさえ困難になっていった。日常生活にも支障が出て、学校へ行くのも、そろりそろりと歩いた。母からは、怒りと罵声が飛び、病院にも連れて行ってもらえなかった。「連れて歩くのも恥ずかしい」と平然とわが子に面と向かっていうのであった。

0447 食卓で母と一緒に食事をしていたとき、立ち上がってコップと水をとろうとしたのだが、立ち上がるのも大変だったので「ママ、お水注いで」と母に頼んだら、「甘えているんじゃない!」と、バシっと手が飛んできた。「体が動かないのは、怠けているんだよ!自分でやりなさい」

学校へ行くのも、足がもつれて歩きにくいという段階にまでなっていたが、母は一向に風歩の病状に気づく様子もなく、怠けているという一点張りで叱っていた。

学校の給食当番、力がはいらないので、必死で持ち上げて運んだ。「その格好がおかしい」とカラカわれ、イジメのターゲットにされた。幾度か、転んだのだが、そのとき、友達に押されたら、後ろ向きに転び、学校へ救急車を呼んで病院へ直行した。始めて病院で診察を受けた。そのとき、中学2年生14歳である。

 診察した医師は「右手上げて」と指示した。が、必死に右手を上げているが、肩より上にはあがらない。医師は再度、「右手上げて」というが、風歩の右手は上がらない。
疑問に思って医師は「血液採取して検査してみましょう」と、検査した結果、そこではじめて「進行性筋ジストロフィー(PMD)」であると判明した。
 医師の言葉は「あと、生きても10年でしょう」と、残酷なものであったが、風歩は悲しいとは感じなかった。14歳から10年、それが短いとは思わなかった。「24歳まで生きられるんだ。今より幸せになって死ねばいい」と思った。

風歩はうれしかった。「筋ジストロフィー」と、医師から認めてもらえて、安心した。今まで、怠け者呼ばわりされて、苦しんでいたから、私は怠け者ではなく、病気というのがありがたく感じた。「病気進行性筋ジストロフィー」という資格を得たような気であった。

0461 高校生になって筋ジスの病状は重くなり、歩行も困難になったが、車椅子を買い与えることもしなかった。岡山養護学校へいくまでは、母からの虐待は続いた。信じて頼れる大人にめぐり合えなかった。養護学校へ入るまでは、自分の身の上に起こる悲惨な出来事に耐えて、なんとしても身をかわしてきて、やっと避難場所にたどり着いてという印象である。

0552 担任になった藤田純一先生は、そのときの森山風歩の印象をこのように語っている。「過去にあったことを物凄く辛く思っていて、底から抜け出せない状態であった。思ったことを表情にには出ていない殻に閉じこもった感じた」

それを破るために、風歩に課題を出した。「ちょっと、お前の思っていることを書いてみろ」と言われたので、風歩はたまっていた思いを徹夜してレポート用紙30枚くらい書いて行った。きっと理解してもらえると、提出した。藤田先生は、しばらく読むと、そのレポートを床に投げ捨てた。「え、なんで?」風歩は思った。

そのときの気持ちを藤田先生は語っていた。「悲しいことばかり書いて、悲劇のヒロインを演じている中身だったのですが、そうじゃない。そのくらい彼女を追い込んでいかないと、彼女の中から自分の気持ちってものが出てこないのかな、と思ってそこは厳しくして当たりました。」

この藤田先生は、彼女の秘めている感情を赤裸々に表現させ、悲劇のヒロインのカラを破ることに重点を置いた指導をした。それはその養護学校を卒業するまで、まだ出来なかった。

その学校を卒業して、自立するには大学を卒業して・・・と四国学院大学社会福祉学科に入学した。入学金と初年度の授業料は払えたが、その後は自分でバイトで稼いで大学を出ようと思ったが、これは現実の社会では通じるものではなかった。

0554 入学してすぐ生活費が底をついて、アルバイトしようと、履歴書を持って行っても、筋ジストロフィーの風歩を雇う人も店もなかった。これが現実社会であると、ひどく傷ついたが、生きるには、食べなくてならない。なりふり構わず、コンビニのゴミ箱をあさり、廃棄した弁当を見つけて食べた。こんな浅ましい姿は誰にも見せたくないが、身障者が他人の力を借りずに生きるには、そうするしか、食べられない。

その廃棄弁当をあさって、それを見つけて帰り道、ある男性に声をかけられ、援助交際を持ちかけられた。「お金あげるから、セックスしよう」ということだ。

普通だったら、そんな言葉に乗るものではないが、電気代、ガス代、部屋代に窮していたから、その言葉に吸い寄せられるように、彼の部屋へついて行ってしまった。その代償に5万円をもらった。

そのときの感情を聞かれて「抵抗はありました。あったけれど、自分が生きるのにいっぱい、いっぱいの状態だった。追い詰められて、援助交際で救われた感じでした」

そんな生活を2年続けていた。三年前、壮絶な半生を描いた「風歩」を出版して、評判になった。辛い過去を追体験するのは、つらかったが、ようやくカラを破って悲劇のヒロインを脱する思いであった。

2145871_2 執筆中の支えは、「藤田先生のことば」であったという。今それができたような気がしている。「感情的にならず、(自分の過去を)冷静に見つめ客観視して書け」といわれて、卒業までそれが出来なかったが、ようやくそれが書けた。先生に読んでもらおうと思って書いた。

自叙伝「風歩」は多くの人の心をつかみ、反響を呼んだ。

先生にこの本を贈って、手紙をいただいた。「ちゃんと自分の考えを書けるようになって、大人になりましたね」先生からの返事を頂き、風歩は泣いた。

今は新しい境地を開拓するべく、小説を書くことに専心している。インタビューアが「自信ありますか?」と聞くと「あっても、なくてもやります。出版できるまでやります」と勇ましい。

0527   最後に風歩さんの言葉を紹介して終わりにします。
「お金がない、体の自由がきかない。支えてくれる親がいない。凄いつらい状況にあっても、今がすべてだと思わないでほしい。自分の意思や自分の考え方で、より良い自分の人生に進んでいけるってことを思って欲しくて、小説を書いていけるような人になりたいと思います。」

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コメント

甘ちゃんアダルトチルドレンという表現はやめろ!!苦しみはひとそれぞれ違うだろうが!!

管理人より
 おっしゃるとおりです。すみません。この表現は人それぞれ違うと思いますから、表現は訂正します。
 ところで、私の知らない苦しみを感じている方、どんな風に感じているにか、お教え頂けませんか。共有の知識にしたいと思います。よろしくお願いします。

投稿: kumi | 2011年2月28日 (月) 13時56分

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