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2011年1月31日 (月)

ふるさと中津川 遠きにありて思うもの

かつて、(岐阜県)中津川市の市役所内に、「いかに町を盛り上げるか」検討する青年グループがあった。青年商工会議所が後援していたかもしれない。市議から県議になった方が、その中心にいた。「一年に一度、討論会を開こう」という結果、「七夕トーク」が開かれた。ちょうど高度成長時の後半'91年だった。

新聞、ちらしの宣伝が効いて、中津川市内、恵那市や落合、付知から人々が集まって会場は人であふれていた。多くの先輩方は、市の発展はハコモノ、という提案が多かったようだ。私はソフト面での提案をしたが、その観点からの提案は少なかった。

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Photo_2 消えた魚はどこへ 
 『なかつがわー!なかつがわー!』
 名古屋で乗り換え、JR中央西線は中津川駅で列車が止まり、呼び声に押し出されるように、中津川駅前に降り立つ。眼前に恵那山を仰ぎ見る。夏は緑濃く、冬は雪に覆われている姿を見た時、
「ああ故郷だ、中津川へ着いたのだ」と思い知る。

 5分も歩いて行くと、市内を流れる四ツ目川に出会う。ここではハゼに似たドウゼンがいた。岩陰を三角網ですくえば真っ赤で髭Photo のある魚ネギハチ(アカザ)がいた。サワガニ、どじょう、川魚の稚魚が群がっていた。
 河川の環境は年ごとに悪くなり、四ツ目川も例にもれず、地球上の環境悪化は小動物たちの上に影響が出てくる。水の清く澄む所にしか住まない魚は死に絶えたのだろう。姿が見えなくなった。残るのは、ヘドロ状の水にも耐えられるものしか生き残られない。彼らネギハチを見なくなって、もう何年になるか。機関区へ行く踏切下の四つ目川で腹が虹色の魚「うぐい」(アメ?と言っていた)を釣る人もいた。そんな魚たちのことに思いが行く。

 汚れた空気に耐えられる体力の人のみ、地上で生き長らえるのだろうか。そんな環境に地球はなりつつある。それは、物理的な環境ばかりではない。精神的な環境も、そのことが言えそうある。そんな町に長くはいたくない。環境は巡り巡って……
 小さな生物の滅亡が巡り巡って、人間の滅亡につながっていく。経済発展という物欲にばかりに目を向けていると、物理的にも精神的にも環境を破壊することになる。そのことは、人間にも言える。空気が汚れてくれば、気管支の弱い子が喘息になり、その大気汚染の警告を発する。無理な進学教育や社会の矛盾から、精神的に鋭敏な子供にそのしわ寄せが現れる。

 小さな生物の滅亡が巡り巡って、人間の滅亡につながっていく。経済発展という物欲にばかりに目を向けていると、物理的にも精神的にも環境を破壊することになる。彼らは登校拒否したり、あるいは精神的に障害を起こす。そうして、鈍感な社会に知らせている。人間、体質的にも精神的にもシャープな人たちが、その環境の悪化を最初に感じとっている。彼らの体を通して病気や異常として現代を告発しているのだろう。  
 小さな生物の滅亡が巡り巡って、人間の滅亡につながっていく。経済発展という物欲にばかりに目を向けていると、物理的にも精神的にも環境を破壊することになる。

地球を食いつぶす欲望
 現代人は、今欲望の充足を限り無く求め続けて、いいのだろうか。
 日本の社会をつぶさにに眺めると、今、人の必死になって考えることは、男は女に、女は男にもてること。そして、カラオケ、宝クジ、競馬、パチンコ。テレビはどぎつく、視聴率のとれる番組ばかり流している。自分の考えを鍛えることより、感覚的に楽しいことを追い求め続けている。刹那をエンジョイすればよいと思っているようだ。「お金」と「欲」と「好奇心」ばかりが肥大した人間たちは、益々今の地球を食いつぶしていく。

 私は、この文章も「ふるさとへのお願い」として、現在より悪い環境を次の時代に渡してはいけない…という一念で、現在の日本と日本人に向かって主張し、書き続けている。それはただ私の主張、思想が人々の心の片隅にもぐり込み、ずっと生き続けていけたら、との願望を表した言葉である。

『庵(いおり)』ホームスティを
  町に足場の無くなった中津川出身者に、ユックリと休む場所があったら…と思う。今こうして中津へ帰ってきて、心が癒される場所が中津にあれば、とてもリラックスできるだろう。その為にホームステイ制度があったら、こんなにうれしいことはない。

市の仕事として、市出身者のUターン推進の一環として、最初1週間、2週間を泊って、その後終の棲家を求めて頂くために、付添公務員を派遣して説明する。そんな制度が必要である。


 傷つき、落ち込んだ時、慰められる庵(いおり)があったら、こんなにも嬉しいことはない。一泊、二泊して親密になっていけたら、楽しさ倍加する。楽しさとは優しさの感じられたとき。そこにはそれぞれの専門を生かして、カウンセリングしてくれる話相手になってくれる人がいれば、これほどの癒しの制度はない。中津川市周辺は学者を多く排出する町として評価されいる。彼らが鮭の遡上のように再び戻ってきてもらえる懐の広い町であり、老後を過ごす場所にしていけないものか。

 そうすることで、中津の町は老人を大切にする町となる。老人は至宝。至宝は市宝。町の温かさを伝える代表として、老人が活用されるべきだろう。そこに若者が老人を慕って来れる場所、庵(いおり)が生まれる。今、一番必要なものは、温かさ、優しさだ。世の中には、これらが忘れられている。それを伝える場所として、庵(いおり)が生まれる。

結果さえよければいいのか
   成績、生産性、売上げ、打率、視聴率、給料、現代人が求めるあらゆるものは、数字で現されている。銭さえ儲かったら、強引でも、ズルくても、厚かましくても、相手を傷つけても、結果オーライ!といった体質が出来てしまった。

 有名人が冷淡であるというわけではないが、無名な人ほど、親切であったかく、やさしい。有名になろうとか、人の上に立とうとする策略がないだけ人に優しくなれるのだろう。
 これら優しさは決して偏差値、数字で現されない人間の要素だ。これを大切にしない社会には存在価値がない。
 全てに先立って、『親切』『あったかさ』『優しさ』これが一番大切だとを知りながら、いや、多くの人が知らないのかもしれない・・・・。ふとそう思う。現代、誰も本気で『親切』『あったかさ』『優しさ』を大切に扱っていないのではないか。親切にすると損すると思っているのではないか。

 科学や工業の文明は発展の上に立って業績を継承して、さらに発展している。しかし、それを扱う人間はセッセと積み上げても、死んでいく。また、生まれた子供がゼロから出発をする。いつも人間だけが、せいぜい八十、九十年の積み重ねでしかありえない。
 人間性だけはいつも、平安時代、鎌倉時代と変らない。あるいはそれ以下ではないか。現代が忙しく、自己の利益を追求に熱心である分だけ、昔より品性下劣な人間になってるのかもしれない。

 そして、自分の生き方を大切にしない分、いくら産業や工業が発展しても、人の仕合わせにつながっては来ない。
 温かい心、これが幸せであり、優しさが、嬉しい。親切が、喜びなのだ。人に生まれて何がうれしいかといえば、優しさに触れるときだろう。

 
人生の終点に、知恵と温かさを
 老人の欲得を超越した知恵を次代へ伝達してこそ、地球を救える。
 瀬戸内寂聴※の庵(いおり)のように人の集まる場所が中津川に必要ではないか。肉親とは限らない、ご縁のある人へ向かってあったかな気持ちを伝える、人生の悩みを共に考えることが出来る場所、人生の疑問を解く場所として、中津川市に住む老人は庵を結ぶべきだろう。そういう視点を持った人生の句読点を考えて貰いたい。

 それが私の望むホームステイ制度である。そうなったら、中津川市は全国から若者が集まってくる“日本の故郷”になる。そういう中津川市に変身することを希望する。

※瀬戸内寂聴さんは、もう人のために世話するのは疲れたから、来世は小説家と女でありたい。男をはべらして楽しく過ごしたいと、「徹子の部屋」で語っていた。面白い発想をする人だ。
 たしか、人の世話は疲れるが、ボランティアで体力と趣味の範囲で相手できれば、楽しめる。凡人には、人の役に立つチャンスは少ないから、たまには人生で人のためになったという何かを残したい。そう思いませんか、ご同輩?

Tanabatatalk 結 び に
 今のまま環境を汚し続けたら、地球はあと百五十年間で人間の住める環境ではなくなると、科学者は警告している。今から百五十年と言えば、今から遡ると明治の少し前、坂本竜馬が殺されたころだ。あれから、あと四、五年しか地球は持たないだ。来年あたりが、滅びの年なのだ。

昔の消夏法 夕涼み 故郷追憶 夜明け前の虚構と史実

      
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