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2011年1月27日 (木)

昭和6年 銀座老舗 14歳の子守り奉公

6 河合さんの母は今94歳である。頭はぼけてはいないが、だいぶ足腰が弱ってきた。大好きな畑仕事も、散歩も一人ではできなくなった。母14歳のとき、銀座の商店に子守奉公に行ったという。赤ちゃんは4ヶ月の男の子だった。四人の60代娘がそろって、母の足跡を尋ねて、まだ、その商店はあるのか、銀座の店へいってみた。

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母に聞いていた店は、木造の店はビルにはなっていたが、存在していた。事情を話すと、「それは私です」と店の主人らしき白髪まじりの紳士が現れた。昭和6年のとき赤ちゃんだった人は、80歳で、まだ店の経営に携わっていた。

当時昭和6年、母が14歳のことである。昔どこの家でも、姉妹の上のほうは、母の忙しいときは、子守りをしていた。おんぶヒモでおぶって、遊んでいる子は、そこここにいた。私も、姉の子を負ぶわされて、近くの神社で遊んでやった記憶がある。中2くらいだったから、男の子がおぶっているのは、あまりいないから、少し抵抗があった。まあ、誰も見ていなければ、いいか、って感じであったが。

昭和のはじめは、第一次世界大戦で連合軍が勝利して、日本は勝利の側にいて、ドイツ領の青島を攻撃し、多くのドイツ兵を日本で捕虜として収容していたのは、このころである。それが「バルトの楽園」映画である。 バルトの楽園 推賞映画

Imagescak80yz0 世界は国際協調の機運が広がっていたが、帝国海軍省・海軍軍令部は艦隊増強を求め、国防費増額を要求。しかし首相濱口は、世界大戦後、国防の充実に理解を示しつつも、国防費が国民生活の圧迫危機を感じ、軍部の思い通りにはさせまいとしていた。外交では、国際協調路線の幣原喜重郎を外務大臣に重用した。これが右翼思想殻反発を買っていた。

Photo昭和5年(1930年)11月14日、浜口首相は、特急燕に乗車するために東京駅を訪れ、第4ホーム(現在の東北新幹線改札付近)で愛国社社員の佐郷屋留雄(さごやとめお。21歳)に銃撃される。

昭和6年(1931年)日本の暗い歴史が始まった。
4/13 狙撃の治療思わしくなく浜口首相退陣
4/14 若槻礼次郎内閣(民政党)発足
5/28 汪兆銘、広東国民政府樹立
6/27 中村震太郎大尉ら満州で中国軍兵士処刑
7/2 満州万宝山で朝鮮人開拓農民を中国官憲迫害で衝突 朝鮮人保護で日本警官出動、朝鮮各地暴動激化
8/26 浜口前首相死去 (注:朝鮮人は日本人と解する)

 河合さんの母は、数年はこの店で子守りや雑用をしたのでしょうね。やさしいおかみさんに可愛がられ、悪い印象はなくすごし、その後、二十代半ばで結婚したのでしょう。東京ですごしていれば、戦災で大変であったでしょう。夫は戦地へ応召されて、戦前ご結婚されていれば、戦後の食料の少ない時代、4人の娘さんを育てるのはご苦労なさったでしょう。

私の先生は、ちょうど、今年秋には95歳を迎えられる。河合さんのお母さんと同じ世代である。先生は独身のまま過ごされて、子供がいない。教え子たちが子供みたいなものである。それで、長い間、ご苦労されてきた功労に報いたいと考えていた。無名人にも、文化勲章、黄綬褒章に匹敵する功も労もあったのだから、先生の95歳誕生日には、賞状を渡したいと思っている。95歳まで生きてきたことは、すなわち、立派な業績です。文化勲章、黄綬褒章をもらわない人にこそ、周りの人から勲章、褒章、賞状を贈るべきです。   恩師オン歳90歳  がんばれ、太利先生!

河合さんの母さんがおんぶした赤ちゃんは、立派な紳士でご健在であると、河合さんは報告したとか。大変喜んで、昭和6年、14歳のはつらつとした少女時代を、タイムスリップして思い出し、当時のことを昨日のことのように「まるで魔法に掛けられたみたい」と、次から次と語り出すのだった。きっと、今まで語らなかったことが、急に生き返ったように、記憶が湧いて出てきたのでしょう。いいお話を読ませて頂いた。

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