« 服務規程遵守か、日本救国の情熱か | トップページ | 毎日かあさん 西原理恵子と小泉今日子 »

2011年1月29日 (土)

12万年前の人間たちの知恵と勇気

12_4日本経済新聞にも、朝日新聞にも載っていたが、歴史の常識では、6万年前にアフリカから現代人の祖先がスエズ運河近くの部分からアラビア半島へ出て行った、と考えられていた。それは、血液型の話でも、そう信じていたが、いやいや、現代人の祖先は、12万年前からもっと知恵も勇気もあっただろうという推理が、証拠に基づいて研究が発表された。これは、ワクワクする。面白いぞ。AB型(血液型)はなぜ少ないか

読んだよ!クリック」よろしくね! 
   ↓   ↓   ↓   ↓

人気blogランキングへ 
今後とも、ブックマーク(お気に入り)で、継続的に追読して頂けると、嬉しく思います。

250mann_212_3類人猿から数えれば、数百万年はあるが、現生人という観点から見ると、12万年が限界かもしれない。今のような姿形という点で同じような人が生まれたとして、このころと知能も、体格も、習慣も似ているなら、技術が進歩していないだけで、現代人が、文明に触れない絶海の孤島に数百人単位で置かれたら・・・と考えると、どうなんだろう。

Ws000005 今の文明を中国の殷時代、あるいはエジプト文明、チグリス・ユーフラテスの文明の歴史、4000年でしょう。日本だけに限れば、大目に見て2500年か。世界の歴史4000年でみれば、12万年というのは、30倍の長さである。現生人は、地球上で今の歴史程度のことを30回繰り返すだけ生きている。そう思うと、いまの知能がある人たちが、前人の知恵を受け継がなくても、何か考えて何か発明していても、不思議ではない。目の前は海だ。紅海とインド洋だ。飛行機は無理にしても、船は工夫できるだろう。

現状を改革するため、未知の地へ冒険に出ていく人もいるだろう。千年単位といわなくても、百年で考えても、海に向かって出て行く人いるに違いない。昔も今も、青年は荒野を目指す。間寛平が「アースマラソン」をやりぬいたように、石器とやじりを持って、未知に向かって走り出した人はいただろう。狩猟時代の人間のオスは、獲物を求めて一日100キロくらい走ったといわれている。

それを先史研究家の描いた「人類の進出地図」である。0

上の図は、いままでにわかっていた人類の発展ルートである。しかし、今回その歴史にアフリカのつのの部分から、アラビア半島へ渡ったのではないか、という研究を発表した

1212_2 これまでの研究で、現生人類はアフリカで誕生し、二つのルートで勢力を広げたことが分かっている。ナイル川周辺を通ってヨーロッパへ移動した北ルートと、アラビア半島を経て東南アジアへと広がる南ルートだ。南ルートの移動がいつごろから始2011012701まったのか、 これまではっきりしていなかった。
 調査チームは、アラブ首長国連邦のジェベル・ファヤ遺跡を2003年から10年にかけて調べた。出土した石器の特徴や地層を分析した結果、アフリカで出現した現生人類の遺跡と似ており、約12万年前にアフリカから南ルートのアラビア半島に渡っていた、と結論づけた。(以上引用文)
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20110128001&expand&source=gnewshttp://www.asahi.com/science/update/0128/TKY201101270529.html

Ws000004今回の研究(南ルート)が新しいルートである。孤島にいた現生人の祖先が、天気のいい日には、遥か向こうに見えるアラビア半島に向かって「行ってみたいな」と思い、船を作って漕ぎ出したのだろう。それは宇宙船に乗って月面探査や宇宙ステーションに行く以上の、水サカズキがあったか知らないが、危険を冒して出発したら、意外と生存に適した場所があったのだろう。

そこで数世代の歴史を刻み、その外洋にでてきた 2011012702gDNAの子孫がまた次の適地を求めて、出発して出かけたのか。その歴史の長さは、100年の単位ではなく、千年単位かもしれないし、万年の単位で移動したのか、それは今後の研究に待つしかないが、人間の移動と定着は、繰り返した。その理由は、弱肉強食の原理で、逃げ出したのかもしれないし、攻め込んだのかもしれない。文明と知恵のある人たちが先へ先へと進んでいった。

12_5 日本という列島へ島伝いにたどり着いた人々は、きっと、勇敢で知恵のある人々がまず到達したとは、想像できる。だから、万葉集のころの日本人は、おおらかで、あけっぴろげの屈託がない。それは、海を渡ってきた海洋の民族の自信があり、「女は太陽」だったのかもしれない。

日本が列島として切り離される前には、縄文時代の前だろうが、 シベリアから食料のマンモスを追いかけて定住した人々もいたはずだ。海からきた海洋族と古くから住んでいた古代日本人の混合が始まっ たとも考えられる。これが、「海彦と山彦」の話の素地かもしれない。

 4000年昔の殷の時代より昔にも、人がいなかったはずはない。北京原人の骨は発見されているのだから、その後の人はずっと中国は人がいたはず。有史以前の6万年の痕跡はあるし、今回発見された遺跡は12万年前に人はいた。それも現生人の祖先だというから、知能は発達していただろう。ただ文明が発達していないから、知らないことは多いだろうが、考えることは、今の現代人と同じはずだ。12万年の間に、4000年が30回ある。この中で、どんな歴史が展開したか、考えるだけでもワクワクするというか、想像もつかない

関連:AB型(血液型)はなぜ少ないか  江戸時代 私の祖先は何人いたか

読んだよ!クリック」よろしくね! 
   ↓   ↓   ↓   ↓

人気blogランキングへ 
今後とも、ブックマーク(お気に入り)で、継続的に追読して頂けると、嬉しく思います。

|

« 服務規程遵守か、日本救国の情熱か | トップページ | 毎日かあさん 西原理恵子と小泉今日子 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 服務規程遵守か、日本救国の情熱か | トップページ | 毎日かあさん 西原理恵子と小泉今日子 »