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2010年12月22日 (水)

「夜明け前」島崎藤村 全巻読了

200pxshimazaki_toson2 「夜明け前」(島崎藤村)の最後は、あまりにみじめで、読んでいて辛かった。木曽路12庄屋代表の主人公青山半蔵は、国学を信奉して努力してきたが、明治維新で新しい世が自分の描いていた世の中と違うことを嘆き、気鬱になり、直訴まがいのことをやり、「狂人」として見られ、座敷牢に閉じ込められた。寒さや不自由さ、思い悩むあまり、狂ってしまう結末。

島崎藤村も青山半蔵は身内であり、書く側と書かれる主人公が一体化している面もあり、執筆していて苦しかったのではないだろうか。

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江戸末期、木曽路から見た馬篭宿の風物から、時は明治へと移りゆく。その中で、馬篭の景色、習慣を綿密に描いている。木曽路の渓谷のせせらぎ、山中の風のそよぎも感じられる文章である。だけど、庄屋が廃止されたり、問屋制度がなくなる。江戸時代より、明治になればなるほど、青山半蔵には期待が外れていく。それが、彼のあせり、気鬱を起こしていく。彼の信念である国学は、維新の原動力であるはずが、なにも役立っていない。それが明治維新の姿だったのだろうか。

木曾路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。  ・・・・ ・・・・ ・・・・  馬籠は木曾十一宿の一つで、この長い谿谷の尽きたところにある。西よりする木曾路の最初の入り口にあたる。そこは美濃境にも近い。美濃方面から十曲峠に添うて、曲がりくねった山坂をよじ登って来るものは、高い峠の上の位置にこの宿を見つける。街道の両側には一段ずつ石垣を築いてその上に民家を建てたようなところで、風雪をしのぐための石を載せた板屋根がその左右に並んでいる。宿場らしい高札の立つところを中心に、本陣、問屋、年寄、伝馬役、定歩行役、水役、七里役(飛脚)などより成る百軒ばかりの家々が主な部分で、まだそのほかに宿内の控えとなっている小名の家数を加えると六十軒ばかりの民家を数える。荒町、みつや、横手、中のかや、岩田、峠などの部落がそれだ。そこの宿はずれでは狸の膏薬を売る。名物栗こわめしの看板を軒に掛けて、往来の客を待つ御休処もある。山の中とは言いながら、広い空は恵那山のふもとの方にひらけて、美濃の平野を望むことのできるような位置にもある。なんとなく西の空気も通って来るようなところだ。(続き)←読みたい人、クリック

このような息の長い文章が続くと、江戸っ子でなくても、「そこは端折ってくれ!」と言いたくほどの悠長さである。まあ、その時代の空気を伝えてもいるが、現代人には、ストーリーの展開をササっと進めてほしい。これだけのテンポで悠然と進むと、ちょっと退屈である。

歴史上の出来事では、「中津川の牛方ストライキ」、「和宮降嫁の行列」、特に第一部の(下)「水戸藩の天狗党事件」で、木曽路で銃撃戦を長野県山中で展開する。かなりリアルに描いている和田峠の戦で戦死した横田元綱の首を中津川の国学の仲間に頼んでいく。幕府の目を気にしながら、国学者仲間が埋葬の協力した水戸天狗党を歓待する 

天狗党の乱: 筑波山で挙兵した水戸藩士藤田小四郎ら尊皇攘夷激派等によって起こされた一連の争乱。
元治元年(1864年11月16日旧暦)、上州下仁田において、高崎藩兵200と交戦。激戦の末、天狗党死者4名、高崎藩兵は死者36名を出して敗走した
下仁田戦争)。また、11月20日旧暦には信州諏訪湖近くの和田峠において高島藩・松本藩連合軍と交戦し、天狗党、連合軍とも10名前後の死者を出したが天狗党が勝利した和田峠の戦)。

天狗党一行は、中山道を進み、26日馬篭→中津川(昼食)→27日大井、美濃鵜沼宿付近まで到達するが、彦根藩・大垣藩・桑名藩・尾張藩・犬山藩などの兵が街道の封鎖を開始したため、天狗党は中山道を外れ北方に迂回して京都へ向って進軍を続けた。
 元治元年12月11日(1865年1月8日)、天狗党一行は、越前新保(福井県敦賀市)に至る。幕府軍を徳川慶喜が嘆願書の受け取りも拒否、自分達の志が潰えたことを悟った。これ以上の進軍は無理と判断した武田耕雲斎ら天狗党幹部は、降伏を申し入れ、元治元年12月17日(1865年1月14日)、天狗党は加賀藩に投降して武装解除し、乱は完全に鎮圧された。

長州藩の藩論を倒幕へ旋回する「中津川会議」など、歴史上の見所が書かれている。しかし、丹念に書かれているから、木曾山中の道をトボトボと歩く趣きで、カーッと血沸き肉踊る活劇風にならない。

戦時中、美濃出身の二等兵は、「美濃雑巾」と陸軍で言われたらしいが、生真面目で、「絞れば絞るだけ水が出る」と言われたように、ごまかさないで忠実に働いたという。島崎藤村は美濃ではなく隣の木曾・信州だが、よく似た性格なのか、派手なパフォーマンスはしないで、コツコツと木曽路の風物を描いている。

大叙事詩といえばいいのだろうが、読者泣かせの長文である。場面展開、人物の性格の陰影の差、ちょっと派手なアクションとか、読者サービスに欠けている。郷土の大作家にいうのは失礼だが、地味すぎる。大河小説で、歴史上の「夜明け前」の空気を伝える意味あるが、テレビの見すぎかもしれないが、現代人の興味を引く何かがない。NHKの大河ドラマの題材に取り上られて、島崎藤村ブームが一向に起きないのは、このヘンに原因がある。吉村公三郎監督が映画「夜明け前(1953年)」を撮って以来、島崎藤村作品は話題にならない。

おこがましいが、書き直したいという気持ちに駆られる。時間があれば、現代人の興味引くように直したい。他の作品も、こんなテンポだろうか。詩のリズムで味付けたら、どうなんだろう。生真面目な原寸大の青山半蔵のみ主人公で、歴史的な舞台を書いているが、青山半蔵が活躍する余地はない。木曽路にへばりつきすぎだ。 

初恋 島崎藤村
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

詩の中では、小説とは違って、情緒をうまく歌い込んでいる。「夜明け前」は、事実を見つめ過ぎて、叙情の欠落がある。

『夜明け前』は、「江戸から明治の夜明け前」の歴史事典という役目は果たしている。島崎藤村は、歴史の目撃者として役目は果たした。その意味では、この4冊は役だっている。小説としては、いいところはたくさんあるが、もう一度、エンターテイメントの味付けを加えて、書き直すべきだろう

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コメント

2012/1/8 朝日新聞 読みたい古典 夜明け前(上)
「...叙述のスローさに面食らう読者が多かった。遅々として進まぬストーリーに難渋。破戒で見られたドラマちっくな描写がほとんどないのが進まない一因...」
 自分はそういう印象はもたなかったので、Webを漁ってみた、そして貴ブログに出会った。

>「このような息の長い文章が続くと....ストーリーの展開をササっと進めてほしい...ちょっと退屈である。」
 そうは感じなかった。

>「...読者サービスに欠けている...地味すぎる。...NHKの大河ドラマ...」
 視聴者に迎合する描き方が嫌いで、NHKの大河ドラマはほとんど見たことはない。

>『夜明け前』は、「江戸から明治の夜明け前」の歴史事典という役目は果たしている。島崎藤村は、歴史の目撃者として役目は果たした。...」
 結果論だが、島崎藤村がこれを書かなかったら文筆家としての責任を果たしたことにはならない。
 創作を廃し可能な限り史実に忠実に、歴史を実在の庶民を通して現在進行形で再現させることに成功、優れた歴史書になっている。

私のブログは、私自身のメモ的なもので、人様にお見せするようなものではないが、ここで述べなおすのも面倒なので、一応書いておきます。 2010/09/16 19:40 「島崎藤村『夜明け前』を読んで」

まへりあ様
私も、「2012/1/8 朝日新聞 読みたい古典」読者の反応を読みました。読むのに難渋した様子、同感。最後部分を読んでから前を読むというズルイ読み方も紹介していたが、比ゆですが、案内地図見ながら読むという手も、この種の準古典には必要かもしれません。
 貴兄の「夜明け前」の流れに身を任す読書には、感服しています。管理人

投稿: まへりあ | 2012年1月11日 (水) 00時44分

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