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2010年11月25日 (木)

勝海舟正妻 深川芸者勝民子の意地

勝海舟は、どうやって知り合ったか、どの文献もその点は書いてないが、旗本小普請組(41石)が人気高い美女の深川芸者を射止めて妻にしたのである。深川芸者は勝民子となった。勝と共に貧乏暮らしをしていた。その貧乏は、すざましかった。長屋の天井板を全部はがして、冬の暖房のために燃してしまって、天井がなかったらしい。

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貧乏から抜け出し、役職に付くころから、勝は堂々と妾と妻を同居させる生活をした。二つ三つ年上の妻民子なら芸者であり、文句をいわず認めてくれると高をくくっていた。甘えがあっただろう。芸者は男をあしらうプロ、嫉妬などないと、思い込んでいたのかもしれない。

賢妻といわれてきた民子も、死に際しては、勝海舟の墓に入るのを拒否して、早逝した長男小鹿ころくの横に葬ってほしいと頼んだ。昔は、耐える妻を美徳のようにいうが、昔も今も、やっぱり妻をないがしろにする夫には腹を据えかねる。

勝海舟の子どもは、正室民子に、男二人、女二人(長男小鹿早逝)があり、個室(妾)に男二人、女三人があった。
維新後に住んだ氷川邸には、二人の側室(女中増田糸、小西かね)が同居。梅屋敷別邸と長崎西坂の個室(森田栄子、梶玖磨女)が住んでいた。氷川邸=港区赤坂氷川小学校内

多分コレだけではすまないだろう。明治の男たちは、みな「男の甲斐性」だと思っていたし、それを世間が認めていた。法律上でも、女の浮気は認めないで処罰の対象であったから、男にとっては都合がよかった。その常識に勝海舟はそれに乗っかっていただけだが、開明的は思想を持っていても、女を人間扱いをしない点では、民主的なアメリカを見て、「大統領の子が今なにしているかわからない」と日本の社会を批判しながら、自分の女、妾制度をなんとも感じないのは、勝海舟に限界かもしれない。

妻勝民子の生き方も、その当時の賢夫人を貫き通しているが、殻を破る人ではなかったというところか。それより、勝海舟の妹佐久間順の生き方は、波乱に富み、女の枠を超えている。

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