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2010年10月30日 (土)

江戸時代 私の祖先は何人いたか

  今現代生きている人は、その祖先から連綿と命をつないできた結果だ。そう思うと、改めて驚く。誰も欠けることなく、親が子供を生んで命をつないできているのだ、と感動さえ覚える。親になる前に死んでいたら、その下には子どもがいないわけだから、子孫が絶えているわけだから。

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1150  人類誕生以来、食料が今のように豊富にあったわけではない。栽培も水田から食料が決まって収穫できたわけではないから、飢饉の時にも、死ななかった人だけが子孫を残したわけだ。その飢餓でも耐えられるDNAの子孫のみが、現代に残っているわけである。

 つまり、人の体は、「飢餓仕様」に体ができている、と聞いたことがある。逆に「飽食」には体はついていけない。だから、すぐ糖尿や痛風になり、支障が起こるようだ。人類誕生から100万年、人間は、「飢餓」を常態としての肉体で生き延びてきたのだろう。

 日本に稲作が伝来して、ざっと2000年~3000年と考えて、それ以前の日本列島には、20万人も満たない人口しか住んでいなかった。それも、山に木の実が実らないときもあるだろうし、厳しい冬もある。そういう時には、弱い子どもは死に、衰えた老人は死んでしまう。今年、熊が人里に出てくるのは、有史以前の人間と同じで、飢えている証拠だ。

 その頃の人の寿命は20年~50年生きればいいほうだった。いつも、死が隣あわせであっただろう。、「少子高齢」の反対で、子どもは多く生み、多く死んでいた。やせた人が多く、「多子低齢」の社会を構成していただろうと思う。その中で栄養失調が多く、疫病にも免疫のできたもののみが次の世代の子どもを生んでいく。体質として、飢餓に強く、疫病の免疫のある子が残っていく。

 大目に見て、江戸時代、人生50年。信長の時代は、日本の人口は1000万人程度で、今の1/10程度だったらしい。人口の調査は戸籍とか、住民票が正確に登録されているわけではないから、大雑把である。まあ、それでも、人間すなわち、あなたの祖先、私の祖先は生き延びてきた。

 江戸時代は、私にとって、影も形もないけれど、そのころはどうなっていたのだろう。よく、「自分の祖先は何々藩の家老だった」とか、「黒田藩の某氏の弟の子孫だ」とか、家系図があるから・・・と、自分の出自を誇って言う方を見ているが、人間それって、なんだろう。
 
継ぎ足し、継ぎ足したうなぎのたれだ。元のたれが残っていると称しているが、数学的には、数年でなくなっているという計算がある。

私には、両親が二代、その上の祖父母が三代前と数えて、一世代で30歳違う勘定で遡ることで、時代を見ると面白い。10代の家系を遡ると300年になる、そうすると、私の祖先は、
30年前の両親が二人、
60年前の三代前の祖父母が四人、
90年前の四代前の曽祖父母が八人、
120年前の直系の五代前が16人。
150年前の6代前が32人、
180年前の7代前が64人、
210年前の8代前が128人、
240年前の9代前が256人、
270年前の10代前が518人、
300年前の11代前が1036人。江戸元禄時代
私は、300年前の1036人のDNAブレンド品、11代累計で2064人の股をくぐって生まれてきているのだ。300年前の江戸時代1700年は、元禄の華やかな時代である。

こう考えると、ざっと300年前から自分の命の源流はすでに1036人、累計では2000人の人を通って現在の自分につながっている。そう思うと、あだや疎かに命のリレーを扱えない。

11代前の祖先は1036人、それが、もっと遡ると
12代前の祖先は2072人になり、
13代前の祖先は4144人になる。
14代前の祖先8288人(390年前)
15代前の祖先は1万6576人(420年前)となる。

Ws0000022  390年前って、大阪夏冬の陣、夏の陣が終わり、徳川幕府の基礎固めのころだ。その誰一人欠いても、私は存在していない。不思議なつながりである。そして、420年前のちょうど、秀吉が小田原攻めをやっている頃、私の祖先が1万6576人いて、それが15代前の祖先である。

 ここまでくると、12~15代累計で31080人で、初代から11代まで累計で2064人を加えると、総計3万3144人の祖先がいることになる。これらの祖先3万3144人から私は血(DNA)を頂いていることになる。

 これから先の祖先は、30年ごとに幾何級数的に増えていく。ところが、日本の人口は一体何人だったと思う?江戸時代の初めは1200万人、中ごろには3000万人になる。それは有史以前の10万人規模の日本とは大違いである。

 1500年~1750年までの250年で、人口が三倍になっている。江戸時代は、順調に日本の人口は伸びている、と言っていいだろう。その点では、徳川幕府の治世は成功している。戦国時代が終わり、徳川の天下統一ができて社会の発展が望める。

 Ws0000021_21150_3 飢餓を乗り越えて、人間ががんばって、かろうじて生き延びてきたのは、弥生時代以前の人口は少ない時代である。それは、人類発祥から100万年の間の歴史の長いこと、ながいこと。日本にはそんなに昔のことはわからないが、

 紀元前6000年では、日本列島全体で2万人だ。何千年と10万~20万人で、人口が増えない。狩猟で生きる限界があり、村全滅する疫病の流行がり、森のどんぐりができない年もある。冬の越冬ができないで死ぬ子どももいる。人口が減ることもある。その中で、わずかに人間が生き延びて、現代へつながるわけだ。

 そして、現代の日本人がこうして生きているのだろう。その間には、大陸から朝鮮人が渡ってきただろうし、シベリアからマンモスを追いかけてきた人もいる。あるいは、南から島伝いに日本に来た海洋民族もいる。平安時代の建物を見ると、夏向きの家が多いのは、日本人が南方から渡ってきたからだ、という説がある。

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コメント

私の祖先は、一世代30年と仮定すると
30年前の両親が二人、
60年前の三代前の祖父母が四人、
90年前の四代前の曽祖父母が八人、
120年前の直系の五代前が16人。
150年前の6代前が32人、
180年前の7代前が64人、
210年前の8代前が128人、
240年前の9代前が256人、
270年前の10代前が518人、
300年前の11代前が1036人。江戸元禄時代である。
私は、累計で2064人の血がブレンドされていると言える。300年前の江戸時代1700年は、元禄の華やかな時代である。
 ざっと300年前から自分の命の源流は、1036人、その後の累計では2000人を通って、現在の自分につながっている。そう思うと、あだや疎かに命のリレーを扱えない。

11代前の祖先は1036人から一代遡ると、
 急に幾何級数的に祖先の人数が多くなる。
12代前の祖先は2072人になり、
13代前の祖先は4144人になる。
14代前の祖先8288人(390年前)
15代前の祖先は1万6576人(420年前)となる。
(戦国時代になっている)

投稿: 私の祖先 | 2013年1月16日 (水) 16時17分

素晴らしい!
9代256人⇒10代518人と知らない祖先が6人増えてるのが新しい。

投稿: 素晴らしい! | 2017年3月31日 (金) 09時39分

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