« 戦闘以外、戦争の悲しみはいっぱい | トップページ | ゆで卵のカラ なぜむき難いか »

2010年10月21日 (木)

命とむきあう終末期医療の現場

7361_2 命の最後をどう向き合うか。ホスピスで働く看護婦を紹介していた。表情が明るく、いつもニコニコと笑っているがん末期を看取るホスピスのベテランである。田村恵子(50)といった。彼女は淀川キリスト教病院(607床)の7階、20数人の看護士のトップ 看護士長である「NHKプロフェッショナル仕事の流儀」にヒントを得て書きました。

★「読んだよ!クリック」よろしくね! 
   ↓   ↓
人気blogランキングへ 
今後とも、ブックマーク(お気に入り)で、継続的に追読して頂けると、嬉しく思います。

7376彼女の病棟は、治療法がなくなった、末期がん患者のホスピスである。緩和ケアのみをする病棟である。大抵ここへ入院してくる患者は、それまであちこちの病院で見捨てられて、ここへたどり着いたという人が多い。田村の病院では、「希望は必ず見つかる」という接し方をする。彼女は彼ら患者の悩みを聞き、心配ごとを受け止めてあげる。

多くの末期がん患者は、はじめて明るく接してくれる人に出会い、「希望」を見る。彼らの今を、明日を一番よく生きる支えるのが、ホスピス看護士の仕事と心得、演技でなく、にこにこじっと話を聞いてあげる。がん専門看護のプロの技が光る。

7367 50歳にしてようやく可能なのかもしれないが、一日スマイルを続けている。キリスト教病院の多くの患者はよく見てもらっていた。入院ベッド数は450程度ある。大病院の部類になる。たとえば、明日、家に帰っていくA女性患者は、迷惑をかけるのではないか、それで悩んでいた。その話をじっと聞いてやるのも、仕事。病人は、自分が邪魔な存在と思ってしまうから、身の置き所がない。患者は、自分が明日をも知れぬ身の上で、不安があるが、家族、一番身近な人と一緒にいたいという願いをどうしたら実現できるか、それをいつも考えて、安心させる手助けをしている。

7366 私も、一度、看護婦から話を聞く仕事で、築地のがんセンターへ行ったことがある。「どんな患者が印象に残ったか」と、聞いた。30代半ば、40代での働き盛りで、家庭持ちの人は、落ち着いて寝ていることができないのだ、という。その他の世代も同じだが。

確か、窓から東京の景色を見て、この空の下で多くの人が、今せっせと働いているのだと思うと、どうしようもないと思うと、苦しくなる。子育ての責任がある身で入院されると、一番苦悩が大きい。

長く入院していると、隣の患者が死に、あるいは自宅へ帰っていく。そういういくつもの死を目の前にして、「じっとしていろ」と言われても、それは土台無理だ。

7365_2 田村の病院のB患者で、「もう緩和ケアしかできない」と医師は判断しているのに、彼は、再度がん治療に挑戦すると申し出た。すると、医師と看護婦等病院のスタッフミーティングした。がん治療で効果が出るより、副作用で苦しむほうが多いのだと、関係者の結論だった。そのことを患者Bに副作用の苦しみがあることも説明して、治療を選択するか、彼Bの選択に任せるという結論になり、それを田村が説明した。

患者Bは、今座して死を待つより、治療にかけるという。一度退院して治療を開始した。それが、一週間してまた病院に戻った。治療の副作用で苦しみが増して、治療の継続が無理だった。それがたたり、病状が進んだようだった。

7383 しかし、彼Bはその治療をやったことで思い残すことが少なくなっただろう。田村は「また病状がよくなったら、また治療すればいい」と納得していた。「じゃあ」と田村が腰を上げるとき、「ありがとうございました」と、彼は握手を求めた。しっかり握った手は、彼女に世話になったとの意思表示だった。その握手から5日後に、亡くなった。それが、死の前の感謝だった。

7386 亡くなったあと、田村は、泣いていた。いつもニコニコしてるが、患者の死のたび、ひっそり一人で涙をながすのだった。涙を流したのち、涙を拭いて、再び、次の患者のところへ行くのだった。

次に出合ったのは、直腸がんが肝臓へ転移した患者Cさんであった。見た目は、誠実に働いてきたサラリーマンである。直腸がんを我慢して悪くしてしまったのか、入院してきたときは、手の施しようがない状態であった。一番気になるのは、二ヵ月後の娘の結婚式、それに出たいと思うことだった。4月から6月、それまで持つか、疑問だった。できないだろう、と判断されていた。

7374素人目には、まあ元気だから大丈夫かもしれない、と思ってしまうが、専門家からはまず難しいのだという。一週間後、救急車で運ばれ入院してきた。痛みに耐え切れない状況だった。そして、その自分の倒れた状況を覚えていない。この記憶の喪失は、がんの末期にはよく起こることだという。特に死期の数週間前に起こる。娘の結婚式まで持たないと、医療関係スタッフは判断、そこで田村は娘と母に提案した。「病院のホールで、結婚式を上げお父さんに見てもらいましょう」と。だれがそれを父に伝えるか、そのことを伝えたことで、父は自分の死を知ることになる。と、娘は父に伝えることを躊躇してできない。

7402_27403それを田村に託された。さすが、田村もこの重大な役目に言葉が詰まっているようだった。「娘さんがお父さんの前で花嫁衣裳を見せておきたいというのですが、どうでしょう?」つまり、結婚式をこのホールでやりますというメッセージは、お父さん、車椅子に座っているのも相当つらそうで、目を瞑っていたが、「うん、がんばります」といった。そのとき、少し涙ぐんでいた。自分の死期が、結婚式6月8日まで生きられないと知った瞬間のようだった。5月20日、結婚式の写真を撮って安心したのか、その夜から父(患者Cさん)は意識レベルが下がり始め、翌日、天国へ旅立った。その日も、田村はひそかに泣いていた。

7372 田村がこうした、がんホスピスで働くときの心構えに影響を与えた人は、17年前、ボランティア活動で知り合った青年患者Dさんだった。

がんと診断された患者Dさん、それ以来生気を失い、引きこもりがちになった。いくら田村が励ましても、カラに閉じこもったままであった。「何がしたいの?」と聞いても、答えもなかった。それが二ヶ月後、ポツリと「ピアノがすきなんだ」と言った。それを聞いて、「病院のロビーにピアノがあるから、あそこで弾いてみて」と提案したら、彼が病院へ来て弾いてくれた。

7395そうすると、入院患者も、病院スタッフも、彼の演奏に魅了された。拍7393手を貰って、青年Dさん、それ以来、急に変わったように引きこもりをやめて、ピアノ演奏を練習はじめた。ヴァイオリンをはじめたし、大阪から京都まで行き、フランス語を習い始めた。物事に積極的になった。転移が発見されたが、余生を生きる生き方は変わらなかった。むしろ、残り時間が少ない故に積極的になった。死の数ヶ月前から、自分の生きた証にと自費出版を出そうと書き始めた。病状がだんだん厳しくなったなか、その本ができて、「こうなります」と表紙の装丁を見て、満足そうに笑ったのが、お昼頃で、彼の命が尽きたのが、夕方だった。

7368 彼の最後まで、懸命に生きたその姿に、がんのホスピスのあり方にヒントをもらった。きっと、Dさんが元気だったら、田村さんとひょっとしたら二人は・・・という印象が残る。その最後の生き方に、積極的に生きることを笑いの原動力になっている、と私は見た。

がん患者の最後を見ていると、死と生、それはたいした境目ではない。ヒョーイと越えられる。しかし、いったん越えると戻って来れられないのも事実だ。死をもっと見つめる必要があるのかもしれない。

命のゴール、走りきって、私は、死のゴールへ元気に飛び込みたい。向こう側には、多くの知り合いが待っているのだから、涙なんか似合わない。一粒の麦だった私には、死なば、多くの芽が出ると知れば、さびしいことはない。そんな心境で死を迎えることができるんではないか。

病気と健康①  MRI検査 体験記  高血圧の特効茶 おもいきりテレビ   帯状疱疹 大人の20%はかかる   初老期うつ病 定年期うつ病   逸見政孝 スキルスガンに死す1993年  農水省推薦 高血圧改善、老化防止食品   血圧を下げるモンゴル岩塩   安倍首相の病名 潰瘍性大腸炎  便秘、下痢ぎみ、尿道結石 防止運動  花粉症の季節とその対策  

病気と健康② カレー?加齢?足手肌の乾燥   脳梗塞の前兆をチェックする方法   筋金入りリベラリスト 筑紫哲也を悼む   生老病死をどう受け止めるか   覚醒剤シャブ中毒の幻覚と怖さ  人間の飽食から生まれた糖尿病  新型インフルエンザより自殺年間3万人  ポリアミン効果、慢性腫瘍に効く  性同一性障害?死ぬほどの悩みか!  フィリピンからきた看護婦さん  山中教授の万能iPS細胞、医療の革命 命とむきあう終末期医療の現場

★「読んだよ!クリック」よろしくね! 
   ↓   ↓
人気blogランキングへ  ご感想  お書きください

|

« 戦闘以外、戦争の悲しみはいっぱい | トップページ | ゆで卵のカラ なぜむき難いか »

コメント

死の数ヶ月前から、自分の生きた証にと自費出版を出そうと書き始めた。

投稿: | 2010年11月 5日 (金) 22時56分

いかがお過ごしですか。 
 がんや病気というのは、この生体内の力のバランスが崩れ、がんやウィルスの方に力が傾いた時に発症します。 これらは「からだの免疫」とよばれるものです。

 これに対し「こころの免疫」があなたの体内に刻み込まれています。「思い煩い」を喜びにかえてくれる「免疫機構」です。一刻も早くその「存在」に気づき「採り入れる」ことです。

      こころを強くする「メッセージ」のご案内
      http://www4.ocn.ne.jp/~kokoro/
          ご笑覧ください。     安達三郎

投稿: あだち | 2011年1月12日 (水) 14時54分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 戦闘以外、戦争の悲しみはいっぱい | トップページ | ゆで卵のカラ なぜむき難いか »