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2010年10月20日 (水)

戦闘以外、戦争の悲しみはいっぱい

04_2戦争というのは、戦闘員の兵隊の悲しみもあるだろうが、戦線に出ない一般の人にも、戦争の悲しみはいっぱいある。

弟、それも一、二歳の子どもが「戦争だからだまんするんだよ」といわれて、必死に我慢してついに死の間際に泣き出して、横腹に銃弾の破片でも入った穴があいて、出血多量で死んだ。

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204これも、アメリカ軍に投降すれば、助かっただろうに。日本軍は投降して自軍の内部情報が漏れるのを恐れて「俘虜の辱め」を受けるなと、言葉巧みに国民と兵士に圧力をかけて、国際捕虜条約に違反することを続けていた。

中支に出征していた従兄は、帰国後、敵に捕虜になったら殺されるのは覚悟していたという。こちらで捕まえた捕虜は生かして帰すというつもりはないんだ、と語っていた。それが日本軍の出先の実情だった。生かしておけば、こちらで見たことを語ってしまう。生きていれば食料を与えなけらばならない。どっちにしても、日本軍としては捕虜は厄介者だ。復員兵が帰ってきた 昭20年秋

国民個人のしあわせを、国家という組織が犠牲にして戦争履行していた日本は、そうでもしない限り、大国アメリカに勝てないだろうことは想像つくが、戦争は軍備の見せ合いでギリギリで戦争しない外交をしてもらいたい。だけど、日本は、外交して勝つことは、中国の圧迫外交にいいようにやられているのを見ていると、昔も今も、外交で主張するのは下手だったから、難しいだろう。

だからといって、戦争という手段していいとはいえなが、軍事力は行使しない外交を磨いてほしい。

04 戦時中、国のために出征するのが「誉れの家」というしるしを玄関に麗々しく張ってあったものだ。そういう国家の犠牲に息子を送り出すのは、本心、正直、苦しかっただろう。それを息子の出征するとき、国家の無常さを表現していた。

誰だった息子を殺される場へ送りだすのは、母の身になって考えれば、当然だろう。それを押し殺して「けなげな」母を演じ家に帰って泣いてたはずだ。それを出征に個人を投げ出させた国家は罪深い。

世界が今、戦国時代みたいなものだから、統一国家になるまでは、ずっと個人の願いと国家の意思が一致せず、個人に犠牲を強いる形が続くのだろう。特に皆兵制度が敷かれると、国家への忠誠がもっとも重要になる。元来、個人はばらばらな意思があって当然だが、国家単位で動いている限り、国家の意思は統一した動きをするときに一番強くなる。その例を今中国共産党が実行しているように見える。

世界が一つの地球を大事に守っていくという意思で、人類という単位で良識を持って生きていくコンセンサスをつくる時代になっていると思っているが、それが、なかなか国家エゴに押し切られている。そのためには、教育を充実させなければならない。

往々にして、こういう『総論』は賛成が多いが、「各論ハンタイ」なってしまう。といって、傍観するわけにもかず、あーあー、そういって人間は年っていくんだろうか。

日本人の戦争②①  戦争体験を聞く 喉元を過ぎれば   強国日本、昭和13年の空気を嗅ぐ  講和条約 日本は占領されていた   復員兵が帰ってきた 昭20年秋    語り継ぐ戦争体験  社会保険庁の愚、旧日本軍の愚   怨みに徳をもって報いる 以怨報徳   戦前の軍歌は巧妙にできている   むのたけじ 戦争反対の一生   高遠菜穂子講演 成田九条の会主催 本物の平和主義者になるために うじきつよしへ反論は、戦争容認か   傷痍軍人という生き方   ああ、許すまじ原爆 核不拡散条約NPT  

日本人の戦争② 戦争を語り継ぐ意味は何か    田母神さん俎上に論争の難しさ、 戦争と人間 ( 五味川 純平)日本昭和史   原爆で死んだ山本文郎の父   何で日本は戦争したの?   靖国神社周辺の変貌先鋭化  水木しげる腕失ったニューブリテン島  日本人は「戦争」を選んだ加藤陽子  正義の戦争あるか「太田総理」最終回 被爆国日本が、核兵器を模索  戦闘以外でも、戦争の悲しみはいっぱい

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