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2010年10月 7日 (木)

大潟村 新しい米粉麺の需要創造

6777 大潟村の建設は、琵琶湖についで日本で二番目の広い八郎潟を埋めて、新しい農村モデルとして、旧来型の農村にはない大型の大潟村を目標に立てた。日本では経験のない事業でったので、オランダ視察して干拓に学んで、ようやく難工事が完成した。(ブログ記事は、情報ステーションの映像を見て書いています。)

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6817 秋田県の県庁から出向して、大潟村の建設に従事した義父から聞いたところでは、大潟村建設に携わっていた幹部は、旧来の農村の平均土地所有の二倍か三倍で、多くの入植者に土地を与えようと考えていた。従来の日本の農村とのバランスが悪くなると計画していたが、時の総理池田勇人が視察にきて、「諸外国の農村に負けない大規模の農家を作るんだ」、とハッパをかけて、一気に日本の農家の10倍以上の面積の農村をイメージした農村を作ることになった。と聞いている。新しい村の誕生,八郎潟

6734 さすが、池田勇人は、スケールも発想も、違う。リーダーシップに印象が残った、と義父は言った。その後、減反政策が始まった。大規模米作りをここ大潟村だけでも許せば、違った発展をしただろう。が、池田勇人はがんで死んでから、日本政治家のミミッチく一律減反で、大規模米作の大潟村の特徴が十分生かせないまま、40年過ぎた。長~かったね。

Ikedasouri池田 勇人(いけだ はやと、1899年(明治32年)12月3日 - 1965年(昭和40年)8月13日):日本の大蔵官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。
大蔵次官、衆議院議員(7期)、大蔵大臣(第55・61・62代)、通商産業大臣(第2・7・19代)、経済審議庁長官(第3代)、内閣総理大臣(第58・59・60代)などを歴任した。

6758 その間、涌井徹さんがリーダーになって、反減反運動で犯罪人扱いを受けながら、闇米を作って、消費者に売り続けた。法律を守らせようとする取締り役の県職員と入植者とのいざこざの絶えなかった。

Farmers_05_01 涌井徹1948年新潟県十日町生まれ 1967年同県立十日町高校卒業 1968年同県立農業教育センター卒業1970年、家族と共に秋田県の大潟村に入植。入植者としては遅い。
 入植と同時に減反政策が始まり、メロン・ほうれん草・たまねぎ・小麦等の畑作物に挑戦して失敗。米作り専業に転職し、1987年「大潟村あきたこまち生産者協会」をを設立。
その後、代表取締役に就任。全国の消費者へ、よりおいしくて、安全・安心なお米の栄養機能食品なども開発。外食チェーン、公的機関など業務用向けの販売も拡大し、大手スーパーなどにも販路は広がっている。 日本の農業のモデルとして誕生した大潟村で「“農業発”の一流企業」を目指し、日々取り組んでいる。 講師氏名 涌井徹 フリガナ ワクイトオル 所属(会社名等) 株式会社大潟村あきたこまち生産者協会 業種 小売・卸売業
役職 代表取締役社長 URL http://www.akitakomachi.co.jp/
資格 著書 農業は有望ビジネスである!東洋経済新報社 賞 所属団体 趣味 その他

 その中でも、入植者はそれぞれ米の販売はしているが、涌井さんが一番規模の大きい米販売業者になっていた。今から4年ほど前、朝日新聞の日曜版に涌井さんが紹介されていたので、義父の話を書いて手紙を出したら、返信をもらった。また、知り合いの入植者とも連絡をとりあって、大潟村を訪問したのを思い出した。

 バスを用意して頂き、大潟村を案内して頂いた。バスで回って、改めて大潟村の広さを実感した。各戸の耕地面積も広いことも広いが、また農機具を購入して借金の多いことも、聞いた。これでは、いったん作付けを失敗したり、減反で米を作れないとなると、苦しいだろう。借金の地獄で自殺した話もわかるような気がした。八郎潟・大潟村新農村

バスツアーの途中、同行の入植者と共に涌井さんに会った。涌井さん社長業が忙しく、15分、30分時間を割いてもらうのが精一杯だった。その当時で、涌井さんの会社、米の売り上げで年36億円だと言う話だった。今、情報ステーションの特集では、60億になっていた。成長企業だ。

インターネット、電話、お得意へはFax、広告媒体はいろいろ使った、大潟村内の娘さんたちにとって、勤め先になっていた。電話応対、インターネットだったり、得意の技を発揮していた。ひっきりなしに電話がかかってくる。

その当時、といっても、4年前は、米粉麺はまだ目だっていなかったが、涌井社長、新規開拓した商品を見せてくれた。休む暇なく動き回り、アイディアを商品にしているようだった。

6744今回、涌井さんが昨年11月、赤松農林水産大臣を大潟村へ呼んだ。大臣は「」と謝罪して、今までは作るな作るなと、減反・生産調整の農政だったが、今後は必要なものをもっと作りましょう。」と、民主党は自民党とは違うと言いたかったようだ。今までの減反政策(生産調整)は水田の1/3は畑にして、小麦、大豆などに転作しなければならなかった。

6748個別保障制度で、①食用米以外の米、加工用米、②新規需要米も、転作作物と認められ、戸別保障金を払うことになったので、事実上、自由に米がつくれるようになった。大潟村の入植者は一気に政府の奨励する戸別保障をもらって、米を作れることになった。ただ、人間の食べる米とは違うというが、どれほど違うかようくわからんが。 

作り方も、機械の操作も、労働も同じでやれるわけだから、外部の人間には、まったく米作りには変わりがない。水田で、コレは①加工用米、②新規需要米、③食用米と区別つくか?家畜のえさ用の米というのもあるだろう。みんな同じ米を作っても、素人はわかるはずがない。転作米は、魔術みたいなやり方だ。

ただ、せんべいやお菓子用の米、輸入小麦の代用できる粉にして米麺用の米は、自分で売り先を見つけるのが、必要条件になっているが、広い農地が全部米作りができることになった。

Ws000004 涌井さんの会社は、米粉を麺として売ることを社内工場を作ってで始めた。始めは買ってくれる大規模需要者を探すのが大変だった。すかいらーくのメニューに米麺のメンメニューを入れて、それで社会へ普及する糸口にと、涌井さんが始めてつかんだ大口需要者である。スーパーで売ることも始まってきた。

Photo 米をご飯として食べるだけでは、消費の拡大は無理。卵だって、パックで個人の消費者で裁くだけでは、消費の拡大にならないから、卵を割って、殻なし液体卵のかたちで売ることもあるらしい。それと同じであるかおもしれないが、米を粉にして、麺にしたり、と日本人の嗜好にあわせ、米パンにする、それを軌道にのせたら、小麦をアメリカから輸入して食をアメリカに支配されることを避ける一策かもしれない。

6771 農業の6次産業化と涌井さんがいうのは、生産(一次産業)→加工(二次産業)→販売・流通(三次産業)この三つを農家の側で全部やれば、儲かるのだという。これは、音楽で作曲、歌手、出版をあわせてやれば、全部の利益を得てしまうように、農業もそれをやり始めたわけだ。

6807 涌井さんの会社で、大潟村へ入植した仲間から、麺の原料として新規需要米を買い取っている。そこで、涌井さんは、ほかの入植者と配下におき、格差を感じ始めている。あれだけ積極的に活動して動ける人は、地元には少ない。

6809 今回、米麺を生産する工場とそれを流通販売会社を大潟村として、専門の会社が委託をうける形で設立された。その設立セレモニーの映像で、今後の発展を想像させるところで、特集は終わっていた。

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コメント

こんにちは。農家個別補償制度についてよくわかりました。ありがとうございました!
私の実家は大潟村近辺の農家で、私自身は漁師の家に嫁ぎました。
農家がJAに搾取されているのと同じように、漁業も仲買人、市場に搾取されてほとんど手元に入らないという状況です。
調べたら昨今の電子書籍ブームも、編集者印刷会社を仲介しないことで作家の手元に入ってくる印税がUPするんですね・・・。

その道のプロを仲介するのは悪いことではなかったと思いますが、今の第一次産業者の状況を作ったのは仲介者の「生かさず殺さず」の搾取に他ならなかったのではないかと思います。もちろん農業に限っては政府の方向転換もあるでしょう。
第一次産業が再び元気になれるよう従事者自身が道を切り開くときなのだなと、涌井さんの活動を見て思いました。

投稿: 通りすがり | 2010年11月25日 (木) 06時38分

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