« 梅佳代 視点論点 I love男子 | トップページ | 弁護士 着手金30万、勝訴報酬40万円 »

2010年9月 3日 (金)

ファミリーヒストリー マルシアの祖父 苦節70年inブラジル

5562 NHKで始めたファミリーヒストリーは、個人では調べられない調査をきちんとやって、今回のマルシアの祖父の歴史を詳細に教えてくれた。

G020007100817 司会はガレッジセール。彼らは初司会か?まだ、礼儀正しく常識的な感じ、彼らのカラーが出ていない。どれだけ自在さが出るか、見ているほうがハラハラする。大ばけして、島田紳介を越したら、すごい。『日本語でGO!』では元気がいいが。司会となると、NHKでは、あまりヘンなことできない。

読んだよクリック」よろしくね!
   ↓   ↓
人気blogランキングへ 今後とも、ブックマーク(お気に入り)で、継続的に追読して頂けると、嬉しく思います。

マルシア(本名:西家 一枝 マルシアMarcia Kazue Nishiie、 1969年2月14日 - ):歌手、女優、タレント。
5564 日系一世である祖父は西家佐登里さとり、祖母はたか。マルシアのおじいちゃん西家佐登里は、静岡県1909年生まれ、今年101歳になる。柿、ポンカンなどの果樹園を経営していた。 ブラジル・サンパウロ州モジダスクルーゼス市出身の日系三世。二世である父親西家千秋と母親芳子の長女。父・千秋は、祖父の佐登里が果樹園を手放してつくった資金の援助を受け、肉屋を始め成功した。

5573 マルシアは、17歳でブラジルで歌謡コンクールで優勝して、優勝プレゼントとして日本への(優勝者ともう一人の)旅行、マルシアとおじいちゃんと二人旅だった。理由は、父千秋が、祖父に日本行きを親孝行のつもりで譲ったのだった。

所属事務所はワタナベエンターテインメント。マルシアが日本でデビューし数々の新人賞を獲得し、ブラジルに凱旋帰国公演をする直前にマルシアの父の千秋は、心不全で急死。

55865587祖父西家佐登里は、14歳で農業学校へ入り、お茶の栽培、稲作について勉強したという。

この時期、日本は、世界大恐慌のさなかにあり、農家の次男三男は、海外の新天地に飛躍してほしいというのが、日本政府の意向であった。貧困層の農家の青年は、海外で成功を夢見ていた。

5602 西家の家は、山林や畑はほかの貧困農家とは違い、かなり裕福であったらしい。佐登里少年には、「世界へ飛躍!」という夢は、学校の指導方針と一致していた。学校を出て日本力行会の移民専門学校へ1年間かよった。ここの学校は、教員の初任給が50円だったころ、年間費用が200円した。

5604_2 一年間で、ポルトガル語を学び、ブラジルの風習、伝統を学んだ。あと数ヶ月でブラジルへ出航というときに、隣村の娘と見合い結婚した。ブラジルへ行く先の見えない相手の元へ飛び込む娘の勇気、度胸には、今の人には真似できないだろう。

当時の風潮は「大陸の花嫁」と言って、写真一枚で結婚を決意して、一人で満州へ渡っていく若い娘を持ち上げて、マスコミも賞賛して、送り込む片棒を担いでいた。国策として、世界恐慌で不景気のどん底だから、政府の要人も、ブラジルへ日本人を送り込むことを考えていた。

5591 農家の次男、三男は、分け与える田畑がないから、ブラジルの自作農として、広い土地で働くことを目標にして、農業高校あたりの生徒に「夢」をもたえようとした。「ブラジル移民100年 満州移民との違い」では、第一回ブラジル移民(笠戸丸)あたりのことを書いたが、マルシアの祖父西家佐登里は、1930年に神戸出航であるから、ブラジル移民始まってから数十年たってからである。

5611 神戸を出てブラジルへ、40日、2万キロ、である。当時は船でたくさんの家財道具を載せているから、まあ、これが普通の旅である。一般の人が飛行機で行くようになるのは、昭和30年後半からだろう。それでも、昭和37年、1万トンの船でドイツへ留学に行くというので、横浜へ見送りに行ったが、それは、ちょっと、珍しいケースだった。

Map サンパウロへ着いてから、600キロの列車の旅が待っていた。日本の20倍以上の面積の国だから、そのくらいの移動は当たり前かもしれない。

目的地はアリアンサ移住地である。ここは、日本力行会が買い上げた広い農場である。東京23区の半分ほどある、広大な土地であり、佐登里青年は勇躍して、荒野を開拓して、自分の農場にしようとした。最初にもらえたのは60ヘクタールという日本では考えられない広さである。

5577 ただ、1930年という時代は、世界大恐慌という、100年に一度の大不況であった、日本もその前、第一次世界大戦中は、世界大戦で、大もうけした好景気にわいていたが、それが終わって、物が売れないし、好景気で設備投資した機械が過剰生産して、物があふれていたから、コーヒーが暴落した。

5634 この不況から、日本が満州国建国、国際連盟脱退、日本の国際的孤立、太平洋戦争、ブラジル国内での日本語使用禁止など、日本人の移動禁止等の個人的な商売のうまくないことに加えて、問題が多かった。この中で、祖父佐登里は時代の波にもまれていた。

5628 佐登里青年が、「金のなる木」といわれていたコーヒーを植えて、さあ、というときに、1キロ1円と暴落し、一年で天と地がひっくり返ってしまったのである。まあ、キャベツを過剰生産すると畑に捨てて、トラックターでつぶしてしまう不合理を知っているが。

青年佐登里は、コーヒーを断念して、翌年からはお茶を栽培したが、静岡とは気候が違い、温度が高すぎお茶は失敗した。稲作は生産できたが、ブラジルは米食の国ではないので、遠方へ輸 5578_2送にお金がかかるので採算があわず、また失敗した。

長女と長男(マルシアの父)が生まれて、生活はますます苦しくなった。子どもに食べさせるものがなく、野菜くずを入れた塩の汁が食事になっているほど、貧乏になっていた。

56187年目についに、最初に入植したアリアンサ農園を友人に譲って、サンパウロの郊外に移転した。日本でいえば、東京に近い千葉県成田あたりの感覚かな。都会の近郊だから果物や野菜が売れる。そう考えて、土地を借りてトマト栽培を始めた。成功するように見えたが、土地に湿気が多く、病虫害でトマトが成熟する前に、みな枯れてしまった。これで、また借金を負った。

サンパウロの露店を歩いていると、柿が売っていたが、食べてみ5661 5662 ると、日本の柿のように甘みがなかった。これを改良すれば、売れるだろうと思って、柿の改良に着手した。品種改良は手間と時間がかかるが、佐登里青年は日本人仲間と熱心に研究した。それで、日本の果物のおいしさをブラジルの国内に広げようと研究した。現存する日本人の証言によると、佐登里は何年も研究して、柿、ポンカン、梨等の改良した品種が市場に広まって売られるようになった。

5669息子の千秋を自分の苦労をさせたくないから、知識の必要な医師にさせようと熱心に勉強させ、都会の進学校へ進学したが、下宿先の青年と運送会社をを起こしたた。朝、農家を回り、収穫物を都会の市場へ運ぶのが仕事だった。1968年、千秋は31歳のとき、8歳年下の、お得意先の娘芳子と結婚した。翌年、マルシア一枝が生まれた。

5675 数年後、運送会社が失敗して、大きな借金を背負った。改めて1980年、肉屋を始めるとき、父佐登里は、息子の事業に応援できるのは肉親しかいないと、今まで40年続けてきた果樹園を全部売り払って、息子千秋の始めた肉屋を資金提供した。最初は小さな商店であったが、それが熱心に働く日本人の店は徐々に信頼を得て、大口の取引先もついて、店も拡大してきた。

Kif_0287 ブラジルでは、「ジャポネス ガランチド=日本人なら、信用できる」と言われているらしいが、勤勉な日本人が100年にわたりがんばったおかげで、評価がブラジルでは定着した。戦後のアメリカ文化に毒されない、1世の日本人によって、純粋日本人のがんばりが伝えられている。きっと、ブラジルの日本人社会の常識は、今の日本人社会と感覚が違っているかもしれない。戦後の高度経済成長以後の日本青年がブラジルに渡ったら、うまくいくだろうか。大相撲の稽古に耐えられないように、ちょっとムリだろう。

5672果樹園を手放して資金援助して、息子の肉販売企業も順調に大きく成功した。祖父佐登里は「息子の会社は順調に大きくなり、ようやく200人分、国の大臣並の収入になった。やっと胸を張って、成功したといえる」とふるさとの友人に手紙を書いた。アリアンサに入植して以来、70年、苦労が実った実感を持ったのだろう。

このころ、娘のマルシアが、ブ5582 ラジルで開かれた日本歌謡曲コンクールで優勝したのである。母の歌好きが高じて、ついにそれがマルシアの優勝である。父千秋は、祖父の支援に感謝している表れとして、副賞の日本旅行を娘マルシアに祖父が付いていくように手配した。

56705678日本での紅白歌合戦にブラジルで出て、それがきっかけで日本の作曲家の家に内弟子になり、その後、ブラジルで凱旋コンサートを行うことになった。ところが、その18日前に、父千秋が心筋梗塞で死亡した。そのコンサートには祖父と母が涙をこらえて聞く姿が残っている。

5663 マルシア自身、可愛がられて育ったから、祖父の苦労はほとんど聞いていない。最初に入植したアリアンサの場所さえ知らなかった。父千秋が肉屋として骨身を惜しまず働く姿は知っている。そのがんばりの精神は、マルシアの中に伝わっているから、がんばる精神はある。苦労を乗り越えるがんばりは、おじいちゃんから父、そしてマルシア自身にある、と彼女はいう。

マルシアは、17歳でブラジルで歌謡コンクールで優勝して、優勝プレゼントとして日本への(優勝者ともう一人の)旅行、マルシアとおじいちゃんと二人旅だった。理由は、父千秋が、祖父に日本行きを親孝行のつもりで譲ったのだった。マルシアは、俳優の大鶴義丹と結婚。一女をもうけたが、2004年に離婚した。

読んだよクリック」よろしくね!
   ↓   ↓
人気blogランキングへ ご感想  お書きください

|

« 梅佳代 視点論点 I love男子 | トップページ | 弁護士 着手金30万、勝訴報酬40万円 »

コメント

マルシアの祖父 苦節70年inブラジル

投稿: ファミリーヒストリー | 2013年10月18日 (金) 15時16分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 梅佳代 視点論点 I love男子 | トップページ | 弁護士 着手金30万、勝訴報酬40万円 »