« 尖閣諸島、東シナ海油田、漁船衝突 | トップページ | 中国の反日運動へ断固おとなの対応 »

2010年9月20日 (月)

70年前の詩「町の辻」 敬老日に贈る

Photo  昭和3年に満州事件が起き、それ以後、日本はバタバタと軍国主義一色に染まってしまったが、それより少し前の時代は、意外と穏やかであった。それは、教科書の上からも言える。

その頃の最後の教育を受けた84歳の方が、尋常小4年、10歳のとき教科書に載っていた詩を投書していた。記憶のみで詩を思い出し書いているようであった。

読んだよクリック」よろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ 今後とも、ブックマーク(お気に入り)で、継続的に追読して頂けると、嬉しく思います。

 この詩が全部わからないか、ネット上で調べてみると、孫の代になっては、正確に知っている人は少ない。かなり聞き違い、お年寄りは覚え違いをしているようであった。

 しかし、この国威発揚の教科書になる前、この詩を習った人は、「町の辻」の「雪解け道のぬかるみを、杖にすがりしとぼとぼと、歩み来たれる老婆あり」と、多くの10歳の心に強く残っている人がいた。

 「町の辻」
雪解け道のぬかるみを 
杖にすがりてとぼとぼと
歩み来れる老婆あり 
行き来の車馬の絶えされば
向こう側へ行きかねつ
老婆の前を右左
行き交う男女の多けれど
北風寒き街の辻
身なりいやしき老婆には
手を貸す人もあらざりき

米屋の小僧お得意へ  
米を運びし帰り道
ひらりと降りて自転車を 
角の下駄やに預けおき
すぐに老婆を導きぬ
  
下駄屋にありし人は皆
「年の若きに感心な」
かくゆう声を後にして
くにに 母親残すらん
彼の瞼に露ありき
下駄買う人も売る人も
下駄屋にありし人はみな
彼の姿を見送りぬ
さとすべき子にさとされし
小さな悔いを抱きつつ

『尋常小学国語読本~国定(3)期~』

 下駄屋で見ていた人が「年の若きに感心な」と語り合う言葉を尋常小4の子どもに説明抜きに聞かせておけば、いつしかそれが身になる。敬老の精神を押し付けでなく、体得してもらうのは難しいが、多くの80代は、10代で覚えた詩をそらんじている。きっとその詩に感動したのだろう。今私たちが読んでも、いいな、と思う。そういう感動こそが、教育の基本だと思う。

 国定教科書で、満州中国で事変拡大していくと、教科書の内容も変わってしまい、このような悠長な教育は打ち切りになって、いっせいに国威発揚の方向へ走り始める。日本人を軍部がコントロールする教育に乗せられてしまった。

 その教育に乗せられた私たち国民もアカンけれど、トップにいた人たち、どういう気でいたのだろうか。日本で最近、頭ではトップを行く人間がやった不祥事を列挙してみる。
「日本振興銀行の倒産」、(新銀行東京もあやしいから、預金している人、用心用心)、郵便不正事件での村木局長を有罪にしようとした検察、これらは、時代の歯車を自分で回す気でいる。
「国家の意思」を自分で操るところは、満州事変を起こした関東軍の参謀のような暴走を感じる。
教科書の穏やかな流れをかき回すことのないように願いたい。

読んだよクリック」よろしくね!
   ↓   ↓

人気blogランキングへ ご感想  お書きください

|

« 尖閣諸島、東シナ海油田、漁船衝突 | トップページ | 中国の反日運動へ断固おとなの対応 »

コメント

 小生91歳です。学徒出陣し終戦時1階級上がってボッタム少尉です。
 復員後大学に復学し卒業、サラリーマンとなり、大会社の専務で退職しましたが、その間小学校時代の思い出として最も強いインパクトを受け心に残ったのがこの詩です。
 詩の内容ははっきり覚えていますが言葉は「向こうの側に行きかねつ」までで長い間その後の言葉を知りたいと思いながら見つけられずにおりましたが、PCで調べたらと思いつきやっと知ることができました。
 何か宿題ができたようなほっとした気分です。本当に有難うございます。早速印刷しました。読み返し涙が出てきました。

 匿名様
 記事がお役に立って、うれしく思います。nozawa22new

投稿: 匿名 | 2015年4月29日 (水) 14時10分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 尖閣諸島、東シナ海油田、漁船衝突 | トップページ | 中国の反日運動へ断固おとなの対応 »