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2010年8月10日 (火)

特攻艇震洋 SuicideBoatの戦果

4485 太平洋戦争(大東亜戦争)は、真珠湾攻撃のハワイ奇襲で戦果を華々しく打ち上げ、景気よく始まり、新聞、ラジオは「勝った、勝った、また勝った!」と昭和16年12月8日以来、勝ち戦が続いていた。多くの国民は勝利に酔わされていた。

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それがいつからか、負け戦が始まったか、アレ?と思う間に形勢が逆転したのが、ミッドウエィ海戦での大敗北である。この結果は極秘にされ、国民は知らされず、それどころか、参謀本部や東條英機総理兼陸相に対してさえ報告されていない。

山本五十六は「日本は開戦から半年、もって1年は優勢を維持することができるが、それ以降はアメリカ(と連合軍)の国力が日本を圧倒する」と予測を述べていた。

戦略、戦術、用兵などの拙劣により、約2倍の戦力をミッドウェー海戦に投じながら、空母機動艦隊を壊滅させる損害を受けた。この作戦について反省会は開かれず、敗戦の責任者が処罰されることもなかった。そのうえ軍令部は、ミッドウエィ海戦での大敗北を極秘にし続けた。

415pxisoroku_yamamoto 山本五十六が連合艦隊司令長官に就任すると、先任(首席)参謀に抜擢されたのが、黒島 亀人海軍少将である。日米開戦の二年二ヶ月前だった。山本はそれまでの伝統的発想の持ち主でなく、当時から異端と揶揄されても、新しいアイデアを創造できる黒島を起用した、と言われている。山本五十六の行なった、真珠湾攻撃、ミッドウエイ海戦、特攻艇震洋の発案は、腹心の黒島亀人海軍少将のアイディアであるとされる

4501山本五十六がすべて責任を採る形であるが、黒島の作戦指導に疑問を感じた節もあり、それを同僚参謀の記録『戦藻録』(昭和16年~昭和20年)にか書かれていると思われるが、黒島が勝手に処分したのか、(昭和17年11月~昭和18年2月頃まで)欠落している。山本五十六が黒島の作戦能力に疑問を抱き始め、ひそかに代わりの先任参謀の人選を行っていた時期である。

45051945年5月、軍令部第2部部長を辞し、その後は大本営の海軍参謀兼軍令部先任として終戦までを過ごした。多くの軍人と同様、本土決戦を主張し1億玉砕を唱えた。しかしデスクワーカーとなっていた黒島は、敗戦後も戦争犯罪を問われず、自決するわけでもなくその後天寿を全うした。

麹町の旧鍋島侯爵邸に住み哲学、宗教の研究に没頭したが生きる屍同然であったと言われる。旧友が訪ねてくると「今、俺は宇宙、人間、生命の研究をしているのだ。最近ついに『零の研究』をして悟ったよ」と言って煙に巻いた。1965年、肺癌のため没。享年72。その遺言は『南の島に飛行機が行く』であったという。(以上、ウイキペディア参照)

4519_24543ミッドウエィ海戦で、航空機と多数の熟練パイロットを失い、制空権と制海権を失い、コレ以後の対アメリカ戦では、守勢に立たされ続けるが、その起死回生の方法として、太平「洋」を驚き「振」るわせるという意味で特攻艇「震洋」を発案した。

震洋(しんよう)は、昭和17年6月のミッドウエイ海戦以降の形勢逆転の切り札として、考えられた。熟練パイロットを失い、搭乗する飛行機もない。それで、海軍上層部の考えたのは、航空隊で二年半訓練を受けた隊員を震洋の特攻にすることだった。

黒島の構想としては、軽量で大量生産できる可能性があることであった。材料はベニア板で、自動車のエンジンを搭載することだった。事実、短期間に6200隻を作製した。

震洋(しんよう):第二次世界大戦で日本海軍が開発した特攻兵器。小型のベニヤ板製モーターボートの船内艇首部に炸薬(約250kg)を搭載し、搭乗員が乗り込んで操縦。敵艦に体当たり攻撃することが目標。。
 フィリピン、沖縄諸島、日本本土の太平洋岸に配備された。日本各地の沿岸に基地が作られた。九州・川棚の訓練基地跡が有名。

フィリピン レイテ沖海戦マリアナ海戦闘で、日本海軍は起死回生の戦いを挑んだが、結局、もてる駒をすべて失ったような結果になった。レーザー光線技術、通信技術で劣って日本は、情報を日本軍内で共有できず、みすみす攻撃チャンスを失った、と後世の研究家に指摘されている。

4546 手詰まりになった状態で、黒島少将の発案特攻「震洋」が作られていった。NHK放送の「ベニアボートの特攻兵器」は、フィリピンマニラ近くの島コレヒドール島へ派遣された第7震洋隊と沖縄へ派遣された第22隊のことを取材していた。全体で40数隊あるようだ。

コレヒドール島へ派遣されたのは、震洋200隻と要員900人を日本から輸送船で送ったが、アメリカの攻撃で戦場に着く前に1/3が失われた。その結果、600名が特攻隊員がようやく任務についた。アメリカ軍はレイテ島に上陸開始をしていたが、12月23日出動前日、第7震洋隊が整列中、事故が起き、大爆発、誘発が起きて、75隻が破壊沈没し、明日攻撃に出る隊員90名が死んだ。

この事故の原因は起こるべくして起きたといえる。「震洋」は構造上、エンジンと爆薬が近くにあり、エンジンの火花が飛び散ることで、いつ事故が起きても不思議でない。これは、海軍上層部に伝えられたが、対策は講じられなかった。

コレヒドール島だけでなく、日本国内でも震洋の事故は多く発生して、250名亡くなっていた。日本から戦地に赴いた450隻以上の震洋は、アメリカ軍の攻撃や事故で、昭和20年2月に100隻たらずになっていた。

コレヒドール島北西部に停泊しているアメリカ連合艦隊への攻撃命令が出た。複数の震洋による一斉攻撃である。

4487 証言者:石崎幸男89歳は、自分の震洋が誘発爆発で失われたので、見送った。出撃する彼らは、日の丸国旗をマフラーにして、私たちが着る予定であった搭乗服を着て、立ち上がり笑って出ていった。作り笑いではなく、本当の笑い顔で出撃した。出撃から数時間後、ドカーンと音と火柱の明るさと船が沈むのが同時です。轟沈です。7発、そういうのがあって、船が沈んでいくのが見えたのです。七艘の敵艦を沈めたと思ったのです。

戦果が上げたとき、「万歳!万歳!」でして、私ら喜びました。その陰には、今戦友が死んだんだなとはっきり、感じ取りました。この攻撃では、30名の搭乗者が命令により、死んだ。

日本では7隻と思われているが、アメリカの資料では。三隻の上陸用支援艇が沈没している。震洋による戦果は、その三隻だけで、あとは、続かなかった。

翌日からコレヒドール島へアメリカ軍は上陸開始した。そして、残っていた震洋はアメリカ軍の攻撃で、出動機会がなく全て破壊された。9日間で、日本軍(震洋要員)の殆どは壊滅したので、生き残った兵は、対岸のバターン半島へ脱出することを銘じられた。「コレヒドール島を再度奪回するため、対岸のバターン半島まで泳げ」と命ぜられた。

食料もなく、12時間泳いで渡った。「震洋」隊員は、航空機乗りから、ベニア製特攻艇乗り→飛行機とも、船とも無縁の地上戦に引きこまれた。コレヒドール島で戦った震洋搭乗員300名の七割以上は死亡した。

Shinyoboat以上が、コレヒドール島へ派遣された震洋隊員の結末である。震洋戦果は、コレヒドールの三隻と沖縄での一隻をアメリカに被害与えたにすぎない。震洋の隊員の死者は2500名といわれている。割りの合わない自殺行為を日本の若者に強いた。

この震洋隊員の生き残りで、有名になったのは、
島尾敏雄 - 小説家。第十八震洋隊を率いて加計呂麻島に駐屯。出撃前に終戦。当時の状況、大平ミホ(後の妻)との逢瀬を描く『島の果て』、特攻隊員として出撃を待つ『出発は遂に訪れず』。
田 英夫 - 社会民主党の元参議院議員、出撃前に終戦。 好漢田英夫、反骨キャスター死す
三島敏夫サイパン島出身のハワイアン歌手。和田弘とマヒナスターズなどでボーカルとしても活躍。出撃前に終戦。

小型のベニヤ板製モーターボートの船内艇首部に炸薬(約250kg)を搭載し、搭乗員が乗り込んで操縦。上陸しようとしている敵艦に体当たり攻撃することが目標。

下記のアドレスは、別の特集「震洋のリポート」である。

http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv1-gyao&p=%E9%9C%87%E6%B4%8B&ei=UTF-8

8月15日 戦没者墓苑戦場地図前 目印:手首にハンカチ  靖国神社と千鳥が淵戦没者墓苑  特攻艇震洋 SuicideBoatの戦果戦争と人間 ( 五味川 純平)日本昭和史  田母神さん俎上に論争の難しさ、

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コメント

敗因は黒島みたいのが、沢山いたということか。日本は伝統的人災国家。そういえば、5.15や2.26クーデターも、予算を削られた官僚の演出だった。軍人の「そんな弱腰なら、俺に、やらせろ」まではいいが、成算の見通し無し。
 大陸経営も:重鎮を殺された天皇と列強の怒りで頓挫。世界大戦参戦:失敗プロジェクトの立ち上げ。(背任行為)。 その結果、今更「駄目でした」とは言えない。崩壊まで暴走するしかない。

 なぜか最近は零戦(本来は隼)がもてはやされるが、日米の、国力を比較するとボロ負けじゃん。戦艦も潜水艦も、戦力になってない。

管理人より
 石井さん、貴兄の解説されているとおり、日本の国力を分析したら、中国で戦線を拡大しているさなか、対米宣戦布告は当然無理なことは、冷静に考えたらできるはずがないのです。
 最後には、「一億玉砕で本土を守る」と、陸軍大臣が御前会議で、ポッダム宣言受諾反対しています。まるで自分が戦犯になるのがイヤという態度。あれでは、陸軍のわがままで、国民が犠牲になったようにしか、思えません。

投稿: 石井静香 | 2011年8月14日 (日) 09時51分

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