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2010年8月12日 (木)

オレがの『我』より おとなの知恵

日本列島、朝、台風が接近しているとかで、風が強かったですね。電車を黄色の線の前いでまっていた。電車には、二列縦隊で待つ。風を避け、黄色の線より半歩下がって立っていたが、私が先着で先頭であるのは、他に人はいない朝だから、わかると思っていた。

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数分遅れてきた青年、私の後ろに並ぶかと思ったら、黙って私の前に来て、何事もない様子でスポーツ紙を読み始める。

一言「よろしいですか」とあるべき場面だと思うが、この20代半ば過ぎの青年は、傍若無人というか、私という存在が目にはいらないか、人ではなく物に見えているか、そんな感じでいる。

スポーツ紙は「石川遼、マスターズ予選通過」と、記事に食い入るように読んでいる。私が電車にのる一位の立場をその青年に譲れば別に問題はないだろうが、「君は、私より後にきて、先に乗るのかい?順序があるだろう」というほど、ヤボではないが。

そこへ電車が来た。その青年、一歩待って、自分が先頭に立っていても、『あなたが先に乗ってください』と、先にいた私に乗る瞬間、順を譲るかもしれない。よく、年寄りや女性に譲る、そういう間合いがある。つっけんどんだった人が、「えっ?」良い人じゃないか、という印象を感じる場合がある。

しかし、その青年、私にはまるで気づかないのか、さっさと乗り込んで、空いている席に坐った。今の社会は、こうして坐る席を譲るより、まず自分の席を確保するのが当然かもしれない。多少遅れてきても、他人の押しのけても、まず自分の席を確保は当然で、他人の席を配慮するのは、ありえないのかもしれない。物質は豊かだと言われる日本では、精神の余裕は感じられない。

自分が坐ろうとするとき、他に坐りたい人もいるかもしれないから、一言
「ごめんなさい」とか、
「すみません」あるいは、
「よろしいですか」ということで、
ギスギスした社会の軋轢が相当緩和するのではないか。

これは、自分が負けるように見えて、賢い処世術とは思えないのか。相手に一歩、半歩負けることで調和がとれる。江戸時代から、家の前の「水撒き」も隣との境で終えるのでなく、隣の方にも打ち水してあげるのが暗黙のルール、エチケットだった。「オレがオレがの『我』」だと自分が利するように見えても、決して自分の「利」にはならない。「情けは人のためならず」これが従来の日本の教えだった。

ところが、今は、オレがの『我』を全面に出して、目先の「利」を獲得することがハバを利かせて、実に生き難い世になった。そういう世を作ったのは、私たち先輩の世代かもしれないが。

外来種の魚ブルーギル、ブラックバスなどが日本の河川に多くなり、在来種は食い尽くされて生き残るのが大変らしい。絶滅するのは、(在来種の)魚だけではなく、日本の文化も同様である。まあ、滅亡前の「遠慮や謙遜、和を大切にする世代」が、「自分の要求をまず出す青年たち」に蹴飛ばされていく。他人を駆逐することを勝ち組といって憚らない。そういう世界を作っていって、地球が滅びるのは、気象現象からだけではない。

そんな文化や空気が、今、世の中を跋扈して、私たちは・・・・そんな厳しい環境にいる。何かといえば、裁判に訴えて権利を確保するとか。

「フランダースの犬」で、最後、少年ネルロと犬が教会の絵を見ながら凍死する。絵で入選するはずのネルロ少年の絵が落選してしまう。そして、有力者の家の少年が入選する。

この事実を見て、「みんななら、どうする?」という問が国語の先生から出された。「裁判所へ訴えます」と私がいうと、先生「それは二番目の策です。黙ってそれを甘受するのが最上の策」という意味のことを中学生に教えた。その意味が、そのときはよくわからなかったが、今考えると、人間の知恵って、そういう解決法のほうが深いのかもしれない、と思うようになった。

自分が正しく、一歩引いてまとめる判断が、これからは、人間の深い知恵が利用が、「西洋文化」に対して「東洋の知恵」ではなだろうか。それを「おとなの知恵」と言い換えられる。子供相手の「負けるが勝ち」という態度をとる大人、と同じかもしれない。「金持ち争わず」は、「知恵持ちは争わず」とも言い換えられる。

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コメント

その場に立ち会っていないので正確なコメントかどうか分かりませんが…接客業3年半の経験から若者世代は、今まで注意されないが故にこういうケースけっこう見受けられます。こっちが冷静に大人として立場で注意すれば、意外にあっさり謝る素直さがある場合が多いです。要するに、今まで誰かに常識を教えてもらってないんです。けっこう最悪なのは行儀の悪い中年です。ホント自分中心で図々しいです。それこそ常識を知ってていい大人のはずなのに…
今回のケースはたまたま若い人という事で、世代の問題ではないと思いますが…

投稿: なお | 2010年8月12日 (木) 23時53分

今年の夏に表面化した、100歳以上の高齢者が亡くなっているにも関わらず死亡届が出されていなかったニュース。
親が死んでいるのに、のうのうと国から何年も年金をもらっていた人たちって何歳位ですか?60歳以上でしょ。ひどい話ですよね。人は年齢ではありませんよ。

投稿: なお | 2010年8月23日 (月) 00時48分

なお様
「貧すれば、鈍する」ということわざがあります。
 葬儀の平均金額が230万円、残された側で払えるか。それで、死んだことを隠してしまったら、その後、ずっと隠さなくてはならない。途中で「実は」と言い出しにくい。

年金があると助かると思う貧乏人のキモチ、根性は、非難に値するがが、非難だけでなく、私たちは、その人たちにどうしたらいいか、何かを提案できるか、です。

投稿: | 2010年8月23日 (月) 17時12分

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