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2010年8月13日 (金)

何で日本は戦争したの?

4620 「おじさん、何で日本は戦争したの?」と、30歳を越す親戚の娘に聞かれた。えッ?そんなこと、内心オレ知っているつもりだが、答えられるか、一瞬、脳裏を巡る。戦争の原因など、列挙できるか。戦争している兵士自身、わかっていないと思うよ。

NHKの戦争特集は、終戦記念日近くでは盛んに放送する。それらの番組は、確か戦争について事実は教えてくれるが、それは戦争の体験談だし、事実だが、なぜ日本が戦争しなければならなくなった理由ではない。

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4604 大抵は、バトルBattleは、戦争の一面だ。戦争はWarだよ。日本は戦争しなければ成らなかったのか。これは、戦前の空気感が、今とは全然違うから、理解しにくい。一番戦争したかったのは、国民の側だとさえ言われている。止められなくなったのは為政者だった、という理解が妥当だろう。

 日本全土が貧しく、東北の農村では娘を売るとか、餓死する人がいたとか、それを反映して、地方出身の一部将校たちがクーデターを考えるほど、切羽詰まっていた。この日本は狭くて貧しい、満州を「日本の生命線」だと、自国の食料庫としていた。その空気が日本の政治を動かしていた、と思う。そこへ、いろいろの要素が加わるのだ。

 満州を独立国にしようとする、関東軍幹部が先頭に立って、満州匪賊の仕業のように見せ掛け、満鉄爆破して中国全土へ戦線を広げていく。満州国の五族共栄を掲げ、なおかつ東亜共栄圏をアジアに広げ、西欧諸国の力をアジアから追い出す。これらの盟主にすわることが一つの日本の夢だった。五族共栄:中国、朝鮮、満州族、ロシア、日本が仲良く一つの国をつくる新しい世界観。うまくいけば、すばらしい。

「狭い日本に住み飽きた」と標語は、日本には移民局という部門はなかったが、日本の人口を減らし一戸あたりの耕作面積を広げることで、農村を豊かにできるはずだった。その計画図を吹き込まれて、日本人は踊っていた、と思う。

4602 五族共栄の満州国を設立してきたはずが、世界はそれを欺瞞の独立国だということで、国際連盟がリットン卿が国際連盟の命により調査に来た。結果、中国の一部を独立国にしているだけだと見抜かれ、認められるには至らない。「日本は国際連盟を脱退する!」と松岡洋右は演説をぶち上げた。そして、脱退した。

Abcd_2 日本は資源のある国ではないから、石油を輸入しなければならない国だが、中国侵攻で、各国から非難されて包囲される形になり、ABCD包囲網は完成した。A=アメリカ、B=イギリス、C=中国、D=オランダの諸国が日本へ重要物資を輸出しなくなってしまった。特に石油を禁輸した。これで、日本は苦しんでしまった。それで、マレーシアにある石油の油田地帯を落下傘部隊が急襲したが、油田の施設を破壊炎上させて逃げたので、日本に石油を手に入られなかった。

注意:同じことを、日本は北朝鮮に対して行っている。しかし、中国が支援しているから、その効果は上がっていない。

 アメリカとの交渉も、日本の南方進出に関する事項で、日本の身勝手を許さない内容だった。アメリカは、イギリス、中国、オランダと提携しながら進めていた。

 日本はこの交渉を打ち切るつもりはなかったが、同時にアメリカを攻撃する両面準備を同時に進めていたが、それをアメリカの諜報網はキャッチして、大統領に伝えていた。アメリカは、日本の情報キャッチしていることを知られないように努めていた。だから、日本は内容が漏れていること、情報技術の遅れで、戦争が終わるまでは気づかなかった。

アメリカに日本の考えていることはダラ漏れで、アメリカは日本に先に真珠湾攻撃させて、アメリカ国民を焚きつけて、戦争にもって行った。そう分析されている。ルーズベルト大統領には、情報が上がっていたらしい。これは、日本の研究者には定説になっている。

4624 アメリカはハルノートを突きつけたが、日本側の東郷茂徳外相は、「長年に渉る日本の犠牲を無視し、極東における大国たる地位を捨てよと言うのである、然しこれは日本の自殺に等しい」

「この公文は日本に対して全面的屈服戦争か、即ち日本に対する挑戦状を突きつけたと見て差し支えない。」と述べている。

4622 日本のプライドをぐちゃぐちゃにしてしまう通告だったので、カチンときた日本は、振り上げたこぶしを、脅すだけでなく、実際「ニイタカヤマノボレ」という、攻撃開始のゴーサインを出してしまった。それが真珠湾攻撃で「勝った!勝った!また勝った!」と大喜びしたのであるが、これがアメリカ国民を怒らせてた。

日本人の戦う意欲、「勝つ」という気持ちは十分わかるが、その精神力を裏付ける技術、物資が不足しているのに、日本人の戦争計画がずさんであると、私は見る。

アメリカより早くから戦争準備をしていたから、緒戦の戦いはアメリカの油断を突いて、日本が連戦連勝だった。アメリカ国民は、真珠湾攻撃で、反戦的な市民にまで愛国精神に火がついた。物資の生産は日本の10倍、20倍の国が本気になって、日本をやっつける気になった。また、情報通信技術も進歩しているから、日本通信文は全部読まれて、手の内知られていた。

なにせ、日本は「敵性語」として英語を排斥した。電車中で「英語」の教科書を開いていると、殴られたという。そういう敵の言葉を嫌って相手を嫌う状態になった。国民の感情的ムードがこういう形に表れた。ところが、アメリカは敵を知るために「日本語学校」を軍隊内に作り、通訳を大量に養成はじめた。日本語を傍受して、暗号も解読する技術を高めようとした。この通訳学校を卒業して、戦後、日本文化を紹介する人も多く出た。

日本の「アメリカ嫌い」がアメリカを知らず、中国で勝ったという勢いでいけると思ってアメリカを攻撃したり、物資不足、勉強不足を精神で勝てるとする、日本人の欠陥が出た。

4611日本は、鎖国を続けてきて、「欧米に追いつき、追い越せ」の合言葉で進んできて、植民地を作って、植民地から利益を得ようとしたが、それが欧米の先進国に「やりすぎ」と頭を叩かれた、という図だね。先進国の権益を侵した面があるからだろう。

朝鮮、満州、台湾を植民地政策を展開したが、これはイギリ4610 スの真似だ。それが100年遅かったから、時代が変わっていたのだ。資源のない国の日本は、どうすれば、豊かで、平和な国つくりができるか。

植民地から搾取して豊かになるというやり方は、65年前に失敗した。今日本は、どうすると、諸外国と軋轢を避けて発展できるのか。65年前の戦争を通して、考える課題だ。

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コメント

なぜ、日本は戦争しなければ成らなかったのか。戦前の空気感が、今とは全然違うから、一番戦争したかったのは、国民の側だとさえ言われている。止められなくなったのは、為政者だったという人もいる。

投稿: 付和雷同 | 2011年7月 8日 (金) 04時54分

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