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2010年8月15日 (日)

靖国神社と千鳥が淵戦没者霊園2010

4759 今年も千鳥が淵戦没者霊園で、2人の人と話をしてきました。つい話込んで、予定の戦場地図前にいる時間が少なくなって、「ハンカチ手首に巻いて来たのに、野沢さん いないじゃないか」と帰られた方がいたら、すみません。

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最初の方は、戦場地図のトラック島を指先でなでて、念仏か祈りのように語りかけていた方がいた。横に立っていると、「おじがトラック島で戦死したので」と教えてくれた。母親の弟がトラック島で中隊指揮官陸軍中尉だった人という.。母は、弟のおじについて、あまり語らないままなくなったという。

02300pxhailstonetorpedo_401_3 注:1944(昭和19)年2月17日、18日、アメリカ軍によるトラック島空襲。戦後の遺骨収集で集骨されたので「千鳥が淵墓苑」に納骨されたようだ。

4750  新潟県から、きょう出てきた、とおっしゃる方。N■さん。昭和9年8月9日生まれ。おじは優秀な方だったという。身内で、指揮官になったおじさんを漠然としか知らされていない、という。陸軍士官学校出の人でないと、指揮官になれないから、このおじさんは、陸軍士官学校出でしょう。

陸軍士官学校は、当時は、士官になる学校は一番難しく、素行、体力、学力、忠誠心が優れている人のみがいける。授業料がなく、卒業後は少尉になれるので貧しい家の子の多くが行こうとしたので、東大へ行くより難しいといわれ、士官学校出の将校は国民の憧れであった。その中から、上位2割が陸軍大学校へ行ける。参謀や将官になる候補が進学した。それ以外は部隊勤務になる。

 N■さん、温和な方ではあるが、頑固にアメリカは大嫌いで、娘4756の結婚式がハワイにあったが、アメリカ大陸の旅をみんなでしたが、アメリカ行へ同行せず、日本へ戻った、という。
 昭和20年の記憶は、寺の境内で遊んでいると、お寺の住職の奥さんが子供たちにおやつのようなものを食べさせてくれたので、連れ立ってお寺へ行っていた。寺も飢えている子供のためにお供物を下げたものを準備して待っていてくれた、という。

 話の途中で、正午の黙祷の合図が入った。母親は、おじの話をめったにしないので、戦争の話を聞かなかったが、「親類で、もう私が一番年長で、戦死した人を誰も知らないから・・・」と早朝から新潟から出てきたという。

もう一人戦死したという。父方のおじは、中支で昭和12年以前に戦死して、日本軍が強かった頃だから、天皇からの下賜金もあり、盛大な葬儀を行われたという。匪賊の急襲での戦死のようだ。

誰も、ハンカチを手首に巻いて戦場地図の前に現れないので、園内を一回りしていると、ベンチに座っている人に声かけられた。フリーカメラマンで、リボンをつけて許可を受けて、この戦没者霊園の写真を撮るためにきている様子であった。近郊から来ているとのこと。

47104711471247284718_34713_2 右翼の街宣車が、数えただけで30台は集まっている。黒塗りのバン型 から、ワンボックス型の車が多く列を成していた。この右翼圧力が強く感じられて、昨年より多くなっている印象だ。誰かが資金提供しない限り、この街宣運動は続かないはずだ。

4764 平和運動など、写真を撮り続けている方のようにお見受けした。この街宣右翼活動の兵隊各人は職務としてやっているだけで、問題は、後ろ盾の思想と組織だとの趣旨を語っていたが、同感である。4734

個々の人が理解しあえるために、この戦没者霊園を拡大して、スピーカーズ広場にしてほしいもんだ。戦死者という戦争従事者と共に戦災被害者が戦争を考える場にしたら、意味がある「慰霊園」になるだろうと思っている。

千鳥が淵墓苑は、靖国神社と違って、戦争遂行のために戦死者慰霊とは違うのだから、各個人が本音を吐露できる場にするべきでしょう。みんなの公園にするのが一番いい。

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    靖国神社と千鳥が淵霊園の比較

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