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2010年8月 5日 (木)

真夏の快晴 きょうは暑さのピーク 2010年

Photo_2  連日猛暑、真夏日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
「お暑うございます」などと、挨拶をする今日この頃。しかし、最近の暑さは今までと違うとかいうが、夏が暑いのは、昔から決まっている。

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01 この暑さ、空を見ながら、このエネルギーを取り込めないか。電気に熱を交換機通して、溜め込めば、相当の電気になるのではないか。東京電力でそのくらいの研究していてもおかしくない。案外、すでに太陽熱を電気に変えていながら、水力だ、火力で電気を起こしていると言っているだけかもしれない、と思ったりして。

Photo_3  きょうがピークで明日から、猛暑日はあるが、そう連続に暑い真夏日は続かないし、熱帯夜も減ってくるという予報だ。暑い日が減ると、もう秋になる。中学生の時行った(青森県)三戸町から山奥へ入っていく猿辺村の診療所では、8月10日過ぎると、赤とんぼが群だって飛び回っていた。

Photo_4  個人的に言えば、この猛暑、キライではない。むしろ30度を越すくらいの暑さに耐える自分が好きである。汗タラタラ流して、扇風機に当たるのが一番快適だ。冷房を30度にして扇風機を掛けると、もういけない。寒すぎて落ち着かない。

 汗と頬に脂が出て不快になるのが問題だが、シャワーを浴びて、シャンプーすると、すっかり気分がよくなる。まあ、一日家にいるような日には、運動不足になるから、太陽が出ていている時間帯に三十分程度自転車で図書館か、買い物に出て汗をかいてくる。

8503_3 日本の統計が案外良い加減ではないか、と疑問を持たれるようなケースの続出だ。
 一体、男性でいえば、79歳=80歳まで生きていると、同級生は50%はいないということか、どうかだ。嬰児死亡など早逝を除いてから同級生になる。平均寿命を下げる要因を省いた仲間を見ているのだから、平均寿命は余命の計算の根拠とは違う。

 東京へ出て、18年も経つと、田舎にいた歳月と同じとか、田舎にいた時間より東京にいる時間が長くなると、ふと自分の人生を考えてしまう。
 次にターニングポイントとなるのは、40歳過ぎ50歳ななると、一年の過ぎるのが早くなり、50歳で、アレ人生半分残っていない、と感じる時だ。この頃になると、やたらと同窓会の誘いが来るようになる。みんな人恋しいのか、人生を振り返りたくなるようだ。

 所ジョージが、真夏の畑で1時間草むしりして、熱中症で気分が悪くなってしまって救急車を自分で呼んだというが、熱中症は要注意。夏に強いと勘違いしていると、倒れてしまう。
 私の祖父も87歳で矍鑠カクシャクとしていたが、昭和35年の話、真夏に畑へ行って倒れたが、そこには誰もいなかったので、一時間くらい倒れたままだったので、それから衰弱が始まって、二週間後に亡くなった。

Photo ◆所 ジョージ:本名・芳賀隆之(はが・たかゆき)。1955年1月26日、埼玉・所沢市生まれ。55歳。拓殖大在学中に音楽活動を開始し、後にタレント業に進出。現在、日テレ系「1億人の大質問!? 笑ってコラえて!」などレギュラー番組多数。身長172センチ、血液型O。

 そうそう、祖父は自分の死を予測して、死の前日「ひと夜さ経てば、死ぬ」と叫んだ。まわりにいた父の妹たちは、「一矢刺せば、死ぬ!」と聞こえたので「誰も刺させんよ」と答えたそうだ。入れ歯を外していたので、カツゼツ(割舌)が悪くなっていたので、伝わらなかった。

 それで、もう一度祖父は「ひと夜さ経てば、死ぬ!」と、前より大きな声で叫んだ。娘たちはやはり「一矢刺せば、死ぬ!」としか聞こえなかったので「誰も刺させんよ」と耳元で答えてやったそうだ。それから、もう祖父は何も言わず、翌朝死んだ。

 祖父が翌朝死んでから、その言葉「一矢刺せば」が「ひと夜さ経てば」と、意味がわかったのだった。
 
自分の死がわかるのか、それ以後、私にとっての課題である。叔母は、「夫を亡くしたときは泣けなかったが、父〈祖父〉の死では思う存分泣けた」という言葉を言っていた。そういうものか、これも一つの疑問というか、課題として脳裏に残っている。

 父は82で亡くなり、祖父は87で亡くなった。一応の目標は祖父の年齢を超えることだ。叔母たちは元気だと思っていたが、90代でで亡くなり、叔母あと一人のみ残っている。7月1日、夏生まれの私は、この夜を去るのは夏なのかもしれない。

 中津の町では、本町の歯科医のオジさん岩田さんが、町内の子ども会で、クイズで「本町の最年長の人は誰か」と子供たちに聞いて、正解者に商品を渡す、そんなゲームがあった。正解は「曽我さんのオバアさん」あの昭和20年代の半ばで90歳くらいだった。町中で、どこの誰が何歳だと町中でみんな知っていた。

 岩田のオジさん、見た目はとっつき難いが子供好きだったので、子ども会の世話をしてくれた。家のなかへ子供を入れて、催しをしてくれた。余興で、雨の路上へガソリンをまいて、水の上でも火がっつく、ガソリンの怖さを教えてくれた。
 秋祭りに二人羽織りを作って仮装行列したり、巨大団扇を本町の真ん中に立て、「この団扇の高さは何メートルでしょうか」とクイズを出して、当てた人に商品を出した。三メートル二十センチと書いて出して、一等ではなかったが、二等で賞品の醤油小瓶をもらった。楽しい企画を作るおじさんは、謡曲の地謡の先生をやっていた。

100歳以上の長寿になっても、誰も関心を持たない都会の関係とは違って、中津の町では、きょうの夕食は何かまで知っているのは、息苦しいが、密な関係があった。

 夏休みになると、町内10人くらいの小中学生が、(中仙道)本町通りを朝6時に起きて竹箒で約100メートルくらいを掃除をしていた。朝の弱い私は、みんながわが家の前まで掃き進んできたころ、「Tちゃーん!」と起こされて、慌ててみんなに参加した。そんな記憶がある。

 緊密な田舎の人間関係はプライバシーも侵されるが、案外本来の人間社会のあり方だったような気がする。100歳以上で所在不明者が全国で18人だとか、20名だとか、最終的には50名を越す勢いだ。中学、高校の同級生で所在不明者がセロのクラスは珍しい。理由はいろいろあるが、50名に一人の割合で所在不明者がいるのではないか。

 少し夕暮れて、蝉の声が、まだまだかまびすしい。孫が近くにいないと、蝉を取りにいくなどしなくなるから、蝉がいても知らん顔になる。数日後、下の娘の子供たちが常滑からやってくると、賑やかになる。

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