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2010年7月18日 (日)

哲学堂に井上圓了の思想を汲む

38473848「哲学堂」という名にふさわしい場所だろう、と期待して出かけた。そして、井上圓了という人の思想が、この哲学堂という中に滲んでいるにちがいない。

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3855 西武新宿線の高田馬場から三つ目(新井薬師前)のごく都心から近いところにある。樹木も水にも恵まれて、良好な立地である。鎌倉時代、和田義盛(源頼朝の重要武将)の居城跡。

3832 少し小高い場所には明治30年代頃の学問所の建物が残っている。これが井上円了の企画した学問伝道場所か、良い味だしている。それが、100年違えば、もうその意図は伝わらないのか。そんな気持ちで見てしまう。

3835 事務所棟に行って「井上円了の人となり、哲学堂の哲学はなんだろう、そのあたりを知りたい」と申し出たが、それを説明するガイドはいない、ということだった。どこの歴史的建造物にも、ボランティアガイドがいるのに、哲学堂にはその制度がないのは、残念である。世の中にはボランティアガイド志望者は多くいるだろう。活用しない手はない。事務所スタッフの奮起を望む。

3859 事務所には、150円払って、園内案内図を買った。ついでに、「井上円了Enryo」というパンフレット〈東洋大制作)をもらって読むと、円了の生涯と思想が詳しくかかれていた。

井上圓了:安政5年(1858年)2月、越後長岡藩(現新潟県長岡市、合併前は新潟県三島郡越路町)にある真宗大谷派の慈光寺に生まれる。父は円悟、母はイク。002_2

明治元(1868)年10歳で蘭方医石黒忠の塾へ通って漢学と算数を学ぶ。明治2年、長岡編儒学者木村鈍について漢籍を学んだ。16歳で長岡洋学校に入学、洋学、多くの英語の原書で学んだ。

 パーレーの万国史、ミチェルの大地理書、クワケンスの米国史、ピネオの文典、マルカムの英国史、グートリッチの仏国史。羅馬史。福沢諭吉「西洋事情」。中村正直「西国立志編」をこの間に読破、親しんでいる。この若さでよく勉強している。

明治10年(1877年)、京都・東本願寺の教師学校に入学。翌年、東本願寺の給費生として、国内留学生に選ばれて上京し、東京大学予備門入学。その後東京大学に入学し、文学部哲学科に進んだ。
 明治18年(1885年)に、学部総代として27歳、卒業した。28歳003 で結婚、卒業後の進路として、京都へ戻り、母校の教師になる道、学者として文部省へ入る道が用意されていたが、仏教の衰退を嘆いていた円了は、双方を断り、仏教振興のために働くことを決意した。

卒業後の2年間は、哲学・仏教の理論を追究に努め、著述活動を開始する。「諸学の基礎は哲学にあり」と、29歳で文京区湯島の麟祥院内に哲学館を設立した。

その後、中野にみずからが建設した哲学堂(現、中野区立哲学堂公園)を拠点として、全国を講演してまわる。遊説先の満州大連において62歳で急死するまで、哲学や宗教についての知識をつたえるとともに、迷信の打破をめざして活動した。

01この若さでよく、広大な不動産を買っていると思ったら、それを支援している人がいる。まず母は、実家の寺がつぶれても、長男の円了に支援するんだと、いっている。母が、彼のやることならと必死に支援している。結婚したときの仲人の奥さんが勝海舟の娘で、その縁で勝海舟に学校設立の支援を求めたらしい。すると、翌日円了は呼び出されて、勝海舟から分厚い封筒を渡された。中には100円の大金が入っていた。「精神一到の気持ちでやれ」と励まされたという。明治26年代の100円は一体いくらの価値だろう。講演の全国(寄付金集め?)巡行も、勝海舟との相談のうえ実行している。

後に哲学堂から「東洋大学」となるが、「余資なきもの、優暇なきもの」のために教育の機会を開放すると謳った。哲学を広く伝道するためにこの哲学堂を設立した。半年後から「哲学堂講義録」として出版され、それをテキストとして通信教育を行った。通学生だけでなく、全国に通信生のいる大規模は学校として発展していった。

浄土真宗大谷派の住職の家に生まれて、その仏教の素養が出発点であったが、その後、仏教やキリスト教、あらゆる枠を超えた人間の哲学宗教を極めていった。それらの多くの偉人の思想を人類すべての財産として、知恵を生かして行こうとする姿勢は、よくわかる。現状の宗教は、一つの宗派に凝り固まり、他を批難中傷する団体を見かけるにつけ、哲学堂で掲げた井上円了の理想を現代人は学ぶべきだろう。

3901この円了の思想が、ここ哲学堂にあるにもかかわらず、ほんきになって継承する人がいないのは、残念だ。

日本に帰化したハンガリー人の彫像家ワグナー・ナンドールが、故国を迫害されて日本へきて、益子に住んで、日本人女性と結婚。その彫像作品が哲学堂の梅園内で展示していた。

005006008上像は、老子、釈迦、ハムラビ。それらの彼の作品と井上円了の作品思想が一致しているから、素晴らしい。お互いの作品と思想が交わっている時期も機会もな かったのが、みごとに一致しているのには、不思議なものを007_3007_4感じる。

008_2像は、ガンジー、聖フランシーヌ、聖徳太子。ワグナーの彫像作品には、宗教とその実行、法律の面の偉人を展示していた。老子、キリスト、釈迦、アブラハム、エクナトン、聖フランシス、達磨大師、ガンジー、聖徳太子、ユスチニアアス、ハムラビ。

3904_2  ワグナー・ナンドールが、井上円了の思想を目に見える形にしている。うまくマッチした芸術家がいたものだ、という気がする。定年後のアルバイトだという係員の方が、近くにいたので、いろいろ説明して頂いた。

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コメント

井上円了は、仏教やキリスト教、あらゆる枠を超えた人間の哲学宗教を究めていった。それらの多くの偉人の思想を人類すべての財産として、知恵を生かして行こうとする姿勢は、よくわかる。
現状の宗教は、一つの宗派に凝り固まり、他派、他思想を批難中傷するのを見かけるにつけ、哲学堂で掲げた井上円了の理想を現代人は学ぶべきだろう。
この円了の思想が、ここ哲学堂にあるにもかかわらず、本気になって継承する人がいないのは、残念だ。

投稿: 井上円了 | 2012年10月15日 (月) 10時53分

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