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2010年7月24日 (土)

素晴らしき日曜日 昭和22年から学ぶ

Photo 昭和22年といえば、まだ東京の焼け跡の風景がまだまだ残っていた。図書館からDVD「素晴らしき日曜日」(昭和22(1947年)、東宝 監督:黒沢 明)借りてきた。金町駅前に近代的な図書館、昨年10月完成したから、積極的にかりるようにしている。

4128_44131_2 雄造(沼崎勲)は戦争から帰って友人の一間だけのアパートに転がり込んで働いている。昌子(中北千枝子)も家族と同居して働いている。ふたりは婚約しているが、住む家が見つからなければ結婚できない。そんな二人のある雨の日曜日、金もなく焼け跡も生々しい街に出かけた。

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4138 ある日曜日、山手線の駅前で待ち合わせる。出会った途端、雄造は不機嫌。彼は15円、昌子は20円、二人合わせて35円しか小遣いがない。「男が女に金かりて、遊べるか」と男の沽券にこだわる。

都会の男女だが、平成22年から見ると、いろんな点でズレている。あれ、男と女の関係も、随分ウブだったんだね。まあ、今80歳、90歳って、そういう青春を送ってきたんだ。余裕の気持ちで受け止めた。

4158  雄造と昌子は、建売住宅のモデルハウスを見に行ってみると、建売住宅の値段は10万円。懐のさびしい雄造は、10万円では建売は買えないとブツブツ言っているが、昌子はこうして見るのが楽しく、いつかは買えると希望を持って見るから楽しそう。そこでもギャップがある。

4171そこで、借りられるアパートの話をききつけて見に行く。その昭和20年代は、まだアパートが少なくて、新婚所帯を持つのは大変に時代だった。彼らに借りられそうなアパートの部屋はすさまじいみじめなもの。

焼け跡で野球をしている少年の仲間に入って、打者になって打たせてもらうと、打った球が饅頭屋に飛び込んで、饅頭三個壊して10円の弁償。それを二人で道路脇の焼け跡で食べる。トラックが通ったり、牛車が肥桶を載せて通るたびに草野球を止めるシーンは、昭和22年らしい光景だ。4174_3

友達が支配人をしているキャバレーを訪ねると、友人はなぜか出て来ない。コーヒー店に入ると、まずいコーヒ-に30円請求されて、お金が足りなくて、雄造はコートを脱いでレジのおやじに質草代わりにおいて出る。

4185 外で、飯代わりにコーヒー店で食べ残したクッキーを食べていると、浮浪児が寄ってきて、「くれよ」というから、昌子が一枚上げると、10円渡そうとする。断ると「無理すんなよ」といいつつ、10円をひ込めて去っていく。浮浪児の現実は、お金儲けのうまい浮浪児は結構金を持っていたかもしれない。JR上野と京成上野を繋ぐ地下道は、浮浪児のたまり場だった。養護施設のトラックがきては、浮浪児を捕まえて、トラックに載せて施設へ収容する。逃げて、また、ここへきてしまうらしいが。

雄造と昌子、行くところがないから、動物園へいく。上野動物園かな、檻の中の動物は、「豚」だったりするところ、正に昭和22年、敗戦後の状況が「豚」でよく示されている。

41974207 動物園から出て、しばらくして、雨が降り出して、迷うっているとき、オーケストラのコンサートのポス4202 ターを見て、行ってみると、ダフ屋たちが一番売れる10円のB席切符を買い占めて、15円で売ろうとする。雄造は10円で売れと文句を言うと、ダフ屋の連中に寄ってたかって殴られる。重ね重ね不愉快なことばっかりで雄造はすっかり落ち込んでしまって、雄造のアパートにもどる。

4209 仕方なく彼をなぐさめながら一緒についてきてくれた彼女に、彼は、「もう君しかいない」と、雄造は昌子に寄ると、ハっとびっくりして雄造から逃げて彼女はて廊下出る。このあと「いつまでもお嬢さんだから」という雄造の気持ち、当時の男なら多くの人が経験する場面だ。

4240 いつの間にか、女がキスを男に迫ったり、女が男の上に乗りかかるとか、「新婚さんいらっしゃい」で聞く女性の意識の変化は激しいが、昭和22年の女性の一般的な意識は、そう男は思わされていただけかもしれないが、女性はまず反射的に貞操を守る姿勢だった。そのタブーを破る意思を映像で表現するのは、初めてであったらしい。

4225 昌子が外へ出て行ったあと、雄造は自己嫌悪に陥っているところに、彼女が再び戻ってきて、すすんでレーンコートを脱ごうとする。雨で濡れたレインコートを泣きながら脱ごうとする行動で、彼女の意思を表現する。まあ、なんと奥ゆかしいことか。映画製作者も、この当時(昭和22年)の人々の性に対する潔癖というか、性を神聖視する古い考えがまだある。

・・・雄造の気持ちをなぐさめるために昌子は、レインコートを脱ぐ健気な気持ちである。昭和22年の性のモラルを昌子の心の葛藤として表現している。黒沢監督にしても、これを表現するのに相当の決心がいるようだ。平成の現代だったら、ここに葛藤があるだろうか。日常のルーティンのようなプロセスになって、タブーの重みがないだろう。

4191 昌子の心の葛藤を見て、雄造はそれを押し留めてわびる。そして「雨も上がったし、外へ出よう」と、二人は気をとり直して夜の街に出る。ちょっと、児戯に等しいような展開かな、と思うが、それには、社会の規制を受け入れた映画作りの苦労があるわけだ。

この場面、肉体の露出もなく、非常につつましい描写であるが、当時としては画期的な表現であり、厳粛な感銘を与えられる、あるいは、切迫したいい場面だと評判になったらしい。

4234そして野外音楽堂で、雄造はオーケストラの指揮の真似をする。ここは日比谷野外音楽堂を利用した撮影のように見えた。夜の撮影だから、人もいないし、自由に利用しているようだ。上野を使ったり、セットを使わず、実際の景色や建物を利用して安く映画を作っている。

4194 さっきコンサートで聴けなかった「未完成交響曲」を再現しようとタクトを振るう。しかし、指揮の真似をしても彼の耳には木枯しの音ばかり。雄造は、呆然としてしまう。

すると、昌子がステージに上って、叫ぶ。「皆さん!お願いです!皆さんの温い心で声援を送って下さい!」と。よく、子供の劇で観客が劇中にはいてくる劇があるが、その手法に似た方法で「映画中に観客を想定した場面」を入れていた。

4219 昌子のこの言葉に励まされ、雄造がもういちどタクトを振る。こんだどは、荘重なオーケストラの音が湧き起こってくる。まるでおとぎ話のようなクライマックス。本当に切羽つまった雄造の願いがあって心を打つ。

これは「いきる」の市民課の課長がぶらんこで息絶えるのと似ている。黒沢監督の定番のエン ディングの端緒をここに発見した。

4239俳優沼崎勲と女優中北千枝子は地味な脇役俳優で、スター俳優とは違う下積みの人々の生活の実感を出していた。そしてなにより、敗戦後の生活がリアルに表現された。(佐藤忠男著「日本映画300」(朝日文庫)参照)

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