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2010年6月12日 (土)

藤村の「夜明け前」読み難いのはなぜ

Photo 島崎藤村「夜明け前」を読もうと、挑戦するのは三度目である。これも一種古典クラッシックなのか、向こうから手助けしてくれない。こっちの努力だけで登ってこい、と構えているところがある。よほどのマニアでないと、この本はもう読まれないだろう。 クリック本

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「徳川家康」(作者山岡荘八)のような長編、あれは数十巻もあるが、次々に読みたいと思って、するすると読めたが、「夜明け前」は地名も人物名も知名度が低いものばかり、出来事も、歴史上の有名なものはない。

淡淡と山深い田舎の出来事を書かれても、興味を引かないだろう。私にとっては、郷土の文豪であるから、敬意を表して征服しようとしているが、あまり面白みがわかない。と、言ってしまうと、実も蓋もないが、いまどき風の面白くしようという観点がない。これからは、読んで頂く読者あっての、文学だから、音楽でもそうだが、読みやすくする工夫が必要だ。

貴種流離譚(折口信夫の説)「高貴な生まれの、弱く、力ない人間が、遠い地をさすらう苦悩を経験する」この貴種が、読者は好きで好むというわけだ。その貴人がご苦労して、栄誉ある地位に上り詰めると、庶民読者は拍手喝采してくれる。こう文学界では説明している。この説からいくところ、木曾の山奥では、「貴種」のストーリーから遠い。

彼は中津川の宮川寛斉に就いた弟子である。寛斉は平田派の国学者である。この彼が日頃先輩から教えられることは、暗い中世の否定であった。中世以来学問道徳の権威としてこの国の臨んできた漢学び風の因習からも、仏の道で教える物の見方からも離れよということであった。それらのもののそれらの影響を受けない古代の人の心に立ち帰って、もう一度心寛ゆたかにこの世を見直せということであった。

藤村の文章は長く、これで一段落の半分。書いてある中身は国学の先生中津川の宮川寛斉の説明。そもそもと始めると、つい面倒な文章になる。ストーリーなら読みやすいのに、と思いつつ先に進む。木曽路、長野県、岐阜県の地味な気質が影響しているのか。

一代の先駆、荷田春満かだのあずままろはじめ、賀茂真淵かものまぶち、本居宣長もとおりのりなが、平田篤胤ひらたあつたね、これらの諸大人が受け継ぎ受け継ぎしてきた一大反抗の精神はそこから生まれて来ているということであった。彼に言わせると。「物まなびするともがら」の道は遠い。もしその道を追い求めて行くとしたら、彼が今待ち受けている人に、その人の信仰に、行く行く反対を見出すかも知れなかった。

 内容はそれなりに意味のある内容だし、普遍性はあるから、ここはまだいい。小説の手法としては、思想を文章で盛り込んでしまったら、文章がギクシャクしてしまう。まだ、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤は、一般性があるから通じるが、読者と作者との暗黙の共通理解の上、登場人物名は出てくるといいが、ローカルの人物に名前を振られても、困る。

中津川出身の私が読んでも、小説上では、中津川の問屋の角十=丸八だとか、蜂谷香蔵=間半兵衛(秀矩)と名前を変えているが、これは藤村の地元への配慮である。蜂谷香蔵=間半兵衛は、夜明け前の主人公半蔵の学友であり、後の中津川市長の間孔太郎の数代前の祖父である。現実の話とからむと、国学者として、政治の理想と商家としての投機利を求める矛盾はあまり表に出したくない。友人だった半蔵の子孫島崎藤村は、あまり迂闊なことは「夜明け前」に書くわけにいかない。その点は、「商人たちの明治維新」の著者大島栄子も語っている。

有名な冒頭「木曽路はすべて山の中である。あるところはソバずたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」この木曽路が、私の母方の血筋だと思うと、こんな貧しい地域で祖先は生き延びてきたのかと思うと、つい情にほだされ読むことになる。

昔、明治の人は、「夜明け前」一文の一呼吸が長い。文字の読めない非読者層は考慮されないから、どんどん進んでいく。興味ない読者は置き去りにされる。「夜明け前」ってどんな本、どんな文章、と興味ある方へ クリック本

Photo_2 中仙道の宿場、木曾の馬篭、妻籠、中津川にも、明治維新の風を感ずるような話も伝わって来るし、影響もうけている。天狗党の一行が戦いに半ば敗れ、木曽路から中津川へ進行していく。実際の生活では、物価変動が激しく、特に純度の高い小判などが、1両を2割まし、高いときは3割増しで両替商が買い集めて、外国商社の手先に売るという話もある。そういう意味では、「夜明け前」のジャパンが目の前に展開する小説であるといえる。

その当時の常識を身につけて読まないと、江戸時代末期の様子がわからない。読んでも理解できない面がある。1冊を半分過ぎて、後半になって、おぼろげながら、人物関係が理解できて、話の構図がわかる。そうすると、早く読めるようになる。

1953年(昭和28年)に「夜明け前」として、新藤兼人脚色、吉村公三郎監督により映画化されている。
監督:吉村公三郎 脚本:新藤兼人 撮影:宮島義勇 美術:丸茂孝 音楽:伊福部昭
出演:滝沢修、小夜福子、宇野重吉、細川ちか子、乙羽信子、山内明、伊達信、日高澄子 ほか

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島崎藤村:本名島崎 春樹(しまざき はるき)1872年(明治5年)410pxshimazaki_toson2 2月17日、筑摩県(長野県)第八大区五小区馬籠村 (現岐阜県中津川市)に生れた。父は正樹、母は縫の四男。生家は代々、本陣や庄屋、問屋の地方名家、祖は三浦半島の津久井。父正樹は17代当主、国学者。

 1878年(明治11年)、地元の神坂学校に入り、父から『孝経』身体髪膚 毀傷せざるは、孝の始めや『論語』を学ぶ。1881年(明治14年)に上京、泰明小学校に通う。寄宿していた伯父・武尾用拙に、『詩経』などを学ぶ。旧・慶應義塾分校、現・錦城高校、共立学校(現・開成高校の前身)など進学予備校で学び、明治学院普通部本科入学。共立学校時代の恩師の影響もあり、キリスト教の洗礼を受ける。学生時代は西洋文学を読みふけり、また松尾芭蕉や西行などの古典書物も読み漁った。明治学院普通部本科の第一期卒業生で、校歌も作詞。この間1886年(明治19年)に父正樹(『夜明け前』の主人公青山半蔵のモデル)が郷里にて(座敷牢で)死。藤村に与えた文学的影響は多大だった。(ウィキペディア)

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