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2010年6月21日 (月)

細川護熙、竹院に半日 閑す

Photo_13細川護熙は、かつては日本新党を率い、日本政治の中心にいたが、一夜にしてその座を投げ捨て、再び政治の表舞台に出ていない。(週刊文春6月10日号より

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潔いというか、あまりにも、日本の行く末、国民に無関心な態度には呆れる。もっと粘れよ、そんな気持ち出見てしまう。そういう意味で、ハングリーでない人は似た行動をとる。個人的には、言い分があるだだろうが、政治にはトンと興味を失っているいるように見える。

7 細川 護熙(ほそかわ もりひろ、1938年(昭和13年)1月14日 - ):日本の元政治家、陶芸家。公益財団法人永青文庫理事長。
参議院議員(3期)、大蔵政務次官、熊本県知事(第45・46代)、日本新党代表(初代)、衆議院議員(2期)、内閣総理大臣(第79代)、フロム・ファイブ代表(初代)などを歴任した。

肥後熊本藩主だった肥後細川家の第18代当主。後陽成天皇の14世孫にあたる。戦国武将細川忠興の子・熊本藩主細川忠利から数えて15代目の細川護貞と、近衛文麿の娘である温子との間の長男。現在の東京都千代田区に生まれる(本籍地は熊本県熊本市)。学習院高等科を経て、京都大学を受験するが失敗。一浪後再受験、またも失敗し、上智大学法学部を卒業後、朝日新聞社に入社。鹿児島支局を経て社会部記者となり、金嬉老事件などを取材。

今の仕事は?と、聞くレベルの存在ではないから、仕事をしていようが、いまいが、お殿様には、その種の質問は意味をなさないだろう。

Photo_14 「中国詩心の旅」という週刊文春の企画で、細川のお殿様は旅を楽しんでいるようだ。

左は、唐の詩人李渉(りしょう)「鶴林寺に題する」のテーマ「閑」をもて余している、という漢詩を書き下ろしたもの。声に出して読むと、漢詩はいい響きがします。

 一日中、酔生夢死の状態でぼんやりしていたが、もうすぐ春が終わると聞いて、思い切って山へ登った。
 竹の生い茂る寺院に立ち寄り、お坊さんに出会って語りあったところ、はかない人生にあって、得がたいのどかな数時間を過ごすことができた
。〈漢詩の意味)

Photo_15 中国江蘇省鎮江市竹林寺、上海のすぐ近くにある。その寺を訪ねて竹林と寺院を細川護熙が訪ねている写真である。この空見て感慨にふけっている姿が様になっている。

殿様は基本として、衣食住に不自由をしたことがないだろう。NHK大河ドラマ「龍馬伝」に土佐藩の山内容堂が出ている。容堂は、鯨飲、大酒のみで、庶民を人とは思わないような姿が見える。徳川方の大名だから、保守的名思想かと思っていると、攘夷に理解している時期もあり、時局が変わると、攘夷派を弾圧する。保守反動で通してくれたら、それなりの対応の仕方があるのに、困った殿様だと、維新の功臣が嘆く言葉を聞いたことがある。

Photo_2 熊本細川の殿様も、総理を辞めてから、敷地内に窯を築いて、焼き物に熱中していると聞こえていた。中国四千年の悠久の旅を読んでいると、ほーこんな時間の流れ方があるのか、人生味わうことのないまま時間にあくせくしている自分に驚いてしまう。

鶴林寺は、今も元時代の鎮江の寺となっているが、寺はその旧観を留めていない。程遠からぬ山麓の竹林の中に静かな一寺があって、僧の姿はなかったが、葉間から洩れる陽光に旅中の閑を得た思いだった。」これは細川護熙さんの文章のように構成されている。この余裕が、あくせく動き回っている庶民には書けない心境だ。

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